字は文遠。并州(中原で言うところの真北に位置する州)の出身で、前漢の臣・聶壹(じょういつ)の末裔に当たると伝わっている。
丁原、何進、董卓、呂布と何度も主を失ったが、その度に滅ぼした側に配下になる事を請われた名将。最終的には曹操の下に落ち着いた。世の奸雄達に仕えた稀な遍歴を持ちながら、蜀の軍神関羽と交友があり、下邳の戦い、官渡の戦い、赤壁の戦いなど三国志の大戦において活躍した。
張遼を語る上で外せないのがこの「合肥の戦い」である。
(後に真・三國無双追加DLコスチュームではイチローかドカベンの山田かに見紛う姿となる。)
呉軍10万に対し魏軍は僅かに7000。この劣勢を李典、楽進と共に防衛しこれを撃退している。
この時、張遼は800騎を率いて敵中に飛び込み、陳武を討ち取り、徐盛に怪我を負わせ、総大将の孫権を捕縛寸前まで追い込んだ。 しかし、難を逃れた孫権が張遼は寡兵であると知ると大軍で持ってこれを完全包囲した。
一転、窮地となってしまうが部下とともに奮戦、血路を開いて包囲を脱出する。ところが、敵の包囲の中に部下が取り残されている事に気付くと、なんと引き返して再突撃を敢行する。部下を救出した彼はもう一度包囲を破って脱出した。 この日、彼の部隊は半日戦い続けたといわれる。 魏軍将兵の士気は天を衝かんばかりに燃え上がり、呉軍は十数日の包囲でも合肥を落せず、何の収穫もなく撤退した。
呉軍が撤退し始めた事を知ると、張遼は楽進らと共に追撃戦を敢行する。 この追撃は苛烈を極め、敵陣深くまで切り込み、最後列で指揮をとっていた孫権の喉元まで到達する。 しかし、呉軍の凌統が死に物狂いの抵抗を行い、部隊全滅となるも主君を脱出させることに成功し凌統自身も生還している。 この時、河に掛かっていた橋が曹操軍によって落されていたため孫権は退路を失う。孫権は「落ちれば孫呉は終わる」と覚悟を決め、馬を走らせ、河を飛び越えた。これが世に言う「孫権飛騎」である。
戦後、投降兵に孫権の話を聞くと、楽進に「撤退する敵軍の中に孫権らしき人物を見た。奴を知っていれば今頃この手に首級を挙げていた物を」と悔しがったという。
この鬼神の如き戦いぶりは相対した孫権や江東の兵たちに相当のトラウマを植えつけたらしく、
「遼来々(張遼がくるぞ!)」 ※ただし正確には遼来遼来。遼来々は吉川三国志の造語である。
と叫ぶだけで呉の兵は浮き足立ち、死の寸前で病の床に臥せっていた時ですら孫権は「張遼が病程度でどうにかなるはずがない」と攻め込まなかった。
この活躍が元で、江東では子どもを静かにさせる時に「泣いていると張遼がやってくるぞ」と言い聞かせた。 これが「泣く子も黙る」の語源となったという。
張遼が合肥を守りきれなければ、魏の入り口である合肥を手に入れた呉は蜀と結託して魏を本格的に攻めることも可能であった。そうなった場合、呉の荊州進攻や夷陵の戦いはなく、魏を潰した蜀と呉による天下二分が実現していたのかもしれない。見方によっては、張遼が三国鼎立という状況を確定的にしたとも言えるだろう。
唐代の史館が選んだ中国史上64名将(『新唐書』巻15)のうちの一人に選ばれている。魏の将では他に鄧艾一人。
老若男女問わず人気が高く、蜀寄りまたは呉寄りの三国志作品においても実力下方修正やかませ犬的扱いされることがほとんどない。真・三國無双6公式人気投票では7位。
最終将軍職は前将軍・晋陽侯(曹丕代)。曹操の代では合肥の戦い後に征東将軍となった。(後に征東将軍の印綬を返還したと思われる)
上司、部下からの人望は厚く、曹操と同じ車に乗せてもらったり、曹丕からは、自分と同じ食事を賜ったり皇帝専門医をつけてもらったりした。
反面、同僚の李典、楽進とは仲が悪かったが、合肥の戦いにおいて私情を交えず国家のために戦った。
また、家族部下全員が厚遇され、家族には邸を建ててもらい、合肥の戦いの決死隊の部下は後に全員出世し近衛兵となっている。病床時には決死隊の部下が見舞いに訪れ道にあふれかえり、皇帝専門医をつけてもらった。
本人の性格は清廉だっと言われている。
同僚とは折り合いが悪い面もあったが、自分の非を認めたり礼儀を重んじることができた。
張遼は上記に挙げてある申し分のない武勇と経歴に加え、次の二点が揃っていたため、乱世の中で勝ち組となることができたのではないかと思われる。
武勇経歴がすごい人物は当時多くいたが、上記二点が揃わず悲劇の末路を迎える者も少なくなかった。
曹操の息子である曹植が詠んだ「白馬篇」のモデルは北伐時の張遼と言われている。
