アドラーブル(Adorable)とは、1989年生まれの日本の競走馬。栗毛の牝馬。
府中で宿敵ニシノフラワーにリベンジを果たした、1992年のオークス馬。
父*ノーザンテースト、母*エコルシユ、母父Big Spruceという血統。
父は言わずと知れた社台グループ興隆の礎となった80年代の大種牡馬。
母はアメリカからの輸入繁殖牝馬で、自身はアメリカで21戦5勝。アドラーブルが初仔である。
母父ビッグスプルースはアメリカのGⅠ2勝、GⅠ2着4回3着4回の実力馬。種牡馬としてはアメリカでGⅠ馬を4頭輩出した。
1歳下の全弟に1998年の中山大障害(春)勝ち馬ノーザンレインボーがいる。
1989年3月28日、千歳市の社台ファームで誕生。牧場では体高の高さのわりに馬体重が軽く、カリカリした気性もあってかなかなか体重が増えなかったという。
オーナーの根岸治男は公認会計士で、美浦や栗東のいくつかの厩舎の経理を担当していたが、トレセンへの出入りの手続きが面倒だったため、厩舎での仕事の手続きの簡略化のために馬主になったという変わり種の馬主。そんな根岸オーナーに馬主資格取得を勧めて、手続き関係を取り計らったのが栗東の小林稔調教師。無事に馬主資格を得た根岸オーナーに、小林師が初めての所有馬として見繕ったのがアドラーブルであった。
同厩の同期にエリザベス女王杯を勝ったタケノベルベットがいる。
※この記事では馬齢表記は当時のもの(数え年、現表記+1歳)を使用します。
小林厩舎に入厩したアドラーブルは、1991年7月13日、新潟・芝1000m(当時は直線コースではない)で塩村克己を鞍上にデビュー。3番人気ユニオンボーイと2頭で逃げて直線ちぎり捨て、6馬身差のタイレコードという圧勝デビューを飾る。
この勝ちっぷりで、塩村騎手とともに意気揚々と札幌3歳ステークス(GⅢ)(当時は芝1200m)に向かったアドラーブル。2番人気に支持された彼女だったが、ここで彼女に最大のライバルが現れる。天才少女・ニシノフラワーである。超ハイペースで逃げるイイデザオウを2番手で追ったアドラーブルは4角で力尽き、ニシノフラワーのレコード勝ちの後ろで9着に撃沈。
一休みして12月の阪神・ダート1200mの平場500万下に松永幹夫を迎えて臨んだが、砂被りを嫌がって3着。明けて4歳初戦の紅梅賞(OP)では松永が2番人気エイシンモモを選んだので村本善之を迎え、8番人気の低評価だったが2着に好走し、以降は引退まで村本が一貫して騎乗することとなる。
桜花賞を目指して賞金を稼ぎに、京都・ダート1200mの寒桜賞(500万下)に向かったが、やっぱりダートはダメだったようで1番人気に支持されながら7着撃沈。
賞金での桜花賞出走は厳しくなったので、優先出走権を取りにトライアルのチューリップ賞(OP)へ向かった。しかしここにはあの天才少女も桜花賞を目指してステップとして乗りこんできていた。デビュー4戦4勝の3歳女王、ニシノフラワーである。もちろん単勝1.2倍という圧倒的1番人気。アドラーブルは3番人気だったが、オッズは14.8倍であった。
しかし大外枠から中団後方外目に構えたアドラーブルと村本善之は馬群の中でガチガチにマークされるニシノフラワーを見ながら進め、4角で前にいた2番人気オグリホワイトが進出を開始するとそれを追いかけて進出開始。直線であっさりとオグリホワイトをかわして先頭に踊り出ると、馬群の中で仕掛けが遅れたニシノフラワーを尻目に独走。ニシノフラワーを全く寄せ付けず、3馬身半差で快勝。天才少女に初めての土をつけ(ちなみにニシノフラワーの主戦だった佐藤正雄はこの敗戦の責任を取って降板)、見事に桜花賞の優先出走権を確保したのだった。
というわけで迎えた本番・桜花賞(GⅠ)。ニシノフラワーが2.3倍の1番人気。トライアルでそのニシノフラワーに圧勝したアドラーブルの評価はというと……14.7倍の6番人気だった。なんでや! まあ、向こうはあくまで叩きの前哨戦だし敗因も明確だし河内洋に乗り替わりだし、アドラーブルはそれまでの実績からしてもチューリップ賞に全力でお釣り無しとか、展開に恵まれたフロックとか思われていたのだろう。
レースが始まる。前走の轍は踏まぬとスタートから揉まれない前目の好位を取りに行くニシノフラワーと河内洋に対し、アドラーブルと村本善之は中団外目からそれを見ながらレースを進める。そしてチューリップ賞と同様、外を回して4角から進出を開始。2番手から先頭を伺うニシノフラワーを、直線入口で捕まえにかかった。――だが、そこから花開いたのはニシノフラワーの末脚。あっという間に置いていかれてしまい、アドラーブルは後続の追撃を振り切るのが精一杯。チューリップ賞のお返しとばかり、同じ3馬身半差をつけられて2着。完敗であった。
