メリーナイス 単語

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メリーナイス

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流星身。

流星の鮮やかな肢体が、ダービーゴールを駆け抜けたとき、2番は6身も離されていた。
根本騎手をして、「後ろの足音は聞こえなかった」と言わしめた。圧勝である。しかし、メリーナイスは、その負けっぷりも、また凄かった。その危うさが好きだったというファンが大勢いた。
軽やかな時代の風に乗った、新しいヒーローだったのかもしれない。

JRA「ヒーロー列伝」No.26 メリーナイスexit

メリーナイスとは、日本の元競走馬、元種牡馬であり、「最も幸運なが勝つといわれる日本ダービーグレード制成立以降の最大着差(6身差)で制し、悲劇の世代と呼ばれた同世代の1987年クラシック世代の様々な悲劇を垣間見ながら、自らは誕生から死まで何事もなく、寿を全うしたと言える年齢まで生きた、まさにダービー格言を体現したである。

な勝ち
1986年:朝日杯3歳ステークス(GI)
1987年:東京優駿(GI)、セントライト記念(GII)

1986年JRA賞最優秀3歳

※この記事はメリーナイスが活躍した時代に合わせて、年齢旧表記(現表記+1歳)で表記しています。

誕生~3歳

リムスキー ツキメリー シャトーゲイ
ノーザンダンサーの直子。良血と期待されていたがメリーナイス誕生までは今一つ産駒が走っていなかった。
は小牧場の持ちながら南関東競馬の強。そのにはJRA重賞勝ちもいるので芝にも対応可の良血。
ちなみにこの2頭の配合にはポリネシアン4×5、ハイペリオン5×5×5という多重インブリードがかかっている。

そんな中生まれたは、四流星(足元がく、額から先まで流星のようにい模様が付いている)の栗毛美しいだった。
の戦歴から地方競馬行きも想定されていたが、結局中央競馬デビューとなった。結局これが正解となるのであるが。

デビュー前から発力と均整のとれた体が評判となり、メリーナイスは期待の一頭となったいったのだ。その評判通り、上に騎手となる根本騎手を迎えた函館でのデビュー戦は快勝。その中には脇役ホクトヘリオスがいた。
2戦こそ出遅れてゴールドシチーの4着に敗れるが、3戦りんどう賞では今世代のサクラ軍団エースと評判のサクラロータリー突。わずか頭差で敗れるも、サクラロータリーとわずか頭差の戦を行ったことでますますメリーナイスの評判は高まった。そして次戦のいちょうSをあっさり勝つと、サクラロータリーとの再戦の舞台になるであろう朝日杯3歳Sへ駒を進めた。

迎えた朝日杯3歳S。1番人気はもちろんサク……あれ?ホクトヘリオス!?
実はサクラロータリー、その後府中3歳Sシンボリ牧場の大器マティリアルをも破って3連勝を飾ったが、骨折で戦線離脱していた。
レースはメリーナイスはホクトヘリオス追い込みを封じて1身半差で快勝。東の3歳王者となった。

4歳 ~日本ダービー

3歳王者となったメリーナイスだが、初戦のスプリングS(GII)は調教過程からトラブルに見舞われたりして9着惨敗。そんな間にもこのスプリングSを直線一気だけで制したマティリアル弥生賞(GII)の覇者サクラスターオーと新たなる皐月賞の有力が登場していた。

そして皐月賞でも調ではなかったのか7着と、2着以下が戦だったとはいえ、勝ちサクラスターオーにはちぎられてしまった。

そんなメリーナイスの状況が変わったのは日本ダービーが近づいてきてからだった。今年の日本ダービーには例年にはない「特典」が付いていた。それは

今年の日本ダービー優勝映画優駿」の主人公オラシオン」のモデルになる。

というものである。というのも、「優駿」の原作小説であるが、その場合の「オラシオン」の毛色は青鹿毛クライマックス日本ダービーでは手に握る写真判定となる。しかし、クライマックス日本ダービーシーンをそれに合わせてを集めて撮しても本来のダービーの迫力が出ないだろう。なら毛色やレース展開くらいは原作との違いにをつむって、実際の日本ダービーレース映像を使用してしまい、その勝ちを「オラシオン」のモデルにしてしまおう、というのが映画製作者の論見である。そして撮日程上、その「特典」がある日本ダービーに選ばれたのがこの年、1987年日本ダービーである。

さて日本ダービーの出走メンバーを移すと、まず皐月賞を快勝し、出走すればまず1番人気間違いなしのサクラスターオーは故障で出走断念。代わりに断然の1番人気になったのはマティリアルである。……だが皐月賞の走りを見ると調子は下降気味っぽく、後のサッカーボーイメジロブライトのような過剰人気臭が漂う。2番人気皐月賞2着で阪神3歳S(GI)を制しているゴールドシチー、3番人気毎度おなじみ関西秘密兵器ダイゴアルファ、4番人気にメリーナイスである。皐月賞で8番人気7着だったことを考えるとちゃんとメリーナイスが絶好調なのを見ていた人は見ていたのだろう。ただ、肝心な人がそれを見ていなかったのだが…。

