中山グランドジャンプで史上初めて3連覇を達成し、主戦騎手ブレット・スコットの風車ムチとともに日本でも人気を博した、オーストラリアの名ジャンパーである。
主な勝ち鞍
2001年:ジーロングカップ(L)
2005年:中山グランドジャンプ(J・GI)
2006年:中山グランドジャンプ(J・GI)
2007年:中山グランドジャンプ(J・GI)
概要
前半生
父Kahyasi(カヤージ)、母Karamita(カラミタ)、母父Shantung(シャンタン)という血統。父はその祖父ニジンスキー以来となる無敗の英愛ダービー馬、母系も血統表を見れば分かるがゴリゴリの欧州血統が組み合わせられ続けている。
……何か欧州競馬で走ってそうな血統なのだが、実はこの馬はアイルランド生まれである。父カヤージやシャーガーなどの生産所有者のアガ・カーン4世殿下の生産所有馬としてデビューしている。
しかし3歳4月のデビューから初勝利までに5戦を要し、その後もハンデ戦を4戦して2勝とうだつが上がらず、秋のセリでオーストラリアの馬主に購入され、同国に移籍することとなった。
オセアニアに移籍したカラジは1999~2001年にかけてそれなりの成績を残した。当初からステイヤー適性が見込まれており、実際に3200mのGIで何度か好走した(アデレードカップ2着、ブリズベンカップ2年連続3着)ほか、2001年のメルボルンカップでは後の凱旋門賞馬*マリエンバードや1番人気だったスカイハイツに先着する4着に健闘している。
しかし2002年に入ると一気に調子を落とし、故障による長期休養もあったが10戦連続で着外に敗退。平地では頭打ちだと思われて障害馬のセリに出されてしまった。
しかし、カラジの本当の活躍はここからだった。
中山グランドジャンプ3連覇
オーストラリアの公認会計士をしているピアース・モーガン氏に購入されたカラジ。障害競走に強いエリック・マスグローヴ厩舎に転厩すると、平地競走出走を挟みながらそれなりに活躍。障害競走で6勝を挙げた後、オーストラリア最大級の障害戦だったヒスケンススティープルチェイス(3717m)で3着に入った。
中山グランドジャンプ参戦が現実味を帯びてきたのはこの頃である。63.5kgの斤量で出走でき、また賞金が高額な中山グランドジャンプは、条件も賞金も魅力的なレースだったのである。そうは言っても4250mという距離は流石に未経験なので、スタミナと飛越を中心に特訓が積まれた。なお斤量のこともあってか、これ以降引退まで地元では障害競走に出走していない。
さて、2004/05シーズンに入ると、カラジは平地で6戦1勝2着1回の成績を残して3月に来日。初戦となるペガサスジャンプSには6番人気での出走となり、勝ったバローネフォンテンの1馬身3/4差3着に入った。続く中山グランドジャンプではバローネフォンテン、前年の中山大障害馬メルシータカオー、阪神スプリングジャンプ優勝馬ナムラリュージュの3頭が回避したこともあり1番人気で出走。道中で徐々に位置を上げながら4角で先頭に立ち、直線ではブレット・スコット騎手の豪快な風車ムチに応えて、2着チアズシャイニングを退け優勝。10歳にして初GI制覇を飾ったのだった。
帰国後、地元オーストラリアで最優秀障害馬となったカラジはシーズンが変わった年明けまで休養。自身を讃えて開催された「カラジ・中山グランドジャンプウィナー・ハンデキャップ」に出走したが、平地1612mという条件も災いして5頭立ての最下位。この後平地を5戦して2着を1回確保し、再び3月に来日した。
ペガサスジャンプSで前年の中山大障害4着馬テレジェニックの2着として本番に挑んだカラジだったが、ここには強敵がいた。前年の中山大障害馬・テイエムドラゴンである。カラジの1歳下の日本ダービー馬・アドマイヤベガを父に持つこの4歳馬が、11歳で連覇に挑むカラジの前に立ちはだかったのだった。
単勝式でテイエムドラゴン2.3倍、カラジ3.2倍、3番人気テレジェニックが11.3倍という2強ムードの中でレースが始まった。最初に先手を取ったバルトフォンテンが大竹柵手前で故障し競走中止になると、ニュージーランドのフォンテラから更にメジロオーモンドが先頭を奪う展開。しばらくそのままレースが進んだが、4角手前で先に動いたのはカラジの方だった。そのまま4角で先頭に立つと、あとは追ってくるテイエムドラゴンとのマッチレース。一旦離されながら猛然と差を詰めてくるテイエムドラゴンを、再びの風車ムチに応えたカラジがクビ差凌ぎきり、親子ほどの歳の差がある前年のJ・GI馬対決はカラジに軍配が上がったのだった。
