郷原洋行(ごうはら ひろゆき)とは、鹿児島県鹿屋市出身の元JRA所属の騎手・調教師である。
概要
郷原洋行 ごうはら ひろゆき |
|
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
性別 | 男性 |
出身地 | 鹿児島県鹿屋市 |
生年月日 | 1944年1月21日 |
没年月日 | 2020年1月31日 |
騎手情報 | |
所属 | 日本中央競馬会(JRA) |
中山競馬場→美浦T.C. | |
初免許年 | 1962年 |
免許区分 | 平地・障害(-) |
引退日 | 1993年 |
重賞勝利 | 83勝 |
通算成績 | 11906戦1515勝 |
騎手テンプレート |
1944年1月21日生まれ。農家の次男として生まれ、幼い頃から農耕馬に乗るなど馬と親しめる環境で育った。
中学時代、東京へ強い憧れを持っていたところ日本中央競馬会の騎手募集の広告を見て、騎手を目指せば東京へ行けると騎手を志す。
中学卒業後、馬事公苑長期騎手過程に入り、1961年より騎手候補生として中山競馬:大久保房松厩舎に入門。1962年3月デビュー、同期には中島啓之や中央競馬でデビュー後、南米へ遠征した後消息不明となっていた中神輝一郎[1]らがいた。この年8勝を挙げる。
1963年、31勝と前年より大きく勝ち星を伸ばし、同年から1992年まで実に30年連続で年間二桁勝利を挙げる。
1964年、クリライトに騎乗し京王杯スプリングカップを勝利し初重賞制覇。年間成績でも38勝を挙げ、全国リーディング9位にランクインを果たすなど、トップジョッキーの仲間入りを果たす。
1967年、リュウズキで皐月賞を勝利しクラシック競走初制覇、この年79勝を挙げ初の関東リーディングジョッキーに輝く。
1968年、キャリアハイとなる85勝を挙げるなど活躍を続けたが、1971年頃から痛風を患いやや失速。それでも食事制限や禁酒などで体質改善を図り克服。1974年には71勝、1975年には80勝、1978年には75勝を挙げ関東リーディングを獲得するなど復活してみせた。
八大競走でも活躍し、1975年にはイチフジイサミで天皇賞(春)を、1977年にはプレストウコウで菊花賞を、1979年にはカシュウチカラで天皇賞(春)を、スリージャイアンツで天皇賞(秋)制覇している。また、1979年は史上5人目の通算1000勝を達成し、年間64勝で初の全国リーディングジョッキーにも輝いている。
1980年、オペックホースで東京優駿を制覇し、念願のダービージョッキー・三冠ジョッキーとなる。
以降はリーディング上位から徐々に後退していったが、それでもニッポーテイオーとのコンビで天皇賞 (秋)、マイルチャンピオンシップ、安田記念を制覇。
1989年にはウィナーズサークルで東京優駿を制覇し、自身2度目のダービー制覇を達成。この勝利は平成初のダービー馬、茨城県産馬・芦毛馬初のダービー馬など記録ずくめのものであった。
1988年からは加賀武見の引退により日本騎手クラブの会長に選出され、引退まで5年間を務めた。
1991年、史上4人目の通算1500勝を達成。翌1992年1月に日本プロスポーツ大賞功労賞を受賞している。
1993年2月28日、中山牝馬ステークスを最後に騎手としての現役を引退。引退レースではダンスダンスダンスに騎乗し13頭中8着に終わった。
調教師転向後はなかなか勝ち星を伸ばせない時期が続いたが、1999年、ゴーカイが東京オータムジャンプを制覇し調教師として重賞初勝利を挙げる。同馬はその後、2000年・2001年の中山グランドジャンプを連覇し、2000年の最優秀障害馬に選出された他、2000年に記録した4:43.1というタイムは2018年にオジュウチョウサンが更新するまで長らく同レースのレコード記録であった。
