吹雪型駆逐艦(ふぶきがたくちくかん)とは、大日本帝国海軍の一等駆逐艦である。吹雪の沈没後は白雪型駆逐艦(しらゆきがた)、白雪の沈没後は初雪型駆逐艦(はつゆきがた)と正式には改名されている。
また、計画時の特型駆逐艦(とくがた、とっけい)の呼称が使用されることもあるが、特型には次級の初春型駆逐艦および白露型駆逐艦を含む場合もあるので注意が必要である。
概要
吹雪型駆逐艦の建造の背景には、ワシントン海軍軍縮条約があった。この条約では、第一次世界大戦の戦勝5ヶ国の大型艦の保有に制限が課せられた。しかし、巡洋艦以下の小型艦には保有の制限がなかったため、条約の抜け道となる補助艦の建造で戦力が拡充されることになる。その補助艦の内の一つが吹雪型駆逐艦である。
前級の睦月型駆逐艦でも当時の世界基準と比べればかなりの高性能なのだが、吹雪型には海軍からさらなる高性能が要求された。技術者の努力によりその要求はほぼ実現できてしまった。
建造当時としては凌波性が高く、高速力・重武装であり、高い居住性も確保されたことから世界中を驚愕させた。この吹雪型駆逐艦を基礎として、後の艦隊型駆逐艦が造られている。
第二次世界大戦では艦隊戦や輸送任務で活躍し、持ち前の高性能を発揮するが、大半の艦は戦没しており、終戦時に残存していた艦は「潮」と「響」の2隻のみであった。
船体
海軍軍令部の要求は高速力と重武装の両立であったが、それを実現するために船体が軽量化されているのが特徴である。この軽量化は電気溶接等の新技術の導入によるものだが、建造当時の日本は溶接技術が不十分であったため、船体の強度に不安があった。第四艦隊事件で吹雪型駆逐艦に被害が出たのは、この溶接に問題があったためとも言われている。 結果として、後に船体強度に問題が認められ、補強工事が行われている。
また、それまでの駆逐艦では露天式であった艦橋に屋根を設けることで密閉式とし、居住性の向上に成功している。艦橋は特II型から大型化し、特III型では更に肥大化している。これによる重心の上昇も第四艦隊事件の原因と考えられ、特III型は艦橋の小型化改装がされている。
兵装
主砲は50口径三年式12.7cm連装砲であり、日本海軍の駆逐艦では初の砲身内径12.7cmの連装砲となる。後の駆逐艦のほとんどが、これを元にした砲を搭載している。しかし対空戦闘には不向きであったため、特II型からは仰角が引き上げられた改良型を搭載し、いずれの艦形式であっても対空機銃の増設がされている。機銃増設のために第2砲塔が撤去された艦もある。
雷装は前型の睦月型駆逐艦と同じく十二年式61cm三連装魚雷発射管を採用し、3基9門となった。これは重雷装である駆逐艦の「島風」に次ぐ同時発射数となる。魚雷は八年式魚雷を18本搭載。後に九○式魚雷12~18本を搭載しているが、いずれも空気式酸化剤の魚雷であり、九三式酸素魚雷は搭載されなかった。発射管そのものは位置の変更や防盾の追加等がされている。
機銃は艦の形式や時期によって搭載されているものが大きく異なる。建造当初の特I型は留式7.7mm単装機銃2挺、特II型と特III型は毘式12.7mm単装機銃2挺が搭載されたが、対空能力の不足は明らかであり、次第に増強されていった。
機関
ロ号艦本式缶(ボイラー)4基と艦本式タービン2基2軸の組み合わせにより50000馬力を発生し、最高速力38ノットという高速を誇る。特III型は機関改良によりボイラーが3基となり、軽量化や燃費向上に繋がったものの、重心の上昇にも影響してしまった。
分類方法
吹雪型駆逐艦の分類の方法は機関によって2種類に分ける方法と、搭載砲によって3種類(+1種類)に分ける方法が一般的である。II型を前期・後期に分けることで、5種類に分類することもできる。他にも、雪級、雲級、波級、霧級と4隻ずつ分類したり、狭霧までの16隻を前期型、朧からの8隻を後期型(朧型)として分類する方法もあった。
呼称も特I型・特II型・特III型よりは、単にI型・II型・III型と呼ぶことが一般的であり、特型と強調したいときは特型I型・特型II型・特型III型と呼ぶ場合もある。
吹雪型 | 吹雪から潮までの20隻はそれほど大きな変更があるわけでも無いため、まとめて「吹雪型」と呼ぶことも多い。特に海外の資料では暁型を別の級にすることが多いため、英語版ウィキペディアでもこの分類で記事が分けられている。 | ||
特I型 (吹雪型) |
