アグネスワールド とは、1995年生まれの日本の元競走馬・種牡馬である。主戦騎手は武豊。
その名の通り、世界を舞台に活躍した快速馬。長らく日本史上に残るレコードタイムを保持した馬である。
主な勝ち鞍
1997年:全日本3歳優駿(GII)、函館3歳ステークス(GIII)
1999年:アベイ・ド・ロンシャン賞(G1)、CBC賞(GII)
2000年:ジュライカップ(G1)
父は大種牡馬ダンチヒ(ダンジグとも)、母ミステリーズ、母父は米史上初の無敗の三冠馬シアトルスルー。血統からわかるとおりアメリカ生まれの外国産馬である。半兄にスプリンターズステークスを勝った巨漢ヒシアケボノ、甥にはいずれも欧州でGIを勝ったDubai Destination(クイーンアンS)とLibrettist(ジャック・ル・マロワ賞、ムーラン・ド・ロンシャン賞)がいるので良血の部類に入るだろう。
3歳6月、この世代の新馬戦が始まった日にデビューし初戦から後の重賞馬エモシオンらを斬り捨て圧勝。続く函館3歳Sもレコード勝ちし、同世代の重賞勝ち一番乗りを果たす。しかしこの後骨折で朝日杯3歳ステークスにはぶっつけ本番になり、同じ外国産馬のグラスワンダーにぶっちぎられ4着に敗れる。この後全日本3歳優駿(当時はGII)に回り、初ダートではあったが力の違いで楽勝。明けて4歳、シンザン記念でダンツシリウスに5馬身ぶっちぎられ2着に敗れると再び骨折。長期療養に入る。
丸1年休養し、5歳1月のガーネットSで復帰するが6着。しかしこの後OP特別とシルクロードSを連続2着199宮記念も5着に健闘、軌道に乗り始める。安田記念では普通に負けたけど。調教師の森秀行いわく、この馬は気性のせいか「短ければ短いだけいい馬」だったという。
夏、アグネスワールドは休むことなく改修したばかりの小倉に遠征。OP特別の北九州短距離Sに出走する。
このレース、アグネスワールドは圧倒的1番人気に応え、スタートから500m余りで先頭に立つと直線ではひたすらぶっちぎり圧勝。驚くべきはその勝ち時計。1分06秒5。なんとローカルのOP特別で日本レコードが出てしまったのだ。このレコードは2021年7月に同じ小倉競馬場で1分06秒4、更にその翌日には1分6秒0と2日連続で記録更新されるまで、実に22年もの間芝1200mの日本レコードとして燦然と輝き続けた。ちなみにGIスプリンターズステークスのレコードは2012年にロードカナロアが出した1分06秒7。しかもカナロアは9番手から差してきたのに対し、アグネスは実質逃げて勝ったのである。ちなみに、このレースで沈没した馬の中にダイタクヤマト、メイショウアヤメ(メイショウマンボの祖母)もいたりする。
この後小倉でもう1戦OP特別を走り、前走ほどではないが楽勝。ようやく本格的に調子が上がってくる。
夏を終えると、実力を見込んだ陣営はなんとフランス遠征を決定。凱旋門賞デーに行われる芝直線1000mのGIアベイユ・ド・ロンシャン賞に参戦する。アグネスワールドは先行策から一旦かわされるも差し返すという強い競馬で勝利。初GⅠを海外で挙げる。この直後、凱旋門賞でエルコンドルパサーがこれまた歴史に残る激走を見せることになる。ちなみに当レースでアグネスワールドに差し返され2着に敗れた地元馬インペリアルビューティーは、2年後に武豊鞍上でこのレースを勝つことになるのだが、それはまた別の話。
帰国後、GIICBC賞(in小倉)はこの年の高松宮記念を勝ったマサラッキを封じ逃げ切り勝ち。しかしGIスプリンターズステークスはゴール板寸前でブラックホークの強襲を受け2着に敗れる。
2000年は高松宮記念から始動するが、キングヘイローとディヴァインライトの末脚に勝てず僅差の3着に敗戦。普通ならこの後安田記念を目指すところだがマイルはこの馬には長い。ということで、なんと競馬の本場であるイギリス遠征を敢行。前哨戦のGIIキングズスタンドSでは2着に敗れるが、本番のGIジュライカップでは2番手から抜け出し、最後は3頭並んでの大接戦を制して海外GI2勝目を挙げる。
