病ミさん 単語

36件

ヤミサン

1.5万文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

ネタバレ注意

この項は、『まどか☆マギカ』第10話ならび
『魔法少女おりこ☆マギカ』、さらに『魔法少女まどか☆マギカ ポータブル』
魔法少女まどか☆マギカThe different story~』のネタバレ成分を含んでいます。
ここから下は自己責任スクロールしてください。
あと、とても長い記事ですが、オチはありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

巴マミ

ソウルジェム魔女を生むなら、みんな死ぬしかないじゃない!
あなたも…わたしも!

 

 

 

病ミさんとは、魔法少女まどか☆マギカ第10話「もう誰にも頼らない」の劇中で起こった悲劇によって衝撃的な行動に走った巴マミのことである。

概要

事の起こりは暁美ほむらが三周世界で、美樹さやか魔女Oktavia von Seckendorffに変貌し、やむなく仲間だった魔法少女たちの手にかかって滅ぼされたことから始まる。皆がさやかを救えなかったことを悔やむ中、突如マミ佐倉杏子を射殺。の前の事態に呆然とする暁美ほむらに向かってマミは、絶叫に近い形で上記の台詞を口にする。が、その直後にマミもまた鹿目まどかによってソウルジェムを射貫かれて絶命。尊敬する先輩をこの手で殺めてしまったまどかは、「嫌だぁ・・・もう嫌だよこんなの・・・」と中の人が本当に泣いているのではないかと思わんばかりに慟哭するが、それはテレビ放送やニコニコ動画でこの悲劇をの当たりにした視聴者の嘆きを代弁するかのようでもあった。

放送当時の反響

第3話で凄惨な最期を遂げて以来、第10話で久々の再登場となったマミさんだったが、一周世界々に死亡してしまい(どうあがいてもマミさんを参照)、この三周では、で顔をめながら仲間を殺して自分も死のうと無理心中を図ろうとするその姿は、これまでの優しくて頼りになる先輩魔法少女とはあまりにかけ離れた衝撃的なものであった。一時は人気の低下も危ぶまれたが、既に第3話で「理して頑っているけど、本当の自分は泣きで心が弱い」ことを告白しており、状況が状況なだけに同情のが多く寄せられ、かえってマミさん人気は今まで以上に上がったのだった。

しかし同時に、普段の彼女からは考えられないような取り乱し様を見せたことから、この事件以降しばらくの間マミさん豆腐メンタルというイメージが定着してしまっていた時期があった。その時の名残により、豆腐メンタルググると、元ネタである闇遊戯を差し置いて、マミさんっ先に挙げられる始末である(このことにはコピペブログが大きく関係しているらしい。放送当時、マミ豆腐メンタルという記事がコピペブログを通じて爆発的に拡散された。検索エンジン、特にグーグル2chやそのコピペブログ検索ワードの上位に分類するシステムになっているらしく、それ故に未だに豆腐メンタルの関連ワード上位にマミ名前が挙がるそうである。かつてはこれに更にさやかが続いていたのも同じ理由であると考えられる)。だが、果たしてかつて皆から言われたほど、マミさんは精神的に脆い人間だったのだろうか?これに関して当時多くの有志が検証しており、これらをまとめて述べたい。

 

考察

 

 

 

 

 

 

 

1.コピペブログ的な見方に対する放送当時の反論

1-1マミさんの行動について

まず、マミさん無理心中しようとした時の動向だが、最初にほむらリボン拘束してから、杏子を射殺している。当時のほむらは個人の戦闘力こそ低いが、時間停止という極めてやっかいな特殊力を持っているため、その動きを封じ込めて、最も関わりの少なかった杏子っ先に狙ったものと考えられる。その後、動けなくしたほむら口を向けていることから、杏子ほむらまどかの順番に殺し、最後に自害する予定だったとも推察できる。まどかを後回しにしたのは、自分を慕う大人しいまどかならある程度わかってくれるし、まさか自分に反撃しないと思ったのだろう。そのため、まどかが自分を射殺するというのは予測だにしなかった大誤算だったに違いない。しかしこうした予想外アクシデントが起きたとは言え、やみくもに乱射して皆殺しを起こしたのではく、かなり計画的に事を進めたところを見ると、実は意外と冷静に判断できていたのかもしれない。

