メルシーエイタイム(Merci A Time)は、日本の競走馬(2002 - 2015)。鹿毛の牡馬。
2007年の中山大障害勝ち馬・JRA賞最優秀障害馬で、2005年~2009年中山大障害5年連続連対という記録の持ち主。レース中の事故で予後不良相当の重傷を負いつつも手術で命をつなぎ、それから亡くなるまでの1年余の記録でも知られる。
44戦6勝[6-7-3-28]
主な勝ち鞍
2007年:中山大障害(J・GI)、東京ハイジャンプ(J・GII)
概要
父*チーフベアハート、母マチカネカルメン、母父*スリルショー。
父*チーフベアハートはChief's Crown産駒。1997年のBCターフなど北米の芝でG1を3勝し、1997年度エクリプス賞最優秀芝牡馬、1997・98年度ソヴリン賞(カナダの競馬年度表彰)年度代表馬に選出され、カナダでは競馬殿堂入りを果たした存在である。引退後は日本に購入されて静内種馬場で繋養され、メルシーエイタイムに加えて朝日杯FS馬マイネルレコルト、天皇賞(春)を制したマイネルキッツと3頭のGI馬を輩出。その他ビービーガルダン、マイネルラクリマ、マーブルチーフ等を出し堅実な成績を残した。
母マチカネカルメンは1989年生まれで現役時5戦1勝。馬名由来はジョルジュ・ビゼーの『カルメン』、この年のマチカネ軍団は「音楽シリーズ」となっており、善戦マン・マチカネタンホイザの同期である。エイタイムの半姉キャサリンクリスタの産駒には、廃止直前の福山競馬場でデビュー9連勝など奮闘した牝馬ムツミマーベラスがいる。
さらに母系を遡ると……「母母父パーソロン・3代母スイートルナ」?そう、この馬の祖母マチカネアスカは皇帝シンボリルドルフの1歳下の全妹であり、10歳で事故により亡くなったスイートルナの最後の仔である。ただし、馬名の通り「マチカネ」の細川益男氏が馬主となり、ルドルフのきょうだいで唯一シンボリ牧場以外の勝負服でデビューし、引退後も他の牧場で繁殖についた。
母父*スリルショーは1986年ハリウッドダービー勝ち馬。日本で種牡馬を務めたのち、2000年にメジロアルダンらと中国の北京龍頭牧場に寄贈されている。
2002年2月27日生まれ、生産は静内町の田中裕之牧場。同牧場生まれの後輩にはJDD馬カゼノコ、ステイヤーズS2連覇のデスペラード、珍名馬オマワリサンなどがいる。馬主は「メルシー」冠名の永井康郎氏[1]で、本馬およびメルシータカオー・メルシーモンサンでJ・GI3勝を挙げている。馬名の「Aタイム」とは、テレビ・ラジオで最も視聴率やCM料金が高い時間帯(いわゆるゴールデンタイム)のこと。栗東・武宏平厩舎所属。
戦歴
年始に新馬勝ち→年末に大障害連対
初出走は明けて3歳の2005年2月13日、小倉競馬場芝2000m。武宏平調教師のおい・武英智騎手を背に、新馬勝ちを飾る順調なデビューを果たす。……が、その後10月までに500万下戦を11戦も使うも、馬券にも絡めず。あっという間に入障することになった。
1ヶ月後の11月5日にはもう障害デビュー戦を迎え、2戦目の11月27日障害未勝利戦で勝ち上がり。そこから中1週で12月10日に障害オープンを叩き、さらに中1週で中山大障害へ。2月にデビューした馬が、年間16戦目で年の暮れには大障害の舞台に立つという猛ローテである。
障害未勝利を勝ち上がったばかりで、流石にここは力の差があるだろう、取りあえずケガしないようにな…と思いきや、なんと出津孝一騎乗のメルシーエイタイムはこのGIどころか重賞初出走の中山大障害で、優勝したテイエムドラゴンには9馬身差をつけられながらも2着連対を果たした。
3歳馬が中山大障害で2着というだけでも大したものだが、優勝したテイエムドラゴンも3歳。まあ、ビッグテーストやブランディスといった上の世代のJ・GI馬複数が既に引退、前年覇者メルシータカオーは長期故障中、この年の中山GJを制した豪州の名ジャンパー・カラジは大障害には来日せず。既にJ・GI制覇を経験した出走馬は3年前の覇者でこれが引退レースとなるギルデッドエージのみという、そうした状況も手伝ったのは間違いないが、それにしても史上初の3歳馬による中山大障害ワンツー[2]という快挙であった。
