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吃音とは、”発語の際に連続して音が発せられる”や”瞬間あるいは一時的に無音状態が続く”など症状があり、
言葉が円滑に話せない疾病である。
概要
「どもり」ともいわれる。言語障害の一種である。
- 「お、お、お、お、お、おはよう」など言葉が連続して出る。
- 「おーーーーはよう」など、言葉が引き伸ばされる。
- 「お、………………」と言葉が出なくなる。
吃音の厄介なところは、どうしても慌てて喋ってしまい、口が追いつかなくなったり噛みやすくなってしまうことである。
慌ててしまう主な原因は、吃音を意識することで、吃音が出ないうちに話を終わらせようという本能が働いてしまうこと。
早く会話を終わらせるためには、早口にならなくてはならない。当然慌てているから言葉を噛みやすくなる。
こうなると、さらに思いつめて、さらない早く会話を終わらせようと頭が焦ってしまう。
この悪循環こそが吃音者の悲しくも辛い無限地獄である。
逆に、吃音が出にくそうな内容を喋ろうとして、内容が支離滅裂になるパターンもある。
とにかくそういった理由で会話そのものすらもしなくなってしまう。これもまた悪循環の一つだ。
かつては全く保険がきかなかったり、その認知度や意識の低さから誤った治療法・吃音改善を謳った詐欺行為が多発していた。
現在では多く解明が進んだものの、未だ状況が改善されているとは言い難い。
医療と手を切った状態が続いたことから、研究があまり進んでおらず、今でも保険のきくところは特定された場のみとなっている。
知名度の方も、現代になって尚も低く、よって吃音者のとりまく現状は依然と厳しいままである。
また、吃音は再発しやすいものでもあり、一度治ってもある拍子にまた吃音が発生してしまうこともしばしばである。
吃音との向き合い
そもそも吃音は症状もまちまちであれば、当事者の吃音症に対する認識や考え方すらもそれぞれで異なるもの。
ポジティブに捉え、気楽に生活したり、むしろ吃音と共存して暮らしたり、「いつか治る」と思って深く考えない人もいる。
逆に、ネガティブに捉え、吃音を絶望的な病と捉え、悩み苦しんだあげく欝になるような人もいる。
よって、「○○も吃音だったけど今は~~だから」という励ましの言葉は必ずしも適切な対応とは限らない。
「大丈夫」などといった言葉が逆に吃音者を追い詰めるパターンがあることも頭の隅に入れておいたほうが良いだろう。
そもそも吃音は人によって症状の軽重が異なるものである。
よって、無闇に自分や他人の症例や環境を重ねあわせてしまうのは、危険だと言わざるを得ない。
これは偉人をあげて励ます場合も同様である。
つまりは
「治るor大丈夫だから、あまり気にするな!」などと楽観・前向き志向を押し付けることも
「吃音を理解できてないだけだ!」などと悲観・後ろ向き志向を押し付けることも
言うまでもなく、お互いの心を傷つけあうだけで、恐らく何の解決にもならず不毛である。
これは非吃音者であればなおのことで
「友達の○○が軽く捉えてたから、彼にもそう言い聞かせるorネタにしてあげよう」と気安く問題に立ち入ったり
「○○はすごく悩んでいたから彼のことも頑張って励まそう」と必要以上に気を遣ったり……
こういった軽率な行動もまた、吃音者をあらゆる意味で傷つけてしまう可能性をはらんでいるのである。
何はともあれ、傷つけたくないのであれば、吃音とは千差万別で、人により対処をある程度変えていく必要がある疾病、ということを念頭に置いておくべきであろう。
強いていうなら、一番いいのは「気にするな」を言葉ではなく自然な態度や付き合い方で示していくことである。
言うまでもないが、吃音者をからかうことは十中八九イジメと何ら変わらない行為にしかならないご法度である。
が、残念なことに吃音をからかう者は多くおり、吃音イジメを苦に登校拒否、引き篭もり、果ては自殺する者もいる。
少なくとも、イジメのニュースを見て義憤にかられるような人であれば、そういった行為は厳に慎むべきだろう。
治療法
不幸なことだが、確立されているとは言い難い。
昨今は研究が進んだことで吃音がどういったものか、原因は何かなど、その性質はかなり解明されて来ている。
つまり、認知度の向上によって、意識の低かった時代と比べれば、吃音を治したいという人のために動いてる人が以前より増えたことは間違いないことなのである。
だが、ここで誤認してはいけないのが、現代医学において、吃音に確実な治療法は存在しないということである。
さらに先にも述べたように何かの要因で再発することも少なくない、厄介な疾病なのだ。
しかし、これを知らず「吃音なんて訓練・練習すれば治るのだろう」と考えている人もいる。
そのため、「吃音の奴は自分で治そうとする努力をしていない」として批判する無知な者が存在するのも現実である。
あと、「ゆっくりでいいから」と吃音者に冷静さを促す人もいるが、それが出来ないのが吃音なのである。
イジメとは違うとはいえ、これが吃音者を追い詰めることもあることは理解しておくべきであろう。
そのつもりがないなら尚更、そのつもりがあるのだとしたら己の道徳観を少し見直すべきやもしれない。
また、前述のように、「絶対的に改善する吃音解消術」といったような詐欺まがいのことをやっている輩が未だ存在するという、悲しい事実もあることもまた確か。
基本的に健康保険が利きづらいというのも、吃音の解消を望む当事者にとっては不幸な現実である。。そのため病院で治療しようとすると10万20万と決して安くはない治療費を請求されてしまうこともしばしば。
あげくにそれでまったく効果がなかったら金の無駄である。
治療に際しては十分なリサーチを行い、自分に合った治療法を探すのが望ましい。
太鼓判を押されているからといって、無理に自分の「認識」と合わない手段を取ると逆効果となることもある。
解決・対抗策
吃音とは、精神的なものが原因と言われている。
自信のないことではどもるが、自信のある事柄に関してはすらすら話せる人もいる。
また、歌・変声モノマネなどではどもらなかったりする人もいる。
精神的に抱えている問題を克服することで、吃音が治ってしまう場合もある。
よって、前述のように押し付けは良くないことだとはいえ、合理的に言えば改善への一番の近道は「吃音そのものを気にしない」ことに尽きるのである。
言葉を噛んだりすることは誰にでもあることであり、それで深く思いつめる必要はない。そして相手も、自分達が思っているほどにそれを気にしてはいないのだ。
また、一度や二度噛んだくらいで、負のスパイラルに陥ってはいけない。これが最も吃音者に多い点である。
喋るのを仕事にしているアナウンサーとて、ニュース原稿の速読みで、毎日のようにどこかの局のアナウンサーやキャスターが噛みまくっている。
だが、人間調子が良い時はあるもの。
もし吃音が出る日が少なかった時は、克服の糸口を掴んだ自分を認めてあげることも大事なことの一つ。
それを契機に「喋ること」に自信を付け、自分の喋るペースを身に着けて吃音とおさらばする人もいる。
………とはいえ、頭ではわかっていても実践出来ないのが人間であり、吃音者の性である。
しかし、そういった思考が出来ないからといって悩んでしまうのは、むしろ悪化の一途を辿るばかりなのだ。
自分に合わないと思ったら、その時点でそういった考えを捨てることは、吃音の悪化を未然に防ぐことになる。
吃音とはしつこいようだが再発しやすい。
一度治った→またちょっと言葉を噛みやすくなった→俺はやっぱり吃音なんだ!→逆戻り
は決して珍しい事例ではない。
人間たまには調子が悪いこともある。そう割り切って噛んだことを忘れることも大事なことだ。
また、基本的に吃音の症状が発生する場合、会話時の呼吸が上手くいっていないことが多い。
例えば「厚生労働省医療過誤死関連中立的第三者機関設置推進準備室室長(小説:田口・白鳥シリーズの登場人物役職より引用)」を口に出そうとしているとする。
この時、吃音者は呼吸なしで一発で言ってしまおうとしている人が多く、それでどもりやすくなってしまう。
すると、次の言葉を出そうにも腹に空気があまり残っておらず、困惑して言葉が詰まるのである。
これを回避するためには、まずゆっくり話すことが第一だが、ちゃんと会話の中で呼吸をすること、そして息を吸うためのポイントを頭の中で浮かべる、つまり句読点を打てばいいのである。
どこで句読点を打つかは、意味が通じればそれぞれの裁量で決めてしまって問題ない。
例としてあげるなら、「厚生労働省、医療過誤死関連、中立的第三者機関、設置推進準備室、室長」など、自分の頭の中で句読点を打った部分で息を吸うことが大事である。もちろん話し始めもちゃんと息を吸い込んでからにしよう。
短い会話や挨拶においても、最初にちゃんと息を吸わず、慌てて話すために吃音が発生し、言葉に詰まってしまう。