日本ダービーレースはただ一言、先行策をとったメリーナイスが直線でぶっちぎった、ただそれだけである。2着サニースワローとの差、6身。グレード制成立(1984年)以降で日本ダービーを6身以上の着差をつけて勝ったはメリーナイス以外にはいない。そのようなを探すには、セントライト(8身)やメイズイ(7身)といったいにしえのを持ちだすしかない。
「このダービーに限っては、たとえサクラスターオー事出走してきたとしてもメリーナイスを交わすのは厳しかっただろう」と言われる事が多いのは、まさにこの着差ゆえである。
(ちなみに2着サニースワローは22番人気による大殊勲であるが、後に同じ生産者・馬主調教師騎手の組み合わせで10年後ダービーにあるで再挑戦する。しかも今度は皐月賞として二冠を賭けて。)

この勝利で「オラシオン」のモデルは確実なものとなったが、ここであるアクシデントが起こった。それは

メリーナイスのシーンを全く撮していなかった。

……何を言っているのか分からないと思ったあなたは正しい。だが、実際にそうだったのだ。なんと「優駿スタッフ1番人気マティリアルを終始撮し続けていたのだ。1番人気が絶対に1着になるとは限らないなんてバカでも直感的に分かりそうなことを……。
とはいえ、「今年の日本ダービー優勝映画優駿」の主人公オラシオン」のモデルになる」と大々的に宣伝をうった以上、後には引けず、オラシオン」のモデルはメリーナイスに決定。映画優駿」のその後の末はそちらの記事に譲る。大体予想はつくと思うが。

4歳秋~5歳

ダービー後は休養し、休養後はセントライト記念(GII)に出走、ここを快勝する。

そして迎えた菊花賞皐月賞サクラスターオーはぶっつけ本番。マティリアルは不振。ゴールドシチーは気性難で前走も逸走して失格京都新聞杯(GII)上位組は小粒感が否めず、神戸新聞杯(GII)組に至ってはマックスビューティに敗退。よってメリーナイスは単勝2.2倍の断然の1番人気に支持された。
しかし、肝心の上の根本騎手クラシックでの断然の1番人気というプレッシャーに押しつぶされてしまっていたのだ。なんでもサクラスターオーの東騎手の「に負けたら恥ずかしいぜ」という軽口に答えを返すことすらできないくらい緊していたらしい。そんな状況で騎手がまともにを制御できるはずもなく、ましてや舞台京都>芝3000mの菊花賞では致命的なものであった。メリーナイスは終始引っ掛かり、4コーナーで自滅し、9着に惨敗してしまった。

代わりに勝利したのは、なんとぶっつけ本番の皐月賞サクラスターオーである。

さらに有馬記念では古勢が手薄だったこともあり、サクラスターオーが断然の1番人気。メリーナイスも3番人気だったのだが、スタート直後に根本騎手を振り落とし落。前走緊に伝わって敗退したことを受けて、手綱を長手綱に変更したのだが、そのためスタート直後のつまづきに咄嗟に対応できなかったのである。
さらにサクラスターオーも故障により競走中止で予後不良(その後、療養の末に安楽死)。4歳クラシックがそろって競走中止という悪夢のような有馬記念となった。

その後5歳となった後もメリーナイスの成績は振るわず、目黒記念(GII)2着、天皇賞(春)14着、函館記念(GIII)2着とダービーとしては物足りない成績。そして函館記念のあとに故障を発症して引退した。

こうして様々な悲劇を見ながらターフを去ったメリーナイス。その後、彼の同世代であるマティリアルゴールドシチーが、ともに予後不良による安楽死となっている。彼らの死にサクラスターオーの死というクラシックでの活躍安楽死が合わさったため、この世代は悲劇の世代と呼ばれる(彼らは奇遇にも1987年皐月賞の1着3着を占めたである)。彼ら以外にもタマモクロスは生まれ牧場倒産している。しかし、「最も幸運な」が勝つといわれる日本ダービーのメリーナイスにだけはそういったエピソードが見当たらないのである。有馬記念の落は元をたどれば根本騎手のせいだし。

引退後、メリーナイスは種牡馬入りした。重賞勝ちを2頭出すなどまずまず堅実な成績を収めていたが、サンデーサイレンスの波が襲いかかり、それにノーザンダンサーの直系と多重インブリードというのが配合のしにくさを高めていた為、需要が減少し、最終的に1999年種牡馬引退。落した有馬記念優勝した因縁を持つメジロデュレンや、ドバイから荒尾までという波乱の競走生活を送ったワールドクリークなどと共に長野県スエトシ牧場で余生を送ることになった。(2007年ナイスネイチャらのいる北海道渡辺牧場に移動した)

そして2009年3月1日に疝痛のため25歳(現表記)で死亡サクラスターオーが亡くなってから約19年もの時が流れた後のことであった。まさにこの世代の他のとは一線を画す生を送った「最も幸運なだった。

血統表

*コリムスキー
Kolymsky
1975 栗毛
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Libro D Oro
1968 栗毛
Francis S. Royal Charger
Blue Eyed Momo
Exclusive Shut Out
Good Example
ツキメリー
1977 栗毛
FNo.4-m
*シャトーゲイ
1960 栗毛
Swaps Khaled
Iron Reward
Banquet Bell Polynesian
Dinner Horn
メリーブラット
1969 黒鹿毛
*テスコボーイ Princely Gift
Suncourt
コンチネンタル *フェリオール
ウラッキホマレ
競走馬の4代血統表

クロスNearco 4×5(9.38%)Hyperion 5×5×5(9.38%)Polynesian 5×4(9.38)

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