実験衛星「ひてん」(MUSES-A)とは、日本の探査機(工学実験探査機)である。
1985年4月から計画が始まり、1990年1月24日20時46分(日本時間)鹿児島宇宙空間観測所からM- 3SIIロケット5号機によって打ち上げられる。1993年4月11日運用終了。
概要
宇宙科学研究所(ISAS 現:宇宙航空研究開発機構 宇宙科学本部 JAXA/ISAS)が運用した工学実験衛星「MUSES(Mu Space Engineering Spacecraft(Satellite)/ミュー・ロケットで打ち上げる宇宙工学実験探査機)」シリーズの1番機。
愛称の「ひてん」は天空に住まい空を舞う天女の仏教での呼び名『飛天』から。
工学実験として将来行われるであろう月・惑星探査ミッションに必要な技術となる、スイングバイなどの高度かつ特殊な軌道修正技術、それにともなう軌道の精密標定・制御の高精度化・搭載計算機などの工学実験、科学探査機としてダストカウンターによる地球・月空間の宇宙塵の計測(ミュンヘン工科大学の共同研究)を運用目的としている。また本機には孫衛星として月オービター「はごろも」(天女の纏う衣の名前から。分離後に命名)が搭載されており、これの月周回軌道投入も実験項目に入っている。
日本で初めて月に向かった衛星(アメリカ・ソ連に次いで全世界で3番目)であり、彗星探査機「さきがけ」「すいせい」に次ぐ日本で3番目に他の天体を目指した探査機。
形状:直径1.40m、高さ0.79mの円筒型。機体上部に対面寸法40cm26面体の「はごろも」を搭載。
重量:197kg(推進剤込み。うち、「はごろも」約11kg)
姿勢制御方式:本体がコマのように回転することで安定させるスピン安定方式
搭載ミッション機器:ダストカウンター、光学航行装置等航法関連機器(太陽センサ、スタースキャナー、地球センサ、加速度計)、フォールトトレラント型搭載計算機
発電能力:円筒状に張られたインジウム・リン太陽発電パネル5978枚より110w
通信:SバンドおよびXバンド(今後予想される高速,超遠距離通信をにらんで従来のUHF帯は使用せず。日本の衛星でXバンド帯使用は初。)
軌道:
スイングバイ実験前の衛星軌道…近地点262km 遠地点28,600km 傾斜角30.6度 周期6.7日の楕円軌道
スイングバイ実験時の最高記録…近地点120km 遠地点1,532,100km
天空の舞踏場 ~スイングバイとは?~
ひてんの事について記述する前に、より深くひてんの事を知ってもらう為に、ひてんの主任務の一つである『スイングバイ』航法について簡単に解説する。(よって専門的には不適切・不正確な記述を含む事をご了承いただきたい。)
ニュートン力学によると、物体は外から力を加えられない限りその場に静止し続け、元から動いていた場合はずっとその方向・力で動き続けるとされる。
つまりはスピードや方向を変えるには、新たに力を加えてやる必要があり、車(接地摩擦)や飛行機(空気)のように抵抗を利用できない宇宙機は、基本的に推進剤を使うことになる。
しかしながら宇宙機が持ち込める(打ち上げロケットで打ち上げられる)推進剤には限りがあり、遥か彼方へ探査に行く機体などにとっては大きな足かせとなってしまう。
(1回の月スイングバイでの代表的速度変化量約1km/秒(月の公転速度)を重量1トンの衛星に搭載した比推力200秒の推進系で行なおうとすると、それだけで機体重量の4割、約400kgの燃料が必要。つまりは詰める機材が減ってしまうジレンマ… orz)
ではどうするか?
実は推進剤を使わずに(あるいは少量の推進剤で)宇宙機の進行方向を変え、加減速をやってのける方法が存在する。
その方法のひとつが『スイングバイ』航法である。
全ての天体には「周りのものを自分の方へ引っ張ろうとする力=引力」が働いている。質量が大きければ大きいほどその力も強く、惑星や(人工)衛星、彗星などが宇宙のかなたへ飛び散ってしまわずに円周運動(公転)しているのは、円周の中心にある天体の引力が働いているからである。
同時に惑星や衛星は周りのものを引っ張りながら恒星の周りを周っている。
その強大な力を利用して、進行方向を曲げたり加減速させたりするのである。
- 方向転換
強い引力をもつ天体のそばを飛ぶように宇宙機を飛ばしてやると、天体の近くを通る時にまっすぐ飛んでた(正確には太陽に引っ張られている為、太陽方向に曲がりながら飛んでいる)宇宙機が天体のある方向へクイッと曲がる。(この時、宇宙機の速度が天体の引力圏脱出速度(第2宇宙速度)以上無いとその天体の衛星となる。)
イメージ的には平坦なところからアリ地獄のような窪みのふちをめがけて球を転がす感じ。 - 加速・減速
惑星や衛星の場合周りのものを引っ張りながら自分も動いているのは先に書いたとおりである。
つまりは宇宙機が惑星や衛星の引力圏に入った時に、その惑星の公転している分だけ宇宙機もその公転方向に引っ張られるわけである。
それを利用することで、宇宙機の曲げられた進行方向が惑星や衛星の公転方向と正方向なら宇宙機は公転運動に乗っかり加速、反対方向なら公転運動に引っ張られ減速させることが出来る。
イメージ的には空港などにある動く廊下に向かって球を転がす感じ。
天体の引力に導かれて宇宙機の軌道が変わる様子はさながら天体のリードに合わせ舞うてワルツ。太陽系は天空の舞踏場といったところだろうか。
惑星を相手に初めてスイングバイを行ったのは内惑星探査機マリナー10号(金星から水星に向かう時、1974年2月5日)である。
以降ひてんを打ち上げるまでにパイオニア11号やボイジャー1号2号などが太陽系外に向かうのに、「さきがけ」「すいせい」がハレー彗星観測後の実験で利用している。(1973年12月にパイオニア10号が木星に最接近しているが、明確な目標を定めた方向転換をしていないので、ここではスイングバイに含めない事とした。)
スイングバイを成功させるには、宇宙機の正確な位置と加速度が測定できる航法誘導制御系、高度な軌道計算、情報と命令をやり取りする高効率な通信網が必要であり、ひてんはこれらの技術習得・向上を目指して運用された。(ちなみにひてんが搭載した光学航法装置はスピン安定型衛星としては世界初の試みであった。)
ただし
いいことづくめのように見えるスウィングバイだが、ひとつの欠点をもつ。
それはスウィングバイを行うために使った星の軌道を変えてしまうことである。つまり
・スウィングバイで探査機を加速 → スウィングバイされた星が減速 → 星の軌道が少し内側になる
・スウィングバイで探査機を減速 → スウィングバイされた星が増速 → 星の軌道が少し外側になる
スウィングバイを「星の重力を利用して加速する(減速する)」、と説明されるが実は半分間違った説明である。
正確には「星の運動エネルギーを探査機の運動エネルギーに分け与える。その仲立ちに重力を利用する」が正しい説明。エネルギー保存の法則により、星と探査機の運動エネルギー収支はプラスマイナス0になる。
ただ、探査機の質量が星に比べてあまりにも小さい。
(ex 月質量7.347673 ×1022 kg : ひてん質量1.97 ×102 kg)
そのため、変化した軌道の観測は自然でおこる変動や計測誤差の範囲内におさまってしまう。つまりスウィングバイによる星の軌道変化は無視してもよい。今のところは・・・・・
月とワルツ ~ひてんの軌道制御実験と科学調査~
話をひてんに戻す。
とっさの判断で打ち上げ18秒前で打ち上げを緊急停止したり、打ち上げ中の2段目点火直後に新設の20mパラボラアンテナの運用不慣れと2段目噴射炎による電波減衰から一時ロケットをロストしたり、ロケットによる加速が足らずに遠地点高度が予定の軌道高度より低かったりしつつも、無事打ち上げ・軌道投入に成功。
予定より遠地点高度が取れなかった為、月とのランデブーのタイミング合わせの為の地球周回(周期調整マヌーバ)を予定の4周半から5周半に増やして月へと向かう。
軌道制御実験
将来地球圏より遠く離れた天体を探査するのに必要不可欠な技術である『スイングバイ』航法。その技術を習得する為に、ひてんは月を相手に合計10回のスイングバイ実験を行った。
1回目のスイングバイでは初めから最接近計画値との誤差は距離約2km、時間にして1秒以下という高精度の航法誘導を実現し、“東京ドームのバックスクリーンを飛んでいるカの目玉をホームベースから射抜く”正確さと担当者は表現した。
(アポロ計画担当者の“1マイル先のハエの頭を射抜く(月―地球間の距離に換算すると約2kmの誤差)”という比喩表現に対抗して)
また予定されたスイングバイ実験終了後、地球大気がごくわずかに存在する高度100km圏を通過することで空気抵抗により減速(-1.9123m/秒)を行う空想科学テクニック「エアロブレーキ」を世界で初めて実現してみせた。
ここまで情熱的で過激だと「月とワルツ」というより「月とタンゴ」と言うべきかも…。
孫衛星分離・軌道投入実験
第1回スイングバイに当たっては最接近直前の3月19日4時37分3秒に月オービターを分離。
2月21日に発見されていたオービター側の点検時の電源操作ミスによる送信機系不調によりテレメーターによる軌道投入成功は確認できなかったが、東京大学木曽観測所の105cmシュミット・カメラによる目視観測で月キックモータが5時4分3秒に点火したのを確認しており、おそらく月周回軌道投入に成功したものと推定、「はごろも」と命名する。
宇宙(そら)舞う『飛天』から離れし『羽衣』―――、のちに「鯨太くん」を命名する林友直教授の命名センスはこのころから冴えわたっていたようである。
科学調査
また本機はMUSESの血筋の祖らしく、軌道修正実験の他にもいくつかの科学調査を行っている。
本来の目的はスウィングバイ技術の習得だけど、せっかく月の近くをうろつくんだ。ついでになにか実験とか観測をしなけりゃ勿体無いだろ・・・・常考。
10回目のスイングバイにより、ひてんは天体間引力の均衡点(ラグランジュ点)のうち、月と地球を正三角形の頂点としたときに残る頂点の位置に存在するL4とL5を通過する軌道に乗った。
ラグランジュ点はおる意味吹き溜まりといえる場所であり、そこには宇宙塵がたまって薄い雲上な天体群(コーディレフスキー雲)をもしかしたら形成しているのではないかと考えられていた為、これの調査の為にドイツのミュンヘン工科大学と共同で宇宙塵カウンタを搭載していた。
調査の結果、軌道がラグランジュ点のやや外縁気味を通過する軌道だった事や調査回数(通過回数)が少なかったこともあり、これといった反応は検知できなかった。
ひてんには一応撮影もできる光学航法センサーが積まれ、これによって簡単な月の撮影を行ったほか、最後に月旅行の起源に繋がる任務を行っている。
(実は月軌道からの観測は簡易的なものであるとはいえ、1976年のルナ24号(ソ連)以降16年ぶりだった。ただし、あくまで簡素なものである為、本格的な月探査とはみなされず、大規模な月探査は1994年打ち上げの「クレンメタイン」、日本は2007年打ち上げの「かぐや」まで待つ事となる。)
- 1990年
3月19日 第1回スイングバイ。月周回軌道へ孫衛星「はごろも」を投入。
7月10日 第2回スイングバイ。スイングバイによる減速に成功。1回目と合わせて世界初の二重月スイングバイ。
8月 4日 第3回スイングバイ。
9月 7日 第4回スイングバイ。
10月2日 第5回スイングバイ。
11月17日 遠地点135万km(月―地球間38.4万kmの約3.5倍。この後打上予定の「GEOTAIL」運用予定軌道で本機の目的地の一つ)に到達。 - 1991年
1月 3日 第6回スイングバイ。
1月28日 第7回スイングバイ。
3月 8日 第8回スイングバイ。予定されたスイングバイ実験を終了。
