国鉄専用型式(かたしき)とは、国鉄バス→JRバスにかつて存在した特殊車両である。国鉄専用形式(けいしき)と言われる事もある。
前史
時は1950年代末期、高速道路建設の構想が膨らむ中で先々は高速道路時代になるだろうと予測した国鉄では、それに先駆けて、試作車両を日野といすゞ、三菱ふそうに依頼した。完成した車両はそれぞれ流線型であり、まだその当時は路線バスに毛の生えた程度の観光バス(下手すりゃボンネットバス)が多かった中で、グレイハウンドで見られるようなアメリカ大陸縦断バスを思わせるデザインであった。バス専用道である白棚線や名神高速道の完成区間でテスト走行され、日野といすゞは営業にこそ供されなかったがふそうはその後に営業用として運用された。
これらの試作車を踏まえて1964年に名神高速道路が開業すると国鉄は各メーカーに高速道路用車両の依頼を行った。国内4メーカーがこぞって車両を輩出したが、とりわけ日野は水平対向12気筒エンジンをかっ下げて出力320馬力というその当時では桁外れもケタはずれなエンジンを搭載した。
国鉄専用型式の登場
さて、1969年に開通予定の東名高速道路でも路線運行が行われる事となり、新型車両の導入をおこなうことになったのだが、名神高速での事例を踏まえ、更にハイレベルな仕様が選定される事となった
- 自然吸気で出力320PS以上
ターボチャージャーは技術的な面で疑問視された為に認められなかった。但し、日産ディーゼルは掃気の為にスーパーチャージャーが必須である2サイクル・ユニフローディーゼルであった為、例外とされた。なおこの当時のトラックは200馬力をやっと越えた車両ばかりであり、300馬力越えは皆無であった。 - 最高速度140km/h、巡航速度100km/h
この当時の平均的な乗用車の最高速度はせいぜい120km/h。 - 3速80km/hを出せるギア比
ゼロヨン29秒で4速80km/hから100km/hは15秒以内 - 耐フェード性などに対応できるブレーキ
余談ながら、この当時の乗用車はほぼドラムブレーキ。 - サブエンジン式クーラー
直結式を採用した名神用の高速バスはオーバーヒートや登坂時におけるクーラーカットが問題となった。 - チューブレスタイヤ
この当時はチューブタイヤがほとんどであった。 - トイレ装備
ドリーム号などに使用されるので、これは必須となった。 - 30万キロノンオーバーホール
この時代における日本車の技術レベルはまだまだ低く、タクシー用途に供されるなど頑丈な事に定評のあるその当時のトヨタ・クラウンでさえ自動車大国アメリカでは故障頻発で撤退の憂き目にあった程。
各メーカーが用意した車両
こうして各々のメーカーは技術の粋を集めて、新型車両を登場させた。形式については国鉄バスの記事内にある車両称号の部分を参照して頂きたい。
日野・RA900P(747形)
車体は帝国車体が担当した。水平対向なので車内にエンジンの出っ張りが存在しないので、スペースの有効活用が可能となった。大きな特徴はラジエターをフロントに持ってきたことであり、これが見かけ上の大きな特徴となった。なお中の人曰く「足元が熱い」
三菱・B906R(744形)
エンジンはB800型に搭載されていたV6エンジンを二つくっつけたV12エンジンで出力は350PSであったが、実際は400psはあったらしい。なので乗用車をカモにする事も余裕であったと言われた。車体架装は富士重工が担当した。
その後、エンジンはV10型となったがそれでも鬼パワーぶりは相変わらずであったとか。
日産ディーゼル・V8RA120(748形)
エンジンは日産ディーゼルが独自に採用していた2サイクルディーゼルエンジンのV8エンジンをひっさげて登場した。この当時における大型トラックであるサングレイトでさえ搭載していなかったエンジンで日野が排気量15000ccでふそうが20000ccという大排気量の中、9900ccという小排気量であった。しかし、2サイクルディーゼルのメリットが大いに生きて、340psを発揮した。エンジンの構造上、スーパーチャージャー装着が必須なので、この車のみは過給機が付いている。非常に独特なエンジン音であり、国は違うが、概ねこんな感じのエンジン音である。
車体架装は富士重工である。なお、その後に排ガス規制によって、4サイクルディーゼルとなった。
いすゞ・BH50P(741形)
エンジンは新規に起こした4バルブV8エンジン330psを引っ提げ、総輪ディスクブレーキを装備、車体架装は川崎重工が担当した。この当時の車体はいわゆるオバQボディである。川崎重工は国鉄に卸すのはこれが最初であった。
