概要
第二次世界大戦以前・以後で性質が大きく変わる艦種である。
ごくごく乱暴に書けば、戦前の駆逐艦は「海軍のフネでは下っ端の便利屋」、戦後の駆逐艦は「質・量ともに実質的な海軍の主役、何でもこなす汎用艦種」である。
どちらの時代の話題であるかをよく確認して使おう。
歴史
19世紀半ばに実用的な魚形水雷(Torpedo、いわゆる魚雷)が開発されると、それを搭載する水雷艇(Torpedo Boat)という小型・高速の軍艦が登場した。
水雷艇はその高速力を生かして戦艦に肉薄し、その必殺の魚雷で撃沈を目指す、というコンセプトで建造されたが、これは当の戦艦からみると大変な脅威であった。戦艦の巨大な主砲は軽快に動く水雷艇を撃つには全く不向きであったし、浅い沿岸域や泊地で襲われると浮かべる城もただの鈍重な的でしかないからだ。
水雷艇に対抗する艦種として重武装な小型艦「水雷砲艦」も誕生したが、20~26ktで航行する水雷艇に対して水雷砲艦は18kt程度と速度が低く、対水雷艇艦種としては役に立たない艦に終わった。
水雷駆逐艦の誕生
そこで、水雷艇に対抗するために考案されたより高性能な艦種が水雷艇駆逐艦(Torpedo Boat Destroyer)、のちの駆逐艦であった。水雷艇駆逐艦はその名が表す通り、水雷艇を駆逐するために生まれた軍艦で、1894年にイギリスで建造された「ハヴォック」がその嚆矢だと言われている。
その誕生には、後に弩級戦艦の建造にも大きく関わるジョン・アーバスノート・フィッシャー卿も大きく関わっていた。
ハヴォックは排水量約240tと当時の標準的な水雷艇の2倍ほどの船体に12ポンド砲と魚雷を搭載し、27ktという水雷艇に勝るとも劣らない速力を発揮する艦だった。
また姉妹艦の「ホーネット」は従来型の横置きボイラー(汽車缶)よりも大容量の蒸気を発生させられる水管ボイラーを搭載するなど、従来の水雷艇や水雷砲艦とは一線を画す設計の艦級であった。
こうして生まれた水雷艇駆逐艦であったが、実際に使ってみると非常に使い勝手の良い艦だった。小型ゆえに外洋航行能力に著しく欠けていた水雷艇(元が沿岸防衛、泊地奇襲用途のため仕方がないのだが)に比べて水雷艇駆逐艦は主力艦に随伴可能な最低限の外洋航行能力を有していたし、その高速力は攻撃・哨戒・護衛など、あらゆる任務に耐えうる汎用性を与えた。
さらに、その高速力を以て搭載した魚雷で敵戦艦を攻撃するという、本来なら駆逐すべき水雷艇の任務すら与えられ、水雷艇の存在意義をほとんど消し飛ばしてしまい、本当に「水雷艇」を「駆逐」してしまうほどだった。
水雷駆逐艦から駆逐艦へ
このようにして誕生した水雷艇駆逐艦だが、その多用途性から単に「駆逐艦」とだけ呼ばれるようになり、次第に海軍の中で重要な艦種として扱われるようになった。
実際、1914年に勃発した第一次世界大戦ではドイツのU-ボート対策として駆逐艦は爆雷とソナーを積み潜水艦狩りにも投入されており、この頃になると各国の海軍にとって駆逐艦はなくてはならない存在になっていた(後年結ばれたロンドン海軍軍縮条約では駆逐艦の保有数が制限され、各国の海軍力を左右する大きな要素の一つとなっている)。
この時代に登場した空母、そこから発進する航空機という新たな脅威にも駆逐艦は柔軟に応え、艦隊や商船団を敵機から守る対空の任務も与えられた。
戦後・現在
以上のような経緯で、次第に重要な軍艦と見なされるようになった駆逐艦だが、第二次大戦後、その地位は決定的となった。ミサイルの登場である。
ミサイルにより駆逐艦はかつての戦艦以上の対艦火力と、艦載戦闘機に迫る対空能力、ソナーや対潜ミサイルをはじめとする強力な対潜捜索能力・対潜火力を与えられ、対艦・対空・対潜、さまざまな任務に投入できる汎用艦種としての立場を確立し、海軍の水上戦闘艦艇戦力の中心を担うようになった。第二次大戦後、戦艦や巡洋艦といった大型水上戦闘艦艇が姿を消し、駆逐艦、空母、潜水艦が海軍の主力となったが、空母と潜水艦はどこの国でも作れるわけではないからだ。
つまり、駆逐艦は(フリゲートと並んで)海軍の主力艦の位置を占めるようになったのである。
もちろんこの背景には、駆逐艦が対艦、対潜、対空、更にはミサイルプラットフォームとして多くの任務をこなす汎用性を備え、何よりそれらの変化に高いコストパフォーマンスで対応できたからに他ならない。そして、最近では対弾道ミサイル能力すら獲得した駆逐艦が海軍の中心を占める姿は当分の間かわらないだろう。
駆逐艦の記事一覧
軍用艦艇の一覧も参照。
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