山雲(艦これ) 単語

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ヤマグモ

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「いけませんわ~ そこはデリケートです~
爆雷は、センシティブですから~」

山雲やまぐもとは、「艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する、大日本帝国海軍朝潮型駆逐艦6番艦「山雲」をモデルにした艦娘である。

CV堀江由衣キャラクターデザイン藤川

概要はっけ~ん。撃ち方~、始め~

にあたる「朝雲」がその名を連呼していたことから、実装が待望されていた「山雲」だったが、「舞風」と「野分」の例から実装は相当先になるのでは、という観測もあった。

そんな最中、事前予告では「足柄改二」の実装のみだった2014年12月26日アップデートで、新艦娘として「山雲」の実装が告げられ、界は一斉に沸騰した。

しかも、そのツイート告知によると「新年最初のメンテまでは、中盤以前の域でも特別に邂逅です」となっていたため、彼女ドロップするという報告が上がった域のうち、較的簡単と言われる1-5や3-3、3-5に提督達が殺到することになった。
冬休み期間のイベント2014~15年の年越しにはなかったため(1年前はアルペジオイベントの最中だった)、ヒマを持て余していた提督達にとって「山雲掘り」が一種のイベントとなった感は否めない。
だが、ボスS勝利ドロップのみ、と言われる条件を勝ち抜いて「山雲」を事に手に入れられた提督もいれば、三桁以上のS勝利を重ねても彼女の姿を見ることができずする提督も少なからずいた。

そんな「山雲」は、の「朝雲」とは対照的におっとりぽややんとした雰囲気を漂わせており、間延びしたしゃべり方と「ねー」という口が特徴的。そのマイペースっぷりから「」とも。趣味ラバウルで教えてもらった家庭菜園

装は朝潮型共通のブラウスに灰色スカートだが、胸元には薄格子柄スカーフを付け、同じ薄カチューシャリボン(というよりシュシュ?)でを整えているお洒落さんである。
ちなみに、中破絵を見る限り非常に坦である。

このの「朝雲」と同じく、改造すると表情や装備などが少し変化する。細かい点が色々と変わっているので図鑑などで見べてみるのも一

朝雲」がなにかにつけて「山雲」を気に掛けているのに対して、「山雲」の方も「朝雲」と1日2回『デート』するのを楽しみにするなど、かなり懐いている模様。しかし、

  • 1回デートに向かう際には途中で「扶桑」「山」を発見し、何故かおが痛くなってしまい提督の下に戻ってしまう
  • 2回デートに向かう際には「朝雲」が他の男性(?)と歩いているのを見てしまい、何故かが出て戻ってきてしまう

メンタルが脆い部分が所々に見受けられる。なお、この際朝雲が出会っていた男性

等の説が上げられて居るが、詳細は不明である。

ちなみに、その「朝雲」によると「山雲」は、「ちょっと変わってるけど」「悪い子じゃないから、本当よ。私が保します!」「あの子、本当、時々妄想世界に行くのよね。いや普段は普通よ…うん…」だそうである。

ところで「山雲」は、艦これでもお染みとなった西村艦隊の最後の一人でもあり、これで西村艦隊全員艦これ実装されたことになるのだが、艦これで1艦隊は6人というシステム上の縛りがあるため、史実通りに7人を並べることは出来なかったりする

・・・だったのだが、2017年の「捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(前篇)」にて第三部隊を7隻体制に出来るシステムが導入。期間限定域開設期間中限定ではあるが西村艦隊えての運用が出来るようになった。また、それに先立つ17年10月25日アップデート朝雲満潮改二(満潮11月17日12月11日イベント時のみ)とおいのジャケット鉢巻を身に着けた『スリガオ峡突入mode』が実装12月11日イベント終了後は鉢巻を外した『制服』になっている。

2022年放映の「艦これ」いつかあの海でにおいてもスリガオ峡突入時の第一遊撃部隊第三部隊(1YB3H→西村艦隊)出撃の際にも使用している。アニメ版では朝雲とは「あさちゃん」「やまちゃん」と呼び合っている(ゲームでは「朝雲」「山雲」呼び)

2019年4月ローソン鎮守府コラボキャンペーンで各鎮守府・警備府ゆかりの土地でのラッピング店舗展開の際にはキャンペーンガールとしてローソン制服を着た山雲が店頭(のぼり)をる事になった。艦これサービス開始6周年と彼女が6番艦であるのが起用の理由だが・・・接客大丈夫なんだろうか?