そして何より、このときのマミさんソウルジェムがまだ濁っておらず、魔女化の兆すらなかったという点も注すべきである。もし魔法少女の末路を知って絶望に打ちのめされたら、マミさんさやかのように魔女化するところだったがそれがかった。さらに言えば、魔女化する世界の存在するまどかさやか、そして強な精神を持つほむらでさえも第11話終盤ではワルプルギスの夜に敗れ、まどかをいつまでも救えないことに絶望してソウルジェムが濁る事態が起きた(もしあの時、まどかが駆けつけていなければ、ほむら魔女化した可性が高い)。これに対し、マミ杏子の身には一度もこのような現象が起こっていない。こうして見ると、実はマミさんは世間で言われるほど精神面が弱いわけではない可性もあり、十分再考する必要も出てくるだろう。

 

ではなぜ、マミさんがあのような行を行ったのだろうか?考えられるのは、台詞の通り自分を含めた魔法少女魔女となる前に死ぬことによって、魔女のもたらす災厄を防ごうとした苦渋の決断があったからとも言える。これはまどかが最悪の魔女Kriemhild Gretchenになるのを防ぐために、まどかを殺した魔法少女おりこ☆マギカ美国織莉子の考えとよく似ている。ましてやマミさんは、先輩魔法少女として彼女たちをずっと導し続けてきた。これでもしアニメでの本編周回の時間軸のように、この周回においてもマミさんまどかさやか魔法少女となる切っ掛けまでも作ってしまっていたとしたら、責任感の強いマミさんのことだから、彼女たちの破滅を手助けしてしまった罪悪感にさいなまれたに違いない。

そして普段は絶対見せない、正気を失ったのではないかとも思われるあの表情は、を忘れて発狂したのではく、信じていたキュゥべえに裏切られて自分の全人生を否定された衝撃魔女にならずに済むためには仲間を殺さなければいけない苦痛といった、マミさんが身を切り裂かれるような嘆きや怒り、それを踏まえた上で断腸の思いで決断を下した彼女の想像を絶する思いが生み出したものではいだろうか?

 

とは言え、この決断が必ずしも正しかったとは言えないのもまた事実である。っ先に殺されるとんだとばっちりを受けた杏子不憫だが、それ以上にこの事件が尾を引いたのはほむらである。それまでのほむらまどかと同様に、マミさん先輩魔法少女として尊敬していたが、一度殺されかけたことがトラウマになったのか、それ以降両者の関係は急速に悪化していくこととなる。もし両者の仲が良好のままだったら、マミさんほむらの忠告を聞き入れ、第3話Charlotteに食い殺される惨劇を回避できていたかもしれない(もっとも、これは仲間ができた故の油断も大きな原因だが)。

また、魔法少女おりこ☆マギカでもマミさん魔法少女を待ち受ける運命を知り、本編と同様の悲劇が繰り返されそうになったが、この時は千歳ゆまの説得によってを取り戻し、ほむらとも和解して織莉子呉キリカを倒した。このように、仲間諸共死ぬ悲劇を回避して、己の心に打ち勝つ展開も十分あり得るのである。

 

1-2.公式ガイドブックにおけるフォロー

なお、公式ガイブックによって明らかになったことだが、本書の61Pにはマミさんを演じた水橋かおりさんへのインタビューが掲載されており、そこで水橋さんは三周におけるマミさん行動に対して、

仲間同士の険悪な雰囲気を取り持つために必死になって頑った結果心労が蓄積し、そこに魔法少女真実を知ってしまい無理心中という結論に至ってしまったのではないか。弱いといえば弱いかもしれないが、あれだけ辛い出来事が続いたのなら、そのような結論に至っても仕方がないかもしれない。」

と、おおむねこのような解釈を述べている。

さらに、そのインパクトネタとしての汎用性から、マミさんに対しては精神的に脆い側面ばかりが強調されがちであるが、彼女まどか達と出会うまでの間、たった一人で魔法少女としてずっと戦い続け、その間一度も逃げ出さず、また絶望して魔女にもなることはなかった(これは、絶望が即魔女化に直結する魔法少女としては極めて異例である)という事実もっと評価されるべきである。

1-3.総括

マミさんは確かに他の魔法少女達に較べると精神的に脆い側面もあったかもしれない(ただし、これについては後にPSP版に至って全員絶望して魔女になるような場面が提示され、五人ともに絶望せずにはいられない精神的弱点が示されたため、今や大した格差はくなり、さらに後年の研究の結果アニメにおいても格差がいというがなされた。詳しくは次章)。しかし、彼女たちに出会うまでの間、そんなマミさん一人ぼっち絶望することもなく戦い続けてきたのだ。いくらネタとは言え、あまりにも「豆腐メンタル」とばかり言い過ぎるのも、あまりに惨い仕打ちではなかろうか。

2.ほむらや杏子は本当にマミさんよりメンタルが強いのか?

