1 ななしのよっしん
2013/09/15(日) 16:58:56 ID: 41y0mRCioN
記事作成乙
ちなみに著『エチカ』全文の翻訳http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/exit
六芒デザイン厨二だが訳はシンプルで良い。初見の人は必ず第一章付録http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note1fexitあたりから読むこと!きまじめに第一章冒頭から読むのは非常にもったいない

あと『神学・政治論』は唯物論的立場から宗教的権威が絶対に必要と説いた画期的書物。こんな感じ
1.個人が社会から得ている利益は大であり、社会は必要だ
2.宗教は人々を特定の秩序に従わせる。新宗新宗教の乱立は、秩序を分裂・混乱・崩壊させる
3.1と2より、宗教的権威は必要でありに保護すべき
4.宗教的権威の正統性の基準は、歴史的に生き残ってきたどうかだ
5.宗教に則っているかは行為で判断する。神を内心どう解釈しようと社会秩序を守るなら敬虔な人と見てよい
6.宗教は学問ではないから知識を教えない。現に預言者たちは無知だったと思われるが、民衆が受け入れ秩序が確立したから無知でも正しい。だから聖書事実と見るのも、理やり合理的に解釈するのも間違いだ
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2 ななしのよっしん
2013/09/22(日) 13:27:09 ID: NEKhicKGqn
おお、ながいながい
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3 ななしのよっしん
2013/10/26(土) 18:18:15 ID: 41y0mRCioN
ともかくこんな面哲学なかなかないのでオススメ
エチカの(特に冒頭の)書き方のせいで、なんか難しいと思われてるけど
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4 ななしのよっしん
2013/12/14(土) 22:28:41 ID: DDv5MV0Ylr
でも実際エチカ難しくね?
コラ哲学あたりは押さえとかないと意味が取れない箇所がある。
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5 ななしのよっしん
2013/12/25(水) 22:32:18 ID: 41y0mRCioN
きまじめに読むと、最初のあたりはそうかも。飛ばしたほうが絶対にいいよ
どうしても気になる人は上野修の『スピノザ世界-神あるいは自然』を読むのがいいと思う
一章は燥で曖昧で、たぶんエチカの中で一番できが悪い。実際、よく批判される部分だし

だってそこで「神の存在証明」とかしてるけど、スピノザはエチカで「神=あらゆる事物すべて(人間が持つ、概念とかイメージとかも含む)と考える」って「定義」してるんだから、この世界が存在するのを明してるようなもんでほとんど蛇足だし、明方法が古くって典的なスコラ哲学の誤謬だとかれまくってる。デカルトでやったんだろうけど、一般人からしたら世界は存在するに決まってるから興味ない

くなるのは一章が終わるとこから。まぁ一章にも面い部分は実はあるけど、そういう部分はまず知識不要
内容的には、生物学や脳科学プログラミングとかへの興味がある人向け。SF好きな人ならきっとはまる
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6 ななしのよっしん
2014/05/08(木) 23:01:27 ID: DDv5MV0Ylr
>>5
コラ哲学による神の存在証明は、多分、一番まともというか、
中世近代あたりでは一番手強いと思う。
ゲーデルの神の明も結局、スコラ明に似てるからね。

個人的には第1章が本体という気がしてるのだが。
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7 ななしのよっしん
2014/11/08(土) 07:14:02 ID: 41y0mRCioN
そうなのかなあ。論理学書片手に記号公理系に置き換えようと何度も頑ったけどどうしても1章はだめだ
公理系の書き方の原則を無視してて記号不可能なんだもん。ちょうどいい論文がネットにあるんで参照↓
http://www.ob.shudo-u.ac.jp/jimuhp/souken/web/magazine/pdf/env/p3-2-02.pdfexit