やだやだ山雲、史実には弱いのよ~

朝潮型駆逐艦6番艦「山雲」は、1936年11月4日大阪永田所で起工した。1937年7月24日に進し、1938年1月15日工、横須賀鎮守府に配属された。完成後、7番艦「」の工に伴い第41駆逐隊を結成。後にその第41駆逐隊名前を変えて第9駆逐隊となる。同駆逐隊にはの5番艦「朝雲」、にあたる7番艦「」8番艦「峯」がいた。
その後、第9駆逐隊軽巡那珂」が率いる第四水雷戦隊に配属され、1941年8月23日寺島へ集結。第二根拠地隊官の広瀬末人少将を乗せ、戦備を整える。そして運命太平洋戦争に突入していく。

開戦日となった12月8日、「山雲」はルソン峡中央部に進出しバタン諸攻略支援。二日後にはカミギンサン・ピオキント攻略支援する。その後、14日に基へ帰投。22日からリンガエン湾上陸作戦支援に当たった。
しかし、開戦々となる1941年12月31日、先述のリンガエン湾上陸作戦支援中に(味方の)機に触れて大破、機械室が浸し航行不能となる重傷を負う[1]。これにより内地への帰還を余儀なくされる。1942年正月、損傷した「山雲」は特設砲艦「南丸」に航され、セント・トーマス入港。現地で特設工作艦「山彦丸」から応急修理を受ける。その後、航されて香港へ入港し、再び応急修理を受ける。4月6日、ようやく横須賀に帰還した。さっそく本格的な修理が始まり、「山雲」は戦傷を癒した。

しかもその間の42年5月15日には、第9駆逐隊から除名されてしまい、11月1日に予備艦として横須賀鎮守府直属となる。
(その後の第9駆逐隊については、「朝雲」の項を参照されたし)
山雲」が修理を受けている間にミッドウェー海戦ガダルカナル島争奪戦が生起し、戦局が大きく変動した。

10月1日修理了。続く10月7日、推進軸を破損して航行不能になった駆逐艦萩風」を航して横須賀へ帰投。
12月10日乙一号輸送作戦のため特設巡洋艦「盤丸」等からなる輸送団を護衛して横須賀を出港。付近で敷設艦「若」に護衛を継承。そしてそのままトラックへ寄港。「第二図南丸」を航中の「諏訪丸」を護衛した。

年が変わって1943年1月1日横須賀南東で遭難した機帆船群の捜索に従事。2月4日からは横須賀を出撃した「龍田丸」をトラックまで護衛する任務に就いたが、御蔵の東南東で「龍田丸」が潜水艦の手に掛かり沈没深夜の大時化という状況が油断を誘ったのだろう。護衛対を初めて沈められるという苦杯を飲まされた。「山雲」は荒れ狂うを漂う生存者を何とか救出し横須賀へ引き返した。
その後、内地でしばらく輸送の護衛任務についていたが、1943年9月15日に、今度は第4駆逐隊に配属される。
第4駆逐隊は、陽炎型駆逐艦4隻で編成されていた駆逐隊だが、この時はもう2隻(「萩風」「」)が沈み、残る2隻、「野分」「舞風」で運用されていた。「山雲」はそこに編入され、第4駆は陽炎型朝潮型の混成部隊となる。
第4駆逐隊に配属されるのと同時に丁二号輸送作戦部隊に編入。9月16日を出港して水上機母艦秋津洲」を護衛。上海トラックラバウルに物資を送り届ける。10月9日には丁四号輸送作戦第二部隊に編入。11月3日ラバウルに第三輸送隊を護送するためトラックを出港。

その途上の11月4日トラックで被した特設運送「日枝丸」の救助に駆けつけ、翌日には対潜攻撃を行っている。しかし襲の兆が見られたため反転し、トラックへ撤収。

11月19日、潜水母艦「長」等からなる艦隊をトラックから横須賀へ護衛中、追跡してくる潜水艦スカルピン」を発見。しい爆雷攻撃で損傷を与え、浮上してきたところを撃して撃沈するという戦果を挙げている。この戦闘で「山雲」は「スカルピン」の艦に機掃射を喰らわせて艦長や手を戦死させた他、第44潜クロムウェル大佐も死に追いやっている。「スカルピン」は複数の輸送を葬り、「飛鷹」や「涼風」も損傷させた敵で、「山雲」はそのを取ったのだった。生存者約40名は「山雲」と「若」に救助された。
12月7日横須賀を出撃した戦艦大和」を護衛してトラック方面へ向かう。その中、「大和」に撃を行った潜水艦スケート」を攻撃。トラック到着後、三号作戦の戦として輸送第二部隊に所属する。