 

2-0.導入

ほむら杏子メンタルが強いと言われ、それにべるとマミさんメンタルが弱い、という考え方がある。しかし、アニメPSP版での描写を見る限り、実はほむら杏子メンタルの強さは、マミさんとほとんど同じ程度の強さであると考えるのが妥当である。以下に記述する。

 

2-1.メインの魔法少女五人の一番大切なものはそれぞれ全く異なるということ

そもそも、まどかほむらさやかマミ杏子絶望に繋がるほど一番大切にしているものはそれぞれ異なる(ほむらまどか事、さやか正義恭介杏子さやかに託した想い、そして、マミは人命を救う魔法少女の使命、と言ったように)。つまり、マミにとって魔法少女の使命は、ほむらにとってのまどかに匹敵するほど大切なものだと言って差し支えない。


故に、「ソウルジェム真実知っても取り乱さなかったマミ以外の魔法少女は、ひどく取り乱したマミよりも精神的に強い」というは、「恭介仁美が付き合う事になっても絶望して魔女化しなかったほむらは、さやかよりも精神的に強い」という本質的に同じレベルの、べるべき前提をはき違えたである。ほむらにとって一番大切なものは、言うまでもなくまどかだ。恭介仁美が付き合ったところで、さやかの為に心を痛めることはあったとしても、まさか絶望してほむら自身が魔女になる訳がい。ほむらにとって一番大事なものはまどかであって、恭介と自分が付き合うことではないからだ。


つまり、ほむら杏子の一番大切なものマミと同じく魔法少女の使命でない以上、ソウルジェム真実を知って二人がマミほど取り乱しも絶望もしなかったことは、ほむら杏子マミよりも精神的に強いという明の根拠にはなりえない」

2-2.一番大切なものを完全否定されてなお生きようとした魔法少女はアニメ中に結局一人もいない

また、「ソウルジェム真実を知ったマミは「みんな死ぬしかないじゃない!」と、その事実を受け入れて生きることを選ばなかったので、マミほむら杏子よりも精神的に弱い」というがあるが、アニメ本編中において、”魔法少女になった後に見出した”一番大切なもの全否定されて、そこからなおも生きるという行動を選択した魔法少女は、魔女が存在する世界では実は一人も存在しない」

このアニメに登場する魔法少女達は全員魔法少女になる前の願い、つまり魔法少女になる際に願ったことの結果が悲劇を生じさせたとしても、乗り越えるだけの強さを持っている。マミは両を見殺しにしてしまっても(も、マミが乗り越えたものについてはアニメ中では非常に端的にしか示されていないが。これは後に関連作品で詳細に説明された。この記事のPSP版のマミについての章を参照)、ほむらは二周まどか魔女化しても、杏子家族心中しても、さやかは自分の身体の秘密を知っても、死を選ぶことはなかった。

だが、「”魔法少女になった後に”見出した一番大切なもの」に関してはどうだろうか?マミが見出したものは「人々を魔女から守る魔法少女の信念」、ほむらが見出したものは「まどか事」、杏子が見出したのは「さやかに託した自分の想い」、さやかが見出したのは「かの為に戦う正義杏子との教会問答で見出した)」である。この章の題上、ほむら杏子の例を取りあげるが、ほむらは11話でまどかの為にもう一度ループすることを諦めてしまったし、杏子の取った行動魔女と化したさやかとの心中であった。

あくまで結果のみを取りあげた身も蓋もない言い方をすれば、ほむら杏子魔法少女になった後に見出した一番大切なもの全否定された結果、生きることを放棄してしまっている。よって、もし魔法少女になった後に見出した一番大切なもの全否定された結果として生きることを放棄することを選択をした魔法少女を精神的に弱い、豆腐メンタルであると考えるのなら、「ほむら杏子は紛れもなく豆腐メンタルである」、という結論が導き出される。言うまでもなく、これはほむら杏子に対するあまりにも酷い侮辱であり、言いがかりである。

