張飛とは、
である。本項では、1.について説明する。
概要(演義準拠)
字は益德(演義では翼德)。生年不明、没年221年。燕人(えんひと)の異名を持つ。
肉屋を営んでいたところに劉備と出会い、関羽と共に桃園の誓いを結ぶ。
黄巾討伐から劉備の東征直前まで尽くした猛将。
長坂橋で曹操軍を一喝して足止めさせたエピソードが有名。
若い頃は酒による失敗で城を失うなど、酒乱で自滅することがたびたびあった。
最期は呉への復讐心に燃える暴走が引き金となり、部下に暗殺された。
桃園の誓い
長兄に劉備、次に関羽、そして自身を三兄として義兄弟となった。
長坂の戦い
曹操軍からの追撃を受けて寡兵状態の劉備軍の殿をうけ、当陽の長坂でわずか数十騎で橋を一つだけ残して他を破壊。兵には背後で伏兵の存在をちらつかせながら動くよう指示を出し、自身は残った橋の上に立ち曹操軍と対峙した。
張飛は大軍の曹操軍にひるむどころか、一喝して相手を威嚇。その仁王立ちぶりに肝を潰して落馬する者が現れ、曹操軍は戦意を大きく失い撤退、劉備軍は辛くも逃げ延びる事が出来た。これが三国志の有名な場面の一つ「長坂の戦い」である。
脳筋から知勇兼備へ
関羽と共に、曹・孫の参謀グループからその武を高く評価され「一人で一万人の兵に匹敵する」とさえ言われた。
その武勇は、関羽が「武勇ならば自分よりも張飛の方が強い」といった評価を下すほどであった。
かつては攻め一辺倒と言える猪武者だったが、入蜀期頃から厳顔への説得等、知勇兼備の指揮官に成長。武勇だけでなく策略も用いて難敵を退けることもあった。関羽とは違い、戦績を見る限りでは局地戦に特化した名将と言える。漢中王となった劉備が漢中の督に張飛ではなく魏延を抜擢したのも、あるいは遊軍として自在に動かせる切り札的存在として張飛を温存したかったのかもしれない。
身分の低い者には容赦無し
陳寿の三国志正史によると、目上の者、思慮のある人物や忠義の将には丁寧に扱う反面、兵卒程度の下っ端には容赦なく、命令を素直に受けない部下に体罰を加える事は張飛にとって当たり前のやり方だった。気に入らない部下を度々処刑することもあり、劉備から常々注意を受けていたという。
さらに、劉備や関羽と三兄弟が離ればなれになっている時、張飛は荷馬車を襲って食料を得るなど、山賊まがいなことをやって過ごしていたとされる。
221年、劉備の呉討伐に熱が入るあまり張飛は暴走。彼の部下である張達と范彊の二人に暗殺されてしまった。
嫁は夏侯姓の少女
劉備が劉表に身を寄せていた時期に、夏侯姓の10代の少女を拾って嫁にしたため、ロリコン疑惑が浮上している。
記録の一つでは、西暦200年とされており、曹操が袁紹と激戦を繰り広げていた時期で、袁紹陣営に属していた劉備にも複数回、兵を派遣している。時期的には、それらの戦場の中での捕虜であったのかもしれない。
なお、その嫁は後に劉禅の后となる姉妹を産み、夏侯覇の亡命の際に一役買っている。ただし裴松之はこの説を否定している。
実は彼も演義の被害者?
演義では聖人君子として描かれた劉備の影響で、本来は劉備が粗暴な振る舞いを行ったはずなのに張飛に代えられている描写が多いことでも知られている。その他物語を彩るコメディ役を担う事が多い。
むろん、正史でも部下に苛烈に厳しかったと、乱暴者を強調する記述はあるが、酒乱で失敗したなどのエピソードはなく、自分より知識があると認めた人物には進んで敬意を払うなど、常識的な人間であると、特に説明されている。
名のある戦いにおいても、敵軍を撃破する描写が多く、脳筋ではなく優れた戦闘指揮官であったと思われる。
笑い話
中国のある時代のこと、とある男が打ち捨てられていた人骨を見かけ、哀れに思い供養してやった。
するとその夜、男の家の門を叩く者が。
「誰だ?」
「フェイと申します」
「どこのフェイさんだい」
「妃(フェイ)です。楊貴妃です。私は殺されて骨も打ち捨てられていましたが、あなたが供養してくれました。お礼に今晩は夜伽をさせてください」
なんと落ちていた骨は世界3大美女の1人、楊貴妃のものだったのである。
その話を聞いた隣の家の男は、やはり打ち捨てられていた骨を見つけ、丁重に供養してやった。
そしてその夜、
「来たか!誰だい?」
「フェイと申す」
「おお、楊貴妃かい?」
「いえ、飛(フェイ)でござる」
「……飛?」
「張飛にござる。供養していただいたお礼に、尻を貸しに参った。さあ遠慮無く」
どっとはらい。
ハルヒ?
インターネットでは、語呂や横山三国志の冠がカチューシャに似てる、傍若無人な性格からか「ハルヒ」「張る飛」とコメントされる事もあるが、それが原因で「オタ死ね」などのコメント喧嘩も発生しやすい。なるべく張飛と呼ぶべきである。
念の為に書いておくが、涼宮ハルヒや涼宮 哈爾濱(ハルビン)とは一切関係無い。
張飛の子孫
張飛の子孫については、三国志正史には息子として張苞・張紹が存在している。また、張飛には二人の娘が存在し、後に劉禅の皇后となったため、敬哀皇后・張皇后と呼ばれる。
張苞が張飛の生前に死去し、張苞の子が幼かったため、張紹が後を継いだ。
敬哀皇后の死後に、妹である張皇后が劉禅の皇后となった。そのため、張紹や張遵は劉禅に外戚となった。
張紹は蜀に仕えて、劉禅のもとで侍中・尚書僕射にまで昇進しており、蜀の滅亡時も存命している。劉禅の洛陽行きに随行し、列侯にまでなった。
また、張遵も尚書まで昇進し、諸葛瞻に従い、綿竹において魏の鄧艾の軍と戦い、戦死している。
漫画・ゲーム・小説の張飛
ニコニコ歴史戦略ゲーでの張飛は仁義に熱い漢と設定する作品が多く、脳筋ではあるものの愛すべき馬鹿として親しまれている。
横山光輝三国志
頬には大きな傷、緊箍児(きんこじ)と呼ばれる輪っかのようなものを頭につけている。
酒による成功・失敗した戦での描写が多い。
時に激怒、時に号泣。また、劉備が漢中王を名乗る事を決意した時の「うほっ」も印象的である。
アニメ版CVは「クレヨンしんちゃん」野原ひろし役でおなじみの藤原啓治。
蒼天航路
だいたいイメージ通りの張飛。
長坂では曹操と無言のやり取りをかわし、張飛の見事な考えに感服した曹操が軍を引き上げる。しかし曹操と張飛が考えていた事は違っていた。
三兄弟+孔明のうちもっともアレが小さいらしい。(孔明>劉備>関羽>>>張飛)
ランペイジ
主人公であるが、女劉備の印象が根強いせいか食われかかっている。残念ながら現在は連載が凍結している。
最強武将伝 三国演義
やっぱりイメージ通りの張飛。
しかし「喜びのあまり劉備の前で踊りだす」「兄弟3人で軽業(サーカス?)を見に行く約束を、諸葛亮に会いに行くために諦めされられてブーたれる」「案を言ったら関羽に爆笑されてしょげる」
極めつけに「前期EDでものすごい表情で生首が飛んでいく」 など、 妙に萌えキャラ。
コーエー三国志シリーズ
能力値は後述の補足を参照。脳筋部分を知将で支えてカバーしたい。
三國無双シリーズ
CV:掛川裕彦 格ゲーの頃から使用可能。 基本的な性格は演義準拠。
体力と攻撃力はトップクラスに位置することが多い。NPCでは強化武将として登場することも多い。
初期の頃は攻撃範囲が狭く、蛇矛を持て余していたが、ナンバリングが進むにつれ使いやすくなった。
無双OROCHIシリーズでは、「日の本の張飛」と称された本多忠勝と仲が良い。
三国志大戦シリーズ
劉備の項目同様、数多くカードが存在するため細かい紹介は省く。
本作では張飛の妻にあたる夏侯月姫(名前は本作オリジナル)やその娘、張姫が登場する。
恋姫†無双
無印から参戦、真名は「鈴々」。語尾に「~のだ」を付けるロリ。
朱里(諸葛亮)や季衣(許楮)などロリ化している武将は他にも居るが、
設定上成年のはずだが見た目や性格を加味すると最も犯罪臭が強い。下手をすれば璃々(黄忠の娘、ガチペド)クラス。
関連動画
補足
コーエーの三國志シリーズにおける張飛の能力一覧。
関羽と比較して「武力+1」が定着しているようである。
能力一覧 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 陸指 | 水指 | 身体 | 運勢 |
三國志 | - | 99 | 32 | - | 33 | - | - | 98 | 36 |
三國志II | - | 99 | 32 | - | 35 | - | - | - | - |
三國志III | - | 99 | 30 | 18 | 36 | 83 | 70 | - | - |
三國志IV | 79 | 99 | 39 | 22 | 39 | - | - | - | - |
三國志V | - | 99 | 45 | 17 | 44 | - | - | - | - |
三國志VI | 79 | 99 | 48 | 24 | 43 | - | - | - | - |
三國志VII | - | 96 | 31 | 26 | 38 | - | - | - | - |
三國志VIII | - | 98 | 31 | 26 | 43 | - | - | - | - |
三國志IX | 83 | 98 | 35 | 22 | - | - | - | - | - |
三國志X | 86 | 98 | 33 | 22 | 44 | - | - | - | - |
三國志11 | 85 | 98 | 30 | 22 | 45 | - | - | - | - |
関連商品
関連項目
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