角川歴彦 単語


ニコニコ動画で角川歴彦の動画を見に行く

カドカワツグヒコ

3.6千文字の記事

角川歴彦とは、日本の実業である。1943年生まれ。

概要

株式会社KADOKAWA取締役会長などを務めていた。(2022年10月4日会長職の辞任を表明し、同年11月4日取締役も辞任。)

2023年9月現在の肩書は、角川文化財団の名誉会長

株式会社KADOKAWA日本で有数の出版大手/総合エンターテインメント企業KADOKAWAグループ」(角川グループ)を取りまとめる企業であるため、同グループトップらの一人ということになる。

株式会社KADOKAWAの大の一人でもあり、令和3年度の同社の有価証券報告書によれば、2,920、同社の発行済株式総数(自己株式除く)に対し2.07%保有しており、所有株式数の順位で言えば9位。個人としては川上量生(8,193、5.8%)に次ぐ2位である。

苗字からもわかるように、KADOKAWAグループの創業者一族の出身でもある。同グループ1945年11月10日文学研究者であった角川源義が出版社を創業したことを流にしているが、この角川源義の次男が角川歴彦である。なお、著名な兄弟姉妹に、に出版社『戯書房』創業者・作家の『辺見じゅん』こと真弓角川書店第2代社長がいる。

1966年の会社である角川書店に入社。雑誌部門にて1982年テレビ情報雑誌『ザテレビジョン』、1983年創刊のパソコン/ゲーム雑誌コンプティーク』、1988年ライトノベルなどの文庫レーベル角川スニーカー文庫』、1990年タウン誌『週刊トウキョー・ウォーカージパング』(後の東京ウォーカー)、1991年TRPG誌「コンプRPG」、1993年角川スニーカー文庫と連携するライトノベル雑誌『ザ・スニーカー』など、様々な新雑誌/新レーベルを立ち上げ成功させた。また、子会社「ザテレビジョン」「角川メディアオフィス」の社長も兼任し、同社はこういった雑誌/レーベルの編集なども担当していた。

角川春樹が、文芸、映画に強くトップセールスを行う一方、番頭としての不在時に重役会議宰するなど社内をまとめつつ、これらの雑誌/レーベルを基盤としてメディアミックス戦略を成功させ会社の両輪の一となっていた歴だが、角川書店社長となっていた角川春樹映画メディアミックスに陰りが見え始めたり、角川書店の後継者として入社させたの子息が入社を経て、と徐々に関係が悪化(歴は当時副社長)。歴側の閥だった役員が解任されるなどのトラブルを経て、1992年に歴は退社し、「角川メディアオフィス」の社員らの大半を引き連れて新会社「メディアワークス」を立ち上げた。(ニュータイプも発行していた井上伸一郎はじめ、ザテレビジョン社のスタッフは残留)

メディアワークスでもパソコン雑誌電撃王』、ライトノベル文庫レーベル電撃文庫』、漫画雑誌コミック電撃ガオ!』など様々な事業を立ち上げ、「角川メディアオフィス」時代のノウハウ作家らなどとの人脈を武器角川書店ライバル/競合的な立場となって古巣の角川書店、そしてと鎬を削った。

だが1993年コカインを密輸していたのがバレ、業務上横領などの罪も含めて逮捕されてしまう。角川書店社長を全役員から解任され、そして歴角川書店に戻って社長の座を受け継ぐことになった。歴社長に復帰した際にはその際メンバーだった見など7名は角川書店を退社し、幻冬舎を立ち上げている。

しばらくメディアワークス角川書店は並列していたが、角川グループ持株会社化、角川グループ各会社のワンカンパニー化を経てメディアワークスKADOKAWAに吸収されることになる。

アスキーエンターブレイン擁するメディアリーブスを投資会社から買収、会社リクルートの都合により競売に掛けられていたメディアファクトリーを買収、経営者から売却の相談を受けていた中経出版グループなどを買収するなど規模拡大を押し進める。

その後のループ再編により、角川書店取締役会長を経て、角川グループホールディングスKADOKAWAと、カドカワ代表取締役会長など代表職が就いたり就かなかったり、社長になったりと紆余曲折あって株式会社KADOKAWA取締役会長となった。角川お家騒動後の経営改革として社則などを整備する際に同族企業にしないため角川一族にを手放させ、一族を退社させたこと、歴に子息がいないことから後継者問題が生じていた。

経営者の姿勢としては合理的ではあるが、オタク向けだけでなく、実写映画ドラマにも関心があり、『沈まぬ太陽』に関してはトップ自ら調整に出ており、社長就任当初当初はアニメ映画中心だったが90年代後半以降、角川映画復活させ映画リングシリーズメディアミックスについて自らも携わってきた。

また若いときから予算に厳しいとされており、番頭として動いていたこともありの会社を傾かせるような大盤振る舞い予算を使うのとは対照的であるとされる。批判い訳ではく代表権を退いた後も役員人事をハンドリングしていたのではないかとされる。

アメリカAmazonKindleくから危機感を覚え、デジタルトランスフォーメーションを推し進め、ブックウオーカーNTTドコモとの合弁事業ドコモアニメストアの事業も推し進めていた。出版社のを外したメガコンテンツプロバイダー化をす方針を掲げ、出版拠点博物館観光拠点の『ところざわサクラタウン』の開設にも熱心であった。

以上のように、日本サブカルチャーオタク分野に多大なを与えている、オタク文化の偉人である。

角川グループ以外でも、日本雑誌協会理事長、日本映像ソフト協会(JVA)会長コンテンツ海外流通促進機構CODA)代表幹事、東京映画チェアマン、内閣官房知的財産戦略本部本部員、東京大学大学院情報学環特任教授、財団法人角川文化財団理事長、一般社団法人アニメツーリズム協会理事長など、くような様々な重要ポストを歴任した。

編集者漫画原作者の大塚英志とはしい仲であったが近年は歴について批判立つ。(が、角川書店雑誌にて漫画連載を続けている。)

このように全にを乗り越えたはずの歴だったが、一つにあって歴いものがあった。

そう、逮捕歴である。

だが、2022年9月14日2020年東京オリンピックパラリンピックスポンサー選定をめぐる汚職(大会組織委員会元理事の高橋治之容疑者に対する贈賄)容疑で、東京地検特捜部は歴ほか2人の社員、元社員逮捕した。このことによって彼ら兄弟は初めて、逮捕歴という同じステージに登ることができたのだ。

ただこれらの話は検察のであり、被疑者否認事件であり2022年11月4日現在、検察により起訴はされたが、歴本人は弁護士を通じ裁判で無罪するとしている(取締役会長は辞任)。よって裁判で有罪とは確定していないことに留意する必要がある。逮捕から2年が経過し判前整理手続きが長引いてようやく2024年10月8日に初判となったがここでも角川歴彦本人は無罪している。

 2024年6月27日に手記『人間明 勾留226日と私の生存権について』がリトルモア社から英語版と同時に刊行された。タイトル作家一氏の遺族から許諾を貰い付けているという。歴の拘留中の体調不良にも関わらず治療を積極的に施さない処遇を受ける、自をしなければ保釈を認めない検察・裁判所の人質法を強く批判するとともにこれからの人生ライフワークとして闘う覚悟を見せる。出版と同時に外員協会で記者会見を行い、東京地方裁判所国家賠償請としてを提訴した。請額は二億二千万円。人質法への反対連帯としてChange.orgでの署名活動も行われた。なお、オリンピックに関しては無罪しているが刑事裁判で闘い抜くとして本件とは分けてしている。

備考

ところざわサクラタウンにある、ラノベ漫画図書館にある宣言文『ライトノベル宣言』のほか電撃文庫角川EPUB選書など一部のレーベルの巻末には角川歴彦による刊行の辞が掲載されている。

なお、電撃文庫の巻末の創刊の辞は2022年10月以降収録がなくなっているようである。

関連動画

著書

関連項目

この記事を編集する
関連記事

親記事

子記事

  • なし

兄弟記事

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2025/12/06(土) 03:00

ほめられた記事

最終更新:2025/12/06(土) 03:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP