アリシーバ 単語

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アリシーバ

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アリシーバ、またはアリシバ(Alysheba)とは、1984年生まれアメリカ生産の競走馬アメリカサウジアラビア種牡馬である。
追い込みきれない善戦マンから一転、類稀な闘魂武器アメリカトップに上り詰めたアリダーの代表産駒20世紀のアメリカ名馬100選では42位ランクインした。1993年米国競馬殿堂入り

デビューまで

アリダーはベルシーバ、ルーナントスティーヴンスという血統。レイズアネイティヴ直系の代表種牡馬は後述するが近親活多数の結構いい血統である。
20世紀初頭のアメリカで著名であった馬主ジョン・E・マッデン氏が開設したハンブルグプレイスファームで生まれ、1歳セリでドロシー・シャーバウアーとパム・シャーバウアー女史の両名に50万ドルで購入された。
その後順調に育成され、ジャックヴァンバーグ師に預託された。

勝ちきれないマン

順調に仕上がっていた彼は2歳の7月ハリウッドパーク競馬場の5.5f戦でデビューしたがあっさり5着に負ける。翌アーリントンパーク競馬場の8fの未勝利戦では着順は上げたが2着。この後は8f以上のレースに絞って出走していく。
余談になるがハリウッドパークもアーリントンパークも止となっている。諸行無常きあり。
閑話休題、9月のターフウェイパーク競馬場未勝利戦は圧勝。この勢いのまま連勝が始まるかと思ったら連続2着。それでもBCジュヴェナイル(GI)に出走するが9番人気ながら最後方一気の強な末脚を繰り出し、スピード任せに逃げ切ったカポウティに迫る3着。これに自信をつけてハリウッドフューチュリティ(GI)に挑むが、*テンパレートシルとの叩き合いに敗れ2着。どうしても勝ちきれなかった。

3歳になった後、喉頭蓋エントラップメントを発症。これは治療で期快癒し重度のノド鳴りに至らずに済んだが、調整日程に狂いが生じたのはあった。
復帰したのは1勝としては遅くなった3月サンタアニタパークの一般競走であったが4着。中2週で迎えたサンフェリペステークス(当時GI)でも2着。ケンタッキーダービーに向けてケンタッキー州入りし出走したキーランドブルーラスステークス(GI)では3頭が僅差に並ぶ戦を制し2勝重賞GI勝利を挙げた……かに見えたが、3位入線のの進路妨したとして3着降着。重賞勝利は泡と消えた。
ケンタッキーダービー出走こそなんとか確保したものの、勝ちきれないのは変わらなかった。ちなみにブルーラスステークスで初コンビとなったクリス・マッキャロンとは最後までコンビを組むことになる。

三冠競走

こうして迎えたケンタッキーダービー、アーカンソーダービーを勝ってやって来たギャラントマンの末裔デーモンズビゴーン、他にもウッドメモリアル招待ステークスを勝って来た後の名種牡馬ガルチ、名脇役クリトクリアランス、不調に陥っていたBCジュヴェナイル勝ちカポウティが顔をえるレースとなり混戦模様。アリシーバは1勝ではあったが善戦マンぶりが評価され9.4倍の6番人気であった。
始まったレースでは序盤インコースでうまく脚をためると三角付近から一気に外を回して進出。一気に直線入り口2番手まで捲くって行くが、先に抜け出したベットトゥワイスに並んだところで体当たりを受けバランスを崩し大きく減速。しかしそれでも闘志は萎えず伸び続け、フラフラするベットトゥワイスに追いつくと競り落としゴールインケンタッキーダービーで2勝、及び重賞GI勝利を挙げた。初だろうこの記録は……と思ったがケンタッキーダービーで初勝利を挙げた馬もいる。ジャコモやカントリーハウスの例はあるが、今後はポイント方式で出走を取り合いしている都合上、1勝が出走するのはかなり至難なので1勝による勝利は出ないんじゃないだろうか。なんて書いた直後に2022年ケンタッキーダービーリッチストライクが勝ったりしている。それも重賞実績すらほぼ皆無で補欠から繰り上がり出走で。
アリダーが獲得できなかったケンタッキーダービーの栄誉、及びアリダー産駒三冠競走初勝利の栄誉を得たが、走破タイムは2:03.4と良馬場にしては遅かったので評価はあまりされなかった。