この年の3歳世代(2005年クラシック世代)は、芝は無敗三冠馬ディープインパクトの登場、ダートはカネヒキリが大活躍しており、障害戦線でも3歳のうちから世代の強さを印象付けたのだった[3]。
2007年大障害制覇まで
J・GI連対で収得賞金を加算し、障害の重賞戦線に戦いの場を移したエイタイムだったが、2006年(4歳)は中山グランドジャンプ4着をはじめ、春はいまいち調子が上がらず。しかし、11月に小坂忠士に乗り替わった秋陽ジャンプS(OP)で1年ぶりの勝利を挙げ、中山大障害へ。昨年敗れた同期のテイエムドラゴンが故障で不在の中、大障害獲りへ……と思いきや、この年入障してきたやはり同期のマルカラスカルに6馬身差をつけられ、2年連続の2着に留まった。
2007年(5歳)にエイタイムは充実期を迎える。
始動戦のペガサスジャンプSでは、中山GJ2連覇中のカラジを制して勝利(まあカラジは63kgを背負っていたのだが…)。春の本番中山GJではカラジに3連覇達成を許し3着も、続く6月の東京ハイジャンプ(J・GII)[4]では、西谷誠を背にメジロベイシンガーを7馬身突き放し、ついに重賞初勝利を挙げた。
秋の始動戦は平地の3歳上500万下戦(東京芝1800m)へ。…これは障害の重賞馬がたまにやる手で、J・GIやJ・GIIを勝利するとその後はJ・GI以外大半の障害競走で恒久的に負担重量がプラスされてしまうため、脚への負担などを考慮して平地戦を本番前の叩きに使うという戦略である[5]。ただの叩きで騎手も本気で追っていなかったにもかかわらず、この500万下戦で3着と状態の良さをうかがわせ、本番の中山大障害(J・GI)へ。
以降の主戦を務める横山義行が初騎乗のメルシーエイタイムは前半を中団で運び、前年覇者マルカラスカルが大生垣で先頭に立つとその背後をマーク。最終直線入口で並びかけるとマルカラスカルを競り落とし、追い込んできたキングジョイも1馬身半差抑えてゴール。三度目の正直でJ・GI初制覇を果たし、鞍上の横山義行はJRA通算200勝目をGI勝ちで飾った。
なおこの2007年中山大障害は、メルシーエイタイム・キングジョイ・マルカラスカル・テイエムドラゴン・メジロハスラーと掲示板内5頭が全て5歳馬で、2005年クラシック世代の障害戦線における優秀さを示すレースともなった。
障害のGI馬、平地の1勝馬
さてJ・GI馬に輝いたメルシーエイタイムは、このあとさらに6年間、11歳まで現役を続ける。
その秘訣は……中山グランドジャンプと中山大障害以外は平地しか使わないというローテーションだった。そうなのだ、先ほど障害重賞馬は負担重量の関係から平地戦を叩きに使うことがあると触れたが、エイタイムはそれを突き詰めまくった。すなわち、中山大障害を制したことでさらに負担重量が増した2008年以降は、本番の約1ヶ月前に平地の500万下戦を使って「もうすぐ本番やな?」と馬に認識させ、その上で定量戦である中山GJ・中山大障害に臨む、というローテをひたすら繰り返したのである(現役後半は脚部不安と付き合いながらのため、という事情もあった)。
このため出走数は多くて年4戦、平地ではまるで勝負に絡もうともせず1周回ってくるだけのため2桁着順だらけで、エイタイムの現役後半の馬柱はかなり奇妙なことになっている[6]。
それでも、そのローテーションで一定の結果は出ている。2008年(6歳)は、中山GJはマルカラスカル・中山大障害はキングジョイに敗れたものの、J・GI2連続の2着。2009年(7歳)は春の中山GJは回避したが、中山大障害はキングジョイ2連覇の背後で2着、中山大障害5年連続連対という記録を残した[7]。2010年(8歳)は中山GJ競走中止・大障害は5着と不振だったが、2011年(9歳)は中山GJでマイネルネオスの2着。
故障との付き合いと最後のレース