しかし、ならば同様の論理で、ソウルジェム真実を知って生きることを放棄したマミ豆腐メンタルと呼ぶことは、まどかを救うことを諦めてしまったほむらと、さやかとの心中を選んだ杏子豆腐メンタルと呼ぶことに匹敵する酷い侮辱であり、言いがかりである」と言えるだろう。そもそも、この侮辱は「魔法少女になった後に見出した一番大切なもの全否定された結果」のみを判断材料にし、「魔法少女になった際の願いの報いを受けてもマミほむら杏子も死を選ばなかった」という事実全に無視している。また、生の放棄は必ずしも精神の弱さとは直結しない。それはその大事なものを失っては生きてはいけない程に強く想い続けていたことの明、という見方も出来るし、また、敢えて大事なものの為に死という選択肢を選びとる心の強さである、という見方も出来るからだ。

2-3.PSP版におけるほむらと杏子の魔女化

さらに、PSP版になると、マミほむら杏子の三人ともがそれぞれ絶望して魔女になる状況が描かれた。マミまどかという仲間が出来た事で喜んでいる自分自身を自覚して、「自分は人々を守る為と言い訳してただ寂しさを紛らわす為だけに戦ってきた醜い人間なのではないか?」という疑念の果ての絶望によって魔女化(つまり、ソウルジェム魔女を産むことがマミ魔女化の原因ではない)し、ほむらアニメと同じ様にワルプルギスの夜に挑み、アニメと同じ様に力が及ばずに絶望からソウルジェムを濁らせ、アニメと違ってまどかが来なかった為に魔女化し、杏子魔女となったさやか心中はおろかっ正面から魔女と化したさやかと向き合う機会さえも彼女に託していた最後の希望ごと一方的ほむらによって打ち砕かれたことに絶望し、世界の全てを呪いながら魔女化した。


このようにアニメ本編では魔女化することがなかった三人でも極限まで追い詰められればそれぞれ確かに魔女化してしまうのだ、という事がPSP版において示された。しかし、同時に三人それぞれ魔女化を回避するルートに関しても、この作品では描かれている。つまり、マミほむら杏子も、限界まで追い詰められれば絶望するし、絶望を乗り越える場合もある、その時間軸の状況次第でどちらにも傾く可性を持ったメンタリティだということが示された。



 

2-4.総括

以上より、アニメ本編PSP版においてほむら杏子マミさんよりもメンタルが強いと断言出来る根拠は皆無であり、むしろマミほむら杏子は同程度のメンタルであると考えるのが妥当であるように思われる。
いやそもそも、べてメンタルが強いか弱いか、と問うこと自体が意味ではないか?


まどか☆マギカに登場する魔法少女全員魔法少女になった後に見出した一番大切なものを否定されると絶望に至ったり、生きることを放棄してしまったりと、心の弱さを抱えている。しかし、彼女達は全員、自分の願いの結果生じた報いを受け入れ、そしてそれぞれが新たに見出した自分の一番大切なものよりも大事にしようとする強さも同時に持っていた。それは巴マミも例外ではない。巴マミにとっての魔法少女の使命は、ほむらにとってのまどか杏子にとってのさやかと同じように、魔法少女としての自分自身を認めた上で見出した、他のもが及びつかない程あまりにも大事なものだった、ただそれだけの話であると思われる。

巴マミが心の内に不安と孤独を抱えながら、それでも心折れずに長い間孤独な戦いを必死に続けてきたことは、ほむら杏子達と同様に、彼女が決して精神的に弱い人間ではないことを明する十分な理由となりうるはずである。

3.マミさんが撃った杏子は、本当にマミさんの仲間だったのか?

 
あの場面でマミ錯乱したとする根拠は、

ソウルジェム魔女を産むと真実を知った結果、マミは”仲間である杏子”を射殺し、ほむらをも殺しようとした、有を言わさずいきなり仲間を撃つというなどという行為は、錯乱としか言いようがない」

というものであるが、実はあの周回で明らかになっているのはさやか魔女化した際にマミ達と杏子が同じ場所に居合わせたということだけであり、あの周回においてマミ杏子仲間、友好関係にあったとは、実際にはどこにも描写されていないのである(それどころか、その前の場面のさやか杏子に対する言動から類推すると、杏子さやかを独自に追いかけてたまたまマミ達と鉢合わせしただけで、あの場面に至っても杏子マミ達は対立関係にあった可性すらある)。


