森鴎外(もり おうがい)とは、島根県出身の日本の小説家であり、戯曲家、陸軍軍医総監。特に夏目漱石と共に、明治期を代表する文豪として知られる。本名は森林太郎(もり りんたろう)。1862年2月17日生まれ、1922年7月9日没。
なお、名前の正確な表記は森鷗外であるが、「鷗」が環境依存文字であるため、インターネット上などでは森鴎外と表記されることが多い。
概要
明治から大正を生き、知の絶対性を信じ、日本の近代化を進めた官界の文人である。作家として、軍医として、2つの生を生きた。
昼は官界で職務遂行者として、夜は表現者としての顔を持っていた。上司や前任者との衝突など昼の怒りを鎮め、己を相対化し、浄化し救抜するために、夜は表現者になることで二生を生きた。
鴎外はまさに和魂洋才を生きた人である。白人の人種的優越感を嫌悪しながらも、生涯西欧の文化や政治状況を視野に入れていた。西欧の文化状況の紹介を持続的に行っていた。
鴎外は国家に関わりつつ、国家を制度上からも道徳上からも良くするために表現者として努力を続けた。明治の知識人はそれを責務だと考えていた。
科学技術文明の輸入による富国強兵の道をバク進する国家の近代化と、鴎外個人の抱え込んでいる精神文化を基とする近代化の方向とは、矛盾やズレが生じてくる。鴎外の明晰な頭脳と合理的思考はしばしば壁に突き当たり、その意味では時々刻々と挫折感を味わった生涯であった。
日本と西欧、科学と文学、伝統と革新、組織と個の対立は、軍医として官界に生きる森林太郎と、創作活動に従事する文界の人、鴎外という2つの生涯を同時に生きる森林太郎、鴎外をグラグラと揺さぶり続けた。
鴎外は社会的な事件に対して敏感に反応した。鴎外は最初から書くべきテーマを表現する作家ではなく、常にその世界にビビッと反応して表現者になっていった。
鴎外は「学問の自由研究と芸術の自由発展とを妨げる国は栄えるはずがない」(『文芸の主義』)と語っている。
鴎外の翻訳小説・戯曲はときに創作を補完する意味を持っていた。
昼の官事から夜の表現者(創作)への橋渡しが翻訳文学の口述であった。この口述というスタイルが官事の文体から小説文体への筆馴らしであった。
家庭では姑と嫁の対立に悩まされつつ、家長として一家をまとめる努力を怠らなかった。子供は特に可愛がった。
留学中の体験などを下に1890年代に書かれた「舞姫」「うたかたの記」「文づかひ」はドイツ三部作と呼ばれる。
来歴
森林太郎(鴎外)は1862年(文久2年)1月、山陰の小藩の身分の低い侍医の長子として生まれた。明治改元に先立つこと6年であった。鴎外の生涯はほぼ明治、大正のこの国のあり様と重なる。
明治政府は西南戦争が終わると国家の整備を本格化する。才能ある知識人育成のため、文部省派遣の留学制度を発足させたのだ。
鴎外は1872年(明治5)6月、父とともに上京し、親戚の西周宅に寄宿し、ドイツ語学習のため私塾・進文学社に入る。鴎外の上京には森家を興し、名を上げることが期待されていた。鴎外は1873年(明治6)11月、第一大学医学校予科(のちの東京医学校、東京大学医学部)に入学。それを経て1881年(明治14)7月東京大学を卒業。
1881年(明治14)卒業試験の最中に下宿上条の出火🔥でノート類を焼き、肋膜炎を患うとう散々な目にあう。そのためか7月、28人(予科入学時には57人いた)中8番の成績で卒業した。悪くない順位で19歳6ヶ月と一番若い学士であったが、鴎外の目標とした官費留学は無理だった。しかし鴎外のヨーロッパ留学の志は強かった。
学生時代、山東京伝、為水春水のロマンチックな恋物語や中国の才子佳人の物語を読む一方、滝沢馬琴や英雄・偉人たちの歴史や伝記、それらを詠じた漢詩(詠史)を好んで読んでいる。後者は立志への憧れを誘導したに違いない。
しかし鴎外の意思とは別に森家から西周へ、西周から親戚の軍医本部長へ鴎外の就職への依頼があり、9月には軍医に内定している。12月、鴎外は留学を断念し、軍医師として東京陸軍病院勤務についた。1882年(明治15)軍医本部庶務課へ異動する。
鴎外は陸軍省医務局へ入局し、1884年(明治17)8月から1888年(明治21)9月まで陸軍省から派遣されてドイツへ留学する。
秋以降、ブラーゲルのプロイセンの陸軍軍医組織、法規の実務必携書をもとに『医政全書稿本』の編術に従事し、1883年(明治16)3月、全12巻を完成した。こうして「勉強する子供から、勉強する学校生徒、勉強する官吏」(『妄想』)への道を確実に歩んでいく。
鴎外はドイツで実験に基づく実証を学んだ。自然科学の合理的、実証精神が西洋の文明の進歩を呼び込んだこと、また西洋の近代を創り上げた諸制度を支えてきた精神こそ<自由と美>にあることを確信して帰国した。
鴎外は日本的父性を切り捨て、欧米体験を持つ福沢諭吉や西周を父として日本の近代を生きていく。
帰国後、日本の近代化に向けて西欧体験のある衛生学者としての発言・提言をしていく。しかし当時の日本にはそれを受け入れる土壌ができておらず性急であった。鴎外は挫折を経験する。鴎外は「文明東漸してその物を伝え心を伝えず」とタメ息である。
鴎外は衛生学者としての発言と同時に、文学の近代化の目標を言葉による表現世界の革新に置いて翻訳・創作活動を展開していく。
軍医として作家として生きる鴎外の存在は、陸軍省内では目障りな存在であった。一元的な生き方に従わない鴎外は小倉へ飛ばされてしまう。鴎外は自分を医学者として見る人は小説家だから医学を話すには値しないと言われ、官職として見る人は小説家だから重事をまかせるには足りないと言って、成功をくじかれたのは何度もあると記している。
鴎外は小倉という僻陬の地にあって、ヒト・モノ・コトに邁進し、現実から学んでいく。そして逆境にあって、自己を見つめ直していく。この頃の逆境が晩年の栄光へとつながっていく。
(つづく)
家族
303 名前:チラシ メェル:sage 投稿日:2008/12/11(木) 11:50:17 ID:1DjEE4Xb0
森鴎外と愉快な子供たち
長男 於菟(おっと) 次男 不律(ふりっつ) 三男 類(るい)
長女 茉莉(まり) 次女 杏奴(あんぬ)
長男の子供
真章(まくす) 富(とむ) 森礼於(れお) 樊須(はんす) 常治(じょうじ)
DQNとかそういうレベルじゃないな
代表作
関連動画
参考文献
関連項目
- 15
- 2400pt