だが、2011年中山GJ2着の後脚部不安に見舞われる。1年以上の休養を経て臨んだ2012年(10歳)中山大障害はマーベラスカイザーの8着。再び1年の休養を挟み、ついに引退が決定。
最後のレースとなる2013年(11歳)中山大障害に臨んだが……アポロマーベリック優勝の中、メルシーエイタイムがゴール板に帰ってくることはなかった。最初の障害飛越の着地時に転倒し、落馬競走中止。カラ馬のまま、意地で正面スタンド前の水濠障害を飛越したのち係員に捕獲された時には、明らかに左後脚を脱臼していた。長年苦楽を共にした北尾俊幸調教助手は、その連絡を聞き一時は覚悟を決めたという。
メルシーエイタイムのもう一つの闘いは、ここから始まるのである。
その後の馬生
手術とJRA抹消まで
メルシーエイタイムの診断は、左第2趾関節脱臼。要は左後脚の蹄の関節が外れたのであり、予後不良に値する重傷だった。
だが、完全脱臼ではなく亜脱臼であったこと等から小林稔獣医は助けるための手術を提案、美浦の競走馬診療所にて5時間をかけ患部にプレートを入れボルトで固定する手術が行われた。手術は成功したものの、エイタイムはしばらく3本脚も同然の状態であり、美浦に留まり経過観察が必要であった。自厩舎の仕事のために栗東に帰らねばならない北尾助手に代わり、大ベテランの並木秋雄元厩務員[8]がヘルパーとしてエイタイムを世話し、約1ヶ月の経過観察期間を乗り越えた。
年が明けて2014年1月28日、栗東トレセンへと帰り診療所でさらに1ヶ月の経過観察が行われたが、ここで実は左後脚の膝も剥離骨折していたことが判明する。レースの時点で折れていたのか、その後に脚をかばい続けた結果かは不明だが、もしレース直後の診断の時点で「蹄の関節だけでなく、膝も…」ということであれば、手術が行われていたかどうか…。
脱臼に骨折、馬自身はもちろん痛いに決まっている。エイタイムが痛がって暴れれば、その時点で決定的な故障を発し、彼の生命は終わっていたろう。だが彼は、使えない左後脚を残る3本脚で必死にかばいながら、痛みに耐えて踏ん張っていた。栗東での1ヶ月間も乗り越え、2014年2月27日、正式に競走馬登録を抹消され、栗東を退厩した。
368日間の軌跡
エイタイムの向かった先は、受け入れ先の滋賀県・忍者ホースクラブ(現:Vigorous Stable)。
だが、同クラブの宮本佳英氏は、到着したエイタイムの負傷を見て「もって2週間」と感じたという。それほど左後脚はギリギリの状態であり、いつまた再故障するか分からない。残り3本の脚に負担がかかり続け、蹄葉炎などを発症する恐れもある。まともに歩けず運動不足が続けば、疝痛の原因ともなる。いずれも次に何かが起これば、その時こそは苦しみを除いてやる他に選択肢はない。馬と長年付き合ってきたプロの目から見ても、その日は遠くないように思われたのだ。
しかし、メルシーエイタイム…この乗馬クラブでは「エイタさん」と呼ばれていたそうだが、彼はその2週間を超えて生き続けた。
放牧になど出せないが、運動はしないと死に直結するので、青草の生える馬房の裏庭が彼の曳き運動場だった。当時はまだクラウドファンディングなんて言葉も十分に普及していない頃だったが、エイタイムの快復祈願の絵馬が制作され、その購入という形で競馬ファンからの資金が募られ、治療費に活かされた。ちょっと検索してもらえばこの頃のメルシーエイタイムの写真等がヒットするが、ずっと使えない左後脚は、我々のイメージするサラブレッドの丸々と筋肉のついた腿とは別の生き物かのようにやせ細っていた。
それでも彼は毎日カイバを平らげ、再会した同冠・元同厩の後輩メルシーモンサン[9]ら同じクラブの仲間をからかい、牝馬を見れば喜んで鳴き、戯れにスタッフ達に噛みついて手こずらせた。徐々に左後脚を地面に着けるようになり、ひょっとするとこのまま余生を送れるのではないか、そんな風にすら思われたという。
