「貴方が司令……かあ。ふうーん。
ま、いいわ。私がやったげる!」
朝雲とは、「艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する、大日本帝国海軍の朝潮型駆逐艦5番艦「朝雲」をモデルにした艦娘である。
2014年秋イベント「発動!渾作戦」で実装。クリア報酬ではなくE-2、E-3、E-4のボスマスでのドロップでのみ入手可能だった。そのためE-4まで攻略後、朝雲掘りに精を出す提督の姿が多々見られた。現在は1-6のBマス(下ルートの最終戦闘マス)とJマス(上ルートの一番上のマス)でドロップする。
朝潮型の5女で、名前が彼女から「○雲」シリーズになっている(8番艦の「峯雲」まで)。朝潮から荒潮までの姉たちとほぼ同じ制服にランドセル型艤装の私立小学生スタイル。なお中破すると解るがスカートの下はスパッツである。繰り返す、スパッツである。また中破時の胸元(ジュニアブラ?)にライオンのマークがついているが、なぜライオンなのか由来は不明。
長めのツインテールの似合う、元気のいい女の子で、若干ツンデレ気味だが面倒見のいい幼馴染タイプ。その提督との距離感は、明るい初風、あるいは素直な満潮と表現すべきだろうか。しかしそれより台詞で目立つのが、出撃、図鑑、時報などでしょっちゅう名前が挙がる盟友・山雲の存在で、山雲のマイペースさを何かと気に掛けている。実装当初は山雲が未実装だったので、いない子についてやたらと語る子になってしまっていた。その後実装された山雲の方からはかなり愛されている模様。また霧島のワシントンとの殴り合いを目撃し、沈没した霧島の乗員を救助した史実からか、霧島を尊敬している様子。霧島組構成員?
ステータスでは改造前の運が8と低め(改造すると12になり標準値になる)。改造レベルは35と若干高めだが、レアな12.7cm連装高角砲(後期型)を持ってきてくれる。また改にすると表情が笑顔に変わる。かわいい。時報も追加され、提督にご飯を作ってくれたり山雲の世話をしていたりと面倒見のいい様子が見られる。非常にかわいい。
髪型や髪色、服装が2代目エラー娘によく似ているが、関係は不明。
担当絵師が藤川氏のためか朝潮型としては限定グラフィックの実装が多く
2016年の12月22日にサンタ衣装(何気に通常時から後ろ向きという珍しい構図)
2017年10月25日の73年前のスリガオ海峡突入の日に山雲と共に『スリガオ海峡突入mode(秋冬制服)』が実装。後に11月17日の秋イベントの開催に合わせて姉の満潮改二にも実装された。12月11日の秋イベント終了後は白鉢巻を外した姿になっている。
他の艦との関わりを述べる前に、朝雲は「第9駆逐隊」に強い帰属意識を持っており、事あるごとに「第9駆逐隊」所属を自称している。また、図鑑で「そう、第9駆逐隊。有名でしょ?え、知らないって?私、冗談ってあまり好きじゃないの。覚えておいてよ!」とまで言っているのだが、ゲーム内に第9駆逐隊(大東亜戦争開戦時)所属艦が実装されたのが彼女が初のため、知ってる提督が少なかったのは当然といえば当然の状況となっていた。例え第10駆逐隊に移籍して24年夏イベ『新MO作戦』で風雲と共に友軍艦隊で来援しても、第4駆逐隊に移籍して西村艦隊に配属になっても(例:17年秋イベ)ゲーム中では頑なに「第9駆逐隊」所属を自称していた。(2期アニメについては下記)
「発動!渾作戦」終了後、2014年の年末、通常海域に第9駆逐隊創設メンバーの山雲が配備され、それから4年後に峯雲、更に2年後に第一水雷戦隊に転属後に僚艦となった吹雪型薄雲、サービス開始10年目に9駆初期メンバー最後の艦として夏雲がそれぞれ実装された。これにより、初期から実装され2か月ほど僚艦となった霞や一水戦時代の僚艦・先輩の薄雲・白雲を含め、2023年夏イベまでに全艦が勢揃いした。
朝雲本人のセリフでは山雲にしか言及がないが、夏雲のセリフ中に朝食の片付けや夕食の差し入れで登場し、何かと世話焼きな朝雲の性格がより深められる結果となった。山雲が朝雲べったり、峯雲が白露型の村雨べったりのため、どうしても夏雲が浮いてしまうこともあるが、朝雲が戦没した夏雲乗組員を救助した縁があることも踏まえた結果と思われる。
アニメ艦これ2期(「艦これ1944・いつかあの海で」)には主役「時雨」の西村艦隊僚艦として出演し、艦娘に転生して9年目にしてようやく「第4駆逐隊」所属を作中で名乗った。
