週刊少年マガジンとは、講談社が毎週水曜日に発行している少年向け漫画雑誌である。
1959年3月17日に小学館の「週刊少年サンデー」とともに創刊。当時はまだ漫画は全体の4割程度の掲載でしかなかった。
創刊当初は少女漫画家も多く採用していた。その流れから、現在でも「週刊少年マガジン」での連載陣には女性漫画家が多い。ただし少年誌(男性誌)に連載することで女性風の作家名から男性風の作家名にペンネームを変えていることが多く、ペンネームだけではなかなか女性漫画家とは分からない。
他社の週刊少年誌と比較して編集部の方針が強いことで有名で、1980年代の「ヤンキー路線とスポ根路線」、1990年代の「テレビドラマ化の乱発」、2000年代以降の「ラブコメ・萌え路線の転換や他社からの漫画家引き抜き」はそれぞれ在籍した時の編集長の意向とされている。1980年代と2000年代は「ブームに便乗した連載」の方針もあり、良くも悪くもその時の社会事情を反映している。
1965年、編集者だった内田勝が編集長となり、読者プレゼント攻勢や「巨人の星」の連載などで発行部数を大幅に伸ばした。
また「あしたのジョー」で主要登場人物である力石徹が死んだとき、出版社公認のもとで初の漫画キャラクターの葬式が行われた。
1970年に発行部数150万部を記録し、少年漫画雑誌首位となる。この頃のマスメディアでは「右手に朝日ジャーナル、左手にマガジン」と大学生を表現した。
その表現通り、この頃から読者対象年齢を「少年」だけに限定しなくなっている。過剰な表現が強くなり、エログロの勢いがつきすぎ、ついに1970年、この年の32号が神奈川県で「有害図書指定」されてしまう。
その後、読者対象年齢を下げた漫画を連載して行くも発行部数は伸び悩み、1974年にはついに集英社の「週刊少年ジャンプ」に発行部数一位を奪われてしまう。
1980年代後半になると徐々に発行部数を伸ばし、発行部数2位となる。これは1980年代前半より連載されていた多くの漫画が長期的に連載されていることで、少しずつ地道に人気を得ていったことが要因であるのだが、同時に長期連載が多すぎるために新たな読者をスムースに引き込むことができないというジレンマにも陥っていた。そのため、「バケモノ」とも呼ばれた「週刊少年ジャンプ」の発行部数に追いつくことができずにいた。
1990年前後にスポーツ漫画を多く連載。また不良漫画(ヤンキー漫画)のヒットも多い。「週刊少年ジャンプ」の発行部数「600万部」の陰に隠れてしまっているが、この頃に200万部を超えている。
1990年代後半になると、「ドラゴンボール」などの看板作品の連載が相次いで終了した「週刊少年ジャンプ」からの読者が多く流れ、また連載していた作品のテレビドラマ化がヒットしたこともあり1997年には23年ぶりに発行部数一位となった。しかし、この頃から主力漫画が次々と終了していく。
「ラブひな」のヒットを受け、2000年を過ぎたあたりから連載作品に「萌え漫画」が増えていく。また、他誌の人気作家を取り込むという手法により、その作家の漫画目当ての読者を呼び込む手法を行っている。
2009年には創刊50周年を記念して、「週刊少年サンデー」とのコラボレーションを行っている。
2010年代になると他紙の人気作品を取り込む姿勢が顕著になる。また2015年より電子版の配信が開始されている。
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最終更新:2024/11/25(月) 16:00
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