だが、その日は突然にやって来た。左後脚をどうにか支えていたプレートが、限界を迎えてしまったのだ。2015年3月1日、宮本氏が朝のカイバを付けに行った時には既に異変が起こっていたという。メルシーエイタイムは旅立った(13歳没)。クラブにやって来てから368日目のことだった。
治療中の彼の姿を綴ったフォトブック『メルシーエイタイム~忍者で暮らした368日間~』には、様々な表情の彼の姿が収められている。発生した事故と故障に対して多くの関係者が諦めず、何よりメルシーエイタイム自身が懸命に生きようとしたからこそ得られた延命期間であった。大障害の坂路を何度となく駆け抜けたその力強さを以て最期まで生きた彼の魂が、安らかなることを祈りたい。
血統表
*チーフベアハート 1993 栗毛 |
Chief's Crown 1982 鹿毛 |
Danzig | Northern Dancer |
Pas de Nom | |||
Six Crowns | Secretariat | ||
Chris Evert | |||
Amelia Bearhart 1983 栗毛 |
Bold Hour | Bold Ruler | |
Seven Thirty | |||
Myrtlewood Lass | Ribot | ||
Gold Digger | |||
マチカネカルメン 1989 鹿毛 FNo.11-c |
*スリルショー 1983 鹿毛 |
Northern Baby | Northern Dancer |
Two Rings | |||
Splendid Girl | Golden Eagle | ||
Coccinea | |||
マチカネアスカ 1982 鹿毛 |
*パーソロン | Milesian | |
Paleo | |||
スイートルナ | スピードシンボリ | ||
*ダンスタイム |
クロス:Northern Dancer 4×4(12.50%)、Bold Ruler 5×4(9.38%)
- 母マチカネカルメンは現役時5戦1勝。祖母マチカネアスカの全兄に七冠馬シンボリルドルフ。またマチカネアスカの全姉スイートコンコルドの牝系からは、2018年のマイルチャンピオンシップ馬ステルヴィオが出ている。
関連動画
中山大障害5年連続連対を果たした2005・2008・2009年のレース(2006年はニコニコになかった)
関連リンク
関連項目
脚注
- *サイレンススズカをはじめとする「スズカ」や、「ミスズ」「サンレイ」「スリー」等の冠名を用いる永井啓弐氏の弟。
- *そもそもこの2005年テイエムドラゴンの「3歳馬(新馬齢)の中山大障害優勝」が、1968年のタジマオーザに続く史上2例目という珍しい記録だった。
- *実際、中山大障害はテイエムドラゴン、マルカラスカル、メルシーエイタイム、キングジョイとこの世代の4頭で2005年~2009年の5年間1・2着を独占しており、障害競走で十分な存在感を発揮した世代だった。
- *2008年までは6月開催だった。
- *後の2018年にオジュウチョウサンが500万下開成山特別に出走したのは、有馬記念出走を果たすために何でもいいから平地の収得賞金が必要だったためで、理由が異なる。
- *同厩・同馬主の後輩メルシーモンサン(2010年中山グランドジャンプ優勝馬)なども現役後半は類似したローテを採っている。
- *オジュウチョウサンは中山グランドジャンプでは2016年~2020年と連対どころか5連覇という大記録を打ち立てているが、中山大障害に関しては2015年~2017年の3年連続出走(16・17年2連覇)が最長。
- *抽選馬の立場からのし上がり、1979年の日本ダービーでカツラノハイセイコのハナ差2着に惜敗したリンドプルバンなどを担当した人物。
- *メルシーエイタイムより半年早く、2013年中山GJ(競走中止)限りで引退していた。乗馬も引退した後は、余生を送るために鹿児島県のホーストラストへ移った。
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