吹雪から浦波までの10隻。後述するように、磯波までの9隻とすることもある。 缶室吸気口がキセル型であることと、主砲である12.7cm連装砲が仰角40度のA型であることが特徴である。 |
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特改I型 (浦波) |
浦波のみ、II型と同じ船体にI型と同じA型砲塔を搭載しているため、改I型やI型改、IIA型などと呼び区別されることも多い。これは元々II型として完成する予定だったのが、ジュネーブ海軍軍縮会議の影響で竣工が半年早められたためである。昭和2年度艦艇補充計画の昭和2年度計画予算(昭和2年度起工)で建造。 | ||
特II型 (綾波型) |
綾波から潮までの10隻。綾波から狭霧までを前期型として区別することもある。 艦橋構造物が大型化しており、缶室吸気口が椀型になった(以降の駆逐艦の標準となった)ことと、主砲である12.7cm連装砲が仰角75度のB型であることが特徴である。 |
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特改II型 (朧型) |
朧から潮までの4隻。昭和2年度艦艇補充計画の昭和2年度計画予算(昭和4年度起工)で建造。 煙突周りが改良されて煙突が若干低くなっているため、俗に後期型や改II型、II型改、IIA型などと呼ばれることがあるが、一般的ではない。 |
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改吹雪型 (暁型) |
暁から電までの4隻。昭和2年度艦艇補充計画の昭和2年度計画予算(昭和5年度起工)で建造。 これまでと大きく異なるのが、缶が改良されたため4基から3基に減らされており、1番煙突が細くなっていることと、指揮設備充実のため艦橋構造物がさらに大型化したことである。缶が減ったことによる軽量化と艦橋の大型化により重心が高くなったことが第四艦隊事件の一因とされ、事件後は艦橋の小型化など大幅な改良が行われた。魚雷発射管に防盾を標準装備した最初の型でもある。 |
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特III型 (暁型) |
性能諸元
排水量 | 基準:1680t 公試:1980t 満載:2260t |
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全長 | 全長:118.5m 水線長:115.3m 垂間長:112m |
全幅 | 10.36m |
吃水 | 3.2m |
機関 | ロ号艦本式缶4基(特III型は3基) 艦本式タービン2基2軸 50000馬力 |
速力 | 38.0kt |
航続距離 | 14ktで5000海里 |
燃料 | 重油:475t |
乗員 | 220名(特III型は233名) |
兵装 | 50口径三年式12.7cm連装砲A型3基(特II、特III型はB型) 留式7.7mm単装機銃2挺(特II、特III型は毘式12.7mm単装機銃) 十二年式3連装魚雷発射管3基(八年式魚雷18本) |
同型艦
艦名は、当初は八八艦隊計画により不足することから、2代目神風型以降の駆逐艦は計画時の番号そのままで命名されていた。吹雪型でも磯波までは進水時に番号で正式に命名され、さらに一部の艦(磯波・東雲・薄雲・白雲)はそのまま就役した。ただし、わずかな期間であるため現場で実際に使用されたかどうかは不明。
軍縮条約によって艦名不足の可能性が無くなったため、1928年8月1日をもって固有艦名に改名されている。浦波以降の艦も書類上の仮称は番号だが、起工前の準備段階において固有名詞の予定艦名が用意され、進水時に命名されている。
関連動画
関連静画
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関連コミュニティ
関連項目
大日本帝国海軍 一等駆逐艦 艦級一覧 | |
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戦間期 | 海風型 - 浦風型 - 磯風型 - 江風型 |
峯風型 - 神風型[II] - 睦月型 - 吹雪型(特型) - 初春型 - 白露型 - 朝潮型 - 陽炎型(甲型) | |
戦中 | 夕雲型(甲型) - 秋月型(乙型) - 島風(丙型) - 松型(丁型) |
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