スペクタキュラービッド(Spectacular Bid)とは、1976年生まれのアメリカの競走馬・種牡馬である。
セクレタリアト、シアトルスルー、アファームドら綺羅星の如くスターホースが登場した1970年代アメリカ競馬界に於いて最後にして、人によっては最大の大物に推す声もある芦毛の怪物。
ブラッドホース誌選定「20世紀のアメリカ名馬100選」でも10位と堂々トップテンに入選した。
馬名の由来は母の名前スペクタキュラーに、父ボールドビダーから連想したビッド(Bid)を組み合わせたもの。
父ボールドビダーは1974年のケンタッキーダービー馬キャノネードを出すなど当時好調の種牡馬、母スペクタキュラーは10戦して4勝を挙げそれなりな現役成績を残したという、血統的にも悪くないバックボーンを持つ。
1歳9月のキーンランドセールに出され、3万7000ドルで落札されてバディ・デルプ調教師に預けられた。現代基準で1650万円ぐらいなので割と安めの部類である。
デビュー戦と二戦目をものすごい差をつけて楽勝したが、次走で4着、更に次のレースも2着とまあ、よくいる格が上がるとどん詰まりな早熟馬っぽい気配も拭えなかった。
どっこい、この芦毛のモンスターは後続を15馬身ぶっちぎった5戦目にしてその才能を再び示す。その後はレコード勝ち1回を含む4戦4勝。クビ差の勝ちもあったがだいたいぶっちぎり。最優秀2歳牡馬に輝いた。
フロリダで冬を越すと復帰戦をキャンター(駆け足)で4馬身ちぎり、その次走の重賞は8馬身1/2差つけて圧勝。連闘でGIフロリダダービーに挑み、捲って一気に4馬身1/2差つけて勝利、GIフラミンゴステークスは向こう正面でスパートして12馬身ぶっちぎり、さらにGIブルーグラスステークスも7馬身ちぎってケンタッキーダービーへ向かう。ここまでつけた着差が36馬身。もうレースする意味ないじゃん……。
しかし、ケンタッキーダービーからは逃げられん! と全米から10頭の猛者が集まった。ちなみにケンタッキーダービーは距離適性を見たりするなどローテーションで無茶はあんまりしないアメリカ競馬界で例外的に調教師がかなり無茶してでも出すレースで、20頭以上殺到する年もザラである。ちなみに2011年は19頭出走である……やっぱり逃げたんですね。みなさん。
ここももちろん3馬身近く差をつけ悠々勝利。プリークネスステークスはみんなビビって5頭立てになり、向こう正面で加速し後続を5馬身1/2ちぎり捨て二冠達成。
あんまりな強さに「10Fまでならセクレタリアト以上じゃね?」とさえ言われた。おかしな事やっとる。
三冠最後のレース・ベルモントステークスは、プリークネスをパスしてここに狙いを定めた馬でもいたのか、はたまた彼の豊かすぎるスピードは距離によって削がれると思われたのか、ちょっと増えて8頭立てとなった。
にしたって強すぎるスペクタキュラービッドなら三冠確実、3年連続の三冠馬誕生! と盛り上がったが……なんとレースの朝に安全ピンを踏んで蹄を負傷するという珍事が発生。その影響か3着に敗れる。……あまりにバカバカしすぎて負けた言い訳なんじゃないか? と思われるかも知れないが、傷から感染症を発症し危うく死にかけてしまったので、嘘ではなかろう。調教師なにやってだ。
しかし調教師の最大のミスは経験の浅い当時の主戦騎手、弱冠19歳のロニー・フランクリン騎手にそれを伝えてしまったことであろう。
たまたま風采の上がらない馬体の新馬を任されて気楽に乗っていたらそいつが異常に速く強く賢く、多少へぐっても圧勝し続けあれよあれよで三冠リーチである。特に結果的に4馬身半差で圧勝したとはいえフロリダダービーの乗りへぐりは尋常ではなく、1角で前の馬に接触して躓くわ、3角で前が壁になるわでレース後に調教師から「バカ野郎、お前もう少しであの馬を殺すところだったんだぞ!」と公衆の面前で怒鳴られたほどであった。
他の騎手と殴り合いをするなど精神的にすでに追い詰められていたところに「ちょっと怪我しちゃったけど出すわ! なあにこの馬なら余裕や! 頼むで!」なんて言われたら普通ではいられないだろう。ベテランでさえ人によっては竦んでしまうレベルである。
実際、この距離ならスタミナ不安があるだろうというのは他陣営も一縷の望みを託すところだったので前に行った馬は相当飛ばしていたが、焦りのあったフランクリン騎手は12F以上の長距離戦(アメリカ基準)の経験が浅かったこともあり、そのオーバーペースについていってしまったのである。
え? セクレタリアトならそれでも勝ってるって? 12Fならアレと比べられる馬はマンノウォーくらいじゃないの?
