プロミストウォリア 単語


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プロミストウォリア

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プロミストウォリア(Promised Warrior) とは、 2017年3月26日生まれの日本競走馬である。鹿毛

な勝ち
2023年東海ステークス(GⅡ)アンタレスS(GⅢ)

概要

マジェスティックウォリアープロミストスパークフジキセキという血統。

マジェスティックウォリアー産駒ベストウォーリアの活躍もあり日本種牡馬として輸入された米国。プロミストウォリアは父の日本供用初年度の産駒

プロミストスパークは中央で条件戦を5勝。ソーホワツツニユー[1]胎内にいた持込シヤダイランドから繋がる牝系[2]であるが、活躍としては14番人気ながら皐月賞2着のGⅢディクターランド[3]立つくらいであろうか。なお、プロミストウォリアの半プロミストリープ地方重賞勝利している。

フジキセキ屈腱炎を発症し、種牡馬需要が見込まれたことからそのまま3歳種牡馬入りしたサンデーサイレンス初のGI

坂東牧場生産[4]で、シルクレーシングクラブとして4万円×500口で募集された。

名の意味は「名の一部+名より[5]」。

戦績

3歳(2020年)

東の野中賢二厩舎に入厩したが、脚元の不安で手術を受けたこともあり、初戦は3歳の3月になってからであった。西村淳也上にダート1800mの未勝利戦に出走し[6]不良馬場の中で逃げて上がり最速を出し未勝利相手に2馬身半差で圧勝した。

今後に期待したいところであったが、ここで右前橈遠位端骨折が判明。復帰戦は12月に行われたダート1800mの3歳以上1勝クラスとなった。524と未勝利戦よ馬体重を12㎏増やし、荻野極鞍上に迎えたレース。前走もあり単勝2.9倍の1番人気に支持されたが、逃げたものの内ラチに接触したりしたこと影響したのか、番手のメイショウドヒョウに差し切られて1馬身差以上後ろの2着。

次走に期待…と言いたいところであったが、レース後には再び右前橈遠位端骨折が判明した。

4歳(2021年)

8月に行われるダート1700mの3歳以上1勝クラス体重が530[7]と中々の大になって戻ってきたプロミストウォリア。西村上に2番人気に支持され、不良馬場の中で逃げたものの4着に終わった。

レース後であるが……今度は左前遠位端骨折が判明したため、4歳を1戦のみで終えることとなった。

5歳(2022年)

4戦5歳10月ダート1800mの3歳以上1勝クラスに出走し、単勝3.0倍の2番人気に支持された。レースでは稍重の中で逃げて上がり最速を出しなんと5馬身差の圧勝。JRA女性騎手の年間最多勝利記録を数時間前に更新していた今村聖奈の年間45勝となった。

11月にはダート1800mの3歳以上2勝クラス角田大河上で出走。単勝2.2倍の1番人気に支持され、番手でレースを進めて2馬身差で勝利

12月にはダート1800mの3勝クラスである摩耶ステークスに出走。単勝2.9倍の1番人気に支持され、稍重の中で逃げて上がり最速を出し、ここではなんと2着のシダーに5馬身差を付けて勝利上のバウルジャン・ムルザバエフ騎手「ゲートを上手に出すことだけを心がけた」exitというだけある快勝であった。

6歳(2023年)

初の重賞挑戦は1月東海ステークス(GⅡ)。前走に引き続きムルザバエフ騎手上に迎え、前走の圧勝もあって単勝5.1倍の2番人気に支持されると、カラもありつつも逃げて1番人気のハギノアレグリアスに2馬身差つけての勝利。…プロミストウォリアの1馬身ほど前に先述のカラヴァンヤールがいたのはまあ余談であろう。因みにこのレース坂東牧場生産は、2016年から2022年の各年にオジュウチョウサン勝利していたため、8年連続のJRA重賞勝利ということになった。

優先出走権を得たこともあり2月フェブラリーステークス[8]への出走も検討されたが、右前脚のソエを気にする様子があったため回避して、4月アンタレスステークス(GⅢ)鮫島駿上で出走。斤量は出走の中で最も重い59㎏であったが、単勝1.9倍の1番人気に支持されると、馬場で芝並みのハイペース逃げ今度は騎手が乗っていたヴァンヤールに半馬身差で勝利

次走は6月帝王賞(JpnI)。初の交流重賞では鮫島上に3番人気に支持され、いつものように逃げたものの距離も長かったかここは5着に終わった。12月チャンピオンズカップに出走予定であったが、右トモの痛みがあったため、10日ほど前に回避を決定。

7歳(2024年)

前走の帝王賞から1年以上経った8月エルムステークス(GⅢ)で復帰。西村上に4番人気に支持されたものの、稍重の中で逃げない競馬となり7着に終わった。

11月にはみやこステークス(GⅢ)西村上で出走したが、馬場の中で今度も逃げず、6番人気15着に終わった。

には右前脚の浅屈腱炎が判明し、年齢もあってかここで引退となった。

7歳末で11戦6勝 [6-1-0-4]。怪に悩まされた競走生活であった。

因みにあまり成績にはしていないと思われるが、地味不良馬場2回、重馬場2回、稍重3回、良馬場4回であった[9]

種牡馬入り

GI級未勝利であったもののレース内容が評価されたのか、引退発表と共にブリーダーズ・スタリオンステーションでの種牡馬入りが発表された。

産駒を託したい。

血統表

*マジェスティックウォリアー
2005 鹿毛
A.P. Indy
1989 黒鹿毛
Seattle Slew Bold Reasoning
My Charmer
Weekend Surprise Secretariat
Lassie Dear
Dream Supreme
1997 黒鹿毛
Seeking the Gold Mr. Prospector
Con Game
Spinning Round Dixieland Band
Take Heart
プロミストスパーク
1999 鹿毛
FNo.19-b
フジキセキ
1992 青鹿毛
*サンデーサイレンス Halo
Wishing Well
*ミルレーサー Le Fabuleux
Marston's Mill
プレイ
1992 栗毛
*ジェイドロバリー Mr. Prospector
Number
ダイナランド *ノーザンテースト
シヤダイランド

クロスMr. Prospector4×4(12.50%)、Secretariat4×5(9.38%)、Buckpasser5×5(6.25%)、Northern Dancer5×5(6.25%)

関連項目

脚注

  1. *当時の表記、現代競馬的に書くとソーホワッツニュー
  2. *ファミリーラインの19-bにおける有名なとしてはトニービン牝系トウカイテイオーが挙げられるが、枝分かれしたのは1844年のNan Darrellにまで遡る。ネヴァーベンドなら1901年Sunshot
  3. *余談だがオグリキャップと世代戦で対戦している。
  4. *シヤダイランドからプロミストスパークまで代々社台系の牧場で生産され、プロミストスパーク産駒も前年まではノーザンファーム生産であったが、18歳で産んだプロミストウォリアから坂東牧場生産となっている。
  5. *父の日本表記と同じウォリアーでないのは9文字に収めるためではあるだろうが、同じ輸入後の産駒ライトウォーリア(光の戦士)がいることでもあるし極論語呂の好みの問題だろうか。
  6. *体重は512㎏だが調教前の2歳末には600㎏近くあったようだ。
  7. *レースの中でここが最高体重、最低体重は新馬戦
  8. *同厩舎のインティ2019年に初重賞東海ステークスからフェブラリーステークス勝利している。
  9. *まあメイショウハリオは2戦から8戦連続稍重か重馬場であったこともあるし、そういうことは時々ある話ではあろう。
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