もし本当にあの周回で杏子マミ達が仲間同士でなかったとしたら、そもそも「マミ仲間を射殺した」という前提自体が不成立となり、それどころか、同時にマミはあの場面において味方とそうでない人間をを識別するだけの判断力を有していたということが明され、あまつさえ、いざ「仲間」であるほむらを撃つ下りになった際には、すぐに引き金を引かずにい、ほむらに対して自分の行動理由を説明している(「ソウルジェム魔女を産むなら、みんな死ぬしかないじゃない!あなたも、私も…!」という台詞)ともとれる行動をとっているわけで、あの時マミ錯乱していたという可性が、いよいよ低下するのである。


解釈のしようによっては、あの時のマミ行動は「将来魔女化する対立勢力である杏子の排除」と「(魔女化したとはいえ)の前で仲間さやか爆殺したほむら拘束」という、錯乱していたどころか至極合理的にチームの年長者責任を果たそうとしただけだった可性も出てくる。


では、何故々はあの周回において杏子マミ達の仲間であるということがあたかも確定事項かのように錯覚してしまったのだろうか?考察するに、その原因は二つ、

  1. その前までの話で杏子が根は善良な人間であることが示され、まどか達と解り合える可性が十分あると認識され  たこと。
  2. 十話のEDの最後のカット魔法少女五人の集合図が描かれ、五人がチームであることが印づけられたこと。

この二つの理由によって視聴者は、あの周回においてもマミ達と杏子は当然仲間であったに違いないと、それを明確に示す描写が全くにも関わらず錯覚してしまったものと考えられる。

 

 

4.三周目の巴マミの心理状態について、巴マミ役、水橋かおりの言及

三周の時間軸の巴マミの心理状態については、公式ガイブックにおいて彼女を演じた水橋かおりによって幾らか説明されているので、以下において該当箇所を引用する。

「(前略)みんな仲悪いし、過酷なルートですよね。あのルートマミは、自分を正義の味方だと思っていたのに、嫌なことが起こり過ぎたり、みんながぎすぎすしたりして、それでも自分がまとめないとって、必死で思っていたと思うんです。でも、守ろうとしていた仲間は、いずれ倒すべき敵へと変化してしてしまいます。そして、自分もいずれそうなる運命という真実を知り、だったらみんな殺して自分も死ぬしかない、という結論に達しちゃったのかなって。弱いといえば弱いんですけど、あれだけ辛い出来事が続いたら、そうなるのも仕方がないのかなあと考えましたね。」

(『魔法少女まどか☆マギカ 公式ガイブック you are not alone.』 ,61

確かに第十話においては三周では仲間同士の仲が悪い様子(杏子に至っては仲間かどうかすら不明)が描写されており、さやかほむらに対する不信感を解決する為に、マミほむらに対して「爆弾以外の武器を用意する提案」をアドバイスしている。


水橋によると、巴マミが三周であのような行動に出た原因は、余りにも過酷な事態が起こりすぎ、チームの仲も悪く、それでも必死に努力し続けた結果溜まった心労にある、ということらしい。


 

5.杏子の射殺とほむらの拘束は「冷静な判断の結果」であったという「制作者側からの」見解

魔法少女まどか☆マギカ KEY ANIMATION NOTE 5』において、シリーズディレクターを務めた宮本幸裕から杏子の射殺とほむら拘束について以下の様な見解が提示されたので、該当箇所を以下に引用する。

宮本マミさんの冷静な判断が好きですね。まず時間を止められるほむらを動けなくしてから、攻撃力の高い杏子を殺していくという。まどかメンタルが予想以上に強かったのが誤算です。」

(『魔法少女まどか☆マギカ KEY ANIMATION NOTE 5』,194

上の引用により、巴マミの三周における一連の行動は精神的錯乱によるものではなく、冷静な判断に基づいた行動であるという制作者側の見解が公式的な資料において提示された

宮本は、単発マスケット銃を大量に撃つために間に多数のマスケット銃を出現させる(但しそれらを並べて一斉発射するというのは『KEY ANIMATION NOTE vol.2』,80Pによるとアクションディレクター阿部望の発案)という一話におけるマミ戦闘スタイルを発案(虚淵玄の脚本においてこのシーンは、「マミマジカルマスケット銃を構え、機関銃のように連射する。」と書かれている。

しかし、マスケット銃単発であり、機関銃のように連射することは不可能であることが制作スタッフによって摘されたため、その解決策として宮本阿部の案が採用された)し、また、マミは撃った後は大きな隙が出来る、ティロ・フィナーレ一発撃ったら新たなを出すまでは次が撃てないなど、巴マミの設定について大きなを与えた人物である。

