Prince(プリンス)とは、アメリカ合衆国のミュージシャンである。
概要
ファンク、ソウル、ロック、ヒップホップ等々様々なジャンルを横断し、唯一無二の音楽像を作り上げるその姿勢は、同じミュージシャンを含め多くの信奉者を生んでいる。
後述するように多くの逸話を持ち、その意味でも唯一無二。日本のファンからは「殿下」という愛称で呼ばれる。ちなみにこのPrince/王子という名前、なんと本名からきているらしい(本名は Prince Rogers Nelson)。
来歴
1958年6月7日、アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリスに生まれる。
1978年、弱冠19歳の時アルバム「For You」でデビュー。その後1年に1枚のペースで順調にアルバムをリリースし、1982年にかねてより組んでいたバックバンドと合体した「プリンス&ザ・レボリューション」名義のアルバム「1999」がヒット。1984年、自伝的映画「Purple Rain」が公開、同名のアルバム「Purple Rain」をリリース。共に爆発的なヒットを飛ばし、アカデミー歌曲編曲賞を取った。これによりプリンスの名は世界的に普及、本邦でもMTVなどを通じて知名度を得る。興行的にはこの年がプリンスの全盛期であると言える。
1993年、1年に1枚以上のハイペースで作品をリリースしていたプリンスは、かねてより契約していたワーナー・ブラザーズ・レコードとアルバム6枚分をリリースするという契約を再度結ぶ。これは契約金や待遇的にプリンス側にとって破格の条件であったが、同時にプリンスは創作内容に(以前から)口出しをされることを疎ましく思っており、ワーナー/プリンス間の溝は極めて深くなっていた。
1994年、アルバム「Come」によってプリンスは自らの死を宣言、その名称を男性記号(♂)と女性記号(♀)とを組み合わせた独自の記号へと改名する。この記号そのものに固定化された読みは存在しないため、「The artist formerly known as Prince(=かつてプリンスと呼ばれたアーティスト、通称 TAFKAP やジ・アーティストなど)」と呼ばれる。またプリンス本人はライヴに集まった観客が彼をなんと呼べばいいのか悩んでいるところへ、「プリンスと呼んでいいよ」と答えた、なる話もある。そんな混乱の中でも1995年にはファンの間で快作として知られるアルバム「The Gold Experience」をリリース。その中の楽曲「Endorphinmachine」は格闘技イヴェント「K-1」のオープニングで用いられ、日本において抜群の知名度を誇ることとなった。
1996年、変わらず驚異的なペースで作品をリリースしていたプリンスはついに彼としては待望であるところのワーナーとの契約条件6枚をリリースし終えた。以後は特定のレコード会社との継続的な契約を結ばず、基本的には自主レーベルからインディーズで作品を発表(特にインターネットを利用した配信については黎明期から積極的であった)し、時に1作品ごと単独でレコード会社と「合意」の上でアルバムを配給する、というスタンスを貫いている。また2000年に名前を元の「Prince」に戻した。
近年でも年にアルバム1~2枚という変わらぬ創作意欲を見せつつ、ライヴにおいては黒人音楽の偉大なる系譜に連なる巨匠としての風格を漂わせる。またアメリカ国内のみならず世界的に若手から多大なリスペクトを受け、ミュージシャンズ・ミュージシャンの筆頭としても上げられるであろう。
2016年4月21日、自宅で死亡しているのが見つかった。57歳だった。死因は鎮痛剤のフェンタニルの過剰投与による中毒死とされる。
逸話
――――と、偉大な天才アーティストと形容して差し支えのないプリンスだが、同時に変人大変個性的な人物でもある。以下にその一部を書く。
- 特に初~中期のころは、非常に卑猥な歌詞を書くことでも有名だった。初期には「16歳のボクが32歳の姉と……」とか「レズビアンのあいつに男のほうがいいって教えてやるぜ!」とか「結婚するんだ? じゃあヤレないから口で」とかエロ歌多数。
- ライヴやCDジャケット、PVなどでも初期はビキニパンツを履いたりケツを丸だしにしたり、全裸で風呂からでてきたり、まさしく変た……天才である。ちなみに前述したエロ歌詞も含めてセクシャルなパフォーマンスを近年は控えている(これは多々の理由からであろう。年が年だし、プリンス本人の宗教観の変化もある)。
- 背が低い。155cm。かつてグラミー賞のオープニングアクトでミュージシャンのビヨンセと競演したが、彼女と比較しても(ビヨンセ自身は170cmほど)プリンスの小ささは際立っており、特に一本のマイクで歌うシーンでは両者とも歌い辛そうであった。――ともあれ、その小柄な身体がステージ上できびきび動くからカッコイイのである。
