ダイタクヤマト 単語

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ダイタクヤマト

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「!」を待て

実績や名だけで
結果が決まるのなら
この世はちっとも
くなんかない。

逆転や番狂わせが
想定外と誤算こそが
日々をるのだ。

どこかに潜むはずの
次なる「!」を
待つとしようか。

JRA「名馬の肖像」ダイタクヤマトexit

ダイタクヤマトとは、日本の元競走馬種牡馬である。

舞台でまさかの大走を見せ、血は争えないと思わせた

な勝ち
2000年:スプリンターズステークス(GI)、スワンステークス(GII)
2001年:阪急杯(GIII)

2000年JRA賞最優秀短距離、最優秀父内国産馬

概要

詳しい成績などはWikipedia参照、年齢は原則として旧表記。

ダイタクヘリオスダイタクブレインズテスコボーイという血統。は「笑いながら走る」「競馬新聞を読む馬」と揶揄された競馬通にはされた過去マイルCSを連覇した名である。は未勝利で繁殖入り。4代阪神優駿牝馬勝ちの英がいる。そのほか近には共に天皇賞を勝ったクリペロ、クリヒデ兄妹がいる。

橋口次郎厩舎から3歳9月デビューし、4戦に芝路線に変更して初勝利。続く場も勝つがその後は4歳重賞で2連敗、ダビスタ界ではお染みのクリスタルCは取り消し。900万下に降格後、11月に3勝を挙げる。

明けて98年、橋口厩舎から石坂正が調教師として独立することになり、その際にダイタクヤマトかダイタクカミカゼ(ダイタクヘリオスの半アグネスワールド日本レコードを出した北九州距離Sで2着に食い込んだ)を譲ることになった。橋口カミカゼを譲るものだと思っていたが、石坂師は「1歳若いから長く使える」との理由でヤマトを譲り受けた。なおカミカゼはこの年条件戦で2勝するもその後勝てなくなり高知競馬へ移籍したので、結果的にこの選択は正解だった、とも。
しかしダイタクヤマトはこの年の成績だけ見ればもっと下で、は全く勝てず、降格後の900万下戦を1勝しただけで終了。翌99年も1600万下の2勝だけで終える。

その後オープンとなり、高松宮記念に挑戦。実情は、年明け初戦でオーシャンS(当時はOP特別)を使うはずだったが、調整がうまくいかずぶっつけ本番になった、とのこと。
結果は11着に終わるも、続くOP特別でトロットスターを破りOP初勝利を挙げると、1走を挟んだGIII函館スプリントSで0.2差2着に善戦。収得賞金ゲットできた。しかしセントウルSで7着[1]

営は次走にスプリンターズSを選択。その理由について石坂師は「近くの週によさげなOP特別があったが、経験が浅くてそんなレースがあると知らなかった」とコメントを残している。その経験の浅さが歴史を動かす事態になるとは思ってもみなかったか。

スプリンターズS本番。上には「男」江田照男を迎える。この年の役は海外GI2勝の超快速アグネスワールド。他にも前年の覇者ブラックホーク、宮記念を勝った良血キングヘイローマイネルラヴマサラッキなどのGIに加えビハインドザマスクやブロードアピールなどの個性を固める強な布だった。ダイタクヤマトは単勝257.5倍、最低人気。2走前に重賞2着があるにも関わらず6走連続掲示板外のジョーディシラオキよりも人気薄という超絶過小評価を受けてしまう。

青嶋達也適当紹介された本番、ゲートが開くとユーファルコンが飛んでいき、ヤマトはその直後を追走、3番手以降はやや離される。稍重の馬場にしては速いペースで流れるが、それほど前に突っかかってくるもいない。3,4コーナー中間でユーファルコンの脚色が鈍り、ダイタクヤマトはその外から先頭に躍り出る。そのまま直線を向き、スパートをかけて一気に抜け出した。
アグネスは手応えが怪しい、ビハインドザマスクやらブロードアピールはかなり後方、ブラックホークが猛追するも離されている。「おい、まさか…」観客のざわめきが起こる。残り50m余りでようやくアグネスブラックホークが食い込んで来るも、1余りの差をつけ、逃げ切り逃げ切り逃げ切り!」実況アナ)で快挙達成。スタンドは歓と怒号と悲鳴で渦巻く。大多数の予想も予想していなかったであろう(余談だが在阪スポーツ競馬記者の1人がまさかの的中、翌日の面では本人の驚きのコメントも掲載された)。最低人気GI制覇は89年サンドピアリス以来。その後も地では2014年コパノリッキーだけである。しかも同様の逃げきりで。「このにしてこの子あり」とも。

その後は重賞2勝を挙げ、GI勝利の名に恥じない活躍。翌年のスプリンターズSレコード決着の中で踏んり強い3着。香港遠征を最後に引退した。一発屋というイメージから種牡馬としても3年以降はほぼ一桁に終始し、千葉県で乗として繋養されていたが、2014年頃に産地としての実働はほぼ皆無である北海道中標津町牧場に移ったとされたまま、その後の消息は不明となった。

引退後のサポートをすべきオーナー2006年頃に倒産し、種牡馬としても功労としても充分なバックアップを受けられずにこのような悲劇に繋がった面もあり、めて引退後の競走馬のあり方への警鐘を鳴らす結果となった。

血統表

ダイタクヘリオス
1987 黒鹿毛
ビゼンニシキ
1981 栗毛
*ダンディルート Luthier
Dentrelic
ベニバナビゼン *ミンスキー
カツハゴロモ
ネヴアーイチバン
1971 黒鹿毛
*ネヴァービート Never Say Die
Bride Elect
ミスナンバイチバン *ハロウエー
*スタイルパツチ
ダイタクブレインズ
1975 鹿毛
FNo.1-b
*テスコボーイ
1963 黒鹿毛
Princely Gift Nasrullah
Blue Gem
Suncourt Hyperion
Inquisition
クリスミレ
1956 栗毛
クリハナ *プリメロ
オホヒカリ
ケンタキー *ダイオライト
競走馬の4代血統表

クロスNasrullah 5×4(9.38)

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関連項目

JRA賞最優秀父内国産馬
優駿賞時代 1982 メジロティターン | 1983 ミスターシービー | 1984 ミスターシービー |
1985 ミホシンザン | 1986 ミホシンザン
JRA賞時代 1980年代 1987 ミホシンザン | 1988 タマモクロス | 1989 バンブービギン
1990年代 1990 ヤエノムテキ | 1991 トウカイテイオー | 1992 メジロパーマー |
1993 ヤマニンゼファー |1994 ネーハイシーザー | 1995 フジヤマケンザン |
1996 フラワーパーク | 1997 メジロドーベル |1998 メジロブライト | 1999 エアジハード
2000年代 2000 ダイタクヤマト | 2001 該当※1 | 2002 トウカイポイント | 2003 ヒシミラクル |
2004 デルタブルース | 2005 シーザリオ | 2006 カワカミプリンセス |
2007 ダイワスカーレット
※1.該当しを除く最多得票ナリタトップロード
競馬テンプレート

脚注

  1. *7着とは言っても勝ちハイドザマスクからは0.4差であり、着順ほど大敗はしていなかった。ちなみにビハイドザマスクはスプリンターズSで単勝3番人気に推されることになる。どうしてここまで人気が落ちたのだろうか…
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