翼を広げて
わずかな躓きなど
どうということはない
足ぶみが続いても
落胆などするないまはそこで耐えて
時が来るのを待てばいい
ウイングアロー(Wing Arrow)とは、1995年生まれの日本の元競走馬である。鹿毛の牡馬。
多士済々の1998年クラシック世代で、ダートの総大将と呼べる活躍をした。
エルコンドルパサー?格付けなし重賞までしか走ってないからね彼[1]。
主な勝ち鞍
1998年:スーパーダートダービー(GII)、名古屋優駿(GIII)、グランシャリオカップ(GIII)、ユニコーンステークス(GIII)
2000年:フェブラリーステークス(GI)、ジャパンカップダート(GI)、ブリーダーズゴールドカップ(GII)
2001年:ブリーダーズゴールドカップ(GII)
※本記事では活躍した時期に合わせて馬齢表記は旧表記(数え年、現表記+1歳)で記載。
概要
父は欧州でステイヤーとして鳴らしたが、日本では短距離馬やダートに適正を見せたアサティス、母はサンヨウアロー、母の父はミスターシービーである。
母系は遡るとキーストンやなんかにあたる良血であり、この配合は芝の中長距離馬を意図してのものであった。
後の成績からしたら意図は外れたがダートですごい活躍を見せたのでむしろ結果オーライである。
というかスーパークリークみたいに狙い澄まして作れることのほうが少ないのが馬産である。
入厩後の評価は「1つ勝てりゃいいんじゃね?」と嘆かれるような動きの悪い馬だった。そのためかどうかは知らないがデビューは遅れ4歳(旧馬齢表記)の1月、ダート1200m戦となった。ここを3着し次走の折返しの新馬戦は一番人気になったが2着、3戦目は名古屋競馬場へ赴き交流競走に出走。初勝利を挙げる。その後は連戦に次ぐ連戦で6月までに5戦して2勝。
ダートでは不利な追い込み一手で不器用という面はあったが、7月の名古屋優駿で重賞初勝利を決めると連勝街道を驀進。旭川のグランシャリオカップ、当時秋の中山開催だったユニコーンステークス、大井のスーパーダートダービーで重賞4連勝を達成。ぱないの!
当時の4歳ダート三冠制覇を目指し、盛岡のダービーグランプリを目指したが…なんと大雪で順延。これで調子を崩したか順延開催のダービーグランプリは2着に敗れ三冠の夢は消えた。
しかし、今ウイングアローが連勝したレースは交流重賞から格下げになったり廃止になったり競馬場自体がなくなっていたりとダート路線の変遷と地方の諸行無常を感じずにはいられない。インターネット投票の普及が早ければ…インフラ的に難しいか。
5歳の1999年は前年に13戦もした反動か球節と膝を痛め、5戦して3着、3着、3着、2着、2着で未勝利。
6歳になった2000年も平安ステークスでも敗れる。ああ、4歳で燃え尽きたのか…と思われたがフェブラリーステークスで復活。初GIを獲得した。
その後南井厩舎に転厩し帝王賞は末脚不発で5着、今は牝馬限定戦になったブリーダーズゴールドカップを勝利したが南部杯を2着と勝ち切れない側面は見せたが第1回ジャパンカップダートではその末脚を炸裂させGI2勝目。コースレコードを記録しての圧勝であった。
7歳になって向かったフェブラリーステークスではノボトゥルーを差せず2着、ドバイ遠征の予定だったが怪我で辞退しトゥザヴィクトリーに枠を譲ることになった。そのトゥザヴィクトリーは2着に激走したのが救いか。
幸いにして軽傷だったので半年後に復帰。復帰戦ブリーダーズゴールドカップは連覇したが、マイルチャンピオンシップ南部杯ではアグネスデジタルやトーホウエンペラーに敗れ5着、連覇をかけて臨んだジャパンカップダートではマシュマロみたいな奴クロフネが異次元の日本レコードを記録する中、彼も前年のレコードを更新する走りで離された2着に終わった。
その後、東京大賞典では末脚不発で10着、フェブラリーステークスではアグネスデジタルのドバイ行きを見送るように9着に敗れ引退。種牡馬入りした。
種牡馬としては期待と比較するとそこそこの滑り出しだったがその後が続かず、青森で細々と種牡馬生活を続行していたが、2014年をもって種牡馬を引退。以後功労馬として余生を送っていたが、2019年11月21日に死亡した。
ハマったときの末脚の威力は抜群だったが、直線の短い地方では不発で惨敗することも多かった。直線の長い府中がきっと一番得意だったんだろう。
しかし多士済々98世代ダート筆頭であるがイマイチ影が薄い。アブクマポーロ・メイセイオペラによる地方大反攻とクロフネ・アグネスデジタルらの活躍の結果、ダートに目が向いた中央勢による支配の時代の間にちょうど埋もれる形なのが痛かっただろうか。
彼のGI初勝利となったフェブラリーステークスにもメイセイオペラは出走していたがもう全盛期とは言えず、その後もライバルらしいライバルも見当たらなかった。強いて挙げれば2000年のフェブラリーSや帝王賞、南部杯で戦った牝馬のファストフレンドとゴールドティアラだが、適性の違いから最初に戦ったフェブラリーS以外は着差のついた決着ばかりで、ライバルらしい戦いは出来なかった。
同世代の芝日本総大将のスペシャルウィークは生涯通してライバルばっかりで食傷気味なくらいであったが、彼は全くの逆であった。そのせいで物語性が薄くなってしまった部分は多かったかも知れない。
血統表
*アサティス 1985 鹿毛 |
Topsider 1974 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Drumtop | Round Table | ||
Zonah | |||
Secret Asset 1977 鹿毛 |
Graustark | Ribot | |
Flower Bowl | |||
Numbered Account | Buckpasser | ||
Intriguing | |||
サンヨウアロー 1988 鹿毛 FNo.11 |
ミスターシービー 1980 黒鹿毛 |
トウショウボーイ | *テスコボーイ |
*ソシアルバターフライ | |||
シービークイン | *トピオ | ||
メイドウ | |||
タニイチパワー 1981 黒鹿毛 |
*ネヴァービート | Never Say Die | |
Bride Elect | |||
ロングパワー | *ヒンドスタン | ||
*マーシユメドウ | |||
競走馬の4代血統表 |
関連動画
関連項目
脚注
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