このシーズンも豪の最優秀障害馬に選出され、2006/07シーズンも年明けから平地を6戦叩いて来日。ペガサスジャンプSでは後の中山大障害馬メルシーエイタイムの3着として、再び1番人気で中山グランドジャンプを迎えた。そして中団から先に仕掛けたメルシーエイタイムを見るように進んで4角先頭というお馴染みの競馬を披露し、これまたお馴染みとなったスコット騎手の風車ムチに応えて、追い込んできたリワードプレザンを退けてゴール板を通過。この瞬間、史上初の中山グランドジャンプ3連覇、更には12歳馬によるJ・GI制覇が達成されたのだった。
その後
帰国後は休養を経て、2007/08シーズンに変わった12月に復帰。平地を6戦して、いつも通り「ペガサスジャンプS→中山グランドジャンプ」のローテを組んで来日した。しかし3月27日、ペガサスジャンプS2日前の最終追い切り後、屈腱炎を発症したということが判明。13歳という年齢もあり、ここで引退となってしまった。
中山グランドジャンプ4連覇を前に無念の引退となったカラジに対するメッセージの募集がJRA主催で行われ、中山グランドジャンプ2週前の4月6日に中山競馬場でメッセージの贈呈式が行われた。海外馬にこのような待遇がなされること自体が相当珍しいし、それだけ日本で人気があったということの証左と言えよう。
引退後は功労馬としてマスグローヴ厩舎に繋養されていた。中山グランドジャンプ3連覇が評価され、2018年にオーストラリア競馬の殿堂入りも果たした。
そして2024年9月23日、カラジは29年間の生涯を終えて天へと旅立った。
中山グランドジャンプの連覇記録は後にオジュウチョウサンによって更新されたが、それでも同馬は5連覇時点(2020年)で9歳。
10歳で重賞を制した、というとカラジが中山GJを3連覇した翌年(2008年)の小倉大賞典でアサカディフィートが10歳で連覇。地方にまで目を向けると13歳で重賞を制した道営のオースミダイナーがいる。そして、さらに4年後(2012年)にはトウカイトリックが10歳でステイヤーズSを制覇し12歳まで現役を続けた。しかし、そんな彼らをしてもGIには手が届かなかった。
そこからさらに9年後(2021年)に、先述のオジュウチョウサンが10歳で中山大障害を、翌2022年には11歳で中山グランドジャンプを制したが、結局この年限りで引退したため12歳でのGI挑戦を見ることは叶わなかった。12歳でのGI制覇、更に言えば10歳でGI初制覇を達成する馬は、この先現れるのだろうか……。
血統表
Kahyasi 1985 鹿毛 |
*イルドブルボン 1975 黒鹿毛 |
Nijinsky II | Northern Dancer |
Flaming Page | |||
Roseliere | Misti | ||
Peace Rose | |||
Kadissya 1979 鹿毛 |
Blushing Groom | Red God | |
Runaway Bride | |||
Kalkeen | Sheshoon | ||
Gioia | |||
Karamita 1977 鹿毛 FNo.16-d |
Shantung 1956 鹿毛 |
Sicambre | Prince Bio |
Sif | |||
Barley Corn | Hyperion | ||
Schiaparelli | |||
Shahinaaz 1965 鹿毛 |
*ヴェンチア | Relic | |
Rose O'Lynn | |||
Cherry | Prince Bio | ||
Baghicheh | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Prince Bio 4×4(12.5%)、Nasrullah 5×5(6.25%)
関連動画
関連項目
- 競馬
- 競走馬の一覧
- 1998年クラシック世代
- 障害競走
- 中山グランドジャンプ
- トウカイトリック(彼と同じ12歳まで走り続けた馬)
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