自演動画の歴史(1000万〜2000万コメ) 単語

ジエンドウガノレキシイッセンマンカラニセンマンコメ

1.4万文字の記事

本記事では、sm1257321000万コメントから2000コメントに至るまで(2008/10/15~2011/05/31)の歴史紹介する。

概要

自演動画の歴史一覧

2008年の記録

2009年の記録

2010年の記録

過疎からの再スタート

2008年10月~2009年1月

1000万の達成感によりコメを打つ量も減り支援者キリが良いと見たか不調に乗じて離脱し始める

10/16

離脱者が続出し、以降デイリーコメ数が1万を下回る

10/24

ニコニコプレイヤー仕様変更で再生コメマイリス表示が三行から一行となる。また、コメ送信のタイミングとして活用されていたプレイヤー時計も非表示仕様となる(クリックすれば表示)。この改悪と仕様変更後の重さに憤る支援者も。

11月コメ数は18万となり、先までの間40万えの勢いから急落。以降も間18万台のペースが続く。

中旬からは再びコメ禁圧力が強まる(二次コメ禁騒動 08年11月中旬~09年1月下旬)。コメ禁によるコメント消去率は約1割で、08年2月ほどの衝撃ではなかったものの、コメ数の停滞を長期化させた

12/22

ニコニコ広場開設動画プレイヤーから広場に行けるようになった。広場では自演支援者コメントも一部ピックアップされた。しかし広場への接続が動画に負荷を与える結果となり、動画重となる。これにより支援者から広場批判が続出することに。

12/30

ニコニコランキングSP4 コメント数3位、総合417位。年末年始は支援者が訪れるなどしてコメント数が増加。

年始にも広場接続による動画遅延が続き、支援者の不満が高まる。一方で広場接続が遮断されることもあり、これによって動画が軽くなるため、接続エラーが出るたびに支援者は歓喜。広場がない台湾に繋いで支援を行う者も。中旬になってようやく広場接続による動画遅延が解消される。

2009年2月

2月になって、ようやくコメ禁圧力が弱まる。しかし、中旬からニコニコ全体が重くなり、自演もそれによる被害を受ける。原因はサーバー不足と考えられる。

2/10

水銀党員の力を見せてみろ!!(党員)」が「卑怯戦隊うろたんだー」を抜いてコメラン3位にうろたんだーは08年以降もハイペースを維持していたが、年末年始に帰省者が続出したことでペースが狂い、水銀党の追撃を許した。転落以降も支援者が離脱し衰退していった。

2/22

党員が「頭がパーン」を抜かして合計コメラン2位。ここから4年半に及ぶ、自演vs党員の波乱に満ちた死闘が始まった

2009年3月

支援者の繁忙シーズンが終わり支援者が帰還コメ禁圧力も弱くなり、動作遅延も徐々に解消したことから、2月後半からコメント数が増加

2周年宣伝と低迷脱却の方法として、1アカウントごとにIPを変更しながらマイリス登録を行う手動マイリス工作案が浮上し、この頃から支援者による手動マイリス工作が増加した。また、中旬からニコニ広告サービス開始し、これによる動画宣伝が行われるようになった。

3/8

2時24分 コメント1100万突破

3/11

ニコニ広告サービス開始。しかし、直後にトラブル発生しメンテナンスに入った。当初は宣伝効果に懐疑的な支援者が多く、当時の動画遅延の原因と考えていた支援者もいた。

3/13

ニコニ広告サービス再開。自演動画初のニコニ広告が行われる21時には総額1200ptをえ、レベル2となり一時広告ランキング3位に躍り出た。その後も広告を行う支援者が相次いだ。

3/23

2008年10月15日以来、159日ぶりに日間1位を獲得(35,999コメ)。

  • コメ数は45万をえた
  • 1000万後の低迷からようやく脱却したかのように見えたが  

大規模コメ禁騒動

2009年4月

三次コメ禁騒動2009年4月上旬~2009年6月下旬)。

再び運営コメ禁圧力を強めるコメント消去率は1割に上った。この頃は運営サーバー不足が問題となり、更にデータセンターにサーバーを置くスペースがなかったexit運営サーバー維持のために6月までにデータセンターを移転する計画を立てていたことからも分かるように、コメに負荷を与え続ける自演動画運営から一層マークを受けたと考えられる。

4/6~12

自演動画2周年の宣伝のために、支援者による手動マイリス工作が行われ、1413マイリス記録。しかし水銀党からは反発が相次いだニコニ広告も多く投下された。これにより、7日には1万再生記録し多くのニコ厨が訪問。

