ただ一歩ずつ
つまずくことなく
坂を駆け上がれる者など
それほど多くない時には立ち止まって
膝小僧の土を払い
息を整え力を蓄えてから
また足を踏み出せばいい
メイショウオウドウ(Meisho Odo)とは、1995年生まれの日本の競走馬。鹿毛の牡馬。
マイル~中距離で末脚を武器に活躍した黄金世代の阪神2000巧者で、飯田祐史騎手の代表的騎乗馬。
主な勝ち鞍
2000年:産経大阪杯(GⅡ)
2001年:鳴尾記念(GⅢ)
概要
父*サンデーサイレンス、母*アルタデナ、母父Lyphardという血統。
父は説明不要、日本競馬を根底から変えた大種牡馬。
母はアメリカ産のフランス調教馬で、3戦未勝利。その母Lacoviaは1986年のフランスオークス馬で、近親にはMiswakiがいる良血である。繁殖牝馬として松栄牧場に輸入され、メイショウオウドウは第2仔。
母父リファールは現役時代はジャック・ル・マロワ賞とフォレ賞を勝ち、種牡馬としては*ダンシングブレーヴなど数多くの活躍馬を出して欧米を股に掛けた大成功を収めた。
父も母父も産駒が気性難で知られた種牡馬だが、メイショウオウドウも気性はかなりカリカリしたタイプだったようで、レースではゲート入りを嫌がる姿がしばしば見られた。
1995年5月29日、浦河町の松栄牧場で誕生。競走馬としてはだいぶ遅生まれの部類である。
オーナーは「メイショウ」冠名でおなじみ松本好雄。1歳下にメイショウドトウがおり、何度も同じレースを走ったため紛らわしいとよく言われていたとかいなかったとか。
ちなみにメイショウ軍団の後輩には、障害重賞馬メイショウヨウドウ(2008年産)や2024年現在現役のメイショウドウドウ(2015年産)がいる。紛らわしい……。
※本馬の現役期間は2001年の馬齢表記変更を挟みますが、本記事では基本的に旧表記(数え年)で表記します。
名将、王道を往く
3歳~4歳:クラシックには縁がなく
栗東・飯田明弘厩舎に入厩したメイショウオウドウは、師の息子で厩舎所属、デビュー5年目の飯田祐史騎手を鞍上に迎え、1997年8月9日、小倉・芝1200mの新馬戦でデビュー。1番人気の支持に応え、粘る逃げ馬をクビ差差しきってデビュー勝ちを飾る。ちなみにこの新馬戦の3着には後に阪神3歳牝馬Sを勝つアインブライドがいた。以後、引退まで1戦を除いて飯田祐史騎手が騎乗した。
ところがこのあと骨折してしまったらしく、9ヶ月の長期休養を余儀なくされる。復帰戦はもう皐月賞も終わった5月の京都4歳特別(GⅢ)。キャリア1戦ということで単勝63.6倍の9番人気という人気薄ながら3着に食い込み、素質の高さを見せる。しかし賞金は積めなかったのでダービーには間に合わなかった。
仕方ないのでダービーの前週の中京・芝2000m、マカオジョッキークラブトロフィー(500万下)に向かったが、逃げ馬に振り切られてしまい2着。続く6月の阪神・芝2200m、野苺賞(500万下)で単勝1.4倍の支持に応えて2馬身差で快勝、2勝目を挙げる。
勢いに乗り、福島のラジオたんぱ賞(GⅢ)へ。皐月5着・ダービー7着のディヴァインライトに次ぐ4.5倍の2番人気に支持されたが、後方から大外一気で上がり最速の末脚を繰り出したものの、前から抜け出したビワハヤヒデ・ナリタブライアンの弟ビワタケヒデに惜しくもクビ差届かず2着。
続いて向かった神戸新聞杯(GⅡ)では春のクラシックで苦汁をなめたキングヘイローが断然人気で、メイショウオウドウは4.0倍の2番人気に支持されたが、後方から大外を捲って上がっていき4角で先頭集団に取り付いたものの、そこから伸びず6着。これが阪神2000mで連対を外した唯一のレースであった。
しかもこのあとまた故障があったようで、実に11ヶ月の長期離脱ととなり、クラシックを勝ったスペシャルウィークやセイウンスカイとは縁の無いまま4歳を終えた。
5歳:vs「怪物」
休養しているうちに900万下に降級となったメイショウオウドウは、明けて5歳、8月となって小倉・芝1800mのTVQ杯(900万下)で復帰すると、ここでは格の違いを見せて快勝。
続いて向かった朝日チャレンジカップ(GⅢ)では単勝3.0倍の1番人気に支持される。2コーナーで思いっきり掛かって2番手まで上がってしまいつつもそこから折り合いを付けて進め、直線で堂々と抜け出し押し切りを図ったが、大外からなんかとんでもない脚で飛んできたのが、同じくクラシックには縁がなかった同期の皇帝の息子・ツルマルツヨシ! 並ぶ間もなくかわされて2着。
敗れたとはいえ重賞級の実力は見せたメイショウオウドウは、秋の天皇賞を目指し、毎日王冠(GⅡ)に向かった。しかしここには今までとは別格の、同期の最強格が出走してきていた。そう、この年の宝塚記念でスペシャルウィークを蹴散らした「怪物」グラスワンダーである。トップハンデ59kgながら、当然単勝1.2倍の圧倒的1番人気。メイショウオウドウは15.7倍の4番人気であった。
