シルバーチャーム(Silver Charm)は、1994年アメリカ生産の競走馬・種牡馬である。後に日本に種牡馬として輸入されたのち、現在はアメリカに帰国して功労馬となっている。
芦毛の馬体に青いシャドーロール、そして凄まじい闘争心によって人気を博した1997年の二冠馬。ブラッド・ホース誌「20世紀のアメリカ名馬100選」では第63位。
父Silver Buck、母Bonnie's Poker、母父Pokerという、全体的に主流とはあまり言えないような血統。
父シルヴァーバックはGI2勝を挙げており、母父として大活躍したバックパサーの産駒の中では数少ない牡馬の活躍馬である。
母ボニーズポーカーはステークス競走未勝利で63戦11勝。近親に活躍馬はまるでおらず、相当地味な牝系に属している。牝系祖先は三冠馬サイテーションと同じだが、19世紀まで遡らないと同じ祖先に辿り着かないので到底近親とは言えないレベルである。
母父ポーカーは36戦7勝で、本馬の他にシアトルスルーを母父として送り出している。
1歳セリにおいて1万6500ドルという安さで育成業者に落札された本馬は、2歳になって8万5000ドルで庭先取引され、ボブ・バファート調教師に預けられた。
2歳8月にデビュー戦となった6ハロンの未勝利戦で2着の後、5.5ハロンの未勝利戦を逃げ勝った。続けてデルマーフューチュリティ(GII)に出走すると、先に先頭に立った同馬主のゴールドトリビュートを叩き合いの末にアタマ差で下して勝利した。その後のGIには出走せず、3戦2勝で休養に入った。
3歳初戦は2月のサンヴィセンテS(GIII)となった。ここでは好位から4角で抜け出すと、この後何度となく対戦することになるフリーハウスを1馬身3/4後方に封じて押し切り勝利した。しかし、続くサンフェリペS(GII)では逆に先行するフリーハウスを中団から追いかける展開となり、今度は本馬が差し切れずに3/4馬身差2着に惜敗した。更に、後の主戦となるゲイリー・スティーヴンス騎手を初めて鞍上に迎えたサンタアニタダービー(GI・9ハロン)では、ハイペースで逃げたシャープキャットを積極的に追いかけたのが災いし、早めに一歩引いたフリーハウスにまたも差し切られアタマ差2着に終わった。
それでも、本番のケンタッキーダービーではフロリダダービーとウッドメモリアルSを連勝したキャプテンボジットに次ぐ2番人気に支持された。レースでは先行して前を行くプルピットとフリーハウスを直線で競り落としたところへ後方からキャプテンボジットが差し脚を伸ばしてきたが、最後まで抜かせずアタマ差で粘り勝った。前年にキャヴォニアでグラインドストーンのハナ差2着に惜敗したバファート師にとってはその雪辱を果たす形でのケンタッキーダービー初制覇となった。
続くプリークネスSではキャプテンボジットが再び1番人気、3馬身半離れた3着に破ったフリーハウスが2番人気で、本馬は3番人気であった。今回もフリーハウスを見る形になり、直線では後方から差してきたキャプテンボジットも交えて三つ巴の叩き合いとなったが、本馬が勝負根性をいかんなく発揮してアタマ差で競り勝った。
19年ぶりの三冠に王手をかけたベルモントSでは、単勝2.05倍の1番人気に推された。道中で早めに先頭に立った*ワイルドラッシュに4角手前で並んで交わし、直線ではフリーハウスとの叩き合いになったが、本馬が優勢になったところで大外からプリークネスS4着のタッチゴールドが強襲。フリーハウスと叩き合う本馬を最後はタッチゴールドが一気に交わし、3/4馬身差2着に敗れた本馬は惜しくも三冠達成はならなかった。
半年間の休養を挟んで出走した12月のマリブS(GI・7ハロン)では道中馬群に包まれるところがあったのも相まってアルゼンチンから移籍してきたロードグリージョの半馬身差2着に敗れたが、それでも二冠を評価されてエクリプス賞最優秀3歳牡馬を受賞した。
4歳初戦は1月のサンフェルナンドブリーダーズカップS(GII)から始動し、マリブSで4着だったマッドルートの逃げを直線入り口で捉えるとこれに1馬身差をつけ勝利した。続くストラブS(GII)でもマッドルートの逃げをあっさり競り落とし、接戦に強いタイプの本馬としては大きめとなる4馬身という差をつけ勝利した。
