于禁単語

ウキン

于禁とは、

  1. 三国志に登場する人物
  2. 歴戦動画101匹阿斗ちゃんシリーズ投稿者、ネコミミ于禁氏

ここでは1について説明。

概要

曹操麾下の名将

字は文則。泰山県(現在の山東)の出身。同郷の鮑信黄巾の乱に際して義兵を募るとそれに参加する。
鮑信の死後は曹操に仕え、以後曹操の下で数の軍功を立てた。

繡との戦いにおいて、混乱の中で味方に略奪を働いた州兵を処断しつつ冷静に次の戦いに備えてから曹操に報告した時、曹操から「いにしえの名将に勝る」とまで評価された。また、豨が謀反を起こした時、親友である事を頼りに于禁に降したが、于禁は包囲された後に降した者は許さないと涙ながらにこれをった。
于禁をはじめ張遼楽進張郃徐晃はみな曹操軍の名将とうたわれており、戦争の度に先鋒から殿軍までを任されていた(正史三国志には彼ら5人がまとめて一つの伝に収められている)。

晩年の悲劇

しかし219年(建安24年)、劉備配下の関羽に包囲された樊曹仁を救う援軍を率いた時、洪水に巻き込まれ、身動きが取れなくなった于禁は関羽に降伏。曹操新参ながら降伏を拒否してられた龐徳較して「わしが于禁を知って30年になる。危機を前に龐徳に及ばないとは思わなかった」と嘆じた。

于禁は関羽の捕虜となるも、荊州がに奪われると孫権の賓客となり、曹操死後に他の捕虜と共に孫権からに返還される。真っ白にやつれた于禁に対し、曹操の後継者の曹丕は表向きはねぎらいつつ于禁をへの使者に任命し、その前に曹操の墓(高陵)を参拝させた。そこには于禁が関羽に降龐徳が降伏を拒んでいる場面が描かれており、これを見た于禁は恥と怒りのため病に倒れ病没した。子のが後を継いだ。

評価・余談

  • 法をもって下の者を制御したため下の者は于禁になびかなかったと正史に記述がある。正史の注を書いた裴松之は、豨が降した時曹操に護送して万一の幸運を期待すべきだった、だから死んだ時厲侯(辜の者を殺戮する、という意味がある)という諡をもらったのだと于禁を批判している。
  • 于禁が関羽に降したことで兵卒達の命が救われただけでなく、の降兵数万を抱えた関羽は糧秣に苦しみ、結果として荊州失陥につながったという見方もある。
  • 孫権には厚遇されたが孫権配下の虞翻は于禁の態度を面向かって非難した(于禁自身はに帰った時虞翻を賞賛している)。曹丕の取った態度は『資治通鑑』で「曹丕は于禁を許すことも殺すこともできた。然るにこのような態度を取ったのは君のすべきことではない」と批判されている。
  • ところで2009年末に中国河南文物局が曹操の墓(高陵)を発見したと発表した時、世間では「本物の墓なら于禁が降している絵があるはずだ」というも聞かれた(らしい)。

各メディアにおける于禁

三国志演義

降伏した琮を曹操の命で暗殺したり龐徳の忠義を疑ったり悪役を演じている場面が多い。しかも関羽に降った時は命乞いまでしている。
「お願いでございます。命だけは、命だけはお助け下され」(in 横山三国志

蒼天航路

渋い見せ場が多い。関羽に降したのは彼なりの論見があったためで、そこには後悔の念はない。

日本テレビ版三国志

1985年日本テレビで放映されたアニメ三国志』では、なんと美少女として登場。金髪の美男子たる曹操に一途な想いを抱いている。
赤壁の戦い曹操をかばって戦死する。

真・恋姫†無双

恋姫無双シリーズには2作真・恋姫†無双からの登場。このゲームノリとして、当然のごとく美少女。可憐なメガネっ子で、名は沙和。楽進李典とは同期仲良しトリオにして、JKのごとき曹ファッションリーダー。しかし訓練となるとハートマン軍曹ばりの聞くに耐えない罵詈雑言を放つ(軍に所属して、初めて部下を持つことになったはいいが、可憐さ故に部下にめられっぱなしになった彼女に、元現代人の主人公が、部下の効果的な教育方法としてハートマン軍曹ノリをそのまま教えたためである)。

三極姫

三極シリーズでは1作からの武将として登場。楽進など他の武将が美少女化するなか男性キャラとして登場。
の武将で男性キャラの例は夏侯惇李典などがいるがその中でも一際影が薄い。性能面でも較的庸。
武人としての気を感じさせつつもどこかヤラレ役のような印を持つキャラクターとなっている。 

真・三國無双シリーズ

真・三國無双7猛将伝よりプレイアブルキャラに昇格(CV宮内敦士)。武器は三
黄巾の乱の頃より曹操軍の将として一線で戦い続けてきた古参の将。軍規に非常に厳格であり、敵味方問わず恐れられている。
デザインも武器も正統派の「三國志の将」を意識した作り。間に深いシワが刻まれているのが特徴的な苦みばしった壮年の男。

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于禁

188 ななしのよっしん
2018/08/26(日) 12:21:12 ID: QHcPeexlWB
于禁命乞いする姿って、結局曹操の墓にはそんなもの書かれてなかったんだよな。

じゃああの逸話ってどこから出たものなんだろう?

