ロメル・ルカク(Romelu Menama Lukaku, 1993年5月13日 - )とは、ベルギーのサッカー選手である。
イタリア・セリエAのSSCナポリ所属。サッカーベルギー代表。
ベルギー北部のアントウェルペンで生まれ、コンゴ民主共和国(旧ザイール)にルーツを持っている。恵まれた体格を活かした圧倒的なフィジカルと空中戦の強さ、スピードを活かした突進力、そして左足での強烈なシュートによって10代の頃から注目されたベルギーを代表するストライカーである。
ベルギー代表にも17歳の頃から選ばれており、FIFAワールドカップに2回、EUROに1回出場。2018 FIFAワールドカップではチーム最多の4ゴールを記録し、ベルギーの3位入賞に貢献。エデン・アザールやケヴィン・デ・ブライネらと共にベルギー黄金世代の中心選手となっており、同国代表の最多得点記録保持者でもある。
一方、レンタル移籍時に余計な発言をして保有クラブと揉めたり、不義理を働いて完全移籍のチャンスを逃すなど何かと騒ぎを起こしている。2022 FIFAワールドカップやEURO2024では度重なる決定機を逃してノーゴールに終わり、ベルギー代表の早期敗退の戦犯として批判されている。
ちなみに、弟のジョルダン・ルカクもベルギー代表としてプレーしているプロサッカー選手であり、W杯ロシア大会には兄弟揃って出場している。また、父親のロジェ・ルカクもザイールでプロサッカー選手としてプレーした経験がある。
父親の影響でサッカーを見るようになり、5歳の頃に地元のチームであるルペル・ボームFCでサッカーを始める。ここで4年間プレーした後にスカウトに見い出され、2004年からはリールセSKでプレーするようになる。
幼い頃のルカクは同年代の子と比べても体が大きく、13歳のときには大人の主審を凌ぐほどの体格にまで成長しており、母親は試合に出場するために出生証明書を持っていく必要があったほど。その影響もあってか、リールセでプレーしていた2年間で68試合121ゴールというとんでもない成績を残し、この頃から怪物として注目を集めるようになっていた。
一方で少年時代のルカク家は母親が牛乳に水を混ぜることで量を増やすほど貧しい家庭だった。また、移民出身なこともあって黒人コミュニティに属していたため、当時から人種差別の被害に遭っていた。
2006年にRSCアンデルレヒトの下部組織に入団し、2009年5月24日に当時16歳という若さでトップチームデビューを果たす。
実質プロ1年目の2009-2010シーズンには、主力として活躍するようになり、チームの得点源となる。2009年12月17日のUEFAヨーロッパリーグ、アヤックス戦で2ゴールを決め、UEFA主催の大会における史上3番目に若い年齢でのゴールを記録。プロの舞台でも怪物ぶりを発揮したルカクは、最終的に33試合15得点を記録し、16歳10か月という史上最年少でジュピラ―リーグの得点王に輝き、アンデルレヒトのリーグ優勝に貢献。神童ルカクの名は欧州中に知れ渡ることになり、ビッグクラブからも注目を集める。
2010-2011シーズンもアンデルレヒトのエースとしてゴールを量産。2シーズン連続での得点王こそ逃したものの、37試合16得点という前年を上回る成績を残す。もはやベルギー国内に留まっておく存在ではなくなっていた。
18歳となった2011年8月11日にイングランド・プレミアリーグのチェルシーFCへ移籍。ルカクは熱狂的なチェルシーサポーターとして知られており、憧れのクラブへの入団となった。加入1年目には憧れのディディエ・ドログバとチームメイトになったが、そのドログバやフェルナンド・トーレスなどからポジションを奪取することはできず、公式戦でわずか12試合しか出場機会が与えられなかった。後に当時監督だったアンドレ・ビラス・ボアスから信頼を得られず、確執があったことを明らかにしている。
2012年8月10日、出場機会を求めてウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCへレンタル移籍することが決定する。移籍からわずか1週間後の8月18日プレミアリーグ開幕戦FCリヴァプール戦でプレミアリーグ初ゴールを決め、新天地での幸先の良いスタートを切る。その後はチェルシー時代と違って監督の信頼を掴み、ゴールを量産。2012-2013シーズンの最終節となったマンチェスター・ユナイテッド戦ではハットトリックの活躍を見せる。最終的にキャリアハイとなるリーグ戦17得点を叩き出し、クラブ史上最高順位となる8位でのフィニッシュに貢献することとなった。
前シーズンに飛躍を遂げたものの、保有元のチェルシーでは出場機会を見込めず、2013年9月2日にイングランド・プレミアリーグのエヴァートンへレンタル移籍。スペイン人のロベルト・マルティネス監督からは突破力を見込まれてウイングとして起用されることも多かったが、前半戦は戦術へのフィットに苦戦し、ノーゴールに終わっていた。しかし、1月以降の後半戦では打って変わって大爆発し、後半戦だけで15ゴールを記録してしまう。クラブは創設以来最多となる勝ち点72を稼ぎ、5位でシーズンを終了。5年ぶりとなるEL出場権を獲得した。
2014年7月10日にはエヴァートンと完全移籍を結び、移籍金はクラブ史上最高額となる2800万ポンドとなった。すっかりエースとしての地位を確立させたルカクは、9月27日のリヴァプール戦においてマージーサイド・ダービーでの初ゴールを記録する。しかし、ELとの過密日程に苦しんだチームは安定感を欠いた戦いぶりが続き、そのELでもラウンド16で姿を消すことになる。ルカク自身もマークが厳しくなったことやチームの低調ぶりで孤立することが増え、10ゴールと言う不本意な成績に終わる。
2015-2016シーズンも、自身は孤軍奮闘したもののチーム状態は下降線を辿っており、プレミアリーグでは4シーズン連続での二桁ゴールとなり、自己のキャリアハイとなるリーグ戦18ゴールを記録するが、チームは上位に食い込むことができないまま、前年と同じ11位に終わる。
2016-2017シーズンは、この年から監督に就任したロナルド・クーマンからCFに固定されたうえに、与えられるタスクの量が減ったこともあって前のシーズンを上回るペースでゴールを量産。2016年9月12日のサンダーランド戦ではプレミアリーグでは自身2度目となるハットトリックを記録する。この頃はすでにプレミアリーグにおいても手をつけられない存在となっており、最終的に前のシーズンの記録を大幅に上回る24ゴールを記録。得点王こそハリー・ケインに譲ったものの、得点ランク2位という活躍が認められてプレミアリーグの年間ベストイレブンに選出。自らの価値をさらに高めたシーズンとなった。
2017年7月10日、マンチェスター・ユナイテッドFCと5年契約を結び、再びビッグクラブに挑戦することとなる。8月13日、新天地でのデビューとなったプレミアリーグ開幕戦のウェストハム戦で2ゴールを決めて勝利に貢献。フィジカルタイプのFWを好むジョゼ・モウリーニョ監督からも重宝され、初出場となったUEFAチャンピオンズリーグでも8試合で5得点という成績を残す。2018年3月31日、プレミアリーグ第32節スウォンジー戦でゴールを決め、ベルギー人初となるプレミアリーグ通算100ゴールを達成。最終的にリーグ戦16ゴールを記録したが、マンチェスター・シティの独走を許して2位に終わり、無冠に終わったこともあってルカクの活躍はそれほど大きく評価されていなかった。
2018-2019シーズンはチームは不振を極め、大事な試合で不発に終わることが多かったルカクに対する批判が強まるようになる。特にBIG6と呼ばれるライバルチームとの直接対決ではモウリーニョが極端な守備的な戦術を採用したこともあって白星を挙げることができず、この試合で結果を残せなかったルカクをタイトル争いから遠ざかった戦犯に挙げる声も多かった。2018年12月にモウリーニョが解任となり、クラブOBのオレ・グンナー・スールシャールが監督に就任すると、若いアントニー・マルシャルやマーカス・ラッシュフォードが重宝され、ルカクの立場は揺らいでいった。ユナイテッド時代のルカクは、2シーズンで公式戦96試合42得点13アシストと数字の上ではなかなかの成績を残しているが、ビッグマッチで結果を残せなかったことでサポーターやメディアからの心象が悪かった。一方、戦術理解の低いマルシャルやラッシュフォードの分までチームプレーに徹していたと援護する識者もいる。
2019年8月8日、新監督に就任したアントニオ・コンテの要望もあり、イタリア・セリエAのインテル・ミラノへの完全移籍が発表される。移籍金は8000万ユーロとされており、インテル史上最高額での移籍となった。背番号は「9」。高額な移籍金での加入に懐疑的な声もあったが、セリエAでのデビュー戦となったレッチェ戦で早速ゴールを決めると、9月21日の第4節宿敵ACミランとのミラノ・ダービーで決勝ゴールを決め、サポーターのハートを掴む。以降、インテルの新たなエースとして君臨し、ラウタロ・マルティネスとの息の合った2トップでゴールを量産。同時にボールの収めどころとして戦術の核となり、コンテ監督の起用法と食生活の改善によるコンディションの維持によってポテンシャルをフルに発揮できるようになった。また、ELでは決勝のセビージャ戦でゴールを決め、11試合連続ゴールという記録を作り出す。結局チームは無冠に終わったものの、公式戦通算34ゴールという怪物・ロナウドに並ぶチームの歴代年間最多ゴール数に並ぶ記録を生み出した。
インテルでの2シーズン目となった2020-2021シーズンも開幕2試合で3ゴールを奪う好スタートを切り、前年の好調を維持する。規格外のフィジカルを駆使した圧倒的なスケールの大きさはセリエAのDFたちの脅威となり、ボローニャの冨安健洋もルカクとのマッチアップでは手も足も出ずに完敗している。CLでも5試合で4ゴールとチームを牽引していたが、チームはまさかのグループ最下位に終わり、早期敗退を余儀なくされている。だが、年明け以降のインテルはチーム力が一段階アップするようになり、ミランから首位の座を奪ってそのまま走り続ける。2021年1月25日のコッパ・イタリアの準々決勝ミラン戦では、ズラタン・イブラヒモビッチと一触即発の睨み合いとなり、2人のあまりの威圧感と迫力に世界中が震撼した。2月14日のセリエA第22節ラツィオ戦でゴールを決め、キャリア通算300ゴールを達成する。2月23日、首位攻防戦となったミランとのミラノ・ダービーでは1ゴール1アシストの活躍で勝利に貢献。この勝利によってインテルは首位を独走し、5月2日に11シーズンぶりのスクデット獲得が決定。36試合で24得点11アシストという成績を残し、ユナイテッド時代は大事な試合で決められないことを批判された男がエースとしての仕事を全うし、タイトルをもたらすこととなった。
インテルのオーナーである蘇寧グループが経営危機に陥っていたこともあり、2021年8月12日にイングランド・プレミアリーグのチェルシーFCに7年ぶりに復帰することが発表される。移籍金はチェルシー史上最高額である9750万ポンドとされている。背番号は「9」。
2021-2022シーズンプレミアリーグ第2節アーセナル戦でチェルシーでの再デビューを果たすと、早速先制ゴールを決め、チームの勝利に貢献。順調なスタートを切ったかに見えたが、10月23日のCLマルメ戦で足首を負傷し戦線を離脱。さらに新型コロナウィルスの感染が重なったことで公式戦9試合を欠場。不本意な前半戦となったうえにトーマス・トゥヘル監督の起用法に不満を述べるコメントを発し、物議を醸す。後半戦になっても調子は上がらず、ベンチに座る試合が増えてしまう。FIFAクラブワールドカップ2021では2試合2得点で優勝に貢献したが、リーグ戦8ゴールに終わるなど大きな期待外れとなった。
2022年6月29日、レンタル移籍でイタリア・セリエAのインテル・ミラノに1年で復帰することが発表される。背番号は「90」。
8月13日に開催された開幕戦のレッチェ戦で早速復帰後初ゴールを決めるが、8月29日にトレーニング中に左太ももを負傷したことが発表され、長期欠場を強いられる。10月29日の第12節サンプドリア戦で22分間だけ復帰するが、直後に左太ももの負傷を再発してしまい、そのままワールドカップ期間まで欠場となる。ワールドカップ後に戦線に復帰するも、調子が上がらず一時は保有先のチェルシーへの返却が取り沙汰されるほどだった。シーズン終盤戦に入ってようやく調子が上向き、セリエA最後の5試合で5ゴールを決め、シーズン二桁得点に到達する。しかし、CL決勝のマンチェスター・シティ戦では途中出場するも、味方の決定的なシュートをブロックしたり、至近距離の決定的なヘディングシュートを決められなかったりと、ワールドカップのときと同様に優勝を逃したスケープゴートにされてしまう。
シーズン終了後、インテルに完全移籍する方向で話が進んでいたが、その裏でユヴェントスへの移籍を画策する背信行為をおこなっていたことが発覚。これにより激怒したインテル側はルカクとの決別を宣言。ユヴェントスへの移籍もなくなり、所属元のチェルシーでは構想外という状態に陥ってしまう。
2023年8月31日、イタリア・セリエAのASローマへ1年間の期限付き移籍することが発表される。背番号は「90」。かつての恩師であるジョゼ・モウリーニョ監督から求められての加入ということもあり、9月17日の第4節エンポリ戦で移籍後初ゴールを決めると、9月24日のトリノFC戦で公式戦3試合連続ゴールをマーク。10月8日のカリアリ戦まで公式戦6試合6ゴールというハイペースでゴールを量産するが、その後はチームが不振に陥ったこともあって自身のゴールのペースも落ちるようになる。それでもここ数年見られた怪我による離脱はなく、モウリーニョが解任されダニエレ・デ・ロッシが後任として就任してからも変わらずエースとして活躍。ELでは7ゴールを決め、ベスト4進出に貢献。最終的にチームトップとなる公式戦21ゴールを決め、エースストライカーとしての役割を果たす。
2024年8月29日、インテル時代の恩師であるコンテ監督が率いるイタリア・セリエAのSSCナポリに移籍金3000万ユーロで完全移籍することが決定。構想外となっていたチェルシーからようやく脱出する。新天地でのデビュー戦となった8月31日のパルマ・カルチョ1913戦で試合終了間際に同点ゴールを決めると、9月15日のセリエA第4節カリアリ戦では1ゴール2アシストの大活躍で勝利に貢献。
早くから神童として注目されていたこともあり、2010年3月3日のクロアチアとの親善試合において16歳という若さでベルギーのフル代表にデビュー。11月17日のロシアとの親善試合では代表初ゴールを含む2ゴールの活躍を見せる。
その後、プレミアリーグで結果を残していたクリスティアン・ベンテケとのポジション争いを制し、エデン・アザールやケヴィン・デ・ブライネ、ティボ・クルトワと共に黄金世代の一人として代表の主軸を担うようになっていく。2013年10月11日におこなわれた2014W杯欧州予選クロアチア戦では、2ゴールの活躍によってベルギーの3大会ぶりとなるワールドカップ本大会出場権獲得に貢献する。
21歳で迎えた2014 FIFAワールドカップ・ブラジル大会でもFWのファーストチョイスとして出場するが、グループステージの最初の2試合で精彩を欠き、いずれも早い時間帯で交代させられることとなる。ラウンド16のアメリカ戦ではディオリック・オリジにスタメンを奪われることになるが、延長戦から投入されると、延長前半終了間際に自身のW杯初ゴールとなる値千金の決勝ゴールを決め、28年ぶりのベスト8進出の立役者となる。
ブラジルW杯後のEURO予選では、所属するエヴァートンで不調だった時期と重なり、結果を残すことができず、予選を通じて5試合0得点という不本意な出来に終わる。だが、2016年に入って調子を取り戻し、2016年6月にフランスで開催されたEURO2016のメンバーにも選出される。グループステージ初戦のイタリア戦ではイタリアの老獪な守備の前に完封され途中交代となるが、続くアイルランド戦では2ゴールの活躍を見せ、2位での決勝トーナメント進出に貢献。その後チームはベスト8まで進出したが、チーム戦術が整理されていないこともあって周りと噛み合わず、不本意な大会となってしまった。
代表監督がロベルト・マルティネスに代わった最初の試合となった2018W杯欧州予選開幕戦のサンマリノ戦で2ゴールの活躍を見せ、勝利に貢献。長らく代表では結果を残せず、批判的な声もあがっていたが、今予選ではエースストライカーとしてゴールを量産。2017年8月31日のジブラルタル戦では、自身代表では初となるハットトリックの活躍を見せる。結局今予選では8試合に出場して11ゴールという驚異的な活躍を見せ、ベルギーの2大会連続となるワールドカップ出場に大きく貢献する。2017年11月16日におこなわれた日本との親善試合で代表通算31ゴール目を決め、ベルギー代表の歴代最多得点記録保持者となる。
2度目の出場となった2018 FIFAワールドカップ・ロシア大会では、グループステージ初戦のパナマ戦で2ゴールの活躍を見せると、続くチュニジア戦でも2ゴールを決め、1986年大会のディエゴ・マラドーナ以来となるW杯での2試合連続2ゴールを達成する。決勝トーナメントに入ってからはゴールを奪うことはできなかったが、持ち前の高さとフィジカルによって前線の基準点として機能し続け、ベルギー史上最高成績となる3位入賞の立役者となった。
2019年からおこなわれたEURO2020予選では、10戦全勝を記録し首位通過したベルギーの中で5試合に出場し7ゴールを決めている。2019年10月10日のサンマリノ戦ではベルギー代表史上初の代表通算50ゴールを記録している。
2021年6月にはEURO2020に出場。初戦となったロシア戦では、2ゴールの活躍で初戦の勝利に貢献し、MOMに選ばれる。ゴールの際、直前の試合で試合中に心肺停止で突然倒れたインテルの同僚であるクリスティアン・エリクセンに対してカメラ越しにメッセージを送っている。第3戦のフィンランド戦でもゴールを決め、準々決勝のイタリア戦では一矢を報いるPKを決めるが、チームは敗れている。それでも大会通算4ゴールを決め、準々決勝で敗れたチームからは唯一大会のベストイレブンに選出されている。
2021年9月5日、2022 FIFAワールドカップ欧州予選チェコ戦でベルギー代表での通算100試合目の出場を果たし、前半8分に代表通算68ゴール目となる先制ゴールを決め、勝利に貢献している。2022年11月にカタールで開催された本大会では左太ももの負傷で欠場が続いていたことで出場が危ぶまれていたが、メンバー入りを果たした。コンディションに問題があり2試合に途中出場したが、第3戦のクロアチア戦では再三訪れた決定機を決めきれず、チームはグループリーグ敗退となってしまう。試合後、悔しさのあまり左フックでベンチを殴り、破壊してしまう。
ワールドカップ後、アザールの引退によってキャプテンに任命されるが、怪我で離脱していたデ・ブライネが復帰してからはデ・ブライネにキャプテンを譲っている。2024年6月にドイツで開催されたEURO2024では、グループリーグ初戦のスロバキア戦で2度のゴールを取り消しにされるなどVAR判定に苦しめられ初戦を黒星で終える。続くルーマニア戦でもVAR判定によって3度目のゴール取り消しの憂き目に遭う。ラウンド16のフランス戦ではウィリアン・サリバに完封されて何もできずにチームは敗退。結局5試合でノーゴールに終わる。
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2008-09 | アンデルレヒト | ジュピラーリーグ | 1 | 0 | |