その後サンタアニタハンデキャップ(GI)を挫跖によって大事を取って回避したが、4頭立てとなったそのサンタアニタハンデキャップにおいて単勝1.05倍という圧倒的人気に支持されていたアルゼンチン出身の実力馬・ジェントルメンが鼻出血を発症しまさかのシンガリ負け。同馬は招待されていたドバイワールドカップにも出走出来なくなり、その代わりとしてシルバーチャームに招待が届いた。これを受けてドバイワールドカップに出走することとなった。
レースでは2番手から追走し、直線では逃げていたベーレンズと後ろから差してきたルウソヴァージュ、マレクをあっさり競り落として先頭に立った。そこへ大外から前年のキングジョージを勝った地元馬・スウェインが初ダートを物ともせず伸びてきたが、ここで本馬が持ち前のド根性を発揮して粘り、並んだままゴール。僅かに短頭差で先んじていた本馬が第3回ドバイワールドカップの勝者となった。
帰国後、6月のスティーブン・フォスターハンデキャップ(GII)で復帰したが、遠征疲れがまだ残っていたらしく2着に敗れた。それでも本馬より14ポンドも軽い斤量でレコード勝ちしたオーサムアゲインから1馬身差なので、帰国初戦としてはまずまずの内容だった。しかし続くサンディエゴハンデキャップ(GIII)のレース中に鼻出血に見舞われて5頭中5着に敗退し、2ヶ月間の休養に入った。
復帰戦のケンタッキーカップクラシックハンデキャップ(GIII)では、春にGIを2連勝した*ワイルドラッシュが強敵となった。逃げた*ワイルドラッシュに早めに並びかけて直線に入り、そのまま叩き合いとなったが、流石に*ワイルドラッシュも本馬より6ポンド軽いハンデということもあってしぶとく、最後まで両者譲らないまま1着同着となった。
続くグッドウッドブリーダーズカップハンデキャップ(GII)では、1年4ヶ月ぶりにフリーハウスと相見えた。フリーハウスもパシフィッククラシックS(GI)でジェントルメンに4馬身差をつけ完勝するなど実績を残しており、両馬とも124ポンドのトップハンデとなった。レースは単勝1.5倍に推された本馬が直線入り口で横一線の態勢から抜け出し、フリーハウスに2馬身半差をつけ勝利した。
ブリーダーズカップ・クラシックでは、この年だけでGI5勝を挙げていた前年覇者のスキップアウェイ、GI1勝を含む5連勝中のオーサムアゲイン、三冠競走には出走出来なかったがトラヴァーズSなど5連勝していた*コロナドズクエスト、キングジョージ連覇を果たして再びダートに挑んできたスウェイン、ベルモントSで二冠馬リアルクワイエットを下した3歳馬ヴィクトリーギャロップなどの豪華メンバーが相手となった。逃げた*コロナドズクエストに並びかけた後、それを上回る手応えで外から差してきたスウェインに併せに行ったが、スウェインもヨレ気味に外に斜行する形となった。その直後、*コロナドズクエストと本馬の間に空いた隙間を掬う形でオーサムアゲインとヴィクトリーギャロップが伸びてきた。スウェインとヴィクトリーギャロップは僅差で抑え込んだもののオーサムアゲインには差し切りを許し、3/4馬身差の2着に惜敗した。
その後、クラークS(GII)をアタマ差で勝ち、9戦6勝でシーズンを終えた。
5歳時も現役を続行し、まずは初戦のサンパスカルハンデキャップ(GII)をトップハンデを跳ね返し1馬身1/4差で勝利した。しかし、続くドンハンデキャップ(GI・9ハロン)ではスタートで後手を踏み、末脚勝負で後れを取ってチリからの移籍馬プエルトマデロの5馬身1/4差3着に敗れた。
続くサンタアニタハンデキャップ(GI・10ハロン)ではプエルトマデロに加え、これが8回目の対戦(ここまで本馬の5勝2敗)となるフリーハウスが出走してきた。レースは先に抜け出したフリーハウスを直線よく追ったものの叩き合いに持ち込むことが出来ず、1馬身差の2着に惜敗した。