若干ゲート入りを渋る素振りを見せたメイショウオウドウは、大外枠から一旦最後方に控えたあと、少し前に出てグラスワンダーを前に見ながらキングヘイローと並んでレースを進めた。直線に入ってもグラスワンダーがバタバタしてなかなか伸びず、その真後ろにつけていたメイショウオウドウは横のキングヘイローとの間をこじあけるようにして針路を確保、グラスワンダーを目標に脚を伸ばす。ようやくグラスが逃げたアンブラスモアを捕まえたときには横に並びかけ、2頭が完全に横並びになったところがゴール板。クビの上げ下げの勝負になったが、長い写真判定の末、僅かにハナ差届かず2着に敗れた。
ちなみにこのレースの写真判定の裏で行われたのが、ツルマルツヨシがスペシャルウィーク・メジロブライト・テイエムオペラオーをまとめて下した京都大賞典である。
グラスがなんか変だったとはいえ同期の最強格にハナ差まで迫ったメイショウオウドウは、意気揚々と天皇賞(秋)(GⅠ)に乗りこんだ。京都大賞典でスペがやらかしたので混戦ムードとなり、9.6倍の6番人気とまずまずの人気を集めたが、大外枠にも祟られたか、最後方から直線伸びず14着撃沈。同期のダービー馬との最初で最後の対決は完敗に終わった。
続く京阪杯(GⅢ)は1番人気に支持されたものの、4歳馬ロサードの末脚に撫で切られて3着。実力は見せながら結局重賞未勝利のまま5歳を終えることになった。
6歳:雨と道悪は勘弁な
明けて6歳初戦は初マイルの京都金杯(GⅢ)。しかし初マイルでトップハンデ57.5kgはしんどかったか、追走に苦労して11着撃沈と幸先の悪い滑り出しとなる。
賞金を稼ぎに阪神・芝2000mの大阪城ステークス(OP)へ向かうと、ここでもトップハンデ57kgを背負ったが、ここは1番人気に応えてタヤスメドウにハナ差競り勝ちきっちり勝利。
続いて向かったのは同条件の産経大阪杯(GⅡ)。相手関係は重賞連勝中のジョービッグバン、未勝利から4連勝で乗りこんできたロードプラチナムといったところで、GⅠ級の実績馬は不在であり、メイショウオウドウは2.2倍の1番人気に支持される。
ここでもゲート入りを嫌がったメイショウオウドウだったが、レースは後方から徐々に押し上げて行くと、直線で大外から末脚が炸裂。断然の上がり最速で、ライバル2頭をまとめて蹴散らしてゴール板へ駆け込んだ。審議になったためちょっと心配そうな顔で確定を待った飯田祐史騎手は、8年目で待望の重賞初制覇。飯田明弘調教師も障害重賞は勝っていたが平地重賞はこれが嬉しい初制覇となった。
晴れて重賞馬となり、王道中距離戦線に向かうことになったメイショウオウドウ。しかしここから彼の前には、同期の強敵が消えたと思ったら1歳下の1999年クラシック世代と道悪が立ちはだかることになる。
金鯱賞(GⅡ)では春天2着のラスカルスズカに次ぐ2番人気に支持されたが、道悪に脚を取られて伸びず、上がり馬メイショウドトウの前に何もできず7着。良馬場ながら雨の宝塚記念(GⅠ)もあまり見せ場なく7着。重馬場の天皇賞(秋)(GⅠ)も見せ場なく10着に終わった。そう、彼は500万下の野苺賞こそ不良馬場で勝っているが、重賞レベルでは雨や道悪になるとてんでダメだったのである……。
さて、そんなメイショウオウドウが秋天の次に向かったのはジャパンカップではなくマイルチャンピオンシップ(GⅠ)だった。JCは距離が長いにしても、マイル実績は京都金杯の11着だけとあってはさすがに人気するはずもなく、混戦ムードの中にあっても44.5倍の12番人気。しかし今回は久しぶりの晴れ・良馬場! 最後方を追走したメイショウオウドウは、直線で最内に進路を取り、先に抜け出した1番人気ダイタクリーヴァを13番人気の伏兵アグネスデジタルがわけのわからん末脚でレコード撫で切りにした、その内でなにげにデジタルと同タイムの上がり最速タイで3着確保。13番人気-1番人気-12番人気の決着となり、当時3連単があったらいくらついたんだろうなあ。
年内ラストは有馬記念(GⅠ)に参戦したが(このときのみ河内洋が騎乗)、メイショウドトウと並んで直線を迎えたもののドトウに置いていかれ、テイエムオペラオーの劇的なグランドスラム達成の後ろで見せ場なく8着。ちなみにこのときはゲート入り難の対策のためか、大外枠にもかかわらず最初にゲートに入れられている。
7歳(現6歳):まだまだがんばる
明けて7歳……いや、この年から馬齢表記は満年齢になったので6歳。前年のマイルCSの好走もあってこの年はマイル戦線に向かうことになり、中山記念(GⅡ)から始動。8番人気に留まったが、勝ったアメリカンボスからは1秒離されたものの最後方から上がり最速で4着。