このような巴マミの設定に深く関わった人物によって、杏子の射殺とほむら拘束は「冷静な判断の結果」であったという見解が公式的な資料において示されたことから、公式側は巴マミの精神的錯乱について否定的であると考えて差し支えないものと思われる。

(※余談:宮本アニメ総集編劇場化した『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[前編] 始まりの物語[後編] 永遠の物語において監督を務め(但し、総監督新房昭之)、この劇場版において上に引用した「マミの冷静な判断」という見解が制作において反映される可性もあるかと思われたが、件のシーンに当たるアニメ十話部分は劇場版において、「既に起こった過去の出来事であり、また新規アフレコを行ってもTV版の演技えることは出来ないだろうので、TV版の音をそのまま使う」という制作判断の下、細かい作画の変更はあったものの、十話全体の話の流れとしては音の都合上TV版と全く同じ構成となり、その為、当該シーンにおけるマミ行動描写についても特に大きな変更はく、TV版とほぼ同じものとなった。三周における多くの具体的な出来事、詳細な人間関係は、依然としてのままである。)

6.『きらら☆マギカvol.5』における、『The different story』作者、ハノカゲの巴マミへの見解

まんがタイムきらら☆マギカvol.5』の雑誌インタビューにおいて、『魔法少女まどか☆マギカコミック版)』作画スピンオフコミック魔法少女まどか☆マギカThe different story~』シナリオ作画ハノカゲ巴マミについて以下の様に答えている。

マミさんは『The different story』でも「自分は弱い」と言っていますが、実はそんなことはないと思っています。事故で両を失って、魔法少女になってからもひとりで戦って、普通だったら心が折れてしまうような状況でも、マミさんは耐えていますよね。そんな彼女でもくじけてしまうようなトラブルが重なって、しかも致命的な事実を知ってしまったから、アニメの第10話では壊れてしまったんじゃないでしょうか。」

(『まんがタイムきらら☆マギカvol.5』 ,13

マミアニメ第十話においてあのような行動に出たのは心労が原因であるとする点では先に紹介した公式ガイブックにおける水橋かおりの発言と一致するが、こちらはさらに明確に「巴マミは弱い人間ではない」と述べている

ハノカゲアニメ制作には関わっていないが、『The different story』によってまどか☆マギカ世界を拡したという点において、制作サイド人間である。いわばこのインタビューは、まどか☆マギカ世界が原典の制作者から離れて新たな制作者によって拡されるとき、その物語の内容(ここでは巴マミという人物)がどのように継承されたかを示すという資料」であり、非常に重要な意味を持つと思われる


なお、このインタビューにおいてハノカゲアニメ十話のマミを「壊れてしまった」と評しているが、厳密な意味ではアニメ十話において巴マミの「何が」壊れたと評しているかは、この文面からは不明である。それは例えば「普段のマミ」、「マミの信念」、「マミの信じていた世界」、「々が巴マミに対して持っていたイメージ」等のどれか一つを想定しているのかもしれないし、いはそれ以外も含む全てかもしれない。

だが、少なくともそれが「マミの精神」である可性は低いと思われる。何故なら、『The different story』中において、ハノカゲマミ錯乱発狂もさせていないからである。

 

7.PSP版の内容と、そこで描かれた巴マミの過去を踏まえた「病ミさん」への考察

 

7-1.PSP版において描かれた巴マミの過去

※以下、PSPネタバレにつき注意

 

 

 

 

 

 

 

PSP版において、今まで詳細に語られることのかった巴マミ過去が描かれた。この過去を踏まえ、上で述べられた彼女行動について考察する。

 

 

 

巴マミは何故「魔法少女として魔女を倒す」ことに強くこだわったのか、それには一人の少年の死が大きく関わっていた。当時、まだリボンを振り回すことしか出来なかった新米魔法少女時代のマミは、その日初めて魔女へと戦いを挑んだ。しかし、必死の戦いもむなしく、力及ばす撤退を余儀なくされてしまう。

その際に彼女は、助けをめて悲鳴を上げる一人の小さな男の子の前で魔女に取り込まれ殺されていくのを見殺しにせざるを得なかった。この出来事はマミの心に深いトラウマを残すことになる。彼女はもう二度と戻って来ない少年に、二度と魔女から逃げ出す必要がいほど強い魔法少女になり、もう彼のような新たな犠牲者を決して出させはしないことを誓った。

