ドーセットシャーとは、STGアプリゲーム『アズールレーン』に登場する、第二次大戦時のイギリス海軍所属カウンティ級(ノーフォーク級)重巡洋艦ドーセットシャー〈HMS Dorsetshire〉をモチーフとしたお姉さん大好き少女キャラクター(KAN-SEN)である。
概要ですね~姉さんとの日々を思い出しちゃいます~
| KAN-SEN名 | |
|---|---|
| ドーセットシャー HMS Dorsetshire,40 |
|
| 基本情報 | |
| 所属 | ロイヤル |
| 艦種 | 重巡洋艦 |
| レアリティ | SR |
| CV | 沼倉愛美 |
| イラスト | 夢咲楓 |
| 艦歴 | |
| 国籍 | イギリス(イングランド) |
| 出身地 | ハンプシャー州, ポーツマス |
| 造船所 | ポーツマス海軍基地 |
| 艦級 | カウンティ級重巡洋艦 第3グループ(ノーフォーク級) |
| 進水日 | 1929年1月29日 |
| 就役 | 1930年-1942年(イギリス軍) |
| 最期 | 1942年4月5日(沈没) |
| 備考 | |
姉のノーフォークより大人びて見えるが実は妹。しかも姉のことを「世界一素晴らしい」と崇拝しており、自分は姉より劣った存在だと思い込んでいる。
ロイヤル(現実で言うところのイギリス)に所属する重巡洋艦。初期の状態では建造・ドロップ双方で入手不可の状態となっており、カウンティ級の図鑑報酬(★20獲得報酬)として手に入れた後に大型艦建造・特型艦建造に追加となる。
ふわふわの薄い茶色い髪をリボンカチューシャでまとめ、姉と同じ服装(=ノーフォーク級の制服だろうか)を身に纏っている。よく見ると、服装や艤装は姉妹で同じ形であり、違いは姉が赤ずきんを被っていることくらいだったりするが、胸部装甲は妹の方が豊かな模様。
性格で特筆すべきが「姉萌え」。入手がやや難しいため有名ではないが重度のシスコン患者であり、ユニオンにポネキがいるならロイヤルにはドーセットシャーがいると並び称されるほどの姉妹萌えの一人。セリフのほとんどで「姉さん」に言及している点ではポネキに負けずとも劣らない。とはいっても、自作の同人誌を作成してしまうほどのかなり危ない域に達しているポネキに対して、こちらは強化すると「姉さんを目標に、これからも頑張ります!」、勝利すると「これでまた姉さんに一歩近づけました!」と健全そのものである。ただ、姉より容姿が大人びていることについては少し気にしているらしい。
姉さんに恥をかかせないよう、頑張ります!
スキル1:旅の終焉
魚雷のクリティカル率が20.0%(MAX40.0%)アップ。クリティカルによるダメージが50%アップ
数ある重巡洋艦の中でも、やや独特な性能を持った艦。レアリティSR艦であるにも関わらず燃費はR艦と同等で、ステータスは雷撃と対空に特化している。特に雷撃は雷装値で比較すると重桜陣営の愛宕・高雄のそれに匹敵し、姉のノーフォークの1.75倍にもなっている。一方で火力自体は控えめに設定されており、主砲攻撃をダメージソースとするには少々心もとない。高い耐久と対空で耐えつつ、一撃必殺の魚雷を叩き込むという異彩のアタッカーと言える。
唯一所持している固有スキル「旅の終焉」は魚雷攻撃専門のバフスキル。クリティカル率が最大40%、クリティカルによるダメージが50%上昇というバフ効果を恒常的に得ることができる。クリティカルの発生は魚雷一本一本個別に計算される形式であり、発生すれば単純計算でダメージが2倍になる。クリティカルの発生率は、一説によると10%程度と言われているが確定した情報ではないことに注意。
性能が魚雷に偏重している以上、オートよりも手動操作のほうが真価を発揮しやすい。そのため指揮官の操作スキルが試される艦と言えるだろう。入手自体は難しいものの、突破は汎用型ブリを使うことで簡単にできるため、即戦力として用いることができるのも美点。ともあれ性能は申し分ないので、手塩をかけて育てた分だけ指揮官の期待に答えてくれるだろう。
私のより、やっぱり姉さんの史実のほうがカワイイですよね
カウンティ級とノーフォーク級についてはノーフォーク(アズールレーン)の記事を参照していただくとして、ここでは全13艦のカウンティ級の末娘、ドーセットシャーについて解説する。
ドーセットシャーはイギリスのポーツマス工廠で1927年9月21日に起工、1929年1月29日に進水、1930年9月30日に竣工した。ちなみに、発注日はノーフォークよりも早かったので、ノーフォーク級のことをドーセットシャー級と呼ぶこともある。ちなみに艦名は、「ドーセット州(カウンティ)」の古い呼び名からとられており、逆にドーセットシャーのことをドーセットと呼ぶこともある。
就役後、大西洋艦隊に所属する第2巡洋艦戦隊(2ndクルーザー・スコードロン)の旗艦となった。姉同様に世界の海を渡り歩き、1933年にはアフリカ駐留艦隊旗艦を勤めた後、1935年には中国駐留艦隊に転属となった。そのための移動の途中では、当時はまだ親しかった日本を表敬訪問している。しかし日英関係が次第に冷却化する中、1937年にはシンガポールが日本の攻撃を受けた想定の演習に参加している。
そして1939年にドイツによって第二次世界大戦の戦端が切られると、ドーセットシャーは中国艦隊所属のままで西太平洋で哨戒任務を始めた。10月にはインド洋、そして12月には南大西洋に活動の場を移した。
1941年5月、アフリカからイギリスに向かう輸送船団の護衛任務を行っていたドーセットシャーに急報がもたらされた。ドイツの戦艦ビスマルクが、デンマーク海峡海戦で戦艦フッドを沈め、戦艦プリンス・オブ・ウェールズを大破に追い込んだ後、大西洋に出てきたため、これを追撃せよ、という命令だった。
折からの荒天をものともせずに北上したドーセットシャーは、戦艦キングジョージ5世、ロドニーや重巡ノーフォークと合流し、そしてアーク・ロイヤルの雷撃機によって舵を壊されていたビスマルクに追いつくと猛攻撃を浴びせた。
あまりの猛攻撃に戦艦2隻は弾薬を撃ち尽くし、ノーフォークも魚雷を全て撃ち尽くしていた。そのため、魚雷を残していたドーセットシャーに、偶然にも最後に見せ場が回ってくることになった。
既に攻撃能力の全てを喪失していたビスマルクは自沈すべくキングストン弁を解放していたのだが、さらに自爆用の爆薬が爆発するのとほぼ同時に、ドーセットシャーが2回に分けて放った魚雷3発が突き刺さった。この魚雷の爆発でビスマルクは艦尾をもぎ取られ、そのまま轟沈した。
ビスマルクを葬った後、帰国したドーセットシャーは本格的に整備を受けた後、12月にはインド洋に向かう船団の護衛任務を行い、折しも日本が東南アジアへの進出を行っていたため、東洋艦隊に所属変更になった。シンガポール方面への輸送船団の護衛をしていたが、その後シンガポールは陥落して日本に占領される。ドーセットシャーは活動の場をビルマ方面に移していたが、その後改修のために1942年3月にはセイロン島のコロンボに入った。
一方の日本軍からすれば、せっかく占領した東南アジアの資源地帯を脅かすイギリスの東洋艦隊は排除すべき存在であった。しかもイギリスはこの東洋艦隊を増強しつつあり、早いうちに撃破しておく必要があったために第一航空艦隊を派遣していた。この艦隊は、加賀が損傷のために不参加だった以外は、ほぼ当時の航空戦隊オールスターズ(一航戦赤城、二航戦、五航戦)に加え、金剛型戦艦4隻、利根型重巡2隻、軽巡阿武隈の率いる一水戦という豪華なメンツである。
日本艦隊接近の報を受けて、改修中だったドーセットシャーは工事を中断してコロンボから出発して東洋艦隊の本隊と合流しようとした。しかしまだわりと有効だった日本の情報攪乱にあい、日本艦隊の場所がつかめなかった東洋艦隊は、ドーセットシャーに「戻って改修工事を再開せよ」と命じた。
こうしてコロンボに戻る途中だったドーセットシャーに、とんでもない連絡が入る。日本艦隊によってコロンボが空襲を受け、壊滅したというのだ。慌ててドーセットシャーはUターンをするが、その様子を日本の重巡利根の索敵機に発見され、そして日本の爆撃機隊に襲われることになる。その部隊を率いていたのは、蒼龍飛行隊長で「艦爆の神様」と呼ばれた江草大尉。江草隊の正確無比な攻撃(爆弾の命中率がなんと87%に達していたという)により、わずか4分でドーセットシャーは10発の爆弾を受け、さらに副砲の弾薬庫が誘爆し、その後4分間、合計8分で轟沈した。1942年4月5日のことである。
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