続いての優駿牝馬(GⅠ)もニシノフラワーが1番人気だったが、やや距離が不安視されて3.0倍。アドラーブルはむしろ中距離が適正と陣営は見ていたのだが、馬券師の間ではやはり桜花賞で勝負付けは済んだと見なされたか、15.1倍の4番人気に留まった。
ここまで外枠のレースが多かったアドラーブルだったが、この日は1枠2番の内枠を引く。ニシノフラワーが好位を取りに行くのを内ラチ沿いで見ながら、アドラーブルと村本善之は先行集団を見る位置につけた。3コーナーで先行集団が崩れ始め隊列が一気に縮まる中、村本善之は直線での進路を求めてアドラーブルを外へと誘導する。前で2番人気キョウワホウセキが先に抜け出すと、アドラーブルと村本はさらにその外に出して鞭を一発、隣で伸びあぐねるニシノフラワーをかわして追いかける。内からは阪神3歳S2着のサンエイサンキューが抜け出して来て3頭の争いとなったが、最後に大外から2頭をまとめて撫で切って栄光のゴール板へと飛び込んだ。
村本善之は牝馬クラシック初制覇、小林師は嬉しいクラシック初制覇。根岸オーナーは初の所有馬でクラシック獲得という快挙を達成。馬体重410kgの愛らしい華奢な少女は、見事にライバルを蹴散らして樫の女王に輝いたのだった。
しかし、アドラーブルのその後は不運にも見舞われて順調にいかなかった。放牧先が豪雨に見舞われて坂路が使用不能になったり、腰を痛めてしまったりで予定していたローズSに間に合わず、ぶっつけでエリザベス女王杯(GⅠ)へ向かったが、前目でレースを進めるも見せ場を作るには至らず、同じ小林厩舎のタケノベルベットにちぎられて4着。ニシノフラワー(3着)にもかわされ、結局通算での対戦は2勝3敗での負け越しとなった。
当時の古馬牝馬には目標となるGⅠもなく、小林師が根岸オーナーに牝馬の彼女を見繕ったのも繁殖入り後も見据えてのことだったため、アドラーブルはこのエリザベス女王杯を最後に現役引退、門別町の白井牧場で繁殖入りすることとなった。通算9戦3勝 [3-2-1-3]。
根岸オーナーが所有しての預託という形で繁殖入りしたアドラーブルは9頭の仔を産み、うち5頭を根岸オーナーが所有した。その中でも、第2仔エモシオン(父*トニービン)は1998年のクラシック三冠で皐月賞4着、ダービー9着、菊花賞3着の結果を残し、翌1999年の京都記念を勝利。その後は屈腱炎での長期離脱もあって振るわなかったが、母を上回る賞金を稼いだ。
2頭の牝馬が繁殖入りし、うちエモシオンの全妹である第6仔アルウェンが牝系の血を広げて現在まで繋がっている。
アドラーブルはグラスワンダーの仔を受胎していた2005年4月23日、16歳で死亡。時期的に出産時のアクシデントで母子とも助からなかったものと思われるが、詳細は不明である。
| *ノーザンテースト 1971 栗毛 |
Northern Dancer 1961 鹿毛 |
Nearctic | Nearco |
| Lady Angela | |||
| Natalma | Native Dancer | ||
| Almahmoud | |||
| Lady Victoria 1962 黒鹿毛 |
Victoria Park | Chop Chop | |
| Victoriana | |||
| Lady Angela | Hyperion | ||
| Sister Sarah | |||
| *エコルシユ 1982 黒鹿毛 FNo.14-c |
Big Spruce 1969 黒鹿毛 |
Herbager | Vandale |
| Flagette | |||
| Silver Sari | Prince John | ||
| Golden Sari | |||
| Idmon 1975 栗毛 |
Dr. Fager | Rough'n Tumble | |
| Aspidistra | |||
| Arachne | Intentionally | ||
| Molecomb Peak |
クロス:Lady Angela 4×3(18.75%)、Nearco 4×5(9.38%)
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最終更新:2025/12/05(金) 17:00
最終更新:2025/12/05(金) 16:00
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