機軸的に見ても、上記3メーカーと比べても非常に先駆的であったのだが、出力は実際には320psしか発生しなかった為に国鉄の要求を満たせなかった事、ディスクブレーキの摩耗が非常に激しかった為、コスパの面で敬遠されて本格導入とならず、2台の未導入であった。
ディスクブレーキは今持って本格採用の大型車はほとんど存在せず、良くも悪くもいすゞの先見性が垣間見える車両であった。
この他の装備
こうして完成したこれらの車両にはいくつかの特別装備がなされていた
- 電気式ホーンの設置
通常のバスはエアーホーンが装備されていたが、これとは別に足踏み式のボッシュ製タイプの電気式のホーンが装備されていた。これはバスストップでの通過などに使用されてたもので、JRバスになって以降も、しばらくは導入がなされていた。この音を再現する場合は「ボッシュ スーパーホーンクラシック」と検索すると出てくるのだが、物自体がすでに生産されておらず、中古品を探すほかない。 - 運転台配置の統一
メーカーに関係なく、運転台の配置は統一されており、そのメーカーを判別する術はハンドルにあるコーポレートマーク程度しかなかった。 - 電気式速度計の設置
上記の運転台統一と合わせ、速度計もまた特別なものであった。この当時はほぼ100%ワイヤー式の速度計にあって、正確性や経年によるブレの心配のない電気式が採用された。速度の針が真上を指して100km/hとなる特別仕様であった。 - パワステの専用チューニング
高速道路に特化したパワステのセッティングがなされたが、下道では体を使わないととても曲がらない重さだとか。
このように高速道路での路線運用に特化された装備がなされ、また鉄道が母体らしい鉄道の思想があちこちに垣間見えるバスとなった。
実際の運行
こうして運行に供された国鉄専用形式。言わば大型車両の技術の結晶であり、昼に夜に大活躍であった。殊にその当時では群を抜く高性能にこんな事をいうドライバーがいたとかいなかったとか。
,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
(.___,,,... -ァァフ| あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
|i i| }! }} //|
|l、{ j} /,,ィ//| 『おれは東名高速をを走ってたら
i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ いつのまにか路線バスに物凄い勢いで抜かれてた』
|リ u' } ,ノ _,!V,ハ |
/´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人 な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
/' ヾ|| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ おれも何をされたのかわからなかった…
,゙ / )ヽ iLレ u' | | ヾlトハ〉
|/_/ ハ !ニ⊇ '/:} V:::::ヽ 頭がどうにかなりそうだった…
// 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
/'´r -―一ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐ \ レッドゾーンぎりぎりだとか超スピードだとか
/ // 广¨´ /' /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
ノ ' / ノ:::::`ー-、___/:::::// ヽ }
_/` /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::...イ もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…
前述した通り、その当時300馬力越えのトラックは皆無であり、乗用車でさえアメ車の様な外車を除けば100馬力ない時代にあって、下手すりゃ噂レベルであるが400馬力行ってたような国鉄専用型式には「ロケット」というあだ名があったとか。時には乗用車もカモに出来る程であり、その性能のケタ違いぶりを感じさせるものであった。
そんなわけでこんな噂も...