連覇を目指して出走したドバイワールドカップでは、前年の英ダービー馬*ハイライズが出走してきて注目された。というのも、ケンタッキーダービー馬と英ダービー馬の対決は遡ること76年前、1923年にベルモントパーク競馬場において「米国最強3歳馬VS英ダービー馬」というような名目で行われたケンタッキーダービー馬ゼヴと英ダービー馬パパイラスのマッチレース以来のことだったためである。
ところが*ハイライズはダートがまるでダメだったのか終始後方のままシンガリ負け、一方のシルバーチャームも鼻出血が再発し、好位抜け出しで勝った*アルムタワケルの14馬身差6着(8頭立て)と大敗した。
帰国後にスティーブン・フォスターハンデキャップに出走したが、ドバイワールドカップで3着だったヴィクトリーギャロップの8馬身半差4着と完敗し、このレース後に引退が発表された。
通算24戦12勝・GI3勝。GI3勝は「20世紀のアメリカ名馬100選」入選馬の中で1971年(2歳時にグレード制導入)以降に生まれた25頭の中ではトップクラスに少なく[1]、レーティングも出色の数字ではないが、成績の字面だけでは分からない、味のある競馬を見せ続けた馬であったことは間違いないであろう。
2000年からケンタッキー州で種牡馬入りしたシルバーチャームは同地で4シーズン供用され、58.6%の勝ち上がり率を記録したが、GI級の大物には恵まれず、2004年に9億9000万円でJRAに購入され、日本に輸入されることになった。この頃は*ファーディナンド屠殺疑惑がアメリカで大問題になっていたこともあり、この影響で創設された「ファーディナンド基金」に基づき、種牡馬引退後に買い戻しとする協定が結ばれた。
日本では初年度こそ102頭の牝馬を集めた(最終的な産駒の血統登録はそのうち69頭)が、その後は青森県の七戸種馬場に移動した2009年に44頭を集めたぐらいで牝馬が集まらず、2009年以降の6シーズンは最も多い年で13頭という少なさであった。産駒から重賞馬は出ず、母父としてもミライヘノツバサが2020年になってダイヤモンドSを勝ったくらいで、全体的に日本での種牡馬成績は振るわなかった。この間、2007年にアメリカ競馬の殿堂入りを果たしている。
2014年の種付けシーズン終了後、種牡馬引退とファーディナンド基金による買い戻し・アメリカ帰国が決定。同年秋に輸出され、現在はケンタッキー州の功労馬繋養施設・オールドフレンズで余生を過ごしている。
| Silver Buck 1978 芦毛 |
Buckpasser 1963 鹿毛 |
Tom Fool | Menow |
| Gaga | |||
| Busanda | War Admiral | ||
| Businesslike | |||
| Silver True 1964 芦毛 |
Hail to Reason | Turn-to | |
| Nothirdchance | |||
| Silver Fog | Mahmoud | ||
| Equilette | |||
| Bonnie's Poker 1982 黒鹿毛 FNo.3-l |
Poker 1963 鹿毛 |
Round Table | Princequillo |
| Knights Daughter | |||
| Glamour | Nasrullah | ||
| Striking | |||
| What a Surprise 1968 鹿毛 |
Wise Margin | Market Wise | |
| One Ripple | |||
| Militant Miss | Faultless | ||
| Miss Militant | |||
| 競走馬の4代血統表 | |||
クロス:War Admiral 4×5(9.38%)
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最終更新:2025/12/26(金) 17:00
最終更新:2025/12/26(金) 17:00
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