44年1月1日、「山雲」は輸送任務のためカビエンに寄港した。独立混成第1連隊の兵員100名と軍需品を揚陸中陸上レーダーが接近する敵機を探知。すかさず「山雲」は抜錨し、逃走を図るが約85機の敵機に襲撃される。対戦闘をしつつ退却する「山雲」だったが多数の至近弾と機掃射により55ヶ所に破孔が生じ、重庫が浸。乗組員にも死傷者が出る。滅多打ちにされたものの対射撃により5機撃墜を報じた。九死に一生を得た「山雲」はトラックへ到着し応急修理を受けた。修理了後すぐに復帰し、1月19日から特設給油艦「洋丸」を護衛してラバウルカビエン、マヌスに向かっている。カビエンには第69防隊を揚陸した。
2月15日、「山雲」は輸送護衛任務でトラック泊地を離れた。その僅か2日後、米軍航空隊がトラック泊地襲し、「野分」はかろうじて脱出できたが、「舞風」は逃げられずに沈んでしまう。

こうして2隻になってしまった第4駆逐隊だが、そこに新たに補充されてきたのが朝潮型満潮」だった。そしてさらに7月10日には、所属していた第10駆逐隊が自分だけとなり解隊された「朝雲」が編入され、第4駆逐隊はようやく4隻体制となった。

すんでのところで虎口を脱する事になった「山雲」はサイパンを経由して2月24日横須賀へ入港。横須賀で整備を受けた。3月30日駆逐艦雪風」「初霜」とともに空母瑞鳳」「龍鳳」を護衛して瀬戸内海を出撃。4月1日グアムへ入港し2日間滞在した後、へ帰投。4月21日から瀬戸内海西部で訓練に従事。

5月11日、第4駆逐隊佐伯を出航。第二航空戦隊を護衛し、タウイタウイ泊地へ進出する。そして第二航空戦隊の訓練を支援した。また泊地の安全を確保するため対潜掃討も行っている。
6月10日には渾作戦に参加。バチャンに寄港したが、3日後に中止となり原隊復帰。19日に生起したマリアナ沖海戦に参加する。が、結果は惨敗。戦終結後、沖縄中城湾に撤退する。
7月1日ダバオに寄港したあと第4駆逐隊戦艦扶桑」を護衛。タラカン寄港を経て内地に向かい、7月15日横須賀へ入港。23日、連合艦隊から上護衛隊に派遣され、南方への輸送作戦に協する事となる。30日に横須賀を出撃した「山雲」は僚艦4隻とともに団を間接護衛。そして第4駆逐隊父島に物資を揚陸した。
8月15日、第4駆逐隊戦艦榛名」を護衛して佐世保を出撃。カムラン湾へ移動した。

ダバオやタラカンなどで護衛任務に従事していた8月21日シンガポールで電探を取り付ける工事が行われる。

そして10月レイテ沖海戦に際し、第4駆逐隊陽炎型の「野分」と朝潮型の残り3隻で分けられ、朝潮型3隻は西村艦隊の所属として戦いに臨むことになる。
10月23日バラバック峡を突破。翌日には襲来した艦載機魚雷艇と交戦する。

そして、10月25日、スリガオ峡にて、西村艦隊駆逐艦時雨」を残して全滅する。

群がる魚雷艇を蹴散らしながら進撃していた西村艦隊。午前2時53分、駆逐隊が左右から挟撃し47本もの魚雷を発射してきた。「時雨」の西野艦長の撃談によると、「満潮」「朝雲」「山雲」の3隻はほぼ同時に魚雷を受け、「山雲」は沈だったという。乗組員も全滅、もしくは1人だけ生き残ったとも言われるが、詳細は不明である。
山雲」を沈めたのは駆逐艦「マクダーマット」等が発射した魚雷とされている。

1945年1月10日、除籍。同日、全ての所属駆逐艦を失った第4駆逐隊も解隊された。

その後、山雲の名は1966年1月に就役した海上自衛隊所属やまぐも対潜護衛艦[2]1番艦「やまぐも」に引き継がれた。こちらの「やまぐも」は、1991年練習艦になったあと、1995年事お役を果たし終えて除籍されている。

関連動画ねー それは大切よねー

関連静画も、いいわねー

山雲の関連立体、どうかしらー

関連コミュニティの確認、よーし! 任務の進捗ー、オッケー!

えーと、山雲的にはー、関連項目ってー、割りとー…好きかも-



レイテ沖海戦 - スリガオ戦 / 西村艦隊
山城(艦これ) 扶桑(艦これ)
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時雨(艦これ) 満潮(艦これ)
朝雲(艦これ) 山雲(艦これ)

朝潮型姉妹 / 朝潮型駆逐艦
1.朝潮 - 2.大潮 - 3.満潮 - 4.荒潮 - 5.朝雲 - 6.山雲 - 7.夏雲 - 8.峯雲 - 9. - 10.

脚注

  1. *山雲の前に同じような事態を起こし開戦時修理中だった吹雪型・薄は、山雲が外れ・峯が戦した再編9駆に編入された。
  2. *なお、やまぐも護衛艦は3番艦「あさぐも」以外にも2番艦「まきぐも」5番艦「あきぐも」6番艦「ゆうぐも」と、艦これでもお染みの名前が付けられている。
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