- 大変多作な人物であり、どれぐらい多作かというと1年に1枚を原則にアルバムをだしているのにまだ足りず偽名使ったりプロデューサとして曲を作ったりしてもまだ足りず表にでない没曲が大量にあるぐらい。没曲はブートレグ(海賊版)として出回っており、その数は正規アルバムと同程度~それ以上。クオリティとしても「え、なんでこれリリースしないの?」と贔屓目抜きで疑問に思える曲もちらほら。どうやらアルバムのコンセプトに合わなければ容赦なくぶった切られるということのようだが……。
- 音楽方面では才能あふれるプリンスだが、映画方面では……。前述した「パープル・レイン」(大ヒット作)含め3作の劇映画を「主演:俺」として作っているが、特に「パープル・レイン」以外の2作はラジー賞獲得(「アンダー・ザ・チェリー・ムーン」)や大ゴケかつ評価も散々(「グラフィティ・ブリッジ」)と振るわない。ただしプリンスのディスコグラフィー上にある3つの映画のサントラはどれも必聴であるし、「サイン・オブ・ザ・タイムス」という同名アルバムの曲を中心としたライヴパフォーマンス(ドラマはあるがおまけ。あとどうやら映像に後からライヴ音声をダブしたものらしい)映画があるが、こちらは非常に評価が高い。
- 老けないことでも有名で、57歳で亡くなったはずなのに、晩年の映像でもどう考えても30代ぐらいにしか見えないのだ。その点、漫画家の荒木飛呂彦と似ている。――ちなみに荒木飛呂彦はとあるインタビューでプリンスをフェイバリットとして挙げていた。
- 故マイケル・ジャクソン、マドンナとは同じ年に生まれたため比較されることが多い。特にマイケルとプリンスはいわばライバルのように扱われることもあった(実際ふたりとも相手を意識していたようである)。実はマイケルの「BAD」は当初プリンスとの競演曲として作成されていたらしいが、プリンス側が断ったため実現しなかった、とのこと。また「We Are The World」にも参加予定であったが、レコーディングのさい事故によって間に合わず、結局マイケル自身が代役したらしい。
- 才能ある女性をフックアップすることが非常に多い。筆頭はシーラ・Eなどであろうか。まあ単なるスケベ心じゃね?とか、ぶっちゃけ愛人だったんじゃね?とか色々言われるものの、華を添えるという意味でも悪くない話ではある。
- 友人とされるラリー・グラハムに勧誘を受け、エホバの証人に入信しており、非常に熱心な信者とされ、変装して護衛を付けて自ら勧誘活動に励むほどである、なおライバル視されているマイケル・ジャクソンも「スリラー」以前は偶然ながらエホバの証人の信者であった(「スリラー」がサタン的だとされ破門されたが親族は現役の信者である)
ニコニコ動画とプリンス
プリンスはweb上における自分の著作物の違法流通には敏感で(ただし前述したとおり、webそのものに対してはむしろ積極的な活用をしている)、例えば最近はそうでもないが一時期などYoutubeのプリンス関係の動画が全滅していた。またこれは微妙に事実関係が錯綜しているものの、自らのファンサイトに対して画像などの無断使用をやめるように法的手段を匂わせながら圧力をかけ、ファンサイト側もこれに対抗――なる事件が数年前に発生している(返す返す、これは色々事実が錯綜しており、単純に「プリンス本人がファンサイトに自分の権利を主張して圧力をかけた」のだ、ということかどうかは不明。また今は和解している模様)。なおプリンスはこの事件をテーマにした曲なども作りiTune等で配信した。働きすぎである。
と、動画サイトには比較的厳しい態度を取っているプリンスだが、さすがに極東のいちサイトにまでは目が行かなかったようで、ニコニコにおいてプリンス関係はかなり多い。プリンス本人がPVの製作に熱心なことも含め、軽く検索しただけでも3桁を超える動画があるようだ。
プリンスを網羅的に検索したいのであれば、「Prince」タグが一番であろうか(関係のない動画もかかってしまうが)。また2011年2月現在、アルバムごとに関係する動画がタグ分けされているようである。これはAlbumのあとにハイフンを入れアルバム名の英題、となる(スペース変わりにハイフン。「ザ・ゴールド・エクスペリエンス」であれば「Album_The_Gold_Experience」)。 こちらのアルバムによるタグ分け一覧を網羅的に見たい場合は、例えば「Album」というキーワードを含むタグを検索し、候補から「Album_」で始まるそれを探す、という感じであろうか。
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関連項目
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