タレンティドガール(Talented Girl)とは、1984年生まれの日本の競走馬。鹿毛の牝馬。
ニッポーテイオーの妹で、マックスビューティの牝馬三冠を真っ向から阻んだエリザベス女王杯馬。
父*リマンド、母チヨダマサコ、母父*ラバージョンという血統。
父はイギリスの重賞4勝馬。種牡馬として日本に輸入されると、ダービー馬オペックホースやオークス馬アグネスレディー・テンモン、南関東三冠馬サンオーイなどを輩出し活躍した。タレンティドガールが産まれた1984年の春に死亡しており、彼女は最後から2番目の世代になる。
母は5戦1勝。タレンディドガールは第3仔。牝系を遡ると日本の基礎牝系のひとつである*ビューチフルドリーマーに辿り着き、その中でもチヨダマサコの牝系は現代に至るまで活躍馬を輩出する名牝系となっている。
母父はアメリカの2歳GⅠアーリントン・ワシントン・フューチュリティの勝ち馬。日本で種牡馬入りし、僅か3世代64頭しか残せず死亡してしまったが、その中から中央重賞馬を2頭出した。
半兄(父*リィフォー)に、「マイルの帝王」ニッポーテイオーがいる。
1984年4月27日、静内町の名門・千代田牧場で誕生。オーナーはその千代田牧場の代表・飯田正の妻で、母チヨダマサコの馬名の由来にもなった飯田政子。
馬名の意味は「才媛」。オーナーの飯田夫妻には若くして亡くなってしまった三女がおり、チヨダマサコの初仔の牝馬には「スリードーター」という名前をつけていた。ニッポーテイオーを挟んで2頭目の牝馬だった彼女の馬名も、才気煥発だった亡き三女にちなんでいるという。
※この記事では馬齢表記は当時のもの(数え年、現表記+1歳)を使用します。
後にヤマニンゼファーやイスラボニータを手掛ける、美浦・栗田博憲厩舎に入厩。デビューは4歳になってからで、1987年1月5日、中山・ダート1200mの新馬戦だった。菅原泰夫を鞍上に2番人気に支持されたが、半馬身差されて2着。中2週で向かった同条件の折り返し新馬戦も3馬身半ちぎられて2着に終わる。
中2週で東京・ダート1400mの未勝利戦に田原成貴を迎えて挑むと、上がり最速で差し切り1馬身半差をつけて快勝。続いて芝に切り替えて中山・芝1600mの桃花賞(400万下)に蛯沢誠治騎手で向かうと、19.7倍の5番人気に留まったが、ここも上がり最速の脚で突き抜け快勝。以後、蛯沢騎手が主戦となる。
これで桜花賞を目指し、フラワーカップ(GⅢ)に挑戦。しかしデビュー時432kgともともと小柄だったタレンティドガールは、この使い詰めローテでガレてしまい、このときは410kgまで減ってしまっていた。そしてレースは終始後方のまま11着惨敗。この惨敗で陣営は桜花賞を断念、オークスへ向けて立て直しに専念することになった。
優先出走権も持たない2勝馬の身ながら、どうにか優駿牝馬(GⅠ)の出走馬24頭に潜り込んだタレンティドガール。しかしこの年のオークスには絶対的大本命がいた。桜花賞を8馬身差で圧勝したマックスビューティである。距離不安が若干囁かれたものの1.8倍の断然人気。どうにか馬体重を416kgに少し戻したタレンティドガールは、35.1倍の11番人気。どう見てもその他大勢の1頭であった。
中団馬群の中でレースを進めたタレンティドガールは、直線で馬群の中を抜け出し、逃げ粘るクリロータリーを追いかける。しかしそんな彼女を大外からあっさりとかわして突き抜けていったのは、やはりマックスビューティ。タレンティドガールはクリロータリーを追いつめたもののハナ差届かず3着。最後は置いていかれるという結果に、蛯沢騎手は「仕掛けを早まった」と反省することになった。
惜しくも3着で収得賞金を積めなかったタレンティドガールは、3ヶ月休んで8月、函館の自己条件・漁火特別(900万下)で復帰。安田富男がテン乗りしたが、馬体重も428kgまで戻し、ここは4馬身差で貫禄勝ちを見せる。
牝馬三冠の最終戦・エリザベス女王杯を目指し、続いて当時は中山・芝2000m戦の4歳限定戦だったクイーンステークス(GⅢ)へ。鞍上も蛯沢騎手に戻り1番人気に支持されたタレンティドガールだったが、-14kgとまたガレてしまったせいか、ここを3着に取りこぼしてしまう。
11月1日、兄・ニッポーテイオーが天皇賞(秋)を逃げ切りGⅠ初制覇。千代田牧場にグレード制導入後初のGⅠを届けた。その2週間後の11月15日、妹・タレンティドガールはエリザベス女王杯(GⅠ)に臨んだ。1番人気はもちろん、神戸新聞杯で牡馬を蹴散らしローズSもきっちり勝って連勝を8に伸ばしたマックスビューティ。牝馬三冠へ死角なし、単勝1.2倍という勝ち確ムードだった。タレンティドガールは4番人気に支持されていたものの、単勝12.3倍。観客はみんな、前年のメジロラモーヌに続く2年連続の牝馬三冠の達成を見に京都競馬場へと集まっていた。