なんかTwitterで「の席で酔った曹丕いつもの弄りネタ」みたいなのを最近聞いたが・・・
189 ななしのよっしん
2018/09/03(月) 08:36:08 ID: AxK69x7D3U
志によれば曹丕は「陵屋」にその姿を描かせていた。
陵屋というのは基本的には墓そのものではなくて、墓に付随した建物のことをす(例外もある)。
曹操高陵ではそうした建物の遺物が発見されてないみたいなので、もしそちらに描いてあったとしたら残ってないのも当然ではある。
190 ななしのよっしん
2018/09/24(月) 10:16:25 ID: tXWRc9Gwi6
>>184
曹丕があんな対応をした「理由付け」は生き恥のせいだけど、曹丕本人の「理由」は邪魔だからだけだと思う
何せタイミング曹丕即位間もない時で、「の代からの大物」「曹丕の態度を明らかにしていない、というか後継者争いに関わった形跡がない」「理法ばかり優先する融通の利かない性格」と三拍子そろったが帰ってきていいタイミングじゃない
曹操とはまた違う意味で「死んでほしかった、せめて帰ってこないでほしかった」てのが本音だと思う
191 ななしのよっしん
2018/09/24(月) 14:07:30 ID: ggHySltJwU
しかも彼は軍人キャリアのなかでは抜群の存在で、もし使い続けるなら
相当の地位を用意しないといけないわけだしな、二代からしたら実に厄介
192 ななしのよっしん
2018/12/13(木) 23:10:38 ID: eVAqX0jIdd
この人みたいな「優秀だが傲慢で嫌われていた」というような人ってどんな人だろう…と思っているんだが、現代にもいるような「も高く仕事への意欲も高いんだが同僚部下に理解・協してもらう努がまるでなく僅かな粗でも見逃さずボロクソいう」みたいなタイプということなんかな。
193 ななしのよっしん
2018/12/17(月) 20:32:43 ID: h/UwPRYtqC
単に忖度や人情が測れなかっただけじゃね?
私財を蓄えることがなかったっていうと夏侯惇もそうなんだが、
は部下に与えていて、于禁ルールだからと上にそのまま納めていた感じじゃないかな
あとはまあ、晩節の違いだろう
194 ななしのよっしん
2019/03/19(火) 00:50:17 ID: ZCTGv/mxPH
97バカかよ お前みたいなカスがこの世から消えろ。
もしも関羽が樊で勝っていたら馬超(史実では全く活躍していない)並かそれ以上の待遇はされるのかな。内の軍事などの情報も知ってそうだし、処刑はしないだろう。
195 ななしのよっしん
2019/03/19(火) 11:21:13 ID: 0C/uHU1qYX
>>192
伝え聞く話を総合して現代の価値観で評価した場合、于禁傲慢とはほど遠い究極の堅物だよ
単に必要以上の論功行賞をしない堅物っぷりが当時の中国の感覚にあってなかった
色々なところで誇大な評価が蔓延してる世界でそんなことしたから嫌われただけ
196 ななしのよっしん
2019/03/27(水) 03:13:33 ID: jSMlY4hQ9y
于禁は私利私欲のい清廉な人柄だったが厳格すぎて人望がかった。少しでも乱れたところがあれば逆に擁護する者もいたかもしれない。

張遼たち3将が降将なこともあるが、于禁楽進は左右将軍に任じられ曹操軍では筆頭だったし、曹操存命中仮節鉞を与えられたのは于禁だけ。それだけ于禁曹操軍随一の大物で信用が厚かったからこその曹操の嘆きだろう。
を遡るつもりで船を用意していた関羽と違い、陸路を急いでいた于禁洪水の前にであったことは、于禁の評価を貶すことには繋がらないと思う。
197 ななしのよっしん
2019/06/08(土) 19:31:01 ID: MI5WIKs8kU
>>192
現代にもいるような「も高く仕事への意欲も高いんだが同僚部下に理解・協してもらう努がまるでなく僅かな粗でも見逃さずボロクソいう」みたいなタイプ

って、本当にいるのかなぁ?w
見たこといんだが。

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