帰国後は10月開催になったスプリンターズステークスに出走するが最低人気のダイタクヤマトにまんまと逃げきられ2着。今度はアメリカに遠征しブリーダーズカップ・スプリントに挑戦するが8着に惨敗。これを最後に引退した。
通算20戦8勝。GIは海外のみ2勝。コーナリングが苦手で、直線競馬の欧州短距離戦だと本領を発揮できたらしい。それでもスプリンターズSでは2回2着になってるところが彼の絶対的スピードを物語っている。
日本調教馬として他に2ヶ国で海外GIを勝った馬は2015年の香港カップと16年のイスパーン賞(フランス)を制したエイシンヒカリと、2021年のクイーンエリザベス2世カップ・香港カップ(2戦とも香港)とBCフィリー&メアターフ(アメリカ)を制したラヴズオンリーユーのみ。また、イギリスでGIを勝った日本馬も2019年のディアドラ(ナッソーS)まで現れることはなかった。ゼンノロブロイもハーツクライもエアシャカールもディープブリランテもその壁は超えられなかったのである。また、アグネスが勝ったアベイユ・ド・ロンシャン賞(フランス)とジュライカップ(イギリス)は、それぞれ当国の短距離戦線の最高峰というべき大レースである。ジュライカップを勝ったときは、現地どころかフランスでも競馬新聞の一面を飾ったというからこのレースの格と彼の偉大さが窺い知れよう。エルコンドルパサーやタイキシャトルなど同時期に海外遠征で伝説を刻んだスターたちに挟まれいまいち影が薄いが、アグネスワールドの偉業はもっと知られてもいいように思う。
引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬生活に入る。リース種牡馬としてイギリス、シャトル種牡馬としてオーストラリアにも渡った。非常に受胎率が低かったが、その中から交流重賞で活躍したアグネスジェダイなどを輩出した。また、シャトル先のオーストラリアでの産駒からWonderful Worldが当地でGIを勝ち、種牡馬入りを果たしている。
アグネスワールド自身は、腰痛の悪化により2012年8月に死亡。日本では後継者を残せなかったため、彼の血統はWonderful World1頭に懸かっている状態だが、彼も産駒成績が振るわず今は中国にいるのだという。稀代の快速馬の血は果たして……。
Danzig 1977 アメリカ 鹿毛 |
Northern Dancer 1961 カナダ 鹿毛 |
Nearctic 1954 黒鹿毛 |
Nearco |
Lady Angela | |||
Natalma 1957 鹿毛 |
Native Dancer | ||
Almahmoud | |||
Pas de Nom 1968 アメリカ 黒鹿毛 |
Admiral's Voyage 1959 黒鹿毛 |
Crafty Admiral | |
Olympia Lou | |||
Petitioner 1952 鹿毛 |
Petition | ||
Steady Aim | |||
Mysteries 1986 アメリカ 鹿毛 FNo.6-b |
Seattle Slew 1974 アメリカ 黒鹿毛 |
Bold Reasoning 1968 黒鹿毛 |
Boldnesian |
Reason to Earn | |||
My Charmer 1969 鹿毛 |
Poker | ||
Fair Charmer | |||
Phydilla 1978 カナダ 鹿毛 |
Lyphard 1969 鹿毛 |
Northern Dancer | |
Goofed | |||
Godzilla 1972 栗毛 |
Gyr | ||
Gently | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Northern Dancer 2×4(31.25%)
スピードも根性も一級品
掲示板
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最終更新:2024/12/26(木) 20:00
最終更新:2024/12/26(木) 20:00
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