朝雲は1936年12月23日、神戸川崎造船所で起工。1937年11月5日に進水、1938年3月31日に竣工。第41駆逐隊(後の第9駆逐隊)に所属した。太平洋戦争開戦時は第二艦隊第四水雷戦隊に所属。ちなみに当時、旗艦「那珂」に座乗していた四水戦司令は西村祥治少将。そう、のちの西村艦隊司令官である。
開戦直後はフィリピン攻略作戦に従事。12月18日、リンガエン攻略作戦の支援中、米潜水艦「S38」を攻撃するが取り逃がす。翌1942年2月27日のスラバヤ沖海戦では、「峯雲」とともに米駆逐艦「エレクトラ」に主砲を命中させるものの、朝雲自身も命中弾で航行不能となり、「峯雲」に守られて退避した。(修理中第9駆逐隊旗艦の任は「夏雲」に委ねた。)
修理完了後、ミッドウェー海戦に参加。その後は北方に回ったり、第二次ソロモン海戦に参加したり、ガダルカナル島輸送作戦に従事したりと各地を駆け回った。10月25日、四水戦の「由良」が戦没、旗艦の「秋月」も中破したため、31日から朝雲は臨時に四水戦旗艦を務めることになった。
四水戦旗艦となった朝雲は第三次ソロモン海戦に参加。第一夜戦では敵艦隊に探照灯を照射し、「村雨」による米駆逐艦「バートン」撃沈をアシストした。また「霧島」と「ワシントン」の殴り合いのあと、沈没した「霧島」の乗員の救助にあたった。帰投後、四水戦旗艦の座を「長良」に譲る。
1943年2月28日、朝雲は「白雪」「浦波」「敷波」「朝潮」「荒潮」「雪風」「時津風」とともに輸送船8隻を護衛する第八一号作戦に参加。3月3日、連合軍機の襲撃を受け、反跳爆撃で輸送船は全滅、護衛艦も姉の「朝潮」「荒潮」に加え「白雪」「時津風」が失われるという大惨事(ビスマルク海海戦、通称「ダンピールの悲劇」)の中を朝雲は無傷で生き残り、生存者の救助にあたった。この作戦に対して朝雲艦長の岩橋透中佐は作戦終了後、「こんな無謀な作戦は日本民族を滅亡させるようなものだ、よく考えてからやれ!」と第八艦隊司令部に怒鳴り込んだという。
2日後、ビラ・スタンモーア夜戦で「村雨」「峯雲」が撃沈されたため、第9駆逐隊は朝雲1隻となる(「夏雲」は前年10月に戦没、「山雲」は前年5月に予備艦となり後に第4駆逐隊に編入する。)。
ダンピールを生き延びた朝雲は、同年4月1日付で北方を担当する第五艦隊・一水戦に異動となり、9駆は吹雪型の「薄雲」「白雲」を加えた。7月のキスカ島撤退作戦に参加。「木曾」「薄雲」「響」とともにキスカ島へ入港、476名を収容、救出した。9月1日付で第9駆逐隊は、前年7月の潜水艦襲撃により損傷し解散した元18駆の姉妹艦「霞」が加わり4隻体制に復帰するが、今度は朝雲が10月31日、「風雲」「秋雲」の残っていた第10駆逐隊に編入される。
1944年は「大和」の護衛などを務めたのち、渾作戦に「扶桑」の護衛として参加。その前後、第10駆逐隊は「秋雲」「風雲」が失われ、再び朝雲1隻のみとなり解隊された。朝雲は「野分」「満潮」「山雲」の第4駆逐隊に編入される。
そして10月、レイテ沖海戦。朝雲は「満潮」「山雲」とともに西村艦隊に編入され、「山城」「扶桑」「最上」「時雨」とともにスリガオ海峡へ突入。しかし「満潮」「山雲」とともに魚雷艇の雷撃を受け、朝雲は艦首を吹き飛ばされ戦闘不能となる。なんとか海峡を離脱しようとしたが、米艦隊に追いつかれ撃沈された。沈むその時まで反撃を続けた戦いぶりは米軍側からも賞賛されている……のだが、脱出した乗員の乗った内火艇は米駆逐艦に撃沈されてしまい、艦長以下30名前後の生存者が辛うじて漂流中の別の内火艇に移乗して脱出、米軍の捕虜となった。翌年1月10日除籍。
戦後、その名前は海上自衛隊の護衛艦「あさぐも」(1967年就役、1998年除籍)に引き継がれた。
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2014年秋イベント 「発動!渾作戦」新規実装艦娘 | ||
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最終更新:2024/12/03(火) 02:00
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