~ 『東方昭和伝』第六部「軍部台頭編」の年表 ~
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内閣 | 月日 | 日本の動き | 世界の動き |
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※ 岡 田 啓 介 |
昭 和 1 1 年 (1936年) | ||
第十九章「広田内閣と西安事件」1/2 | |||
3月4日 | 元老・西園寺公望、貴族院議長・近衛文麿公爵を次期内閣首班に奏薦 午後4時、近衛参内し大命降下されるも、これを拝辞 |
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3月5日 | 広田弘毅外務大臣に大命降下 組閣作業始まるも、陸軍より入閣予定者に対する干渉激化 吉田茂(外務)・小原直(司法)・下村宏(拓務)らの入閣が見送られる |
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3月6日 | 湯浅倉平・宮内大臣が内大臣に就任 後任の宮内大臣は松平恒雄(会津・松平容保4男) |
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3月7日 | ラインラント進駐 ドイツ軍、ヴェルサイユ条約で定められたライン川左岸非武装地帯に部隊を入れる 英仏、目立った反応を示さず |
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広 田 弘 毅 ∥ 官 僚 ・ 挙 国 一 致 ∥ |
3月9日 | 広田弘毅内閣成立 | |
3月13日 | 枢密院議長に平沼騏一郎副議長が昇任 | ||
3月23日 | 陸軍、二・二六事件関係者の処分と人事異動を発表 | ||
3月25日 | 日本・イタリア脱退のまま、第2次ロンドン海軍軍縮条約締結 |
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4月 | 吉田茂、駐英大使に任命 | ||
4月2日 | 広田首相が兼任していた外務大臣に有田八郎・駐華大使が就任 | ||
4月17日 | 内閣、天津の「支那駐屯軍」増強を決定 従前より3倍の兵力(5700余)に | ||
4月24日 | 軍部大臣現役武官制の復活を閣議決定 | ||
4月28日 | 二・二六事件、将校級の公判開始 | ||
5月4日 | 第69議会開院 | ||
5月5日 | イタリア軍、エチオピアの首都アジスアベバを制圧 9日、イタリア領東アフリカ植民地(東アフリカ帝国)の樹立を宣言 | ||
5月7日 | 民政党・斎藤隆夫代議士の「粛軍演説」 | ||
5月12日 | 内モンゴルの徳王、日本の支援で内蒙古自治政府を樹立 | ||
5月18日 | 軍部大臣現役武官制復活を公布 | ||
阿部定事件 | |||
6月 | 石原莞爾、参謀本部戦争指導課長(新設)に就任 満鉄経済調査会員・宮崎正義らと組織した日満財政研究会を使って、「日満重要産業五カ年計画」の作成に着手 |
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6月3日 | 帝国国防方針第3次改定 『帝国ノ国防ハ・・・米国、露国(「ソヴイエト」連邦ヲ示ス以下之二做フ)ヲ目標トシ併セテ支那(中華民国ヲ示ス以下之二做フ)、英国二備フ』 |
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6月4日 | フランス総選挙で社会党・急進党など左派系政党が勝利し、レオン・ブルム首班「人民戦線」内閣が発足 | ||
7月 | 張学良が西安で抗日同志会を結成、主席に就任する | ||
7月3日 | 永田鉄山殺害犯の相沢三郎中佐、死刑執行 | ||
7月5日 | 二・二六事件、将校級の判決言渡 12日に15名の死刑執行 | ||
7月10日 | 萱生事件(がもうじけん) 上海の共同租界内で民間邦人が殺害される |
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磯部浅一、真崎公判で証言台に立つ | |||
7月16日 | 二・二六事件以来発令されていた戒厳令解除 | ||
7月17日 | スペイン内乱勃発(~1939.3.28) 植民地モロッコで軍が反乱 瞬く間にスペイン全土を二分する戦乱へ |
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7月31日 | 1940年第12回夏季オリンピック開催地を決める国際オリンピック委員会(IOC) の投票がベルリンで行われる 東京(日本)がヘルシンキ(フィンランド)を36対27で下し、開催地に決定 |
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8月1日 | 第11回夏季オリンピック・ベルリン大会開幕(~16日) (「前畑ガンバレ」で有名な女子水泳決勝は11日に行われた) |
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8月 | 石原莞爾大佐、「対ソ戦計画大綱」作成 「ソ連のみを敵とすることに全幅の努力を払い」 「英米の中立を維持せしむるためにも支那との開戦を避けること極めて緊要」 |