プリークネスステークスでは前走で大敗した人気サイドが軒並み回避。それでも6着のガルチや4着のクリトクリアランス、体当たりぶちかましてきた2着ベットトゥワイスあたりは出てきた。それでも1番人気を背負ったのはアリシーバであった。3倍なので絶対とは思われなかったようであるが。
レースは中団につけたアリシーバが先に抜け出したベットトゥワイスを直線入り口2番手から追撃するというデジャヴみたいな展開になったが、今回は斜行しなかったベットトゥワイスを競り落とし勝利二冠馬となった。

さあこうなるとアファームド以来の三冠馬が期待され、1番人気・1.8倍の絶対的人気を背負った訳だが、ベルモントステークスではベットトゥワイスの出来がもう最高潮、14身差をつけて圧勝。イージーゴアみたいだぁ……。
対するアリシーバは疲れからか伸びが悪くクリトクリアランスとプリークネスステークス後に古メトロリタハンデキャップ(GI)で打ち破ってきたガルチにも差され4着に敗した。

余談だが、ラシックス[1]禁止の競馬場では生涯通じて9戦して1勝である。あっ、ふーん……。

ケンタッキーダービー馬対決

ベルモントステークス後はハスケル招待ハンデキャップ(GI)から復帰。ライバルベットトゥワイス、三冠競走の裏で7連勝中だったロストコードとの三強対決となり、レースでも直線並んで叩き合いとなったが当時のレースレコードタイで駆け抜けたベットトゥワイスを捕まえきれず2着。
トラヴァーズステークス(GI)でもベットトゥワイスとの対決になったがベットトゥワイス5着、アリシーバは6着と共倒れした。ちなみにサラトガ競馬場はラシックスが使えなかった。まあ他にも不良馬場とか理由はあるけど。

その後スーパーダービー(GI)で復活勝利を挙げるとBCクラシック(GI)へ。前年のBCクラシック覇者スカイウォーカーカナダからの刺客*アフリート日本種牡馬としてズッコケ*ジャッジアンジェルーチ、同い年のクリトクリアランス、ガルチ、そして前年のケンタッキーダービー*ファーディナンドとの対決となった。
特にBCクラシック史上初、1979年ジョッキークラブ金杯アファームドVSスペクタキュラービッド以来のケンタッキーダービー対決を集め大きな話題になった。人気も*ファーディナンドが2倍で1番人気、アリシーバが4.6倍の2番人気、連覇をスカイウォーカーがやや離された3番人気9.3倍であった。
直線で末脚自慢のケンタッキーダービー一騎打ちとなり、先に逃げを捉えた*ファーディナンドを外から強襲するが、ハナファーディナンドが残しきり年上の貫を見せ勝利。この敗北エクリプス賞年度代表馬は逃したものの、最優秀3歳は獲得した。

翌年は2月チャールズHストラブステークス(当時GI)から始動。ここは快勝し3月サンタアニタハンデキャップ(GI)で*ファーディナンドと再戦。2ポンドのハンデ差はもらったが今回は末脚勝負に勝ちき勝利。その次走のサンバーナーディノハンデキャップ(GII)では同斤でっ向勝負となったがハナ差競り勝つ。
5歳になった後の*ファーディナンドがやや精を欠いていたとはいえこの連勝は溜飲を下げるものであっただろう。
その後、東海ピムリコ競馬場伝統の一戦、30年ぶりに復活したピムリコスペシャルハンデキャップに出走。ここにはライバルベットトゥワイスがいた。4ポンド差があったとはいえベットトゥワイスに勝ちを譲ったどころか4着に敗れたのは少しだらしなかった。
その後ハリウッド金杯(GI)で*ファーディナンドと4度決戦となったが、上がりにしてやられて2着。*ファーディナンドは3着に敗れ、休養後になって1戦するがさっぱり良いところがなく引退となったため、この後対決することはなかった。

捲土重来

さて、思わぬ連敗を喫したアリシーバであったが2ヶの休みを挟むと一変。フィリップH.アイズリンハンデキャップ(GI)では同世代の腐れ縁・ベットトゥワイスとガルチを打ち破り復活宣言。
ウッドワードステークス(GI)ではこの時期ハンデキャップ競走だったためトップハンデを背負って3歳代表*フォーティナイナーらを相手にすることとなったが、5歳ワクォイット、*フォーティナイナーとの叩き合いを制してコースレコード記録勝利
そしてBCクラシックのプレップに選んだメドウランカップハンデキャップ(GI)ではもはや顔染みになって挨拶をする間柄になったベットトゥワイスを4着に下しまたもやコースレコード叩き出し勝利
アメリカ競馬で同一年度に10f戦で2分を切るタイムで3戦走破してみせた初のサラブレッドとなった。(サンタアニタハンデキャップウッドワードステークス、メドウランカップハンデキャップ)
そしてこのレースベットトゥワイスとの最後の戦いとなった。生涯9戦して5勝4敗と最終決戦で勝ち越したのはアリシーバであった。

