ブラックホーク(競走馬) 単語

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キョウソウバノブラックホーク

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ブラックホーク(Black Hawk)とは、1994年生まれの日本の元競走馬種牡馬である。日本最強の個人馬主とのちに最強を管理する厩舎に初重賞・ひいては初GIをもたらした

な勝ち
1998年:ダービー卿チャレンジトロフィー(GIII)
1999年:スプリンターズステークス(GI)、スワンステークス(GII)
2000年:阪急杯(GIII)
2001年:安田記念(GI)

概要

血統~デビュー

ヌレイエフシルバーレーン、シルヴァーホークという血統。はかの大種牡馬ノーザンダンサーで、自身も2度リーディングサイアーいた名種牡馬グラスワンダーなど多くの活躍を出した名種牡馬おじには1989年ジャパンカップで爆走を見せたホークスター。ぴっかぴかの良血である。

英国にて生産された外国産馬で、95年のセリにて金子真人氏によって落札される。のちにクロフネキングカメハメハディープインパクトなど数多くの名を所有する金子氏であるが、この年に馬主を始めたばかりであった。この時点ではさほど見栄えする体ではなかったとのことだが、走りそうな良い眼をしていたのだろうか。

落札後はノーザンファームにて繫養され、やがて枝栄厩舎に入厩する。のちに三冠アパパネGI9勝アーモンドアイなどを管理する枝厩舎だが、当時はまだ1990年の開設から日も経たない駆け出しといったところである。調教を始めるとなかなかにいい動きを見せ、期待も高まっていった。

1997~1998年

デビューはやや遅れて年明けの1月中山競馬場岡部幸雄騎手上にデビュー。好スタートを切るとそのままスローに持ち込んで勝利。その後は外国産馬ということもあってNHKマイルカップすも跛行による出走停止などもあって500万下条件戦を勝てず、出走を逃す。

次走ではのちの戦となる横山典弘上に据えて後方一気の競馬500万下を突破したが、次走の900万下は2着。おまけに右前肢に腫れを生じてしまい、休養に入らざるを得なくなってしまった。しかしこの休養が奏功し、体が本格化を始める。

安田記念標に翌年2月に復帰。復帰戦は4着だったが、そこから3連勝でGIIIダービー卿チャレンジトロフィーを奪取。馬主と厩舎に初重賞称号をもたらした。意気揚々とGII京王杯スプリングカップへと向かったが、ここにいたのが同期最強マイラタイキシャトル京王杯では3着、本番安田記念では2番人気を背負いながら不良馬場で全く伸びず11着惨敗。おまけにまたしても脚部不安を発症、骨折も合わさって1年以上の休養を余儀なくされた。

1999年(旧6歳、現5歳)

GIマイルチャンピオンシップして夏競馬関屋記念から復帰すると、GIIIを2着、3着としいまだに衰えていないところをアピールGIIスワンステークスでは1倍台の人気に応えて重賞2勝を飾る。本番マイルチャンピオンシップでは当年の安田記念を制したエアジハードに次ぐ2番人気に押された。

上に武豊を迎えたレースキョウエイマーチ逃げを打つ中先団でレースを進めていくが、最終コーナーで外に押し出されてしまった結果エアジハードに抜け出され、さらには大外を回ってきたキングヘイローにも差されて3着に終わった。

ここまでマイル路線を進んできた当だが、次走にはまだ(結果的には最後の)12月開催だったスプリンターズステークスを選択。この選択には当レースの騎乗予定がなかった横山典弘騎手から提案があったこともあり、以降戦に据えられることとなる。

この年のスプリンターズステークスの出走だが、アベイユ・ド・ロンシャン賞を制し海外GIとなったアグネスワールド、当年の高松宮記念を制したマサラッキ、前年のスプリンターズステークスタイキシャトルシーキングザパールを下す大金星を挙げたマイネルラヴ、その他にもキングヘイローキョウエイマーチメジロダーリングなど多面子がそろっていた。1番人気アグネスワールドで本は2番人気につける。

