松井江(刀剣乱舞)とは、ブラウザゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』に登場する刀剣男士である。
松井江、松井興長の持ち刀だ。血に濡れてはいるが、こう見えて実務が得意なんだよ。
見えないかい?フ、そうだろうねぇ……僕は例外だからねぇ(刀帳)
越中国の刀工、郷義弘作の打刀。
一国一城令の例外となった八代城主、松井興長が所持した。
戦も実務も得意な万能さは、優秀な武将であった元主の影響からか。
そして、血への執着も彼の刀としての物語から来るものか・・・。
2019年12月10日~12月24日に開催された「秘宝の里~楽器集めの段~」にて、10万玉の確定報酬として実装。
初出は2018年12月6日。戦装束などから速攻で郷義弘の刀と特定されたが、紋がきわどい位置で隠れていた為に情報が錯綜。当初は五月雨江説も出たが、紋が朱色だったことから、現存する朱鞘や茎の朱銘を想起した審神者から松井江ではないかという推測も上がっていた。
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https://twitter.com/tkrb_ht/status/1204325438215995392
恒例の同イベントは「小判と時間さえかければノルマ達成は可能」な内容となっているが、課金アイテム「調査道具」「特別調査道具」を使用する事で玉の入手数を増やす事も可能である。かくして最速の入手報告が上がったのは、イベント開始から約5時間後の事であった。
またゴール後も12万玉で前回実装された桑名江(刀剣乱舞)が入手可能。イベント開催時点で実装されている江の刀は完走さえすれば全員が確定報酬として入手できる。財布および小判と相談すべし。
ボブカットの黒髪に青い瞳の青年。爪を青く塗っているほか、戦装束の端々に青が使用されている。
刀派共通の緑色のジャケットは長めのコート仕様となっており、肩に羽織って前をチェーンで止めている。台詞によると首飾りをしており、ただの飾りではないらしいが、詳細は不明。袖がフリルになったピンタックシャツやカマーベルト&サスペンダーなど、他の江の刀と比較して貴族的な(あるいは吸血鬼的な)印象を与える。
内番では刀派共通のジャージ。下はハーフパンツ仕様となっている。
紋は細川家の「九曜」と松井家の「九枚笹」の組み合わせ。なお九枚笹は十字架のような意匠となっている。
台詞の端々に「血」というキーワードを昇らせており、「血を浴び……血を流し続けるのが僕の業」と公言している。なるほど江だけに戦闘グラフィックでは長めの八重歯が確認でき、戦装束と相まって吸血鬼のような印象を覚える審神者も多い。
最後の一滴が尽きるまで自分の血を流し、敵の血を浴びたいと嘯くが、そんな自分を理解してくれるのは豊前江(刀剣乱舞)と「あとは内緒だよ」とも語る。ただし仲間の血を流す事は好まない様子。
また近侍時の放置台詞「待ちくたびれて……瀉血しようかと思ったよ」の「瀉血(しゃけつ)」とは、西洋医学の一種。メスや蛭を使って血を体外に排出する治療法で、中世近世の欧米では効果があると信じられていた。
このように、とことん血に対してブレがないのは、周年記念の台詞からも伺える。
台詞は全体的にダウナー傾向だが、戦になると荒々しい一面が露わになる。
まず開戦時には「大地を赤く染めようか」と宣言。会心攻撃では「わら!くらすぞ!(=お前!殴るぞ!)」、真剣必殺では「こん馬鹿が!だいけんゆうたろうが!(=だから言っただろうが!)」と熊本弁(八代弁)全開で吠える。
なお誉を取ると「ん?この鼻血かい?……喜びの表れだよ」と発言。錬結でも「血が滾る……鼻血が出そうだ」と言う辺り、興奮すると出てしまう体質なのかも知れない。
内番にはまず血が絡まない為、やる気はあまりない。馬が自分を怖がるのではないかと心配する一方で、畑当番では「桑名と間違えたかな?」と塩反応してくれる。
また実務が得意という設定を反映してか、戦績では「もっとわかりやすい表に作り直しておくよ」と、データを取りまとめてくれる。万屋では「無駄な浪費をしたら、その時は……」と、何やら怖いものを感じる。流石は能吏の刀といった所か、或いは元主の主家の台所事情を踏まえたものか。
豊前江(刀剣乱舞)と「織豊の記憶:関ヶ原」ボスマス突破で回想が発生。