4/9~

9日,17日,22日,28日にコメントサーバーメンテナンスメンテの内容は不明だが、新データセンターへのコメントサーバーの移転準備が進められたと思われる。

4/27

ニコニコプレイヤーのVer.3が一般開。しかし支援者は慣れないこともあり、多くが旧プレイヤーを使用して支援

2009年5月

5月上旬から、支援者プロバイダ警告が届き運営からのマークが一層強化される。当然コメントを止めない支援者5月下旬からコメ地獄に。コメント消去率は2割に上った。

支援者は対抗策として、捨を使いnm6697479exit_nicovideoコメ禁の実験を行い、コメ禁にならない支援方法を構築しようと試みる。

5/8

支援者に初のプロバイダ警告が届く。その後も続々と支援者達に届き、共有IPマンションに住む支援者住人全員を巻き込んで警告された。

5/14

水銀党コメント1000万達成。しかし達成直後、党員にもコメ禁圧力が強まり、水銀党コメ数が急減する事態にうろたんだーにも同時にコメ禁圧力が強まり、さらに衰退。

  • コメ数は20万となり、更に勢いが減少。

2009年6月

6月には運営がさらに追い打ちをかけ、コメント消去率は3割に上った

一方、コメ禁回避の研究が進み、「100コメ毎にIP変更」、「プロキシを刺して支援」、「sageコマンド適用」、「支援回避」、「特殊文字コメ回避」などの方法が提案された。このようにして運営の圧力に対抗したが、実効性があったかは不明。党員は運営に直接抗議を行うことで、コメ禁に対抗していく。

6/17

0時37分 コメント1200万達成

6/28

歴代総合コメント1位を1年間守り抜く

このコメ禁騒動により、多くの支援者が離脱あるいはコメ数低減を余儀なくされ、1000コメ後の低迷脱却が足踏み状態に水銀党間50万から14万に減とコメ禁のが大きくいた。これにより6月コメ数で党員に1年ぶりに勝利した。

コメ禁からの復興

2009年7月〜9月

7月上旬になって一転コメ禁が皆無となり、ようやく支援者コメ地獄から解放された。コメ禁が収まった原因は明確でないが、コメが移転了し負担を軽減できたため規制を弱めたと考えられる。

また、党員も同様に解放され再びコメ数が増えだすコメント1位標に掲げる水銀党自演に徐々に迫ることに。

7/1

日間コメントランキング1位

新プレイヤーニコニコプレーヤー ver3)に、旧プレ行きのリンクくなり、支援者URL定を通じて旧プレを使用する。いまだに支援者は新プレでの支援に慣れていないことや、コメ禁対策に有効と考えられたsageコマンドが新プレで使用できないこともあり、多くが旧プレイヤーを利用した。

8/8

ニコニコランキングSP5 コメント2位、総合769位。初めて総合500位を切る。

8/11

日間コメントランキング1位

9/20

日間コメントランキング1位

9/22

久しぶりに小規模ながら手動マイリス工作

2009年10月

9月末からポイントサイトウェブマネーを獲得した支援者が、ニコニコポイントに交換しニコニ広告を逐次投入していった。これにより広告ブームが起き、多くの支援者広告を投下。

広告により再生数が増加し、過去支援者が訪問。彼らの活躍でチャットが更に活性化した。また過去支援者コメ禁で支援中断していた者が多かったが、この時はコメ皆無だったため支援を再開する。過去支援者の復帰もありコメ数が増加した。下旬には1300万コメ特需もあり、さらにコメ数が増加した。

10/2

日間コメントランキング1位

10/12

初めての大量広告

10/14

日間コメントランキング1位

10/24

00時29分、コメント1300万突破

10/26

再生数95万(ミリオン予備軍入り)、マイリスト3000突破。

10/29

ニコニコ動画(ββ)からニコニコ動画(9)となり、カテゴリー再編が行われ「チャットタグカテゴリー止となる。これに対し、支援者は「その他」をカテタグにすることを決定。

10/30~31

小規模手動マイリス工作。「とりあえずマイリスト」がマイリス数に換算されたことやミリオン特需もあり、その後も徐々にマイリスが伸びていく。下旬からニコニ広告の大量投下が行われ、10月中に19,100pt投下。再生数も上昇。