- 直6UDエンジン搭載のサングレイトなら大丈夫だろうと思っていたら型遅れの国鉄専用型式のドリーム号20台にぶちぬかれた。
- 「そんなバカっ早なわけがない」といって出て行ったトラック野郎が5分後東名でぶち抜かれてた。
- 「何も積まなければ負けるわけがない」と空車で出て行ったトラック野郎が燃料と時間を盗まれ失意の表情で戻ってきた。
- 東京から大阪で国鉄専用形式に追い抜かれる確率が150%。行きで抜かされ また帰りでぬかされる確率が50%の意味
落日の型式
このように高速道路時代を見据えて、高速バスに特化した車両として華々しく登場した国鉄専用型式であるが、特化しているがため、汎用性に乏しい側面がメーカーに重くのしかかった。
バスに限らず、大型車においては1速は通常は使用せず、発進は2速が当たり前であるにもかかわらず国鉄専用型式においては1速発進が基本であった。なのでこれに対応した専用のギアミッションを制作せざるを得なかった。また公道を走る以上は形式認定を取得する必要があったのだが、国鉄向けに専用の形式を起こす手間も存在していた。さらにその性格上、こうした専用の部品の確保も必要不可欠で、メーカーには重荷となっていた。そもそもバスはトラックとの部品共有がキモとなっており、それが効かないと言う事は商売としては利益をそれ程生まないうま味のないものとなっていた。
これに対し、国鉄で何か便宜なりバックアップしてくれると言う事は無く、排ガス規制や騒音規制の対応でメーカーにかかる負担が大きくなっていった。さらに技術進歩によって、国鉄専用形式でしかなしえなかった高性能を民生用でも確保できるレベルに向上させた一方で、バスストップでの加速性能確保に代表される伝統墨守とも言える要求は現実とのかい離が甚だしく、日野自動車はそんな状況を見限って1975年に撤退、三菱ふそうと日産ディーゼルは引き続き導入を続けた。
最後の国鉄専用形式、そして終焉
三菱ふそうと日産ディーゼルはそれぞれの抱える事情から、引くに引けない状況だった為に引き続き国鉄専用形式を導入していったが、もはや国鉄専用形式の性能要求は著しく旧態化したものでしかなかった。内装に関してはそれなりに時代に合わせた改善を行ったが、1980年代に突入すると性能・信頼性・車両の仕様ともに民生用は国鉄専用形式を大きく上回っている状況であった。そして民生用でハイデッカー車両が登場したことで、1960年代のままの標準床・モノコック車体で導入されていた国鉄専用形式はいよいよ陳腐化が進んでいった。
そして日産ディーゼルはそんな状況を見限ってか、1981年に撤退した。
P-MS735SA
1984年に導入された、最後の国鉄専用型式であり、その車体は当時の富士重工のスケルトン車体で固められていた。登場したエンジンはついにターボチャージャーが認められ、350psを発生した。1速発進の5速MTなどの高速道路に特化した仕様はそのままであるが、スケルトン車体やハイデッカー構造、ターボチャージャーの装備は一気に80年代のバス車両のトレンドを導入したものとなっている。ヘッドランプは角目の2灯で印象を強めたものになっている。
こうして1986年まで導入がなされたが、技術革新は日進月歩の勢いであった事や、国鉄分割民営化もあり、この車両を持って、国鉄専用形式は終焉を迎えた。
後日譚
国鉄が1987年に分割民営化したのと同様に、国鉄バスも分割民営化された。国鉄の縛りが取れたので民生車両の仕様を心おきなく導入となったのだが、高速道路路線、とりわけ東名ハイウェイバスにおいては民生車ベースのハイパワー車両の特注車両の発注が多かった。
車体はエアロバスでありながらも、シャーシは高出力エンジンに対応しているエアロクィーンMの物を使用したバスやエアロバスの車体にMS735SAのシャーシを使用した車両など、パワー厨バスが多く登場した。なおこの時すでにギアは2速発進を基本とした6速MTを導入している。
そして現在でも東名ハイウェイバスに投入される車両は基本的に高出力車での導入がなされている。
評価
高出力・高加速など常に高負荷な状況で使用された国鉄専用形式。性能を高速道路での使用にステータスを全振りした為、汎用性や下道での使用では難があったが、1960年代という日本における車の進化の黎明期にあって、メーカーが威信をかけて開発した車両はバスのみならず大型車全体の技術力向上の一役を担ったと言っても過言ではない。
そして今日における高速バスは国鉄専用形式が走っていたころに比べても津々浦々で活躍する姿がみられ、高速バス黎明期を力強く支えた国鉄専用形式の存在は決して欠かす事は出来ない。
保存
約10数年継続して生産され、そして高速バスの黎明期を支えた存在でありながらも、保存されている台数は3台のみである。無論、草ヒロを含めればもう少し台数はあると思われる。これは高速道路使用に特化されているがためにハンドルの重さや操作性などの面で貸切転用には耐えうる事が出来ず、譲渡しようにも特殊過ぎる仕様が敬遠され、廃車後はそのまま解体と言うケースが多かった。それ故に保存車両が少ないと推測される。解体にしても軽合金が多用されていた為、スクラップとしても持てあましていたとか何とか。だからこそ草ヒロが多いのかも
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関連項目
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