その後フランクリン騎手はスペクタキュラービッドの主戦のプレッシャーに負けていたのか、はたまたベルモントステークスでのやらかしを嘲られでもしたのかコカインに逃避し、見つかって逮捕。主戦解任となってしまう。ベルモントステークスの9日後の出来事であった。
フランクリン騎手はその後も何度となくコカイン絡みで逮捕され続けた末、1992年に騎手免許を剥奪されて競馬界から姿を消し、以降は復帰することなく2018年に58歳で病没した。アファームドの相棒コーゼン騎手のような偉大な騎手になれたかもしれなかったのだが。
一方スペクタキュラービッドは前述の通り感染症で休養となってしまったが、タフには変わりなく2ヶ月で復帰。本当に頑丈だ。
復帰戦では前述の通りフランクリン騎手がやっちまったため名手ウィリー・シューメーカー騎手に乗り代わると17馬身ぶっちぎりついでにコースレコード樹立、聞いてるこっちも呆れるしかないとんでもなさを発揮するとその次走のGIも5馬身ちぎり、秋の大目標ジョッキークラブゴールドカップで前年の三冠馬アファームドとの決戦となった。
わずか4頭立てとなったが、三冠馬・最強の二冠馬・その二冠馬にベルモントステークスで勝ったコースタル・勇気あるもう1頭[1]という豪華メンバーになった。
レースはスタートから逃げるアファームドを1馬身離れたところに控えたスペクタキュラービッドがつつくレース展開になるがアファームドは動じず、そのまま逃げきった。
スペクタキュラービッドは3/4馬身遅れの2着。負けこそしたが、ようやく対等に渡り合える馬と出会ったと言えよう。当のアファームドはこのレース限りで引退したが。
3歳の締めくくりにGIIに出たがもちろんただの弱いものいじめだった。レコードのおまけ付き。この活躍で最優秀3歳牡馬のタイトルを獲得した。
対等に渡り合える相手がいなくなった以上、明け4歳となっても止まらない。マリブステークスで7Fを1分20秒ジャストで駆け抜けコースレコード、1戦挟んで迎えたチャールズ・H.ストラブステークスでは10Fを1:57.8で激走。ダート10Fではちょっと信じられないタイムを叩き出し世界新記録樹立。
凄い以外になんて言えばいいんですか。その後は道悪だろうが酷量だろうが関係なく、語るまでもなくぶっちぎり続け、秋の大目標ジョッキークラブゴールドカップへ向け邁進したのだが……
ついに、誰も彼と戦おうとしなくなった。……もう戦うだけ無駄と判断されたのである。1頭だけ別の次元に到達してしまったのだ。
その単走となったウッドワードステークス[2]を「完走」した後、ベルモントステークスで痛めた蹄の古傷が再発し引退。種牡馬入りした。
ちなみに、この1980年の年度代表馬と最優秀古馬牡馬もダブルで獲得。他に張り合える該当馬がいるなら言ってみて欲しいと誰もが思う強さを見せていたし妥当である。
通算成績30戦26勝。生涯獲得賞金で前年に引退したアファームドが作った記録を塗り替えての引退であった。
種牡馬としては当時の史上最高額となる2200万ドルのシンジケートを組まれたが、成績は期待外れ扱いのセクレタリアトやアファームドと似たり寄ったりだけどちょっと悪い、そんな感じである。
走るフォーム自体は綺麗じゃなかったし、立派とは言いがたい馬体であったことが種牡馬としてはマイナスだったのだろう。それでもGI馬は出した。
ただ、引退まで安全ピンを刺すという凡ミスで病気と古傷を得てしまった以外は軽度の熱発を起こしたくらいで年間9戦以上をこなし、当時のアメリカ最強馬を苦しめる酷とも言える斤量にも負けず、全米9州15場の競馬場でどこでも凄まじいパフォーマンスを見せながら壊れない丈夫な体、タフな精神力と逃げ先行差し追い込み捲りマーク戦法なんでもござれという脚質の異常な柔軟性と賢さ、そして何より生涯でコースレコード更新8回という異常なスピードを引き継いだ名馬が出なかったのは事実である。
一応ステークスウイナーは47頭出すなど大失敗ではないのだが、「彼の種牡馬としての活躍は華々しいとは言えなかった」と馬名のスペクタキュラー(華々しい)と引っ掛けた評価をされる程度には評価は低い。前述の通り47頭出たステークスウイナーも期待が高く繁殖牝馬のレベルが高かった4年目までに28頭が固まっており、
そこから出たGI馬が1頭は確かに華々しくはない。セクレタリアトもそうだが、期待がデカすぎたということだろう。
当初いい繁殖牝馬が集まったこともあって母父としては優秀な部類で、デインヒル産駒のモーツァルトなどを輩出。バーナーディニの母母父でもあったりする。日本でもアパパネの母母父やスマートレイアーの母母母父に彼の名を見ることができる。とくにスマートレイアーはスペクタキュラービッドの芦毛も受け継いでいたりする。
2003年になっても種牡馬として現役だったが、その年の6月に心臓麻痺で永眠した。享年27歳であった。その4ヶ月後、ベルモントステークス以後に騎乗した相棒ウィリー・シューメーカーも後を追うように死去した。
| Bold Bidder 1962 鹿毛 |
Bold Ruler 1954 黒鹿毛 |
Nasrullah | Nearco |
| Mumtaz Begum | |||
| Miss Disco | Discovery | ||
| Outdone | |||
| High Bid 1956 鹿毛 |
To Market | Market Wise | |
| Pretty Does | |||
| Stepping Stone | Princequillo | ||
| Step Across | |||
| Spectacular 1970 芦毛 FNo.2-d |
Promised Land 1954 芦毛 |
Palestinian | Sun Again |
| Dolly Whisk | |||
| Mahmoudess | Mahmoud | ||
| Forever Yours | |||
| Stop on Red 1959 栗毛 |
To Market | Market Wise | |
| Pretty Does | |||
| Danger Ahead | Head Play | ||
| Lady Beware | |||
| 競走馬の4代血統表 | |||
クロス:To Market 3×3(25%)、Blenheim 5×5(6.25%)
掲示板
13 ななしのよっしん
2022/07/08(金) 03:10:27 ID: XiVFn0ZDof
まぁ普通に考えて他馬が逃げなきゃ単走にはなんないからな、ウッドワードは当時かなり重要な競争の一つだったし
でも向こうのネット民も最強馬論争なんてクソ不毛な議論してるんすね・・・場所が変わっても人は変わらないってハッキリわかんだね
14 ななしのよっしん
2022/08/02(火) 10:08:54 ID: AfHiB+jGX2
単走レースになる理由なんて様々で、金額が割に合わないとか、その馬の関係者に対する反感からボイコット的に回避されまくる例もあって、全てが全て強いことの証にはならない
ましてや前走、グロリアスソングが思い切り負かしにいって他のレースではみられない苦戦(苦戦といっても4コーナーを先頭で回らなかった2レースの内の1つで、4コーナーを先頭で回れなかった相手は他にアファムード以外いない)しており、普通に新聞で次走、ウィンターテイルズとやったら負けるという予想は多くあった
また、強い馬は重い斤量を背負って勝つ馬だという考えがあるアメリカ(実際、アメリカ名馬100選の上位馬は重い斤量を背負った馬が占め、斤量を理由に回避した当馬などの評価が下げられている)で、斤量を理由に回避するということは、公式に強くないから出ませんといっているに等しく、それを理由にウッドワードSで調教師にブーイングしたと証言してる人もいるぐらい
強すぎて単走になったといったら「重い斤量も背負わず強いってw」と反論されるだけ
強すぎて単走になったはガセ
15 ななしのよっしん
2022/08/11(木) 12:18:21 ID: tkeKZbFsS7
多分「強すぎて単走」っていう言葉のイメージが違うんだよね
1980年のウッドワードは
Spectacular Bid, Winter's Tale, Temperence Hill, Dr. Patches
の4頭が登録してたんだけど最大のライバルだったWinter's Taleが怪我で回避
他2頭は事実上逃げた形になった
2着賞金4万ドルはタダ貰いの見込みだったけど
Temperence Hillは最優秀3歳牡馬候補だったから
Winter's Taleにボコられたばかりで強いところを見せなきゃいけなかった
Dr. Patchesは他の勝ち目のある一般定量レースに流れてる
そもそもウッドワードクラスのレースを登録すらせずに
他のレースに回った馬たちはその時点で諦めてるわけで…
「実質2頭の争いだったが流れ、引き立て役は皆去った」って感じ
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/26(金) 05:00
最終更新:2025/12/26(金) 05:00
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