この誓いを機に、マミ魔法少女としての強さをめてひたすらに努力を重ねていくこととなる。その結果として、彼女リボン材料とした長射程、高威力のマスケット銃を作成する独自の技術を編み出し(ちなみにマスケット銃なのは、材料リボンという制約上複雑な連発は作れなかった為)、更なる威力をめて巨大な大砲さえも作り出すことに成功する(後のティロ・フィナーレであると思われる)。ここに、魔法少女巴マミの意味で誕生した。

しかし、努力の代償は大きく、より魔法少女らしくあるために、友人と遊ぶ暇さえ惜しんで特訓と研鑽を重ね続けた結果、ただでさえ交通事故家族を全て失ったマミに対してどのように接すればいいか解らなくなっていた彼女友人達は、いよいよマミとの接点を持つ機会を失い、気がつけばマミ友人達は全に疎遠になってしまった(一応、教室で肩がぶつかってしまってしまった際には謝ってもらえる程度には、マミの存在は友人達に認知してもらえていた様ではあるが)。

魔法少女らしくあるために必死に努力した結果、家族の繋がりのみならず友人との繋がりさえも失ったマミは、まるでその寂しさを紛らわせるかのように、少年との誓いを胸にして、死と隣り合わせの魔女との戦いへとますます頭していくのだった…。ある一人の少年の死は、マミに「魔女と戦い人を助ける魔法少女」としての使命と、耐え難い孤独を与えたのである。

 

 

 

7-2.巴マミにとっての「ソウルジェムが魔女を産む」ということの意味(PSP版を踏まえて)

さて、ここからが本題になるが、PSP版で描かれたマミ過去を踏まえると、「ソウルジェム魔女を産む」とは、果たして彼女にとってどのような意味を持つのか?

ソウルジェム魔女を産む」とは「魔法少女魔女になる」ということであり、それはマミにとって、「自分自身が最後は魔女となり、あの少年の様な犠牲者を出し続ける」ということに他ならない。これはあの少年に報いる為に魔女を倒す魔法少女たらんと決意した彼女にとって、耐え難い苦痛であるように思われる。

また、魔法少女としての強さをめて努力した結果他者との深い繋がりを全て失ったマミにとって、「魔法少女として魔女から人間を救う」という使命は、「何も無い自分がそれでもかの為に魔女から人間を救う魔法少女として存在することを許される」という、何処にも居場所がい自分にとっての最後の存在意義であり、それ故にソウルジェム魔女を産む」という真実は、「どんなに魔女から人間を守って戦ったところで、結局自分は魔女になって人を殺す、にとっても害悪でしかない、世界に居てはいけない存在である」という、マミの存在意義を全に破壊するものであったといっても過言ではないだろう。

さらに、ここに公式ガイブックで語られた、「あの周回は仲間同士の関係が最悪だった」という言を加えると、事態はより深刻なものとなる。マミにとって仲間とは、今までにも打ち明けられずにいた魔法少女としての自分と共にあることが出来る、孤独から自身を解放してくれるかけがえのない存在である。その仲間同士が険悪な関係だったとしたら、「やっと仲間が出来たと思ったら人間関係が劣悪で、仲間の中でさえも自分は孤独になっていた」と、マミは落胆することになるだろう(公式ガイブックによると、それでも彼女チームの仲を必死で取り持とうと努力したらしい)。

そこにソウルジェム真実明らかにされる。この間、マミが自分自身を「家族友人も失って孤独になった上にやっと出来た仲間内でも孤独になり、さらに最終的には魔女になり罪のい人々を殺戮する全ての人間にとって害悪にしかならない不必要な存在」と考え、失望したとしても何の不思議いだろう。

自分自身の存在意義を失ったマミにとって最後に残るものがあるとしたら、それは「あの少年への誓い」だけではないだろうか。魔法少女魔女になる。この場にいる魔法少女は自分と、仲が悪かった三人の同僚。それら全員がやがて魔女になり、あの少年の様な犠牲者を出すならば、「ソウルジェム魔女を産むなら、みんな死ぬしかないじゃない」ということではなかろうか(ただし、この場合迫り来るワルプルギスの夜と戦わずに犠牲者を出しても構わないのか?という疑問は残る。あるいは、マミは自分以外の三人を殺した後に一人でワルプルギスの夜と戦うつもりだったのかもしれない。が、後述するPSP版でのソウルジェム真実を知った彼女行動から類推するに、そのような可性は低いようにも考えられる。