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8月7日 | 四相会議で「帝国外交方針」を決定 五相会議で「国策の基準」を決定 |
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第十九章「広田内閣と西安事件」2/2 | |||
「成都事件」(8月24日) 「北海事件」(9月3日) 「漢口事件」(9月19日) 「上海事件」(9月23日) 日本人を狙ったテロ事件頻発 |
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9月19日 | 関門海峡トンネル起工 世界初の海底トンネル | ||
9月21日 | 陸海両相、広田首相に行政機構・議会制度改革案を提出 | ||
10月 | 岸信介、満州国国務院実業部総務司長に就任 | ||
10月1日 | スペインの反乱軍がフランシスコ・フランコ前参謀総長を国家元首(総統)に擁立 | ||
10月25日 | イタリア外相チアノ伯爵(ムッソリーニの女婿)がベルリンを訪問し、ヒトラーと会談 いわゆる「ベルリン・ローマ枢軸」関係のはじまり |
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11月 | 近衛文麿側近の知識人・政治家らが集まり、「昭和研究会設立趣意書」を発表 | ||
11月3日 | 合衆国大統領選挙でフランクリン・ルーズベルトが再選 | ||
11月7日 | 国会議事堂(現在使用されているもの)が落成 | ||
11月11日 | 楊樹浦(ヤンジッポ)事件 | ||
11月14日 | 綏遠事件 内蒙古西部の綏遠省(すいえんしょう)で内蒙古軍と中華民国軍が衝突 |
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11月16日 | 井上成美少将、永野海相の命により軍令部出仕兼海軍省出仕として兵科機関科将校統合問題の研究を開始 | ||
11月18日 | ドイツ・イタリアがフランコ総統の政権を承認 | ||
11月25日 | 『 日 独 防 共 協 定 』 調印 | ||
12月1日 | 山本五十六中将、海軍次官就任 | ||
12月3日 | 綏遠事件のため、川越茂駐華大使と張群外交部長の会談打ち切り | ||
12月5日 | 臨時全国ソビエト大会で「スターリン憲法」を採択 | ||
12月10日 | 英国王エドワード8世の退位を発表(「王冠を懸けた恋」) 王弟ヨーク公爵が新国王ジョージ6世として即位 |
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12月12日 | 西安事件 張学良の部隊が滞在中の蒋介石を襲撃 蒋は監禁される |
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12月17日 | 周恩来が西安入り | ||
12月22日 | 宋子文と宋美齢(蒋介石夫人)が西安入り | ||
12月24日 | 第70議会開院 | 蒋介石・周恩来会談 | |
12月25日 | 張学良・楊虎城、蒋介石を釈放 | ||
12月26日 | 蒋介石、南京に帰還 | ||
12月31日 | 張学良に対する軍法会議 懲役10年、公民権剥奪5年の判決 | ||
ワシントン海軍軍縮条約失効 列強各国、新型戦艦の計画・建造を開始 |
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昭 和 1 2 年 (1937年) | |||
第二十章「宇垣内閣流産」 | |||
1月9日 | 亡命先のノルウェーを退去させられたトロツキーがメキシコ入り | ||
1月21日 | 衆議院本会議において、政友会代議士・浜田国松と寺内陸相の間で「腹切り問答」事件 | ||
1月23日 | 広田内閣総辞職 | ||
1月24日 | 湯浅内大臣、興津に元老西園寺を訪う 西園寺、宇垣一成・予備役陸軍大将(前・朝鮮総督)を後継首班に推す |
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1月25日 | 未明、宇垣大将に大命降下 明け方より陸軍省・参謀本部に中堅将校が続々集合し、反宇垣の気勢をあげる |
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1月26日 | 杉山元(教育総監)・寺内寿一(陸相)らが相次いで組閣本部を訪れ、陸軍大臣不選出・組閣辞退を申し入れる | ||
1月27日 | 宇垣、湯浅内府に陸相選出の天皇大権発動を要請するも、湯浅承諾せず | ||
1月29日 | ≪ 宇垣内閣流産事件 ≫ 午前11時、宇垣参内して大命拝辞を上奏 |
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湯浅、西園寺の消極的承諾を受けて、第1候補として平沼騏一郎枢密院議長、第2候補に林銑十郎予備役陸軍大将を、後継首班に奏薦 平沼は辞退し、林大将に大命降下 |