多くの血が戦場に流れた事で動揺する松井を豊前が気遣い、「誰にでも言えないことのひとつやふたつ、あるもんなんだろ? 無理して言わなくてもいいよ」と告げる。一人で抱えきれない時はいつでも言ってほしい旨と「俺、両手空いてっからさ」と付け加えた。膝枕は既に両方使われてるし……
また江の刀4振で出陣すると回想『すていじ あくと3』が発生。ただし『すていじ あくと2』を発生させている事が条件となる。
相変わらず「れっすん」に励む篭手切、戸惑いながらも参加する桑名、やると決めたからにはやる豊前。当然松井も「れっすん」に誘われ、嬉しさのあまり「鼻血が出そう」な篭手切を前に、何故か「……出来る」と何かを見出すのだった。
Lv20で特にランクアップ。隠蔽が2位タイで後は平均的な仕様となっている。
南北朝時代の刀工、郷義弘(ごうのよしひろ/ごうよしひろ)作の打刀。
郷義弘は越中国新川郡(現在の富山県魚津市)松倉郷に住んだ事から、この名字で呼ばれた。なお江戸時代以降、「郷」は「江」と表記されている。
鎌倉時代末期の刀工・正宗の高弟「正宗十哲」の一人に数えられ、「享保名物帳」では正宗、粟田口吉光と並び「名物三作」と称され、おおいに珍重された。しかし在銘の刀が皆無である事から偽物も多く、刀剣鑑定家・本阿弥家が鑑定した作、後世において郷義弘作であると認定された作しか存在しない。
このため「郷(江)とお化けは見た事がない」と言われるほど希少な刀剣であり、「全ての日本刀の中で最も入手困難なものの一つ」とも呼ばれている。
著名作には松平家伝来の「稲葉江」、前田家伝来の「富田江」(共に国宝)のほか、重要文化財指定を受けて現存する「五月雨江」などが知られている。
また虎徹こと長曽禰興里が郷義弘の作風に学んだ他、井上真改など後世の刀工にも大きな影響を及ぼしている。
松井家は代々足利将軍家の幕臣であり、父・松井康之は細川藤孝、後に細川忠興に仕えた。興長は次男だったが長男が文禄・慶長の役で戦死した為に世子となった。
また忠興の次女・古保を正室として迎え、忠興の六男・寄之を養子とするなど、細川家とは強い縁戚で結ばれている。後年細川家の別姓である長岡を賜り、官位の佐渡守と合わせて長岡佐渡と称した。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは忠興に同行。しかし岐阜城攻めで負傷し、本戦には参加できなかった。なお父康之は豊後杵築城にて大友吉統に攻められたものの、城代の有吉立行と共に持ちこたえ、黒田如水の救援もあって勝利している(石垣原の戦い)。
この功により康之は杵築城を任せられ、大名に匹敵する2万5千石の領地を与えられた。その後興長は父の隠居に伴い家督を相続、国替後は玉名・合志に3万石を与えられている。
寛永14年(1637年)に起きた島原の乱では細川忠利の命を受け、幕府および他藩との交渉、派兵の手配を行う。翌年の「原城の戦い」では忠利とその嫡子・光尚と共に出陣、自らも3,000余の兵を率いて前線で戦っている。
この時細川家は諸藩の中でも最も激しい損害を受け、少なからぬ死傷者を出したものの、陣佐左衛門が総大将の天草四郎を討ち取る武功を挙げている。この戦いで37,000人の一揆軍(非戦闘員含む)は老若男女を問わず皆殺しにされ、首級を原城に晒されたという。ゲーム中で松井江が事あるごとに「血」について語るのは、もしかするとこうした出来事が影響しているのかも知れない。
正保2年(1645年)、八代城に隠居していた三斎(忠興)が没すると、興長は翌年から八代城を預かる(一国一城令の例外)。生涯を通じて忠興・忠利・光尚・綱利の4代に仕え、忠臣として細川家を支えた。その後松井家は明治維新まで筆頭家老を代々務め、歴代の貴重な文物や資料を後世に残している。
時期は不明だが、徳川将軍家に献上。その後貞亭2年(1685年)、五代将軍徳川綱吉の娘・鶴姫が紀州徳川家三代徳川綱紀に嫁ぐ際、引き出物として贈られている。以後は紀州徳川家に伝来したが、昭和の初めの入札で落札され、同家を離れた。
その後は所有者を転々としながら昭和10年(1935年)に重要美術品、昭和29年(1954年)に重要文化財の指定を受ける。現在は佐野美術館所蔵で、折に触れて公開される。
2020年1月7日~2月16日の「名刀への道」にて展示。
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最終更新:2024/12/25(水) 14:00
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