  • コメ数は39万へと急増。
  • 騒動以前の準に戻り、騒動で離脱した支援者も訪れコメ禁からの復を果たした

2009年11月~12月

11月にかけても支援者が集い、間30万台で好調に推移。100万再生の宣伝に向けた動きが活発化するが、支援者の都合により手動マイリス工作が行えない可性があったため、代替策として釣りタグニコニ広告が浮上する。

11/17

うp主が「その他タグロック。正式に自演カテゴリータグとなった。

11/18

日間コメントランキング1位

12/16~24

100万再生の宣伝のため、釣りタグを開始(本格的なものでは自演初)。

12/17~20

ニコニ広告で14,200ptを投下。

12/23

21時13分頃、100万再生達成史上13個デュアルミリオンとなった。釣りタグニコニ広告の使用により、16日から24日まで2万再生を稼ぐ。

12/30

ニコニコランキングSP6 コメント2位、総合1021位

2010年1月

1月も以前の勢いを維持していったものの、水銀党が急速に迫り、抜かれるのは時間の問題となった。

1/2

sm9215262exit_nicovideoに対抗したのか、こちらも手動マイリス工作で413マイリス記録

1/22

13時44分 ついにコメント数で水銀党に抜かれ総合コメントランキング2位に転落。その後、うp主参上し、ロックタグの一つが『2650円の無駄遣い』から『本気出す』に変更。

1/23

2時13分 支援者の踏んりで総合コメントランキング1位に復帰。14時11分 なんとか健闘するも再び水銀党に抜かれ、総合コメントランキング2位に転落

1/31

4時21分 コメント1400万突破。日間コメントランキング1位。一部支援者引退レースとして組まれたこともあり、09年3月22日以来の3万コメ

2位転落ショック...

2010年2月〜4月

2位転落のショックにより、多くの支援者が続々離脱コメ数は30万台から10万台へと急落。再び暗黒期に入る。4月には水銀党約70万コメント差をつけられてしまう。しかし、残った支援者は僅かな希望を信じ、支援継続

2/1

日間コメントランキング1位。自身2度の二日連続1位

3月中旬

第3.5次コメ禁騒動?(~4月中旬)この時期はコメント消去率が15%に及んだが、支援者内の騒ぎは特になし。この頃から党員の燃え尽きが起こったのか、水銀党コメ数が減少。離脱も進んだ。

4/1

ニコニコ 黒字化」と銘打ったバージョンが一日開。コメントがこの日のみ全て黒字化。

4/8

自演動画3周年。水銀党員祝福に来た。

本気出す...奇跡の大逆転劇

2010年5月

支援者ラッシュが始まり、世代交代が進む。彼らは新参らしくコメントで盛り上げにかかり、停滞ムードを払拭させた。これにより好調ムードが高まり、新参支援に邁進し、古参は彼らにアドバイスを送り続け、コメ数の上昇を引き起こした。

さらなる盛況のために、支援者獲得の動きも本格化し、釣りタグ広告・手動マイリス工作などが行われる。これにより中旬から再生数が上昇。コメ数上昇策の動きも本格化し、両手コメ支援など投稿制限をえた支援方法も徐々に普及していった。

5/1

旧プレーヤーニコニコプレーヤー ver.2)止と公式発表。しかし運営の不備なのか、依然としてURL定を通じて旧プレーヤーを使用することができた。そのため何人かの支援者旧プレーヤーを使用し続ける。旧プレーヤーでは、以下のメリットがあった。

5/6

この頃から、新規支援者が居つき、デイリー1万台が射程圏内に携帯ニコニコモバイル)からの支援も、これをきっかけに頻繁に行われる。当時のニコモバアプリチャットできる仕様かつ投稿現在より簡便で、拒否回避機もついていた。また、携帯回線とPC回線は別であるため、携帯PCから交互に5連投し、事実投稿制限をえてコメントすることが出来た(両手コメ)。この両手コメコメ数拡大に大きく寄与した。

5/22

デイリー18,101コメ。半年ぶりの多さとなり、支援者も大いに盛り上がる。

2010年6月

第四次コメ禁騒動6月上旬~7月上旬)

過疎脱却ムードの最中、上旬に1年の沈黙を経てコメ禁が頻発コメ鯖の64bitへの移行工事exitが原因と考えられる。この危機に対し、第三次騒動を経験した古参が新規支援者コメ禁対策法を伝授コメ禁を次々と受け動揺する新規支援者を落ち着かせるほか、コメ禁対策で推奨されたプロキシ()を用いた支援方法(支援)がコメ禁騒動をきっかけにさらに普及した。コメント消去率は2割に上り、党員も同様にコメ禁騒動に遭うことに