そんなマックスビューティを倒すため、栗田師と蛯沢騎手が立てた作戦はごくシンプルな正攻法だった。タレンティドガールは、瞬発力なら決してマックスビューティに負けていないと感じていた陣営の狙いは、「中団前目につけて、マックスビューティを徹底マークし、直線瞬発力勝負で差し切る」というものである。
そしてレースはタレンティドガール陣営の目論見がピタリと嵌まった。中団前目、マックスビューティとほぼ同じ位置を確保したタレンティドガールは冷静に折り合いをつけて進めた一方、マックスビューティは行きたがってしまい早めに進出を開始。3角から4角にかけて捲っていき、直線入口でもう先頭に立ったときは、このまま横綱相撲で押し切って三冠達成と、ファンはもちろん場内実況すら確信していた。
そのまま後続を突き放していくマックスビューティ。だが、そこにそれ以上の脚色で猛然と襲いかかったのがタレンティドガール! 陣営の信じた瞬発力で二冠牝馬を猛追し、並び、かわし、突き放した。2馬身差の完勝で、「究極の美女」の牝馬三冠の夢を打ち砕いたのだった。
栗田師は嬉しいGⅠ初勝利、蛯沢誠治騎手はこの年の宝塚記念(スズパレード)に続くGⅠ2勝目。兄に続いて妹が故郷にGⅠを贈ると、兄ニッポーテイオーはこの翌週のマイルCSも勝利。この年の11月のGⅠ5戦のうち3戦をこの兄妹で制したのであった。
タレンティドガールはこのあと、マックスビューティとともに有馬記念(GⅠ)に挑んだが、見せ場なく12着に撃沈(マックスビューティも10着)。翌年2月の中山牝馬ステークス(GⅢ)を5着に敗れたところで引退、故郷の千代田牧場で繁殖入りとなった。当時は古馬牝馬の目標レースなんぞ存在しなかったから、さっさと繁殖入りも致し方なしというところだろう。
通算11戦4勝 [4-2-2-3]。戦績だけ見るとエリザベス女王杯だけの一発屋だが、マックスビューティの伊藤雄二師をして「今日はどんな競馬をしていても、あの馬にはかなわなかった」と言わしめたその末脚は、ただの一発屋に留まらないスケールを感じさせるものだった。
というわけで故郷の千代田牧場で繁殖入りしたタレンティドガールだったが、どうも体質的に受胎し辛かったようで、16年間の繁殖生活のうち不受胎が7回、流産1回。
産駒は8頭に留まり、直仔で目立った産駒はセントライト記念とアルゼンチン共和国杯で3着があり1998年の菊花賞にも出走(15着)した……ことよりも1600万下での斤量不足による失格事件が有名かもしれないシンコウシングラーぐらいだった。
しかし8頭のうち6頭の牝馬が繁殖入りすると、まずは第5仔ライジングサンデー(父*サンデーサイレンス)が平地・障害両重賞制覇のエーシンホワイティを輩出。さらに第2仔エミネントガール(父Nashwan)の産駒グローバルピースが、ドリームセーリング・ホエールキャプチャ・パクスアメリカーナの重賞馬3頭を産むという大活躍を見せ、他にも悲劇の芦毛シゲルスダチなど、タレンティドガールの牝系は重賞クラスの活躍馬をコンスタントに出すなかなかの名牝系として現在も広がっている。
タレンティドガールは2008年11月13日、老衰のため安楽死の措置がとられた。24歳だった。
| *リマンド 1965 栗毛 |
Alcide 1955 鹿毛 |
Alycidon | Donatello |
| Aurora | |||
| Chenille | King Salmon | ||
| Sweet Aloe | |||
| Admonish 1958 芦毛 |
Palestine | Fair Trial | |
| Una | |||
| Warning | Chanteur | ||
| Vertencia | |||
| チヨダマサコ 1977 鹿毛 FNo.12 |
*ラバージョン 1971 栗毛 |
Damascus | Sword Dancer |
| Kerala | |||
| Evening Primrose | Nashua | ||
| Blue Grotto | |||
| ミスオーハヤブサ 1973 鹿毛 |
*パーソロン | Milesian | |
| Paleo | |||
| ワールドハヤブサ | *ダイハード | ||
| オーハヤブサ |
クロス:Hyperion 5×5(6.25%)、Lady Juror 5×5(6.25%)
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