学歴とは、学業の経歴である。
概要
自分の通った学校の学校歴のこと。従って、本来は「高低」がないことには留意すべきである。
学歴に関して話題になるのが、最終学歴、すなわち最後に通った学校の種別や名称についてである。
社会や日常の場面において、学歴が「人」を判断する材料として重みを持って扱われる場面は少なくない。
学歴の影響力
学歴が現実的な場面でとりわけ大きな意味を持つのが、新卒者が就職活動をする時である。
新卒採用において学歴不問としている企業もあるが、企業は高卒または専門卒以上、大卒以上という形で区切って採用条件にしている事が多い。また、表向きは学歴不問としながらも裏では学歴差別を行っている企業は多く、「学歴フィルター」としてたびたび話題になる。
ちなみに、先進国で比較すると高卒と大卒との給料の差は小さい方である。
高学歴
高学歴とは大学院卒の事という意見もある。しかし、特に文系において入試難易度≒偏差値が高い大学を出たか否かで判断される実情がある。そのためランクが低いとされる大学院卒者を「長学歴」と揶揄することが一部ではある。
高学歴の人間は優れていると期待される傾向にあり、ピックアップされることも多い。殊にこの傾向はテレビ・雑誌や受験関係のメディアに強く見られる。しかし、このような集団や個人の期待や特別視があるせいで、逆に対象の人物が期待にそぐわなかった場合は「高学歴なのに使えない」等、貶められる場合もある。
高学歴であることは普通多くのシチュエーションで当該人物にメリットをもたらす事が多いが、ダイレクトに良い人生につながるわけではない。難関大学・大学院を卒業しても就職に失敗してしまったり、入った企業・組織に馴染めずドロップアウトしてしまう事も非常に多くある。一方で、学歴が低くとも高学歴の者たちを押しのけて成功したり、学歴が関係ない世界で能力を発揮する者もいる。学歴が高くともそれを活かせるか否かは個人の様々な実力や運に左右されるのである。実際に「高学歴ワーキングプア」と呼ばれるような人もいる。
出身校によって形成する組織、所謂「学閥」が存在する企業・組織も存在する。
大学
日本では東京大学の卒業生が高学歴の代表であるという認識が広く共有されており、日本で2番とされる京都大学についてもまた同様である。しかし、それ以外の大学について、どこまで高学歴認定の範囲に含めるかは途端に曖昧になる。
東大京大以外にも名門・高学歴とされる大学は多くあるが、結局どの程度の大学出の人間が高学歴かは一様に定まっておらず、様々な場面や個人の主観、そして時代によって大きくブレる。
単に大学入試(偏差値)という一側面を見た場合でも、文理の差異、受験科目や入試方式の差異、合格者の辞退率、推薦・AO入試の有無や割合、内部進学の有無など各種評価要素が入り乱れる。入り口の評価以外にも研究実績、就職、立地、学生の気質など多くの、大学評価の切り口がある。このように様々な要素が混在する中、適当に一括りで大学を判断したり思い入れのある大学に肩入れし、大学同士を比べたり序列をつけたがる人間が少なくないため、しばしば微笑ましい大学評価バトルをネット上で見ることができる。
とりあえず大学叩きとかしたいんだったら2ちゃんねるの学歴板とかに行けばいいと思うよ。
大学全入時代を迎えた現在では、大学・学部を選ばなければ(経済的に困難である場合等を除いて)、実質誰でも私立大学に入学できる状況にある。そのため、所謂「Fランク大学」を卒業してたしても大卒の資格は得られるが、その他の点で意味をなさなかったり・評価されない事も多い。
以下、大学の出身校に関する話題に特に使われる学校群を指す用語を以下に述べる。
旧帝大/駅弁大学
国立大学を指す場合に使われる。前者は大正時代に創設された「帝国大学」の系譜を引き継ぐ大学を示す。後者は戦後に新設された国立大学を揶揄した言葉である。
早慶/MARCH/日東駒専
関東の有名な私立大学群を指す。入試の難易度等で別の大学を含めることもある。
関関同立/産近甲龍
Fランク大学