しかし、この周回での彼女の本心が描かれていない以上、結局その意は未だ不明のままである)。結論を言うと、ソウルジェム真実を知ったマミが俗に「病ミさん」とも言われる程の状態に陥ったことは突発的な感情の爆発ではなく、「病ミさん」に至るまでの理由が存在したと思われることが、PSP版におけるその過去から考察することが可なのである。

 

 

7-3.PSP版ほむらルートにおいて巴マミがソウルジェムの真実を知った際の反応

ところで、PSPほむらルートにおいてマミソウルジェム真実を知るシナリオ分岐が存在するが、このときのマミはひどく動揺はするものの、アニメ本編のように凄まじい形相で杏子を射殺したり、ほむらを向けることはない。これは、ほむらルートにおける暁美ほむら人間関係において較的上手く立ち回り、仲間同士の関係をそれなりに良好に仕上げることに成功した結果だと思われる(特に、このルートマミは、ほむらによく懐いていた)。

ソウルジェム真実を知った翌日、マミは一人公園ベンチに佇んでいた。この公園はあの少年を見殺しにしてしまった因縁の地であり、そして二度とあの少年のような犠牲者を出さないと心に誓った場所でもある、彼女にとって忘れることの出来ない、特別な公園である。マミは、自分が最後は魔女になってあの少年のような犠牲者を出し、また、魔女になりたくなければ魔女との戦いで命を落とし、結界の中で死体も残らず、からもその死を知られない永遠に行方不明者になるしかないという現実に倦み疲れて失望していた。そして、せめて人間としてかに死体を発見してもらえる形で自身の意味な生に幕を引こうと自害を企て、まるで自身の結論をあの少年に謝罪するかのように、死に場所にこの公園を選んだのだった。

そして、いよいよそのマミソウルジェムを砕こうとした間、間一で間に合ったほむらまどかによって、彼女自害は未遂に終わった(ただし、ここに至る選択肢を誤ると二人は間に合わず、マミ自害遂されてしまう)。その後の二人の懸命な説得により、マミはこの公園を死に場所に選んだのはあの少年との誓いが自分にとってかけがえのない、大切なものだったからこそであるということ、迫り来るワルプルギスの夜から人々を守る為に自分の力が必要とされていることを自覚した(そして、自分の為にこんなにも必死になってくれる仲間がいることを自覚し、自分が彼女らにとって必要な存在であることを理解した、ということも感じていたかもしれない)。ここにおいて巴マミ魔法少女として戦う意義を再び見出し、立ち上がり、を取ることを決意したのだった。

 

 

 

8.総括

以上、かなりの文量になってしまったが、PSP版を考察することにより、以下の三点の結論を得ることが可となった。

  1. いわゆる「病ミさん」は突発的な感情の爆発ではなく、そこに至る精神的背景が存在したと思われること。
  2. マミソウルジェム真実を知ることが必ずしもマミの同士撃ちには直結しないこと。
  3. 信頼できる仲間の支えがあれば、例えソウルジェム真実を知ってもマミは再び立ち上がることが出来ること。

この三点である。

PSP版が発売されるまで、何故あの場面でマミが普段の彼女からは考えられないような取り乱し様を見せたのか、全くのであったといってもよい。彼女アニメ本編での退場はあまりにも過ぎ、そして彼女の内心の苦悩を々が知る機会はあまりにも少なかった。巴マミの決意と孤独を知っていた人間は、何処にも居なかったのである。それ故に彼女変ぶりが々にこれほどまでの衝撃を与えたのかもしれない。

 

 

 

関連動画

このシーン素材にしたMADについては、死ぬしかないじゃないシリーズを参照。

関連静画

pixivでは上の2画像のように、マミさん口を向けるシーン再現したイメージレスポンス素材が作られて流行した(上記のニコニコ動画にもある通り、顔の表情を変えたパロディも多数投稿されている)。いかに、この場面のインパクトが強かったかがわかるだろう。

関連商品

←病ミさんフェイス付き

関連コミュニティ

関連項目

この記事を編集する
流行語100

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
紲星あかり[単語]

提供: アニメ(ニワカ)オタク

もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/12/18(水) 13:00

ほめられた記事

最終更新:2024/12/18(水) 13:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP