正論とは、"道理にかなう"正しい(とされる)理論や主張などのことである。
曖昧さ回避
概要
それぞれの時代や国・地域毎に一般的に正しいとされている理屈や、普遍的に定着している常識などが「~であるべき」という文脈などで主に語られる。正しい議論においては倫理や道徳的な側面で使われたりする。
また、現在では主に合理を追求する主張や理想論なども「理屈は正しい」とされて正論に扱われる事が多く、必ずしもポジティブな面のみを含む言葉とはされていない。
そもそも、意見や主張というものはテストの問題でも自然科学でも何でもないので「正しい」とか「正しくない」とかは本来存在しない。「詭弁」という「明らかに破綻した論理をさももっともらしいものとして語る」という行為は確かに存在するが、別に詭弁でなかったとしても「正しさ」などというものは上記の通り文化なり状況なりでいくらでも変わるものである。
そのため、現在では「正論」という言葉は
- 一般的に広がっているお行儀のいい意見に対して「実際それは違うんじゃない?」と投げかけるような、既存のものの否定から入るような意見を「よく言った!」と褒めるとき(賛成の使い方)
- 特定の常識や特定の理屈、ルールに則って自論を通そうとする意見を、「そんなの現実的に無理でしょ」と否定するとき(反論の使い方)
と、賛成・反対のどちらにも、とりあえず相手の意見を否定する場合に使う都合のいい言葉となっているのが現実である。
正論の取り扱い
「正論は嫌われる」とはよく言われる言葉であるが、それに至るまでの理由は実際の所様々である。主張の内容に問題が無い場合でも、それ以外の面が悪い場合にそれが「正論」という言葉を使って否定されることもある。
- ■主張する人への信頼性の無さ
- いわゆる「お前が言うな」というやつである。例え発せられた主張は一般的に合意を得られるものであっても、現実では「誰が言ったか」ということも重要視されるため、どんな裏があるか分からないような人間の言葉では残念ながら単純には受け入れられにくい、既に信頼を損なう悪評が立っている様な人間の場合ではなおさらである。
- また、もっともらしいことを言うだけで、その内容に基づく行動を常日頃から実践していないような人(例えば口先では品行方正なことばかり言うが、本人自身の性格や態度はいい加減で無責任でやることなすこと不徹底、といった人物)も同様である。
- ■言葉遣いや態度の悪さ
- 自身の主張が規範的であることに酔い、相手を論破するために大上段から振りかざすような言動を取っていれば相手からは当然不評を買うことになる。純粋に正義感が先走りしてしまっているような層もいれば、ストレス解消の目的などで意図的にこの様な扱い方をしていたり、他者の主張を「正論だ」と引っ張ってきて人を追い詰めるためだけに利用する層はネットでも非常に多い。そもそも言葉遣いの悪さは議論において避けるべき基本の一つである。また、当然内容に問題がなくても全く関係ない所に書き込んでも排除される。これは正論以前の問題である。
- ■相手をとことん追い詰めてはならない
- たとえ対話する相手が極端で同意しづらい主張を繰り返しているような人であっても決して「逃げ道」を塞いではならない。「窮鼠猫を噛む」ということわざがあるように、相手が逆ギレして痛い目に遭う恐れがあるからである。ネット上でも、リアルでも、対人関係のトラブルを防ぎ自分の身を守るためには、相手をとことん追い詰めることよりも相手に「逃げ道」を与えておくことの方が遥かに大事なのである。
- ■そもそも正論ではない
- 上記の通り、そもそも「正論」などというものは本来存在しない。また、正論は耳に痛い意見であったりすることが多いが、別に毒舌や辛口だから正論だというわけではない。また、都合の良い部分だけを切り取り、現実的でない理想を語るような主張も本来道理にかなう正論ではないのだが、詭弁であっても何となく厳しい批判自体が正論だと勘違いされてしまうこともある。それが逆に「正論」という言葉自体のイメージに影響している面も少なくない。
- ■図星を突いているため
- 人も態度も内容も全て問題がなくとも、人は痛いところを突かれるのはキツいものである。理屈では分かっていても、感情の面ではその指摘に的を射ている部分がある故になおさらストレスを感じてしまうことになり、言われたほうがさらに反発して話が拗れてしまうこともある。もちろん時にはそのような過不足無い指摘が必要な時もあるし、それが当人のためになることがあるのも事実である。
とは言え上にもあるように、事実は1つであってもその見方は人それぞれ、アプローチも人それぞれで正解など存在しない。自分が「図星」だと思って指摘していることは他の人の見方でどうなのか、それ以外に対応方法はないのかなど視野を広げることが大事である。 - ■誹謗中傷の類である
- 多くの人が勘違いしていることだが「間違っていないことであればどのような内容でも問題はなく、法に触れる事はない。」というものではない。例え事実でも悪質なもので、相手の名誉を傷つけたりするものであれば名誉棄損、営業妨害が該当する事があり、起訴される可能性がある事を考慮しないといけない。その場合、正論を言ったから糾弾されるのではなく誹謗中傷したからと糾弾される。正論を主張する事と犯罪行為は両立する。これを忘れてはいけない。
正論が人をキレさせることはいくらでもありますけれど人を救った例は有史以来一度も存在しませんわ!!
関連項目
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