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2月1日 | 「最後の大名」浅野長勲侯爵死去 (94歳 安芸広島藩43万石・第12代 貴族院議員・十五銀行頭取など 昭和天皇養育掛も務める) |
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林 銑 十 郎 ∥ 陸 軍 ・ 官 僚 ・ 右 派 小 政 党 ∥ |
第二十一章「第一次近衛内閣成立」1/2 | ||
2月2日 | 林銑十郎内閣成立 | ||
2月6日 | 満州国皇弟・愛新覚羅溥傑と嵯峨侯爵家令嬢・浩の婚約発表 | ||
2月8日 | 内閣、政綱を発表 「国体観念を愈々明徴にし、敬神尊皇の大義を益々闡明し、祭政一致の精神を発揚して国運進暢伸張の源流を深らしめんことを期す」 |
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3月1日 | 東条英機中将、関東軍参謀長に就任(板垣征四郎中将は広島第5師団長へ転出) 武藤章大佐、参謀本部作戦課長就任 石原莞爾は少将に昇進し、参謀本部第1部長就任 |
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3月31日 | ≪ 食い逃げ解散 ≫ 昭和12年度予算成立翌日の議会最終日、内閣は突如として衆議院を解散 |
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4月 | 尾崎秀実が昭和研究会に参加 | 山東省に「税警団」を派遣 | |
4月3日 | 東京・九段の軍人会館にて、愛新覚羅溥傑と嵯峨浩の婚儀 | ||
4月15日 | ヘレン・ケラー初来日 | ||
4月26日 | 西園寺、後継首相奏薦の任の辞退を申し出る 元老による首相奏薦権が、事実上内大臣へ移る |
スペイン内戦において、ドイツ・イタリア空軍によるゲルニカ爆撃(都市一般民に対する無差別爆撃の初例とされる) | |
4月30日 | 第20回衆議院総選挙 民政党179 政友会175 社会大衆党37 昭和会19 国民同盟11 東方会11 戦前最後の民主的議会選挙 |
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5月6日 | 飛行船ヒンデンブルク号爆発・墜落事故 | ||
5月21日 | 冀察政務委員会「国土盗売犯死刑令」発布 | ||
5月28日 | ネヴィル・チェンバレン内閣成立 | ||
5月31日 | 林内閣総辞職 | ||
近 衛 文 麿 ∥ 貴 族 院 ∥ |
第二十一章「第一次近衛内閣成立」2/2 | ||
6月1日 | 近衛文麿公爵に大命降下 真崎甚三郎大将の二・二六事件に対する叛乱幇助罪の公判始まる |
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6月4日 | 第一次近衛文麿内閣成立 近衛首相「全国民に告ぐ」のラジオ演説 |
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6月11日 | トゥハチェフスキー元帥を処刑 「赤軍大粛清」激化 |
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6月19日 | カンチャズ島事件 | ||
6月28日 | 近衛、木戸幸一に政治犯大赦につき相談 | ||
7月7日 | 盧 溝 橋 事 件 |
この期間の主な政府・軍部首脳
※ 書記:内閣書記官長 参謀:参謀総長 軍令:軍令部総長 内府:内大臣 枢密:枢密院議長
参謀 | 軍令 | 内府 | 枢密 | ||||||
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広田弘毅 内閣 1936年(昭和11年)3月9日 ~ 1937年(昭和12年)2月2日 | 閑 院 宮 載 仁 親 王 |
伏 見 宮 博 恭 王 |
一木 | 一木 | |||||
外務 | 広田弘毅(~36.4) 有田八郎 |
大蔵 | 馬場鍈一 | 内務 | 潮 恵之輔 | 湯 浅 倉 平 |
平 沼 騏 一 郎 |
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陸軍 | 寺内寿一 | 海軍 | 永野修身 | 書記 | 藤沼庄平 | ||||
林 銑十郎 内閣 1937年(昭和12年)2月2日 ~ 6月4日 | |||||||||
外務 | 林銑十郎(~37.3) 佐藤尚武 |
大蔵 | 結城豊太郎 | 内務 | 河原田稼吉 | ||||
陸軍 | 中村考太郎(8日間) 杉山元 |
海軍 | 米内光政 | 書記 | 大橋八郎 | ||||
第1次 近衛文麿 内閣 1937年(昭和12年)6月4日 ~ 1939年(昭和14年)1月5日 | |||||||||
外務 | 広田弘毅(~38.5) |
大蔵 | 賀屋興宣(~38.5) |
内務 | 馬場鍈一(~37.12) |
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陸軍 | 杉山元(~38.6) |
海軍 | 米内光政 | 書記 | 風見 章 |
関連項目
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