そもそもスコラ哲学が言うような神については存在証明どころか1章付録でむしろ「存在しないと明」してるよ
「スコラ哲学がなんのための哲学であるか」を理解しているなら、エチカは一見似てても別物と分かるはず
キリスト教が言うような神は存在しないのだ、迷信でありそれはこういう仕組みで発生した、と言ってるんだから
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8 ななしのよっしん
2015/08/07(金) 16:38:10 ID: eBrfyDEUUs
スピノザは好きになれない
思惟(意識)と延長が別物で行してるというなら、なんで意識の中に延長の観念が生まれるんだ?
スピノザ世界が存在することは自明みたいにして、明も行わないけど、を見てる人間だって世界実在するとか思ってるだろう
だいたい人間自由意志があると思うのは間違いだって言うなら、スピノザの理屈に従うとその間違いを引き起こしてるのは完璧なはずの神ということになる、なんで完璧なはずの神が間違いを起こすの?
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9 ななしのよっしん
2015/09/20(日) 02:50:20 ID: 41y0mRCioN
思惟(意識)と延長が別物で行してるというなら、なんで意識の中に延長の観念が生まれるんだ?
→心と物は「実体」の持つ2つの側面(属性)。難しい部分だけど、後期バートランド・ラッセルや現代のチャーマーズもほぼ同じ立場「中立一元論」なので、チャーマーズとかラッセルとか中立一元論でググればある程度分かりやすい説明が出てくる。

スピノザ世界が存在することは自明みたいにして、明も行わない
→一応、「実体」の存在証明はしてる。でも評価は低い。個人的には虚な行為だと思うのでどうでもいい

を見てる人間だって世界実在するとか思ってるだろう
デカルトの「思う故にあり」でそれは論破済み。だろうと何かが実在することになる。現実がどっちか不明なだけだし、という現象自然現象という実在。「ありとあらゆる物事がいっさい存在しない」ことはを見ていても否定される
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10 ななしのよっしん
2015/09/20(日) 03:05:29 ID: 41y0mRCioN
自由意志があると思うのは間違いと言うなら、スピノザの理屈だとその間違いを引き起こしてるのは完璧なはずの神ということになる。おかしくないか?

上野修氏の入門書「スピノザ世界」を読むとその辺よくわかる。まあ一解釈だけど
神というと勘違いするので自然と言おう。自然は間違いを起こさない。だって自然は実際そうなってるから
じゃあなんで人間は間違った観念を持つのか。人間自然の一部にすぎないから
一部にすぎないから認識に欠落がある。それが間違いの原因
自然界全体」と自然界全体のごく一部でしかない「人間」を、あなたは混同してる

例えば、自由意志の間違いはこう起きてる。人間現象を認識できない
その欠落のせいで「自分の意志は自分だけが原因となって生み出している」と感じる間違いが起こる
や身体や環境物理法則に従う以上、精神現象もそれに行して起こる。自由意志はない
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11 ななしのよっしん
2015/09/20(日) 03:20:20 ID: 41y0mRCioN
ちなみに、自由意志があると思うのは間違いと言うと、「虚無的な人間観じゃないか」と思われるがそれは誤解。

これほど人間を救う考えはない。
人間かに与えられた苦痛に苦しむのは、その人間への憎悪や悔しさにとらわれるからでもある。

けれど、あなたがつまづいた石ころに怒っても意味なのと同じで、憎らしい彼も彼女も、自然全体から強制されてそのように動かされただけ、石ころとまったく同じ。
それはあなた自身もおなじで、あなたもただ自然全体から強制的に動かされ続けているだけ。憎らしい人を軽蔑することもない。憎むこともない。恨む必要もない。彼らも、あなたも、みな自然の力に自覚に突き動かされ続けているだけ。それを知ると楽になるという話。

自然には悪意善意もない。的に法則に従って必然的に動き続けるのみ。だから自然を恨むこともない。自然全体にさえ、好き勝手する力はい。
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12 ななしのよっしん
2015/09/20(日) 11:36:14 ID: eBrfyDEUUs
>>9 >>10
中立一元論は知ってるけど、あれは単なる二元論を上手く誤魔化しただけにすぎないと思うよ
スピノザ自身が人間は延長と思惟しか認識しないと言ってるんだからそれを構成している実体なんて何の役にも立たないことは明らか
それに人間自然の一部に過ぎないから、間違いを引き起こすけど、「自然全体」は間違いを引き起こさいなんていうのも誤った推論だと思うよ。
全なものから構成された「自然全体」が全なものであるわけがない。幾何学に例えるなら定義が間違いだらけなのに、幾何学全体が完璧な体系になるわけがないのと同じ。

残念だけど、スピノザ哲学はもう認識論と形上学的な価値はいと思う。この後に続くバークリー、ヒュームのほうがかに重要な議論をしてると思うわ。
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13 ななしのよっしん
2015/09/20(日) 12:06:00 ID: eBrfyDEUUs
>>11
あと哲学者とか科学者とかの自由意志とか実体とかについてもそうだけど形上学的議論いちいちにつくのは、いかにも自分はそれを知ることができる特別な存在であるみたいな思い上がりが透けて見えることだな。
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14 ななしのよっしん
2015/09/21(月) 02:02:18 ID: 41y0mRCioN
>>12
あなたは現実は複数あると考えているの?それならわかるけど

もし、この自然界がただ一つの現実を持っており、
それを確定していくのが科学哲学なのだとしたら、
その現実全な真実ってことになる。
スピノザの言う「自然」の全体が間違いないってのはそれだけの事

あと、何か勘違いしているけど、スピノザ価値になるほど彼を全面的に乗り越える哲学があるなら嬉しいよ
バークリ名前しか知らないんだけど、ヒュームは本当にすごいスピノザを全面的に塗り替える内容ではない
例えば定義一つとっても、スピノザえた人は一人もいない…それこそ残念なこと

たぶん欧州の現代思想からスピノザを知ったんじゃない?自分はあくまで理系としてスピノザに注してるんだ
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15 ななしのよっしん
2015/09/21(月) 02:14:56 ID: 41y0mRCioN
ちなみに定義→「とは外部の原因の観念を伴った喜びである」
ここから、なぜする人や物の存続を願うか、他人が同じものを愛することはなぜ嬉しいか、などの結構身近な話の原因が導き出される

本当言うと、形上学っていうより、神経心理学者のダマシオが言うとおり、生物学者的なのかもしれない
ただ、哲学というか世界の構造を論じる上でも有益。最近もこの人の論文の書籍版が出てるが興味深い
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/135542exit

>>13
気持ちはわかるけど、その姿勢を続けるのなら学問は向かない。好き嫌いと偽の話は別だよ
心理学者の本とか読んでみ?立つから。哲学なんか、ましてスピノザなんか可愛いもんだ
何よりも、あなたの態度がまさにあなたの嫌うにつくタイプになってしまっている
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16 ななしのよっしん
2015/09/21(月) 02:21:56 ID: 41y0mRCioN
繰り返しになるけど、スピノザどうでもいいんだ。
だから彼のわりとこだわっている自然全体つまり世界存在証明も、自分は切って捨てている。興味ないんでね
ソクラテスプラトン死後の世界を「明」しててスピリチュアル系はこれのパクリだが、そういう部分は無視

哲学科学も自分の関心にとって最もダイレクトに有益な部分だけ取っていけばいい
人生は短い。つまらない哲学に延々と関わっている暇などいし、彼らも大いに間違える
別に俺らは本を読んだり過去の遺物を称えるために生きてるわけじゃない
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17 ななしのよっしん
2015/09/21(月) 02:42:14 ID: 41y0mRCioN
たくさんレスして申し訳ない。どうせ過疎スレなんで許してくれ
につくのが嫌いってのは本当によく分かる

だから、東洋思想をすすめる。東洋は人格と学問的探究を分断する発想でやってはいない
老子、非子、孔子、荻生徂、本居宣長、二宮尊徳西田幾多郎なんかは、現代でも鮮く内容を含んでる

もちろん仏陀も面い。矢の喩などは、重要な考え方だと思う。
死後の世界世界の構造もどうでもいい、そんなの研究してたら年老いて死んでしまう、
それよりも現実の苦しみを制圧する方法をはっきりさせることが大事だと言い切った仏陀にしびれる

これが仏教だよなあと。念仏唱えればよいとした法然は、ある意味スピノザの神学・政治論と同じ考えでもある
だからって説一切有部とかとかのしたことは意味だとはまったく思わないけど
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18 ななしのよっしん
2016/02/02(火) 19:28:23 ID: 9wB7otF7Wt
最近スピノザ勉強しているんだが、エチカは天文学とかと相性が良さそうやな。ビックバンとか。
自分としてはエチカよりも国家論が好きだが
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19 ななしのよっしん
2017/03/19(日) 22:44:28 ID: ess6gmy+HX
いいよね。君主制貴族制民主政のどれも否定せずに、
それぞれなりのより良い運営方法を考えてくところがとっても素敵
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20 ななしのよっしん
2024/04/18(木) 15:52:03 ID: 26ftYk5PFh
>>lv344899496exit_nicolive
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