レースが始まるとアグネスワールドマイネルラヴトキパーフェクトがハナを進み、それを追うようにして本は進む。直線でアグネスワールドが他2頭を競り落として先頭に立つが足が残っておらず、それをめがけて突っ込んできたブラックホークゴール寸前で見事に捉え、クビ差で悲願のGI制覇を果たした。金子氏、調教師ともに初のGI制覇。最高の形で1999年を終えた。

2000年(旧7歳、現6歳)

今後もスプリント路線で進むことが決まった同。休養を挟んでGIII阪急杯から始動し、好位からの抜け出しという横綱相撲勝し、今年もこの下だと思われた、のだが…。

本番のGI高松宮記念。堂々の1番人気である。しかしながらレース本番ではもあって外を回らされる苦しい内容。それでも先頭を行くアグネスワールドめがけて必死に足を伸ばしたものの大外からキングヘイローが撫で切ったあ!!」されて4着に終わる。

この1戦で歯車が狂ったか、京王スプリングS(2着)、安田記念(9着)、セントウルS(2着)と3連敗。おまけに呼吸器疾患まで患ってしまった。連覇を9月開催になったスプリンターズステークスにはアグネスワールドに次ぐ2番人気で乗り込んだがダイタクヤマト逃げ切り逃げ切り逃げ切り!!」の前に3着。その後もマイルCS(8着)、CBC賞(2着)とこの年はまさかの年初の1勝に終わる。

2001年(現7歳)

再び7歳となった2001年だが、本は前年同様に勝ちきれないレースが続く。阪急杯高松宮記念と連続で2着、京王杯スプリングカップは3着。すでに同期はおろか1つ下のアグネスワールドマイネルラヴなどライバル引退し始めており、いよいよ限界説がささやかれ始める。

それでも3度となる安田記念に出走。マカヒキを長く使用してるのがなんとなくわかる気がする。過去に実績のないマイルGIということもあり9番人気全に終わった扱いである。

ブラックホークスタートを決めたがすぐに控える。直線に入った時点で後方2番手。これまで先行抜け出しを図ってきたがそれでは勝てないと覚悟を決めた、営の打った追い込み策であった。営の思いに応え、本馬場状態が良い大外を疾走。ゴール寸前でりこみを図るブレイクタイムを捉え、1年3かぶりの勝利、そして1年半ぶりとなるGI2勝を果たした。

安田記念後も現役続行予定だった(香港から香港国際競走に来てほしいとのオファーも来ていたという)が走の代償か膜炎を発症、潮時として引退が決まった。

通算28戦9勝[9-8-6-5]、生涯獲得賞は6億5267万円。休養を挟みながらとはいえデビューから4年半の長きにわたって活躍したであった。

引退後

引退後は社台スタリオンステーション種牡馬入りした。ノーザンダンサーの直系ということで期待されており、100頭以上の種付けを行った年もあったのだが産駒の中央重賞勝ちはGIIIを2勝どまりと結果を出すことができず、その後ブリーダーズ・スタリオンステーションへと移動。2011年からは九州に移って引き続き種牡馬として活動していたが、2015年7月死亡。21年の生涯を終えた。

余談

血統表

Nureyev
1977 鹿毛
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Special
1969 鹿毛
Forli Aristophanes
Trevisa
Thong Nasrullah
Rough Shod
Silver Lane
1985 黒鹿毛
FNo.5-g
Silver Hawk
1979 鹿毛
Roberto Hail to Reason
Bramalea
Gris Vitesse Amerigo
Matchiche
Strait Lane
1974 黒鹿毛
Chieftain Bold Ruler
Pocahontas
Level Sands Mahmoud
Crawfish
競走馬の4代血統表

クロスNearco 4×5(9.38%)、Mahmoud 5×4(9.38%)、Hyperion 5×5(6.25%)、Nasrullah 5×5(6.25%)

関連動画

全28戦ダイジェスト

栄冠をつかんだ2戦

撫で切られました(実況JRA公式のもの)

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