アーネストリー(Earnestly)とは、JRAの日本の元競走馬である。
馬名の由来はJRAの競走馬情報によると、「本気で」と記載されている。
主な勝ち鞍
2009年:中日新聞杯(GⅢ)
2010年:金鯱賞(GⅡ)、札幌記念(GⅡ)
2011年:宝塚記念(GⅠ)、オールカマー(GⅡ)
2005年5月17日にノースヒルズ(当時の名称ノースヒルズマネジメント)で産まれたアーネストリーは、
父グラスワンダー、母レットルダムール、母の父トニービンという血統である。
父グラスワンダーはグランプリ3連覇などの記録を持っている。母レットルダムールは特別競走は勝っていないが3勝している。母の父トニービンは凱旋門賞を勝っている。
栗東の佐々木晶三厩舎に所属したアーネストリーは2007年の7月8日の阪神競馬場での2歳新馬戦、芝1800mでデビューした、8.6倍の3番人気であったが、2馬身差つけて1着。このレースにはのちのGⅠ馬トールポピー、キャプテントゥーレも出走するハイレベルな新馬戦。この後は一旦放牧し、秋から始動の予定だったが、骨膜炎を発症して年明けまで休養となってしまう。
復帰戦となった3歳の3月15日の3歳500万下で3着のあとアザレア賞に向かう予定であったが、腰椎の捻挫で再び休養。夏の札幌の知床特別(3歳以上500万下)での復帰戦は5着だったが続いての条件戦は1着となった。続けて900万下の北野特別で連勝したあとは、修学院S(1600万下)では2着。クラシックとは無縁の3歳を終える。
年が明けて2009年の初戦は松籟Sを3着のあと、御堂筋S(1600万下)を勝ち晴れてオープン入り。このレースの2着馬は後に阪神大賞典を勝つナムラクレセントであった。その後日経賞、新潟大賞典、エプソムカップと出走も馬券に絡むことは出来ず。
秋になって当時は降級制度があったため、再びの1600万クラスに戻り大原S(1600万下)に出走し1着。このレースの2着馬は後に重賞を2勝するアクシオン。
その後アルゼンチン共和国杯を2着の後に迎えた12月12日の中日新聞杯を制し、晴れて重賞馬へ。こちらも当時重賞馬のレオマイスター、マンハッタンスカイ、タスカータソルテの他に、後にG1馬になるナカヤマフェスタ、トーセンジョーダンも出走とハイレベルな戦いを制しての初重賞である。
この当時は3月に行われていた中京記念(当時芝2000m)からの始動予定であったが、蹄の外傷によって調整が遅れ、5月28日の宝塚記念の前哨戦として行われていた時の金鯱賞を復帰戦に選択。中京競馬場の改修工事の都合で京都競馬場での代替開催であったが、安定した競馬で勝利。重賞2勝目を挙げる。
続いては宝塚記念。5歳にしてG1初挑戦であり、金鯱賞を勝ったことから3番人気に推される。レースはナムラクレセントが逃げて直後の2番手でアーネストリーが進む形。4コーナー付近までそのままの形で進み、直線に入ったところでアーネストリーが先頭に立つものの、内からブエナビスタが進出し残り200m付近まで競っていた所を外からナカヤマフェスタが差してきて先着されてしまう。ブエナビスタにも差され3着となった。
このあとは夏の札幌記念に出走。1番人気に支持され、前2頭から離れた3番手の追走。4コーナーを回りロジユニバースが抜け出しを計るも、アーネストリーが競り落とし重賞3勝目。
続いては天皇賞(秋)に直行したがブエナビスタ、ペルーサに続く3着。この後はジャパンカップに出走の意思はあったが賞金順、レーティングの順番でも除外の可能性があったため有馬記念を目指すものの、調整の最中に腰痛を起こし休養となる。
復帰戦は去年に続き金鯱賞。逃げるキャプテントゥーレに続く2番手での追走だったが、最後の直線では後方から追い込んできたルーラーシップに交わされ、抜け出していたキャプテントゥーレに次ぐ3着。
続いてはこちらも前年同様のローテとなる宝塚記念。逃げるナムラクレセントを2番手で追走するレースだったが、1000m通過タイムが58.7とハイペースで展開。アーネストリーは4コーナーでは先頭に立ち、後続から来るブエナビスタ、エイシンフラッシュ、ローズキングダム、ルーラーシップ以下を振り切り1着となり晴れてG1馬となった。また勝ちタイムはコースレコードの2:10.1。
グラスワンダーも勝った宝塚記念で、初の父子での制覇(母子はエイトクラウン、ナオキで制覇の前例あり)。更に父のスペシャルウィーク同様にブエナビスタは2着と、親子で1,2着が同じ着順という珍しい記録も打ち立てている。
この後は左前脚の軽い捻挫で予定していた札幌記念は回避となり、オールカマーに出走となった。逃げるシャドウゲイト、コロンバスサークルに続いての3番手を追走し、直線では楽に抜け出し重賞4勝目。
しかしこの後の天皇賞(秋)では大外8枠18番で14着、有馬記念は7枠12番で10着と2桁着順。勢いを失ってしまう。
翌年も現役を続行することになり、産経大阪杯に出走も6着に鳴尾記念は5着に、連覇を目指した宝塚記念は7着。
秋は天皇賞(秋)、冬に移動した金鯱賞、有馬記念の出走もいずれも二桁着順で精彩を欠き引退する事となった。6歳時にG1馬になったが生涯にわたって故障に悩まされる現役生活を終えた。
通算成績29戦10勝。そのうち9勝は主戦を務めた佐藤哲三での勝利である。
競走馬引退後は種牡馬生活を送ることとなった。当初はブリーダーズステーション、その後アロースダットに移ったが目立った産駒が現れることは無かった。
その後種牡馬生活を引退した後しばらくの間、消息不明と言われていたが現在はノースヒルズに移り余生を過ごしていることが伝えられている。
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デビュー戦に限っては、実はノースヒルズの前田幸治の所有ではなく別の馬主の所有であった。とは言うものの全く無関係ではなく、前田幸治の本業の大阪に本社がある会社アイテックの東京本店の役員の古谷道昌が所有している。そのためノースヒルズと似たデザインの勝負服である。
主戦を務めた佐藤哲三はアーネストリーの活躍について、エスポワールシチーで成功した感覚を芝のレースでもと試行錯誤のもとで騎乗し、それが活躍に繋がったと語っている。
騎手の佐藤哲三と調教師の佐々木晶三の関係は、タップダンスシチーでも宝塚記念を勝っていて、調教師はタップダンスシチーと同じぐらいの器と語ったと言われている。
*グラスワンダー 栗毛 1995 |
Silver Hawk 鹿毛 1979 |
Roberto | Hail to Reason |
Bramalea | |||
Gris Vitesse | Amerigo | ||
Matchche | |||
Ameriflora 鹿毛 1989 |
Danzig | Northern Dancer | |
Pas de Nom | |||
Graceful Touch | His Majesty | ||
Pi Phi Gal | |||
レットルダムール 鹿毛 1994 FNo.3-n |
*トニービン 鹿毛 1983 |
*カンパラ | Kalamoun |
State Pension | |||
Severn Bridge | Hornbeam | ||
Priddy Fair | |||
ダイナチヤイナ 鹿毛 1983 |
*ノーザンテースト | Northern Dancer | |
Lady Victoria | |||
アスコツトラツプ | *エルセンタウロ | ||
*デイープデイーン |
クロス:Northern Dancer 4×4
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最終更新:2023/09/30(土) 03:00
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