2009-10 | アンデルレヒト | ジュピラ―リーグ | 33 | 15 | |
2010-11 | アンデルレヒト | ジュピラーリーグ | 37 | 16 | |
2011-12 | アンデルレヒト | ジュピラーリーグ | 2 | 2 | |
チェルシー | プレミアリーグ | 8 | 0 | ||
2012-13 | WBA(loan) | プレミアリーグ | 36 | 17 | |
2013-14 | チェルシー | プレミアリーグ | 2 | 0 | |
エヴァートン(loan) | プレミアリーグ | 31 | 15 | ||
2014-15 | エヴァートン | プレミアリーグ | 36 | 10 | |
2015-16 | エヴァートン | プレミアリーグ | 37 | 18 | |
2016-17 | エヴァートン | プレミアリーグ | 36 | 24 | |
2017-18 | マンチェスター・ユナイテッド | プレミアリーグ | 34 | 16 | |
2018-19 | マンチェスター・ユナイテッド | プレミアリーグ | 32 | 12 | |
2019-20 | インテル | セリエA | 33 | 21 | |
2020-21 | インテル | セリエA | 36 | 24 | |
2021-22 | チェルシー | プレミアリーグ | 25 | 8 | |
2022-23 | インテル(loan) | セリエA | 25 | 10 | |
2023-24 | チェルシー | プレミアリーグ | 0 | 0 | |
ローマ(loan) | セリエA | 32 | 13 | ||
2023-24 | チェルシー | プレミアリーグ | 0 | 0 | |
ナポリ | セリエA |
見た目そのままの規格外のフィジカルを活かしたプレーが得意で、プレミアリーグやセリエAの屈強なDFにマークされてもそれを圧倒的なパワーによって跳ね返してしまう。ストライカーとしてだけではなく、ポストプレイヤーとしても世界トップクラスで、手で体を掴まれてもしっかりとボールをキープすることができる。足元の技術も高いため、そう簡単にボールを失わない。タメを作りながら2列目の選手を生かすこともできれば、自ら前を向いてドリブルで強引に突破することもできる。そのため、ラウタロ・マルティネスのようなセカンドストライカータイプとの相性がいい。
常人離れしたパワーに加え、スピードも兼ね備えており、爆発的なダッシュ力によってDFを置き去りにし、そのまま独走してゴールを奪うこともできる。1試合平均のドリブル成功数、ドリブル成功率共に高く、オープンスペースで前を向かれるとまず手がつけられない。
弱点は試合がスピーディーな展開になったときにプレー判断力が著しく低下することと、フリーランニングの質がそこまで高くないこと。ただし、後者についてはインテル加入後、改善されつつある。
掲示板
2 ななしのよっしん
2019/09/04(水) 07:37:50 ID: VK68rZv0h2
ええやん、なんぼなん
人種差別被害のルカク、サッカー界の団結を求める
https://
3 ななしのよっしん
2022/12/02(金) 08:27:49 ID: 7lku11AOv+
ベルギーがルカク頼りでルカクがいないと決定機すら作れないが、肝心のルカクが絶不調だった
4 ななしのよっしん
2022/12/10(土) 13:24:36 ID: 4TVKq8NDln
>>3
ルカクだからこそ何度も決定機を作れたのに、それを決められないせいで叩かれてたのかわいそうだったよね
急上昇ワード改
最終更新:2025/01/02(木) 23:00
最終更新:2025/01/02(木) 23:00
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