また、支援者増加策として釣りタグが大規模に行われた。1日に動画検索仕様が「コメントが新しい順」に変更され、釣りタグの効果が発揮されやすくなった。また、海外の方がタグが残りやすくなるため、支援者は積極的に海外タグを利用した。これにより、再生数は10万再生となり、釣りタグで訪れるニコ厨が急増した。

6/1

ニコニコ検索仕様変更事件

ニコニコ動画検索デフォルトが大きく変更される。ニコ厨からの批判は多かったが、動画検索の並び順のデフォルト投稿が新しい順」から「コメントの新しい順」に変更されたことで、コメント乞食動画動画検索において上位に載り、注を浴びやすくなった。よって、タグ釣りの効果がさらに拡大した。

6/13

手動マイリス工作の普及などもあり連日支援者による手動マイリスが行われる。

6/19

支援が本格化をそれぞれの複垢に刺すことで投稿制限をえてコメ出来るため、ここからデイリー2万近くのコメ数を叩き出し、コメント数が急上昇。また、この頃から再生数が急増。日間コメントランキング1位

6/20

日間コメントランキング1位。自身3度の二日連続1位

6/21

週刊ニコニコランキング#163【6月第3週】exit_nicovideo50週ぶり1位獲得。以後【8月第1週】まで7週連続1位を達成。

6/23

20時04分、コメント1500万突破

自演動画支援が、禁止である党員の怒りを買い自演支援者通報されるケースが多くなる。自演支援者にとっては言いがかりでしかないため、同様にやり返す通報合戦となった。

6/30未明

突如コメント数がリセットされる現象が発生し、支援者を驚かせる。中には動揺する支援者もいたが、には元に戻る。こので日間集計が2日分になる。

コメント数が49万となり全盛期並みの勢いを取り戻し1位奪還へ向けて本格的な反撃が始まる。党員は間31万水銀党との差は100万から80万に縮小

2010年7月

7月上旬にはコメ禁騒動が落ち着く。第4次騒動において自演は勢いを落とすことなく乗り切るどころか、支援を普及させコメ数を上昇させた。その後はコメ禁圧力が弱まるものの、1のペース支援者のうち数人がコメ禁されるという散発的コメ禁状態が続いた。水銀党も同様に散発的なコメ禁が発生

釣りタグの効果がこのころ出始め、多くの新規支援者が定着するに至った。この新規流入により支援の必要性がくなり、自演支援ストップ水銀党との対立はひとまず鎮静化した

この頃になると釣りタグに関する知識も蓄えられ、効率的に再生数を増やすことに成功運営支援者へのタグ禁を強めるが、支援者捨て垢を用いてタグ編集を続ける。後半には【タグ編集はできません】タグが断続的に付き、タグ編集が禁止となる事態となった。

7/1

不具合のもあり2日分集計されたため、ランキングトップページ初登場(14位)。日間再生ランキングで3度1万再生記録(10,463再生)。

7/2

ちゃんとした集計では初のランキングトップページ登場(11位)。

7/3

3日連続の登場(16位) 週刊ニコニコランキング #165exit_nicovideo7月第1週】にて89位に登場。

7/6

急増していた再生数の伸びが落ち着く。

7/11

す++」が普及する。

「す++」は、「Ctrl+v」を押すたびに「0→1→2...」とカウントアップしてくれるソフトである。水銀では重宝している者が多かったが、この時を機に自演支援者にも普及した。これにより、カウント支援が簡便化され、コメ数拡大にも貢献。

7/21

ニコプレーヤー4開。当初は使い慣れなさから不満を言う支援者はいたものの、動作遅延は特に起こらずスムーズに移行が進んだ。

7/27

旧プレーヤーニコニコプレーヤー ver.2)が全に止?今まではURL定で旧プレイヤーを使用していた支援者が多かったが、この日をに従来のurl定でも行けなくなった。しかし、海外版のドメインurlに入れることで旧プレーヤーに行けることが分かり、一部の支援者旧プレーヤーを使用し続けた。

コメ数は約68万まで伸び、1000万〜2000万時代の中で最盛期となった。党員は26万で水銀党との差は80万から38万と大幅に差を詰める。

2010年8月

 7月後半からの運営によるタグ編集禁止の措置により、釣りタグが中々できず再生数が伸び悩む支援者に対してタグ編集が一定期間出来ないタグ禁も頻発する。しかし、依然として新規支援者の流入が進む。また、支援者コミケ遠征や旅行などにより、コメ数はやや減速した。