そして迎えたBCクラシックライバルベットトゥワイスは前述の通りアリシーバを避けたかダートで不振だったからかBCマイルに行ったが(8着)、ライバルの層が薄くなったかと言われればそうではなかった。
3歳からはシーキングザゴールド、*フォーティナイナー、同い年からはクリトクリアランス、5歳からはパーソナルエンスンの全パーソナルフラッグ、ワクォイット、6歳からはハリウッド金杯で一泡吹かせて見せた晩成のカットラスリアリティメンバーっていた。
レースは好位から逃げを捉えたアリシーバを後ろから一追撃してきたシーキングザゴールドとの一騎打ちとなったが、闘魂全開にしたアリシーバが突き放してゴールに飛び込んだ。この勝利エクリプス賞年度代表馬及び最優秀古獲得を決定づけ、ジョンヘンリーが持つ獲得賞記録を塗り替え当時の世界王にくことにもなった。このくばかりの栄誉を手土産引退種牡馬入りが決まった。通算成績は26戦11勝2着8回3着2回。

当初は勝ちきれなさを見せたが、本格化して以降は類稀な闘魂武器に競り合いを制し僅差勝ちを並べる優秀な戦士として大舞台でその強さを発揮した。
ベットトゥワイスやガルチ、*ファーディナンドと言ったライバルたちにも勝ち越しを決めてみせ、1980年代後半を代表する一頭となったと言えよう。ラシックス使えないところでボロボロだったのはちょっとケチがつくかもしれないが……

種牡馬としては直はぜーんぜん走らず、アリダーの血を広げる役を果たすには至らなかった。なんせGIサンタラリ賞を勝ったムーンライトダンス(シゲルピンクダイヤピンクルビー姉妹祖母とは別)のみであった。一応ソヴリン賞(カナダの年度表)で年度代表馬を受賞し後にカナダ殿となったアリワウもいたがグレード競走はGIII1勝止まりだった。
ただ、最初良いが集まったこともあったか、アリダーの形質をここはよく引き継いだかとしてはかなり優秀で*グランデラジョージワシントンブリッシュラック他多数のGIを輩出している。日本絡みだとゴールドアクターとなった直キョウアリシバや彼をにもつエアエミネムあたりが有名か。

2000年にはサウジアラビアに輸出され当地で種牡馬生活を送ったがそこでもあまり上手く行かず、2008年ジェニュインリスクが亡くなってケンタッキーダービー最年長となったのを期に当地のアブドラ国王の計らいで種牡馬引退し、帰して余生を送ることとなった。
その後、2009年3月に老化に伴う転倒事故で右後脚の大腿を折ってしまい安楽死となった。享年25歳

血統表

Alydar
1975 栗毛
Raise a Native
1961 栗毛
Native Dancer Polynesian
Geisha
Raise you Case Ace
Lady Glory
Sweet Tooth
1965 鹿毛
On-And-On Nasrullah
Two Lea
Plum Cake Ponder
Real Delight
Bel Sheba
1970 鹿毛
FNo.20
Lt.Stevens
1961 鹿毛
Nantallah Nasrullah
Shimmer
Rough Shod Gold Bridge
Dalmary
Belthazar
1960 黒鹿毛
War Admiral Man o'War
Brushup
Blinking Owl Pharamond
Baba Kenny
競走馬の4代血統表

クロスNasrullah 4×4(12.50%)、Bull Lea(6.25)

主な産駒

関連動画

闘魂爆発引退レース

関連項目

脚注

  1. *に使用する場合は出血を防止する的で使用される品・フロセミドの商品名。これがアメリカ競馬の苛すぎる前残り競馬を作り出しているとも言われる。この後90年代には一時的に全でほぼ合法化されたが、2021年からはケンタッキーダービーでの使用が禁止されるなど再び禁止に傾きつつある。
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