中山金杯とは、JRA(日本中央競馬会)が中山競馬場で開催するハンデキャップの重賞競走である。芝コースで距離は2000m。格付けはGⅢ。
概要
1952年に創設。以来、馬インフルエンザと厩務員ストライキの影響で4月に開催された1972年を除いて1月開催が定着しており、1961年からは現在の新年最初の中山競馬場・2000mでの開催が定着。まだこの当時は1月3日開催だったものの、1969年からは基本的に1月5日(暦の都合により変更がある)に固定され、年の初めを告げる中距離ハンデ重賞として親しまれている。同日開催の京都金杯と並び、「大人のお年玉」と呼ばれたり、平日に開催されることも多いため、(仕事をサボった)背広姿の観客が多いと揶揄されることも。1970年代は新年最初の開催が東京になったためそちらの2000mで開催されていたが、1980年に中山開催に戻されている。
1995年まで競走名は「日刊スポーツ賞金杯」であり、京都競馬場で同じ日に開催される、スポーツニッポンが賞を提供する競走と同名だった。このため、この競走を「中山金杯」「金杯(東)」「日刊金杯」と呼び、京都競馬場の競走を「京都金杯」「金杯(西)」「スポニチ金杯」などと呼び分けていた。1996年からはそれぞれ「日刊スポーツ賞中山金杯」「スポーツニッポン賞京都金杯」に改名されたため、呼び分けはなくなった。
優勝馬からはハクリヨウ、オンワードゼア、トサオー、ヤマニンモアー、オンスロート、アサホコ、アイフル、スズパレード、クシロキング、サクラローレル、グルメフロンティア、シャドウゲイト、ラブリーデイ、ウインブライトが、複勝圏内からはハクチカラ、ラプソデー、ガーネツト、ウイルデイール、クリヒデ、コレヒサ、ヒロヨシ、カネミノブ、ハワイアンイメージ、ジャスタウェイ、ロゴタイプ、クラリティスカイがGⅠ(級)競走を勝利していた、あるいは後に勝利している。
このほかのトピックとして、1974年の勝ち馬イナボレスと1983年の勝ち馬ヨロズハピネスは著名人がオーナー(それそれ稲富稜人衆議院議員、俳優の萬屋錦之助)であること、1989年の競走は昭和最後の重賞となり、勝利騎手が元さくら中学武藤彩未と騎手武藤雅姉弟の父親としても知られる武藤善則(しかも生涯唯一の重賞勝ち)で、またこれから過去6年の勝ち馬が「金偏」の馬(ドウカンヤシマ→「銅」、スズパレード→「鈴」、クシロキング→「釧」路、トチノニシキ→「錦」、アイアンシロー→「鉄」、ニシノミラー→「鏡」)だったことなどが挙げられる。
歴代結果
年齢は2000年以前も現行の表記に統一
第9回まではタイム表記は1/5秒単位
競走名:~第44回「金杯」、第45回~「中山金杯」
競走条件:第1回~第9回 中山芝2600m
第10回~第18回、第29回~ 中山芝2000m(以下の回を除く)
第19回、第22回~第26回、第28回、第45回、第51回 東京芝2000m
第20回、第27回 東京ダート2100m 第21回 福島芝2000m
関連項目
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