引退後は競馬評論家として活動。毎週のように追いきりや週末の会見を見に美浦T.C.に顔を出し、後輩騎手や調教師にアドバイスを送ることもあったという。
2014年には功績が認められて競馬殿堂入り(騎手部門)を果たした。
2019年頃から体調を崩し入退院を繰り返すようになる。
人物・エピソード
迫力満点の騎乗フォームで馬を追わせ、多くのビッグレースで勝利を挙げた「剛腕・郷原」。
しかしながら実際のところは荒々しくない堅実でフェアな騎乗であり、行きたがる馬を上手く抑える技術に長け、柔らかく当たって折り合いをつけ最後の直線に余力を残す、というのが本来のスタイルである。参考にしていた騎手もフェア騎乗で知られた野平祐二であった。
加賀武見とは自他ともに認めるライバル関係であり、互いに激しく競り合った結果両名の騎乗馬が沈むということも度々見られた。
天皇賞や東京優駿などビッグレースで強さを見せたが、牝馬限定のビッグレースには縁がなかった。本人曰く「『剛腕』のイメージが先行しすぎて依頼がなかったんじゃないかな。(牝馬だと)壊してしまうんじゃないかって」と語っている。
息子の洋司は1991年から2010年まで騎手として活動し、現在は調教助手を務めている。
主な騎乗馬・管理馬
※ニコニコ大百科に記事のある競走馬を記載。( )内は郷原騎乗での重賞勝ち鞍。
騎乗馬
- プレストウコウ(1977年京都新聞杯、セントライト記念、菊花賞)
- オペックホース(1980年東京優駿)
- ニッポーテイオー(1986年:ニュージーランドトロフィー4歳ステークス、函館記念、スワンステークス、1987年:京王杯スプリングカップ、天皇賞 (秋)、マイルチャンピオンシップ、1988年:安田記念)
- レジェンドテイオー(1988年アルゼンチン共和国杯)
- ウィナーズサークル(1989年東京優駿)
管理馬
関連動画
関連リンク
関連コミュニティ・チャンネル
関連項目
JRA調教師・騎手顕彰者 | |
騎手 | 野平祐二 | 保田隆芳 | 福永洋一 | 岡部幸雄 | 河内洋 | 郷原洋行 | 柴田政人 |
---|---|
調教師 | 尾形藤吉 | 松山吉三郎 | 藤本冨良 | 武田文吾 | 稲葉幸夫 | 二本柳俊夫 | 久保田金造 | 伊藤雄二 | 松山康久 | 橋口弘次郎 | 藤沢和雄 |
騎手・調教師テンプレート |
中央競馬の三冠達成騎手 | ||
クラシック三冠 | 牡馬三冠 | ★小西喜蔵 | 蛯名武五郎 | ★栗田勝 | 保田隆芳 | 増沢末夫 | 武邦彦 | 郷原洋行 | 田島良保 | 菅原泰夫 | 中島啓之 | ★吉永正人 | ★岡部幸雄 | 柴田政人 | ★南井克巳 | ★武豊 | 河内洋 | 四位洋文 | 横山典弘 | ★池添謙一 | 内田博幸 | 岩田康誠 | 川田将雅 | ミルコ・デムーロ | クリストフ・ルメール | ★福永祐一 |
---|---|---|
牝馬三冠 | 前田長吉 | |
変則三冠 | 前田長吉 | |
中央競馬牝馬三冠 | 嶋田功 | 横山富雄 | ★河内洋 | 松永幹夫 | 武豊 | ★幸英明 | 本田優 | 池添謙一 | 安藤勝己 | ★蛯名正義 | 岩田康誠 | 福永祐一 | ★クリストフ・ルメール | ★松山弘平 | ★川田将雅 |
|
古馬三冠 | 春古馬 | 達成者無し |
秋古馬 | 和田竜二 | オリビエ・ペリエ | |
★は同一馬による達成者。変則三冠、古馬三冠は同一年達成者のみ。 | ||
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脚注
親記事
子記事
- なし
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- 池添謙一
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