8/1

ニコニコランキングSP7 コメント2位、総合534位。

8/10

00時13分 コメント1600万突破

8/31

再生数が伸び悩んだこともあり、カテラン3連覇ならず(10位)。

2010年9月

コミケ遠征や旅行から支援者が復帰し、総合コメントランキング1位に迫る

9/12

4時10分 突如コメント数が0になるバグ新プレーヤーからのコメント不可能になるといった問題が発生。運営に問い合わせる者もexit。13日15時には落ち着く。

9/17

4時20分 再びリセットバグ発生

9/18~21

21日まで毎日コメント数がリセットされる事態に発展。

9/21

コメント数が数時間おきにリセットされるという前代未聞の事態に(18時頃復旧)。バグの期間のコメントがこの日に総て加算されたために、75,636コメ記録

9/23

17時27分頃 1月22日以来約8ヶぶりの総合コメントランキング1位復活。日間コメントランキング1位。以後27日まで6日連続1位を達成。

9/24~26

この間ニコニ広告において、394個のタグに宣伝という記録を達成。24日~26日まで37200ptを投下する。

奇跡的な一位奪還を果たしたが、党員を本気にさせ闘いはさらにデッドヒート

2010年10月

1位奪還後も、動画の盛り上がりに乗じて定着する支援者もいたため勢いを維持。一方の水銀党も有力支援者の定着もあり、下旬からペースを上げ必死の追い上げを見せる

10/3

党員の投稿祭に対抗し、こちらも祭りを開催。60,171コメント記録

10/6

00時15分 コメント1700万突破。直後、うp主2010年1月以降初めて動画参上ロックタグが『本気出す』から『本気出せたらいいな』に変更。

10/10

再びうp主参上ロックタグが『本気出せたらいいな』から『一番いいコメントを頼む』に変更。

10/13

再びリセットバグが起きる。こちらはすぐに復旧。

10/25

リセットバグが起きるも翌日復旧。

本気出せたらいいな

2010年11月

1位奪還後も定着していた支援者の離脱が初旬から始まり、一気に過疎。これにより、勢いのある水銀党の追撃を許した

11/10

22時10分 再び総合コメントランキング2位

11/14

大百科記事の自演動画の経営理念現在自演動画のQ&A)を支援者が作成。

水銀党が3周年時に銀様コメラン1位といった経営理念を掲げたのに対し、自演差別化のため経営理念を掲げることに。自演は「強制力なく自由コメントできる」ことを理念に掲げたが、同時にコメント数で他動画に対抗するといった行動めたため、支援者党員への対抗心もなく停滞を続けたと考えられる。

水銀党の勢いは凄まじく間50万コメント水銀党との差は-6万から+20万コメとなり、一気に水銀リード

2010年12月

自演の停滞で水銀党有利の状態が続いたが、12月上旬から水銀党コメ地獄。消去率は1割に上り、水銀党コメ数を維持することが困難になった

12月中旬には水銀党コメ消去率が3割となり、多くの党員がコメ禁を食らい徐々に勢いが落ちていった。一方の自演コメ禁は皆無で新規支援者も訪れたが、いまいち盛り上がりに欠けコメ数は停滞。

12/1~

1,2,7日にコメントサーバーメンテナンス。頻発するリセットバグもあってか運営強化に努める。これにより、リセットバグが発生しなくなったと推測される。

12/27

再生工作か突如9,293再生記録し、翌日のランキングに登場。

12/31

大晦日の年越しということで、11月に離脱した支援者が続々訪れる。彼らは離脱後、自演2位転落していた事実を知らなかったため、支援再開を決意

ニコニコランキングSP 2010 コメント1位、総合270位。SP2以来のコメント1位達成。総合も500位内に入る。

コメ禁に関して自演水銀で違いが出たのは、コメントサーバー事情の違いが原因とされる。自演2010年6月からリセットバグが頻発したことで運営メンテ要請を出しており、12月にはコメが直り安定した。その結果、水銀より自演の方が較的コメ禁が少ない状況になったと考えられる。

また水銀党メンテを機にコメが急に軽くなったが、直後コメ禁が頻発した。自演コメは軽くならず、コメ禁は頻発しなかった。コメの軽さとコメ禁の関係は不明だが、自演水銀双方のコメ事情が当時異なっていたことは明らかである。