無名の私立大学を指す言葉であるが、差別的なニュアンスが強い。有名な大学でもこき下ろしたい場合に使われるケースもある。
人前で使う場合は注意が必要。
低学歴
ペーパー試験で良い成績を収める能力が低く結果を残せなかったか、良い成績を収める努力をせず結果を残さなかった。どちらか一方、または両方に該当する人物に対する蔑称。自虐的に用いる場合もある。
ネット上では、一流大学出身とされない者に対する罵声・煽り文句として使われる事が大半である。
高学歴でないことは必ずしも本人の能力・努力不足だけを表すわけではない。家庭環境等の要因で不本意な学歴に妥協せねばならなかった者もいる。また、中卒・高卒時点で将来の進路を考えた際、必ずしも一流大学等に進学する必要がない者が多くいるのは当然である。例えば、芸能界に進んだり美容師になったり消防士になるためには、一流大学に進むより相応しい場所で専門的な教育を受けるほうが賢明かもしれないのである。
とはいえ、10代で将来の目標が明確に定まっている者は少数派である。また、若者が就職活動等をする際に、これまでの生き方や能力を客観的に表すことができる指標はほぼ学歴とスポーツしか存在しないため、やはり学歴が低いよりは高いことに越したことはない。
この言葉はそれ自体が差別的ニュアンスを含んでいるから、人前で使うことは避けたほうがいいと思うよ。
専門学校・高等学校
大学・大学院等を卒業していない者は、最終学歴が専門卒・高卒であることがほとんどである。
日本では、中学校時点で学業成績が良い生徒はいわゆる進学校に進み、そのまま大学に進学するケースが一般的である。そのため偏差値上位の高校は全て進学校が占める構造になっており、さらに進学校の生徒が大学に進学しないケースは少ない。結果として専門卒・高卒は中・下位レベルの学力層がボリュームゾーンとなるため、学歴が単体でプラスの評価をされることは稀である。
進学校の基準や定義を巡っても、しばしば不毛なバトルが繰り広げられる。
学歴認定に関しては、大卒であっても出身の高校名が影響することがある。一流大学の出身者でも卒業した高校が一流進学校でなければ自頭が悪いと軽んじる一部の厨房もいる。
中学校・小学校
現在、日本では中学校を卒業した生徒のほとんどはそのまま高等学校・高等専門学校に進む。しかし、日本で成人に達している人口全体で見ると、小卒・中卒者の割合は約20%ほどである。
学歴社会
学歴社会とは、学歴がその後に人生に大きく影響するような社会である。
学歴社会のメリット
一般的に学歴が高い人ほど、知能や計画性、自己分析能力などが優れていてるため、応募者が多い企業ではフィルターをかけることで面接などの手間を省くことが出来る。
将来、幸せな生活を送るために親や子供自身が勉強に対して、積極的に取り組むようになる。実際に社会主義を試みた国や政権などが失敗に終わった理由のうちの1つとして、次世代が育たないことがあげられる。一方で格差が大きいシンガポールや韓国などは、教育水準が高く、国際学力調査、教育水準ランキングなどで上位を占める。
他者との競争により、自身の能力を客観視することができ、自身の長所や得意なものを活かした人生計画をすることが出来る。自身の能力を客観視出来ないまま、就職後や結婚後に後悔することを避けることが出来る。
学歴社会のデメリット
- 少子化へ繋がる
能力の低い人は自身への客観的な評価から遺伝子への期待値の低さや、塾や私立に通わせるほどの経済力のなさから子供を産まなくなってしまう。また、子供を産む家庭であっても、子供を1人だけに絞り、中学受験塾から私立中高一貫に通わせ、大学も4年間通わせることで子供を幸せにするという一連の流れが生まれ、男女2人から子供1人といったように、すべての男女が結婚し、子供を持つと仮定しても、人口が半減し続けるような仕組みが生まれる。実際にシンガポールや韓国など、学歴が重視される国ほど出生率が低くなる傾向がある。
関連項目
子記事
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