「○○さんおはようございます 今日も良い天気ですね」と、あまり余裕のない話し方だと高い確率で症状が出るので、まず頭の中に文章を浮かべたら、句読点を打ちながらゆっくり話してみよう。
日本人だけ見ても、比較的早口の人は多い。しかし吃音者はまず他人の目やペースに無理矢理合わせないことからスタートしなくてはいけない。大衆に流されず、自分のペースでちゃんと話すことが一番大事である。
現在の問題点
再三記すようだが、吃音はなかなか世間に認知されない病である。
ニュースやマスコミでもあまり特集されることがないのは、世間が吃音に無関心であるからに他ならない。
捉え方に差があることもあり、深刻な病気と見られにくいのも、世間が吃音を大変な病であると認識されない理由の一つである。
吃音のことを知っていても、その実害を安く見る人が今でもいるのは事実。
しかし、下記のスキャットマンすら、吃音に酷く苦しんでいた時代はアルコールやドラッグに溺れていたことがあるなど、人によっては死にたくなるくらい苦しいのが、この吃音である。
伝えたいことを思うように伝えられない苦しみは、筆舌に尽くし難い苛立ちと悲壮感を覚える。
これはまさしく当事者にしか気持ちが理解できず、インターネットなど無かった時代は、それを共有する環境すら存在しなかったのだから、過去の吃音者は地獄の責め苦に等しい苦難を背負ってきたのである。
もちろん今とて全てをインターネットで都合を済ますことが出来るわけではないので、吃音者が自分の口から物を言わないといけない時は、常日頃必ずやってくる。
こうして吃音者の中には、上手く喋れない苦しみに揉まれた結果、自分を責め続け、やがて人との関わりを避け、あげく引き篭もりになってしまう人も多い。最悪の場合自ら命を絶ってしまうこともある。
こうした現状が知られないのは、世間が「個人の精神の弱さ」と安易に切り捨てがちなことが一つの原因だと言わざるを得ないだろう。
こうした悲しい流れを少しでも解決するためにも、本記事で少なくとも「吃音という酷い病に苦しんでいる人がいる」ということを知ってもらえたのなら、そこから少しでも理解へと足を向けてくれることを願うばかりである。
スキャットマン
ポジティブに捉えたい人に薦める一つの方法論は、先人に勇気をもらうことである。
そこで、様々な人々を勇気づけるために曲を書いた”スキャットマン・ジョン”についても記す。
スキャットマンは自らが抱える吃音症の問題をスキャットにしてダンスミュージックとの融合を果たし、
「テクノスキャット」という唯一の音楽のジャンルを開拓した。
歌詞の中にも皆を元気づける歌詞が大量に含まれている。
曲には彼の世界観や器の大きさ、やさしさ、真摯な姿勢などが見て取れる。
スキャットマンのPVは十数年前のPVとは思えないほどのクオリティである。
それとともに歌詞、日本語訳を見て一緒に歌ってみるのはどうだろうか。
この、POPでかっこいいけれど、どこかかわいい”おじさん”は
スキャットを駆使しつつ自分の持っている”良さ”を存分に出している曲やPVなどは至高のものである。
「As a matter of fact don't let nothin' hold you back」
「If the Scatman can do it so can you」
悩みがある人はぜひ元気を出してほしい。自分に自信をもって生きてほしい。
同時にこの様な症状があることを広い意味で知ってほしい。
これを見ている人の心の支えや、知識の助けになれば幸いです。
ようこそスキャットマンワールドへ……。
声に携わる仕事をしている(元)吃音者
- 小倉智昭
アナウンサー。吃音克服のためアナウンサーを志す。今でも完治はしていない。 - 柴田秀勝
俳優・声優。た行を上手く発音することが出来ない悩みを抱えていたが、今ではある程度克服した。 - 三遊亭圓歌
落語家、2代目は天然の吃音。3代目は吃音者の落語をやるために吃音を真似するうち、本当の吃音者になった。 - 桂ざこば(2代目)
落語家。彼の落語やトークから、吃音を逆手に取って自身のキャラクターにしている様子が伺える。
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関連項目
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