連覇のかかる大阪杯を蹴って向かった読売マイラーズカップ(GⅡ)では、ここも最後方から上がり最速で追い込んだものの2着。
そして春の大目標・安田記念(GⅠ)ではここも混戦ムードの中で17.7倍の7番人気に留まったが、やはり最後方から上がり最速タイで追い込み、前のブラックホークに振り切られたものの3着確保。2着に15番人気ブレイクタイムが粘り、9番人気-15番人気-7番人気という大荒れ決着となった。馬連がなんと12万円もついたが(GⅠでは2024年現在も歴代3位、重賞でも歴代10位)、これも当時3連単があったらいったいいくらになったのやら……。
秋は毎日王冠(GⅡ)から始動したが、ここから彼の自慢の末脚には急激に衰えが来ていた。後方から伸びず7着に終わると、天皇賞(秋)(GⅠ)も苦手な道悪で6着まで。マイルチャンピオンシップ(GⅠ)は後方から全く伸びず14着撃沈。
そんな中、向かったのはかつて2勝を挙げた阪神・芝2000mの鳴尾記念(GⅢ)。末脚の衰えを隠せないメイショウオウドウに対し、得意のこの舞台で飯田祐史騎手は思い切った手に出た。逃げたのである。キレ味のない馬は先行粘り込み、というのは競馬の常道であるが、末脚自慢で鳴らした彼に真逆の逃げを打たせるというのは、腹を括った騎乗という他ない。
そして相棒のその騎乗にメイショウオウドウも応え、1番人気ダイタクリーヴァ、2番人気アグネスゴールドの追撃を振り切って鮮やかに逃げ切り。人馬ともに重賞2勝目を挙げた。
有馬記念(GⅠ)はあまり見せ場なく8着に終わったあと、翌2002年も現役続行の予定だったが、手頃な価格のサンデーサイレンス後継種牡馬を求めていた馬産地の要望もあり、年明けに現役引退、種牡馬入りすることとなった。
通算27戦6勝 [6-5-4-12]。阪神・芝2000mでは重賞2勝を含む5戦3勝[3-1-0-1]であった。獲得賞金3億3297万7000円は、メイショウ軍団では2024年現在第11位である。
引退後
引退後はイーストスタッドで種牡馬入り。初年度の種付け料は100万円、3年目からは50万円になったが、それなりにコツコツと牝馬を集め、193頭の産駒を送り出した。
中央ではメイショウシャフトがオープンを勝ったぐらいで重賞クラスの産駒は出なかったものの、11歳まで走ったベイリングボーイやドレッドノートなど、高齢までコツコツと息長く走り続ける産駒が多かった。地方では佐賀の重賞馬を1頭出しているが、最も知名度のある産駒は、名古屋競馬場で19歳まで現役で走り続けたヒカルアヤノヒメだろう。
メイショウオウドウは2016年で種牡馬を引退。その後は白老町のホースガーデンしらおいで功労馬として余生を送った。2021年7月18日死亡。26歳だった。
飯田祐史騎手は2013年まで現役を続けたが、結局GⅠを勝てないままステッキを置いた。そのまま父の厩舎の技術調教師となり、新馬戦と阪神JFで騎乗したメイショウマンボのGⅠ3勝を裏方として支え、2014年に父が勇退すると調教師として厩舎を開業。そして飯田祐史調教師にはじめてのGⅠタイトルを贈ったのが、これまたメイショウ軍団のメイショウダッサイであった。
血統表
*サンデーサイレンス 1986 青鹿毛 |
Halo 1969 黒鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to |
Nothirdchance | |||
Cosmah | Cosmic Bomb | ||
Almahmoud | |||
Wishing Well 1975 鹿毛 |
Understanding | Promised Land | |
Pretty Ways | |||
Mountain Flower | Montparnasse | ||
Edelweiss | |||
*アルタデナ 1988 鹿毛 FNo.16-g |
Lyphard 1969 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Goofed | Court Martial | ||
Barra | |||
Lacovia 1983 鹿毛 |
Majestic Light | Majestic Prince | |
Irradiate | |||
Hope for All | Secretariat | ||
Hopespringseternal |
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関連項目
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