ことでんとは、香川県に路線網を持つ鉄道会社、高松琴平電鉄の略称である。本社は高松市にある。
以前は「琴電」「TKR」「コトデン」という愛称があったが、民事再生法適用後に「ことでん」に統一された。(ただし駅名には引き続き琴電の名称が使われている。)
鉄道以外にも「ことでんバス(バス・タクシー)」「高松グランドカントリークラブ」と言った関連会社を持っている。
営業路線
車両
旅客電車は以下の形式がある。総勢80両あり、地方私鉄としては最大級である。
営業用車両
動態保存車(レトロ電車 引退済み)
- 1000形120号(琴平電鉄オリジナル車) - 1926年(大正15年)製造、近代化産業遺産認定
- 3000形300号(琴平電鉄オリジナル車) - 1926年(大正15年)製造、近代化産業遺産認定
- 5000形500号(琴平電鉄オリジナル車) - 1928年(昭和3年)製造、近代化産業遺産認定
- 20形23号(大阪鉄道デロ20形→近鉄モ5620形) - 1925年(大正14年)製造
動態保存と言うと工場内をウロウロというイメージを持つ方も多いだろうが、これらの車両は4両とも車籍を有し、月に1度2両編成で琴平線を走っている。しかも、区間によっては70km/h以上出すため、2015年現在、吊り掛け車の爆走を楽しめる数少ない鉄道となっている。
ちなみに最古参となる20形23号は90歳を超えている。本気で100歳まで走らせる気なのかもしれない。
ちなみに臨時運転のダイヤなどは公式ホームページで公開されている。基本的には月1回、日曜日に走行。
また、貸切列車としても走行可能である。1回約10万円で貸切列車として走行可能である。
沿革
戦前
琴平電鉄は海の神様として名高い金刀比羅宮と香川県の玄関口である高松市をつなぐ参拝のための鉄道として計画され、大正9年に免許を取得、昭和2年に琴平ー高松(今の瓦町)間を全線開通させた。
大正15年の部分開業当初(滝宮ー栗林公園間)から軌間1435mm(標準軌)直流1500Vの電鉄で、尚且つ長い直線と緩いカーブを駆使、変電所には国内初のドイツ・シーメンス社製1500V水銀整流器を設置、駅は近畿関西の大手私鉄のモダンな駅を手本として西洋風の駅舎、車両は半鋼製ボギー車、車内ニス仕上げ、最高速度96km/h(!!)、参宮のためとはいえ当時田舎の香川県では破格の高規格であった。ちなみに当時のJRでは…木造電車や蒸気機関車が走っていた時代である。
このため関西の私鉄関係者が視察に来たり、あまりに車内が立派なため乗客が靴を脱いで乗ったり、「讃岐の阪急」と呼ばれたりした…。
が、むろんド田舎の香川の田んぼを貫くように線路を引いたため収入が追い付かず慢性的な赤字で国からの資金援助を受けたりした。そのため車両の増備すらおぼつかなくなり、安い中古車で…と中古車オンパレードの下地を作った。
なお、この琴平電鉄は上がやりたい放題していたようで、上記の暴走のほか、塩江の温泉観光の開発もしており、温泉宿を作ったり劇場を建てたり劇団を作ったりとやりたい放題。
しかも山奥なのでアクセスが不便だからと鉄道をも敷設。さすがに琴平線並の鉄路を作るといった暴挙はせず、軽便鉄道を引いてアクセスの便を図った。
ただしこの塩江温泉鉄道、車両こそ軌間760mmとかのそこら辺用の軽便規格だが、軌間は何と標準軌。明らかに軌間が広かった。
ちなみに、その後琴平には琴平参宮電鉄、琴平急行電鉄、琴平電鉄、国鉄の土讃線と4つの鉄道が乗り入れる小都会状態となった。
しかし戦時体制と戦後のモータリゼーションにより、ことでんとなった琴平電鉄とJRの土讃線が残るのみである。
戦中
太平洋戦争中に戦時統制として、高松電気軌道(長尾線の前身)、讃岐電鉄(志度線の前身)と合併し現在の路線網が完成する。
高松電気軌道と讃岐電鉄(開通当時は東讃電気軌道)は、当時の「鉄道をおらが土地にも!」的に作られた鉄道だったので琴平電鉄のようにハイスペックではなく、高松電気軌道ではごくごく普通の軌間1067mmの狭軌、直流750Vの路面電車として開業、讃岐電鉄は1435mmの標準軌、直流750Vで開業した。
むろん車両も豪華なものではなく、マッチ箱のような電車が走っていた。
ただし、統合後は軌間が違うと保線的に面倒なので琴平線と同じに改軌した。車両の方は京浜急行等の古い電車が直流750Vで手に入り、戦時中の物資不足と相まってそのままとされた。
戦後
戦後は乗客増と琴平電鉄時代の赤字が影響を与え、車両の増備は手っ取り早く全国の鉄道から手当たり次第に中古車両を買い集め、さら老朽化した車両を中古車で置き換えるという無限ループにより多種多様な電車が走りまわり、ファンからは「動く博物館」と呼ばれた程である。
事実、日本で唯一の東芝製電車や、琴平電鉄創業時の電車(大正15年製)が平成になっても現役と、貴重な車両が多数在籍していた。
また、高松空襲により市内の路面電車網が壊滅し復旧不能とされたため、高松港への連絡路が必要となり、瓦町から高松築港の区間が複線で延長された。
