D51とは、
- 国鉄D51形蒸気機関車 - 旧国鉄が開発、製造した蒸気機関車の一つである。愛称は『デゴイチ』。本項で記述する。
- アスリング (HMS Atheling, D51) - 第二次世界大戦中、イギリス海軍が運用した護衛空母の船籍番号。
- D-51 - YUとYASUの二人からなるJ-POP男声デュオ。上記機関車等とは関係がない。
概要
鉄道の事をあまり知らない方々でも名前くらいは聞いたことがあるのではないだろうか。
1936年から製造が始まったこの機関車は、太平洋戦争中に大量生産されたこともあり、その数は1115両にものぼる。
日本国内で、後にも先にもこれだけの数が製造された機関車(電気、ディーゼル込み)はD51ただ一形式である。親父達が子供の頃は重連の運用が日本のあちこちで見られ、中でも峠越えのためD51の三重連が貨物列車を引くという光景は奥羽本線の矢立峠、伯備線の布原信号所(当時)などでひときわ輝く被写体となった、ああ羨ましい(しかし当時、数の多いD51は鉄道ファンからあまり見向きされていなかったようだ)。
昭和50年12月24日に追分機関区配備の241号機が牽引した貨物列車が、蒸気機関車牽引の最終列車となった。
その数ゆえに国内には数多くのD51が静態保存されているが、動態保存機はJR東日本が所有するD51 498号機と、JR西日本が所有する京都鉄道博物館のD51 200号機の二両しかない。
国外向けとして台湾、サハリンに同形式の車両が納入されている。
本形式の派生形式として、従台車を2軸として軸重を軽くして線路規格の低い路線に投入することを目的としてD61が改造された。また、戦時中の状態不良機からボイラーを転用し旅客用蒸気機関車としたC61が誕生している。
1次型(1~85号機・91~100号機)
1936~38年製の93両は、給水温め器を線路方向に置き、当時の流行から流線型の形状を部分的に取り入れ、砂箱と蒸気ドームを煙突から一体のカバーで覆った姿として登場し「なめくじ」の愛称で親しまれた。特にこの中の2両(22・23号機)は、ドームをキャブまで延長した姿で登場し、「スーパーなめくじ」と呼ばれたが、保守・点検に不評で後に一般的な姿に戻された。
1次型は給水温め器を煙突後部に置いた事から動輪の軸重が動輪毎に異なり、列車を引き出す際の空転が多かった。
標準型(86~90号機・101~954号機)
上記のような1次型の欠点を改善すべく設計変更された形式で、給水温め器を枕木方向にし、C57やC58に見られる砂箱と蒸気ドームのみを一体のカバーで覆った姿で登場した。この後製造されたD51はこの姿となった。量産試作として86~90号機が浜松工場にて製造されている。
1943年度以降に製造された車輌は、代用木材の使用。工数の削減が行われており、準戦時型と呼ばれる。
尚、950~954号機は胆振縦貫鉄道の編入機で、番号の関係から勘違いし易いが準戦時型ではなく標準型である。
戦時型(1001~1161号機)
太平洋戦争の激化に伴い製造されたグループで代用木材を多用し、ドームのカマボコ化や舟底テンダー等、同時期に製造されたD52と共通点を多く持つ。番号も1001号機~(955~1000号機は欠番)へ飛んで製造されている。粗悪な材料を使いながらボイラーの昇圧も行われ、空転を抑える為にコンクリート製の死重を載せて空転を抑えていた。しかし、粗悪な材料をボイラーに用いた為に状態不良機が多く、戦後ボイラー換装と標準型に準ずる為の改造を行っているが、使用上問題のないドームやテンダー等は戦後もそのまま使用された。
D51型のスペック(標準型)。
- 全長 19,730mm
- 全高 3,980mm
- 軌間 1,067mm
- 車輪配置 2-8-2(1D1) - ミカド
- 動輪直径 1400mm
- シリンダー(直径×行程) 550mm×660mm
- ボイラー圧力 15kg/cm²
- ボイラー水容量 6.0m³
- 機関車運転重量 78.37t
- 動輪軸重(最大) 14.30t
- 炭水車重量 47.40t
- 機関車性能:
後年改造・装備装置
大量に製造された本形式故に多数の後年改造、仕様線区に併せた装備がなされている。
まず、先述の通り丙線規格線区への入線を可能にする事を目的に軸重軽減改造をされた6両が本形式から派生し、D61に改造された。しかし、軸重が減ったことで空転が多くなり使用に難があった事。本格的に電化やディーゼル機関車を投入することになったことから改造数は6両に留まった。
旅客用蒸気機関車への改造としては、余剰となった機関車の中からボイラーを使用してC61への改造が行われている。足回りの設計をC57をベースに製造がなされ33両が改造された。これはC57・4次型の部品流用を行った為に中途半端な改造数になったとする説が有力である。
本形式は、使用線区が全国に渡り、様々な装備品が見受けられる。主に有名なのは次の通りである。
等である。順に説明すると、集煙装置は長大トンネルの多い線区で使用された機関車に多く見られるもので、煙突から排出される煙を誘導して後向きに流すもので、敦賀式・後藤式・長工式・鷹取式等がある。集煙装置は各工場によって製作されているので形状も大きさも違うが、使用目的は一緒である。
重油タンク装備はテンダー或いはボイラーの蒸気ドーム後に重油タンクを置き重油を併燃させるもので、全国各地で設置され使用された。
密閉キャブ改造は、主に耐寒装備として設置されたもので、北海道配置の蒸気に施工された改造の一つであるが、後年渡道した車輌には改造は見受けられない。これは、キャブ改造を行うとテンダーの切詰改造も行わななければならない事から改造が大掛かりになり過ぎるので改造を見送ったものであろう。
密閉キャブ改造を行わずとも屋根のみテンダー前部まで延長しているものもある。
この他にもギースル・エジェクターの装備、一部車輌へのメカニカルストーカ(自動給炭装置)のテンダー取付、デフレクターの改造等、多岐に渡る改造がされている。また、ATSの設置や清缶剤装置の設置を含めると原型を留めている機関車はまず無いといっても過言ではない。
動態保存機
上述したように静態保存機は非常に多いが、動態で保存されているのは国内でわずか2両しかない。
200号機
1938年浜松工場生まれ。中京地区を中心に活躍した後、1972年に梅小路機関区へ転属して動態保存機となる。1979年に一度車籍は抹消されているが、有火状態から外れたことはない。
1987年に車籍復帰し、以後梅小路蒸気機関車館で「SLスチーム号」の牽引を担当。この時は全般検査は受けていなかったため本線走行はできなかった。
しかし2014年、C56 160を置き換える形で「SLやまぐち号」「SL北びわこ号」の牽引機関車として本線復帰が決定。数多の改装を施された後、2017年に「SLやまぐち号」を、2019年に「SL北びわこ号」を牽引して本線復活を遂げた。現在もC57 1とともに山口と滋賀を行ったり来たりする生活を送っている。
498号機
1940年鷹取工場生まれ。岡山、吹田、平、長岡第一、直江津、新津、坂町と、現役時代は多くの機関区を転々とした。1972年に運用を外れ、後閑駅にて静態保存される。
1987年に、JR東日本によるSL復活の機運に加え、89年に開催予定の横浜博覧会から、品川駅と会場間をSLで結びたいという折からの申し入れも合わさり、各保存機がリストアップされた中から当機が復活対象として選ばれた。
結局横浜博覧会での運転は諸事情で中止となったが、代わりに来日中の「オリエントエクスプレス'88」で復活を飾ることとなり、88年12月に上野駅から大宮駅までオリエント急行を牽引した。
その後は「SL奥利根号」などの牽引をはじめ、JR東日本のシンボルとして多くの臨時列車牽引のためあちこちで引っ張り回されて活躍し続けている。
関連動画(現役時代)
関連動画(動態復元後~現在)
関連動画(各地での保存の様子)
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
外部リンク
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