首位攻防、2000万コメントへ…

2011年1月

大晦日をきっかけに有力支援者の帰還、支援釣りタグによる支援者増加コメ数が再び急上昇する。更にコメ禁が相次ぐことなく勢いを維持。一方の水銀党支援者不足であり、12月からのコメ地獄がなおも続く苦しい状態に耐えながらも、コメ数を上昇させるりを見せた。

1/1

デイリー15,229再生記録し、当時の最高再生数を達成。再生工作を受けたのかその後も10日にかけて再生数が急上昇し、7万5千再生を稼ぐ。

1/2

週刊ニコニコランキング #191exit_nicovideo1月第1週】にて135位を記録。EDにサムネ登場。

1/8

週刊ニコニコランキング #192exit_nicovideo1月第2週】にて106位を記録

1/13

22時59分 コメント1800万突破。下旬にかけ水銀党コメ禁圧力が弱まるが、それ以上に水銀党は勢いを伸ばせず。

また自演がこの頃も支援を行っていたことにより、再び禁止である党員との確執が生まれるコメ禁頻度も自演より多かったため党員の自演バッシングがさらに強まった。確執を解消するためにコミュニティ掲示板で両者が意見交換を行ったexit_nicocommunityものの、行線となり逆に関係が悪化することに

2011年2月

水銀党1月コメ禁は大方止んだが、支援者不足もあり一向にペースを上げられず自演1月からの常連支援者の奮闘に加え、釣りタグ効果による新規支援者増加もあり勢いを維持
コメ禁圧力が弱まる水銀党だったが勢いをなかなか伸ばせず、自演の追撃を許す

2/19

昨年12月31日以来のデイリー3万コメント

2011年3月

3/2

23時21分頃、合計コメントランキング1位に浮上。日間コメントランキング1位

3/4

2位転落を知った党員が反撃水銀党再度1位奪還自演再び合計コメラン2位。しかし、この水銀党の反撃が原因となったのか、党員に対するコメ禁圧力が極限まで高まった

3/6

1900万コメント1位奪還に向けてから多くの支援者支援をする。 

9時46分 コメント数1900万突破18時10分 再び合計コメントランキング1位に返り咲き

3/11

東日本大震災発生屋の一部損壊を受けたり帰宅困難となった支援者もいたが全員。沿部にいた支援者もおり、津波の襲来を受けたもののビルに避難してであった。また、自演支援者は西日本出身者が多かったため、コメ数に大きなは出なかった。後日東北支援のため、支援者一同で募金動画広告


党員は再奪還をすが、最強レベルコメ禁が長期化し、水銀党コメ欄のコメントすら見えない状態に。一時は数十コメですらコメ禁となる程だった。3月中旬~4月中旬の水銀党コメント消去率は驚異の6割。これにより水銀党コメ数を伸ばせず、自演に差を広げられた。このコメ禁長期化には「両者の闘いの泥沼化を防ぐこと」「ニコニコサーバー改修期であったこと」「大震災の電力不足によるサーバー危機」などが考えられる。

3/19~23

5500マイリスを狙ったのか手動マイリス工作。下旬から釣りタグのしすぎでようやくタグ編集が禁止に支援者へのタグ禁も頻発。しかし、1月からの釣りタグにより多くの新規支援者が訪れ、1位奪還に大きく寄与した。

水銀党とのデッドヒートに何とか競り勝ち、ニコニコ史上初の2000コメを間近に控える。

2011年4月

1位奪還の燃え尽き支援者環境変化により離脱者続出を招くタグ禁により再生数も増やせず、コメ数は33万と落ちるが、2000コメントまで更に近づく。この頃から、自演過疎化対策、水銀党コメ禁対策に重点が置かれ、両者の対抗意識が薄れ始める。闘いは一応の収着を見せた。

4/7

ニコニ広告2周年記念生放送広告額の多い動画として放映される。結果は「くっ」。

4/8

自演動画4周年。支援者も記念動画投稿

4/20

通算100の日間コメントランキング1位

水銀党3月からのコメ地獄がなおも続いた運営によるサーバー改修工事のため、コメ地獄継続したと考えられる。このため一向にペースを上げることができず、自演1位を保持。プロバイダ警告が届く党員もおり、ネット接続自体を停止させられる党員も

2011年5月

2000コメントに向けて、下旬にかけて支援者による記念動画静画作成などの準備が行われる。

5/31

2000コメントを達成しようとから多くのコメント投稿され、には2万ptを投下する。

20時24分 ニコニコ史上初のコメント2000万達成!達成と同時に大量広告により多くのニコ厨が訪れ、賞賛コメが多数挙がった。

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