3月19日 近地点125kmを通過。エアロブレーキによる軌道変更に世界で初めて成功。
3月30日 近地点120kmを通過。第2回エアロブレーキ実験。
4月27日 エクストラミッションに向け第9回スイングバイ。この結果、最遠到達地点153万km(月―地球間の約4倍。地球引力のギリギリ届くところ)に到達。
10月2日 第10回スイングバイ。ラグランジュ点(L4,L5)近傍探査軌道へ。 - 1992年
2月15日 11回目の月最接近。月周回軌道へ。
舞踏会の終わり ~ひてん、その後~
華やかな舞踏会にも終わりは来る。
ひてんの任務も終わりを迎える時がやってきた。
昔話に「浜でひと時休んでいた天女が、大事な羽衣を漁師にとられてしまい天に帰ることも叶わず漁師の嫁として暮らす」という話がある。
それに準えたわけではないだろうが、奇しくもひてんが与えられた最後の任務は、かつて手放した「はごろも」がおそらく落着しているであろう月面への衝突であった。
ちなみに数m/sの軌道修正でひてんを地球周回軌道に戻す事が可能であり、スタッフの中には地球周回軌道に戻す事を主張した人もいた(→ISASニュース)が、ISASが「おおすみ」を打ち上げようとしていた頃(ちょうどその頃、アメリカがアポロ計画により有人月旅行を成功させおり内心悔しい想いをしていた)から密かに持ち続けた宇宙を目指すもの共通の夢『月面への到達』を「ひてん」に託すことになった。
1993年4月11日3時3分38秒、落着の瞬間を観測する為に月の裏側に落ちるところをもう少しだけこらえた飛天は、月面「豊かの海」のステヴィヌス・クレータ近傍(東経55.3度、南緯34.0度、ウサギの耳の先。非公式名「ヒテニウス・クレータ(直径数10mと推定)」)にようやく落着、その任務を終えた。
落着の瞬間までひてんが送り続ける月面の画像を、深宇宙管制室で運用スタッフたちは固唾をのんで見守ったという。
落着の閃光は地球からもオーストラリア英国立天文台により観測され、かつて液体ロケットの父ゴダートが1919年に掲げた「ロケットが月に見事到達した時にフラッシュを焚けばジュール・ヴェルヌが書いた『月世界旅行』は実現可能であったと証明することができる」という夢を実現して見せた。
ひてん落着より約9か月前の1992年7月24日、ISASの磁気圏観測衛星「GEOTAIL」がアメリカのデルタⅡロケットにより打ち上げ。ひてんが舞った二重月スイングバイというステップを見事に舞いきって見せた。
「のぞみ」「はやぶさ」「あかつき」といった壮絶な旅を経験ぜざるを得なくなった探査機たちに、ひてんの経験が一筋の光明として道筋を指し示し、これからも探査機たちの導き手となり続けるだろう。
はごろも分離の経験は「はやぶさ」のターゲットマーカーやミネルバ分離、「かぐや」のおきな・おうな分離に繋がった。
ひてん落着に先立ち、衛星主任の上杉邦憲教授は1993年4月のひてんのパーティー案内状で次のように述べている。
胆の冷えるような難関を乗り越え,第1回月スウィングバイ以降は順風満帆,合計10回のスウィングバイ,2回のエアロブレーキ,ラグランジュ点周回,そして昨年(1992)2月15日以来の月周回と,文字どおり天空を駆け巡ってきた「ひてん」ですが,今後月を見上げればいつもそこには「ひてん」があり,何年(何十年?)か後には必ずや誰かが地球に持ち帰ってくれることでしょう。
日本が打ち上げる探査機がスイングバイ航法を行う時、現在までにイレギュラーな事態による予定外のスイングバイを行った「あかつき」を除き全てが月または地球を経由して目的の天体へと向かっている。
回収こそいまだ実現できずにいるが、ひてんは今も月の特別観覧席から、眼前を通り抜けていく彼ら後輩たちのステップを鑑賞しつつ、航海の無事を祈り続けている。
後に続く探査機たちが旅してきた足跡、見返ればいつもそこには「ひてん」がある―――
関連動画
宇宙機の活躍(一部?)を取り上げる『迷衛星の軌跡』シリーズより「ひてん」の回
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