メジロベイリー 単語


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メジロベイリー

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メジロベイリー

メジロベイリーMejiro Bailey)とは、1998年生まれの競走馬昭和から平成初頭にかけて日本競馬を大いに盛り上げてきたメジロ牧場が輩出した最後のGIである。

な勝
2000年:朝日杯3歳ステークス(GI)

2000年JRA賞最優秀3歳

概要

*サンデーサイレンス レールデユタン マルゼンスキーという血統。半メジロ牧場最後の天皇賞であるメジロブライトがいる。

サンデーサイレンスは説明不要の大種牡馬であるが、オーナーブリーダーであるメジロ牧場がわざわざこの血を入れたのには理由がある。サンデーサイレンスブライアンズタイムトニービンスピードに優れた新種牡馬の台頭と短距離マイル路線を充実させた中央競馬の番組改編が、春天制覇を標にスタミナを重視し、長距離障害競走を強みとしてきたメジロ牧場にとっては逆となってしまったのである。メジロブライトズブいせいで勝ちきれないレースが多かったし。

メジロ牧場としてもこの状態を打破すべく、80年代から社台を始めとしたメジロ牧場外の種牡馬の血も導入していたのである。本はそのなかの1頭であった。

有珠山噴火して避難したりもあったが、順調に成長したメジロベイリーは2000年9月新馬戦に出走し、ハナを切るも失速しての5着。このレースタイムなこともあり当初の評価はさほど高くなかったものの、1着がのちに日本ダービージャパンカップを制し年度代表馬になるジャングルポケット、2着が東京スポーツ杯3歳Sを制し上の藤田伸二騎手が「自分が乗った中では最強」と称したタガノテイオー、3着にのちに若葉Sを制す物差しダイイチダンヒル、この3頭から8馬身引き離された他4頭も全員勝ち上がるという実はハイレベルレースだったのである。その後中1週で出走した折り返し新馬戦はまたしてもタガノテイオーダイイチダンヒルの後を拝す3着、しかし2頭との差は3/4馬身にまで詰まっていた。1か後の未勝利戦も落としたものの、さらに1ヶ後の4戦でのちのダービー3着ダンシングカラーを制し勝ち上がり。

5戦には抽選を潜り抜けてGI朝日杯3歳ステークスに参戦。上は横山典弘に決まった。この年特に有力とされたアグネスタキオン(皐月賞)・ジャングルポケットクロフネ(NHKマイルカップジャパンカップダート)らはラジオたんぱ杯3歳ステークス(現・ホープフルステークス)に行ってしまったためやや層は薄かったが、それでも前述のタガノテイオーカルストンライトオ(スプリンターズステークス)らが出走してきた。そんな中で本な勝ちが未勝利戦ということで10番人気。1番人気タガノテイオーであった。

レース本番、メジロベイリーはタガノテイオーと並ぶようにして中団を進む。直線に入って先にタガノテイオーが先頭に抜け出すと、それを追うようにして群を抜け出す。そのまま失速したタガノテイオーを捉えて1着入線。実はタガノテイオー、残り200mで左足を骨折(2着入線後、予後不良と診断)していたのである。なにはともあれ、メジロ軍団として初めて朝日杯を制したのであった。ちなみに翌年に朝日杯フューチュリティステークスに改称されたため、朝日杯3歳ステークスとしては最後の王者である。

2歳王者として晴れJRA賞最優秀3歳(現在で言う2歳)に選出されたのだが、メジロベイリー147票に対し、ラジオたんぱ杯を圧勝しくも世代最強というも囁かれるアグネスタキオン2位119票と、かなり際どい票差だった。
そんなこともあり年齢表記が変わって再び3歳、が取れなかったクラシックし、また2歳王者の称号にかけてラジオたんぱ杯組を迎え撃つべ営はより気合を入れていた。

さて、天皇賞と並ぶメジロ牧場の悲願は、未だ未勝利ダービーを穫ることである。
久々クラシック補となったメジロベイリーに掛かる期待は大きかったようで、武邦彦調教師は「皐月賞叩きにするつもりでダービーしたい」といったコメントもしている。
しかし皐月賞に向けての調整に入ったが好事魔多し、体質の弱さや脚部不安を発症してしまう。実はメジロ牧場サンデーサイレンスを導入するとアクシデントにより大成できないが続いてしまっていたのである。本もその系譜からは逃れることはできなかった。
共同通信杯回避、皐月賞直行、ダービー直行など情報二転三転していたが、結局は全休しダービーを断念。脚部不安が回復した後、一度は菊花賞標にしてのでの復帰も報じられるも、調整が大幅に遅れたため年内は全休することに。

1年以上の休養を経ての復帰、白富士Sではコイントスの13着に惨敗したが、次の大阪城Sではサンライズペガサスの4着に入り復調気配を見せ、天皇賞(春)に乗り込むはずだったが……ここで屈腱炎を発症し再び長期休養、更に賞金の関係で準オープンに降級してしまった。
その後も復帰をしたものの回復の見込みがなかったようで、2004年10月に登録抹消引退となった。

この2001年クラシック世代、メジロベイリーが復帰した時点でアグネスタキオンクロフネ屈腱炎引退済み、スプリングステークスを制したアグネスゴールドもこの時点で入っていた長期療養から復帰できず引退、と、タガノテイオー含めて有力どころが次々に消えていったのである。

引退後は青森にて種牡馬となったが、産の中心地から外れていた上に産駒成績もいまひとつに終わり、2017年を持って引退。その後は青森県牧場にて功労として余生を送っていたが、2022年6月28日に老衰で亡くなった。享年24。

そしてメジロ牧場はメジロベイリーの後、21世紀にGIを制することはなく、2011年産事業から撤退。ひとつの時代の終わりであった。

血統表

*サンデーサイレンス
1986 青鹿毛
Halo
1969 黒栗毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
Wishing Well
1975 鹿毛
Understanding Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss
レールデユタ
1982 鹿毛
FNo.4-r
マルゼンスキー
1974 鹿毛
Nijinsky II Northern Dancer
Flaming Page
*シル Buckpasser
Quill
イツナミ
1974 鹿毛
*ラディガ Graustark
Celia
ハイビスカ *アドミラルバード
キクジユヒメ

クロス:5代内アウトブリード

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