しかし、モータリゼーションの進展による車社会への変化の中で旧体質のまま運営を行ってきた琴電はそっぽを向かれ始める。
駅員の質の悪さ、人件費の異様な突出、そしてサービスの悪さによる乗客離れなど、利用者からの評判は散々であった。
地元の新聞に載ったインタビューにも「電車はいるが、琴電はいらない」とまで掲載された。
瓦町駅の老朽化と「戦後が残っている」と言われた瓦町駅付近の再開発のため1997年にそごうグループと提携し瓦町駅ビルに建設した「コトデンそごう」の経営不振、そごうグループ倒産等の影響で琴電自身も2001年に民事再生法を適用。事実上の倒産となる。
民事再生申請以後
2002年8月、加ト吉(現在のテーブルマーク)などの支援を受け会社の建て直しを図る。その一環として2005年2月に登場したのがICカードシステム「IruCa」である。
ちなみに、現在のキャラクターであるイルカの「ことちゃん」とICカード「IruCa」の由来だが、「琴電はいるか、いらないのか」からイルカとなった経緯がある。
また、在籍車両の近代化も行われた。上記の様に「動く博物館」とまで言われた貴重な車両も、利用者からして見れば古い車両。勿論冷房も無く、評判も悪かった。そこでまず初めに名古屋市営地下鉄の廃車を改造の上導入し、志度線と長尾線をある程度冷房化、次に京浜急行の中古車を導入し、琴平線で予備車として残されていた阪神や名鉄の車両を廃車、その後最後の黄電を改造の上導入し志度線長尾線で増結用に朝夕働いていた非冷房の旧型車を一掃。2007年にイベン用の4両を除く全ての車両の冷房化が完了した。
とは言ったものの、今でも路線規模の割には形式が多く、訪れたファンを楽しませているのも事実である。
志度長尾線は600形で埋め尽くされてしまったが、琴平線を走るのは京王電鉄の5000系に京浜急行の旧700形(特急用!)、1000形、700形と3世代が元気に走り回っている。旧700形の1070形と700形の1200形が増結して走っている姿はほほえましいものがある。
車両運用上の特徴では、朝夕には乗客数が多く、昼と夜の閑散期には減るので、運転本数の増減と琴平線ではさらに増解結を駆使した車両数調整が上げられる。
琴平線では2両編成を基本に編成され、朝夕は増結、昼と夜は2両編成と増解結運用されている事が上げられる。
さらに、朝夕は一宮止まりを滝宮まで延長運転するサービスを行っており、15分ヘッドで電車がやってくる。
閑散期には30分ヘッドとなるので、余った電車は仏生山止まりとして車庫に入れる。
また、4両編成⇔2両編成への増解結も仏生山で行っており、多数の留置線と往来する回送電車が見られる。
ラッシュ時の増結は、ジャンパ栓の接続が必要にも関わらず1分程度で完了させてしまう早業である。
解結に至っては30秒の停車時間で完了させてしまう場合もある。
長尾線はもともと路面電車規格で作られていたこともあり、大型化した現在の車両の留置スペースが限られている。
そのため朝夕の増発分を仏生山でプールさせている。
仏生山へ回送、また瓦町へ回送するためには、長尾線から琴平線に入れる必要があるのだが、そのままドライブスルー的に引きいれることはできずバックする必要がある。その場所は何と瓦町高松築港側の本線上で、交通量の多い2車線道路をふさぐ形でエンド切り替えを行い瓦町長尾方面の留置線へ、また長尾線から琴平線へと入っていく。なかなかの見ものなのでお勧めである。
ちなみに、長尾線と志度線に導入された名古屋市営地下鉄の車両は黄電と呼ばれ、第三軌条集電方式、非冷房だったのだが、京王重機の魔改造によりパンタグラフからの集電&冷房化された。
さらに、車高が地下鉄ゆえ低く、ホームに抵触するほどだったのでどうにかして車高を上げる必要があったのだが、そこは魔改造、台車の心皿にスペーサーを挟み車高を嵩上げするという懐にも優しい鉄道模型的な解決をしており、全国的にも珍しい車両となっている。
2020年11月に伏石駅が開業し、三条~太田間が複線化された。
その際に発表された設備投資の内容で「2024年よりバリアフリー対応の車両を導入して更新を行う」と記載があり、今後が気になっていたが、2024年3月28日の発表で高松築港~仏生山駅間前線複線化を2026年度までに行うと共に、3年以内に新造車両を4両導入する見込みとなった。(1両辺り2億5000万円)琴電は保有車両80両のうち90%が車齢50年以上で、老朽化による運休や遅延が過去10年で18件起きていると言う。新造車両以外に京急1500型などの大手私鉄の中古車を導入するかは不明である。
2024年頃に、遮断機が下りていない状態での列車通過トラブル相次いだ。耐用年数を大幅に超えて使用していたことによるヒューズの破断や、暑さによるブレーカーの遮断などが原因とのこと。この再発防止策として交換が必要な保安設備680カ所の更新が2024年6月末までに完了する模様。
関連動画
大変な途中下車シリーズ
関連項目
外部リンク
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