史実では病死だが、演義では一年長く生きていて曹丕をかばい丁奉から受けた矢疵がもとで陣没とされている。
張遼死後、合肥の守りはディフェンスに定評のある満寵が継ぎ、呉の侵攻を許さなかった。張遼の子である張虎も武将として任を果たした。正史の記述では孫に張統がいるとされ、子孫は続いていたようだ。
張遼の容姿において明確な記述はないが、記述された文献は「白馬篇」以外には「絵本通俗三国志」において描かれている。その記述は次の通りである。
呂布配下で曹操軍と対峙した時には、『面紫玉の如く目は朗らかな星の如く、年二十歳にして~』と記述されている。
張遼の子孫については、正史三国志に子の張虎(ちょうこ)のことが記載されている。張虎は父の死後、後を継いで偏将軍にまでなった。張虎の死後は、子の張統(ちょうとう)が後を継いでいる。
『三国志演義』では張虎は楽進の子である楽綝とコンビを組んで司馬懿の配下として登場する。司馬懿の信任を受けたそれなりに優れた将であるはずであるが、(『三国志演義』の世界では)諸葛亮の知略の前に翻弄され、敗北ばかりとなっている。
曹操の参謀・軍師として、アニメ版の赤壁の戦いでは助言をしている。演義通りの活躍だが呂布軍での描写はなく、李典やホウ徳より出番が少ない。ただし、かっこ悪い描写は皆無である。
最強を求め続けている武人。名セリフが多く、この漫画をきっかけに張遼ファンになった人も多い。
ニコニコ動画では、三国志を題材にしたゲーム・漫画の登場人物として扱われる。
その中でも、iM@S架空戦記シリーズの先駆けである呂凱Pの「閣下で三国統一をめざしてみる」で劇的な登場・活躍を果たしたこともあり、同シリーズに続いた各シリーズでも頼れる名将であったり、手強い好敵手として登場するなど概ね良い扱いをされている。
特に「閣下で三国統一をめざしてみる」や「三国志アイドル伝」で名将ぶりを発揮している。
ニコニコ動画ができる前から山田と呼ばれている三國無双シリーズの愛されキャラの一人。
ステキ帽子なカイゼル髭。シリーズ5、6作目以外は鎧にフリルがついている。
山田とは、
理由は真・三國無双2と5における無双乱舞台詞「邪魔だぁッ」が「山田ぁっ」に聴こえるため。真・三國無双6のストーリーにおいて「邪魔」が「山田て~」と聴こえる。
魏LE&SR張遼(神速の大号令)、群雄R張遼(シユウの如く)がある。魏LEは蒼天航路のものでセリフも原作から引用している(一部汎用あり)。神速は使いこなせれば上級者を自負しても良いほど、扱いが難しいが人気はある。
住民層が違うのか山田とはあまり呼ばれない。
活躍はほぼ演義通り。三部作全てにおいて出場。敵味方ながら関羽と友情に結ばれている。
さらしに袴、上着は羽織るだけという出で立ちの関西弁な姉御肌の人物として登場。
張遼ゲルググとして登場。活躍する主要キャラクターはガンダムデザインが多い中、 史実で多くの人物との接点が多い為、大活躍していた。 アニメでは彼が主役の回があった。
他作品と違い呂布との別れが特殊。
魏、呉陣営に非常に風当たりの強い展開の中、チート補正がついている蜀陣営に互角の戦いを見せた。
作品の中では悪の幹部とされているが、物語の重要人物とされ強敵として描かれている。
掲示板
169 ななしのよっしん
2018/06/25(月) 06:51:56 ID: P+nnusWbnj
呂布時代までは1部将かも怪しいクラスで、それを取りたてた曹操凄いって話もあったような…忘れたけど
張遼と高順が看板みたいなのは少なくてもねつ造なんだろうなと
高順も良将だけど嫌われてたし権限持って無さそうだしな…
170 ななしのよっしん
2018/06/25(月) 07:06:01 ID: wr0CeNU2oI
どこでそんな間抜けな事言ってるのかは知らんが、董卓の段階で「得千餘人」していて、呂布に従うのも曹操に振るのも「自分の兵ごと」そうしてるぞ
正史の記述見ると従属勢力の張遼派って感じ
171 ななしのよっしん
2019/06/16(日) 00:10:55 ID: 7hGwCLnLfc
横山光輝三国志読み直したけど一貫して優秀な武将として描かれてたな
マイナス描写のない唯一の武将じゃないかってくらい
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最終更新:2025/01/14(火) 01:00
最終更新:2025/01/14(火) 01:00
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