肝練りとは、
を指す。「胆練り」とも表記される。当記事では2を中心に説明する。
概要
輪になって複数人が座り、輪の中心に鉄砲を地面と平行になるように縄で吊るす。そして鉄砲を手で何度も回してよりを作った後、鉄砲に着火した後に手を放す。すると縄の力によって鉄砲が回り続け、そして弾が放たれる。
薩摩地方で度胸試しとして行われていたとよく語られるが、誰かに弾が当たって最悪死亡する可能性のある行為でもある。
1800年前後の時点で既に「薩摩の武士によって行われた」とする噂話としては存在していたとみられる。ただし、実際にやった場面に立ち会った、あるいは事件として取り沙汰されたとする記録はない。仮に肝練りをやっていたとしても、習慣として行われていたのか、それとも一部の武士が若気の至りなどの理由で一回だけ行ったのか…といった詳細についても不明である。
ちなみに当時の史料では「肝練り」「胆練り」とは書かれていない。おそらく後世の創作物を経て「胆練り」と呼ばれるようになり、さらにインターネットに広まる際に「胆」より「肝」がパソコン・スマホなどでは変換しやすいために「肝練り」とも表記されるようになったと思われる。
肝練りを取り上げた創作としては、直接的に薩摩を舞台として肝練りが登場する漫画『薩南示現流』がよく引き合いに出されるほか、『野獣社員ツキシマ』では「火縄盆」として登場する。ほかにも『3月のライオン[1]』『だんドーン』などで登場している。
橘南谿『西遊記』の補遺
1782~1788年に日本諸国を旅して聞いた話をもとに記述した、橘南谿の『西遊記[2]』の補遺にある、「義烈」に掲載されているが、本人が実際に見た内容ではないと思われる。
甚しきに至りては、先年の事にして有りしが、若侍数人打集色々武芸の物語に長じ、「いざや各、運だめしして見ん」とて、皆車座にならび居て四匁玉の鉄炮に玉薬したゝかに込入れ、細引にて其座のまん中に釣り下げ、鉄炮はきり\/と廻りつゝ、やがて火うつりてどうどひびきてはなれしに、皆々運や強かりけん壱人の若侍の頬先をかすりて玉はうしろへ飛去りぬ。「各、運は強かりけり」と手を打てどっと笑ひ、酒をくみて楽むなどいふことまゝ有けるが、それらの事近き頃は昔ばなしのやうに成り。
ちなみに「義烈」には薩摩隼人の切腹や、「冷物取」も掲載されている。
松浦静山『甲子夜話』(随筆)
1821年に執筆された随筆。正編 巻之十八 二七条「薩摩のへこ組の事」に記載されている。こちらも執筆者の松浦静山が直接見た内容ではない。
其一を云んに、酒宴を設るとき、大円形に群生して、人々の間を疎にして居、其中央に綱を下げて鳥銃をくゝり付け、玉薬を込め、綱によりをかけ、よりつまるを見て、火をさしながら綱の手を離せば、綱のより戻りてくるくると回るうちに銃玉発す。円坐せしもの、元の如くありて避ず。或は其玉に当る者あるも患へず。人も亦哀ずと云ふ。
かつて薩摩で結成された「へこ組」と呼ばれる「男伊達をする士」の集まりによって行われたとされている。甲子夜話の記述によると非常に戒律の厳しい組織であり、婦女に近づくことは禁止されていた。また、女性を見ただけで大いに咎められて自害に追い込まれたり、それを渋った場合は泡盛酒を大量に飲ませ、酔って寝た後枕を蹴飛ばして殺されたりなどしていたようだ。この描写は後に小説・漫画『薩南示現流』にも引き継がれている。
薩摩地方には「兵児組」という15歳~25歳の男子で構成された組織があったとされており、「へこ組」はそれを指すと推測される。本当にこのような活動をしていたのかは不明だが、甲子夜話のこの文章の続きでは、薩摩藩主の島津重豪によってへこ組の活動は禁止されている。
司馬遼太郎『薩摩浄福寺党』(小説)
1966年刊行の短編小説。幕末の京都を舞台として登場しており、おそらく「胆を練る」という表現の初出と思われる。
「なんの、胆を練って居もした」(肝付又助)
と、吊り鉄砲を見た。(中略)
肝付のいうところでは、薩摩にはそういう無茶な胆だめしがあるらしい。
みなで輪になってすわり、鉄砲を天井から天秤のように水平に吊りさげて、火繩をつけ、火繩の火が燃えすすめば火蓋に点火して轟発するように仕掛けておく。
その上で鉄砲を、ぶーんと回転させるのである。ぐるぐるまわるうちに、やがて火がついて、ぐわあんと弾がとびだす。たれかが死ぬ、いや死なぬともかぎらない。
「それを、座興に一人でやって居もした」(肝付)
「……なるほど」(土方歳三)
さすがに土方も内心では度肝を抜かれており、苦い顔をして「おやめなさるように」と助言している。
津本陽『薩南示現流』(小説)
薩摩の「二才組」での酒宴での行事として登場する。作中の主要人物は登場せず、薩摩の勇猛な侍がいかにして育てられてきたかの説明として登場する。
同じような内容になってしまうので肝練りの記述は省略するが、おおむね甲子夜話の肝練りの描写に沿っており、互いの間隔を疎にして座るところも甲子夜話と共通する。さらに、
といった記述も追加されている。
弾丸に当る者がいても疼痛をうったえず、見る者も悲しまず、平然とふるまう暴勇は、戦場での進退に臆しないための、胆練りといわれていた。
とみ新蔵『薩南示現流』(漫画)
上記小説を原作とした漫画。1巻第五話「雲耀の太刀」に登場。こちらも作中の主要人物は登場しない場面となっており、絵で登場するのは全員モブキャラクターである。
それまでは「胆を練る」「胆練り」は「度胸試し」「肝試し」という意味で使われていたと推測されるが、この漫画では「酒宴『胆練り』じゃ!」と、「胆練り」が「鉄砲をくるくるさせる行為」の名称を指している。
肝練りの内容は小説と似ているのだが、「間隔をせばめて座る」となっており、疎には座っていない。内心では恐れていたのか、座っていた男の多くが汗を流している。最後には血しぶきの描写があるが、誰に当たったのかは不明で、そのまま話は本筋に戻っていく。
この画像がインターネットで広まり、肝練りが知られる一因となった。
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関連項目
脚注
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