マックス・エミリアン・フェルスタッペン(本名:Max Emilian Verstappen,1997年9月30日- )とは、レッドブル・レーシング所属のレーシングドライバーである。
ベルギーのリンブルフ州ハッセルト出身。オランダとベルギーの二重国籍ではあるが、F1においてはオランダ国籍を選択している。
父は元F1ドライバーのヨス・フェルスタッペン(ヨス・ザ・ボス)、母も元GTドライバー、叔父も耐久ドライバーと言うレーシング一家である。
2021年、初めてのワールドチャンピオンを獲得。ホンダエンジンでのタイトル獲得は1991年のアイルトン・セナ以来である。
経歴
カート時代
4歳の時にカートを始め、ベルギー・オランダを中心に各地を転戦する。2007年にはオランダのカートRotax Max Challenge Mini Maxクラスのチャンピオンに、2008年にはベルギーのCadatクラスのチャンピオンとなる。
2010年にはKF3のカート世界選手権とヨーロッパ選手権に出場し、両選手権でチャンピオンを獲得する。翌年にもヨーロッパ選手権でチャンピオンを獲得する。
2012年にはKF2のマスターシリーズでチャンピオンを獲得。2013年にはKF2のヨーロッパチャンピオンとなり、KZクラスの世界選手権、ヨーロッパ選手権でチャンピオンを獲得。KZ2のマスターシリーズチャンピオン、KZ1のヨーロッパチャンピオンとなる。
チャンピオンって何回書いたっけ…と言いたくなるが、ともかくそれほど多くのシリーズでチャンピオンを獲得しているのである。
F3時代
2013年にフォーミュラ・ルノー2.0とF3でテストを行い、2014年にフェラーリドライバーアカデミー主催のフロリダ・ウィンター・シリーズから本格的なフォーミュラカーでのデビューを果たす。
この選手権を3位で終えたフェルスタッペンはヨーロッパF3選手権デビュー。同選手権も3位で終えると、F3最高峰のレース、マスターズF3でぶっちぎりの優勝をしてみせた。
その後もう一つのF3最高峰、マカオGPに出場するも、予選でリタイアし決勝は7位で終えた。
F1時代
アグレッシブながらも驚異的な強さが注目されていたフェルスタッペンは、メルセデス、レッドブルの両育成プログラムからスカウトされていたが、2014年にレッドブル・ジュニアチームの一員となることが発表された。
すると2015年よりレッドブルのジュニアチーム、スクーデリア・トロ・ロッソよりF1デビューすることが決定した。
プライベートテストによりスーパーライセンスが認められ、正真正銘F1ドライバーになることをFIAより承認されたのだが、これが後に議論を生むことになる。(後述)。
2015年はチームメイトがカルロス・サインツjr。デビュー戦、オーストラリアGPは史上最年少出走(17歳165日)を記録する。
よく言えばアグレッシブ、悪く言えばやや向こう見ずな走りでマレーシアGP7位、ハンガリーGP4位、アメリカGP4位を含む10度の入賞を果たすなど、中堅チームのトロ・ロッソからすれば十分すぎる成績を残し、ルーキー・オブ・ザ・イヤー、アクション・オブ・ザ・イヤー、パーソナリティ・オブ・ザ・イヤーを獲得する。またマレーシアGPでは史上最年少入賞(17歳180日)を記録する。
ただしそのアグレッシブすぎる走りは時に仇となり、年間ペナルティポイント8を受けてしまい来季出場停止の危機となってしまう。
2016年は開幕戦のオーストラリアGPでチームメイトのサインツと追突してしまう。しかし第2戦バーレーンGP6位、中国GP8位を獲得すると、第5戦スペインGPよりトップチームのレッドブルへの昇格が発表されることとなった。当時のレッドブルのドライバー、ダニール・クビアトを押しのけてのシーズン中の電撃トレードである。しかもレッドブル移籍最初のレースでいきなり優勝を勝ち取った。これには観客やファンばかりかF1関係者も大いに驚愕した。レジェンドドライバーでありライバルチーム、メルセデスの非常勤会長(当時)のニキ・ラウダでさえ「今目にしているのは100年に1人の天才だよ」という賛辞を送った。
その後もオーストリアGP、マレーシアGP、日本GPで2位表彰台を獲得するなど、類稀なる才能を遺憾なく発揮した。
2017年はジャン=エリック・ベルニュがシートを喪失したため、略称をVESからVERに変更する。前半戦ルノーPUに苦しめられるも、後半戦のマレーシアGPでぶっちぎりの優勝、日本GPで2位、メキシコGPでもフロントローを勝ち取るとスタートで前に出てそのまま優勝と、最終的に総合6位でシーズンを終えた。
余談だが、何故かチームメイトのダニエル・リチャルドとキャンピングカーでレースをし、終わった後にチョリソーを食べる動画が撮られている。どういうことなの・・・。
2018年は前半戦のアゼルバイジャンGPにおいて、チームメイトのリチャルドと同士討ちを演じてしまう。さらにモナコGPは予選で大クラッシュをしてしまうなど、アグレッシブさが悪い方向へと目立つ結果となっていた。
しかしレッドブルのチーム代表、クリスチャン・ホーナーはアゼルバイジャンGPの後、「多くのドライバーがミスを犯し、誰も注意を払わなかったが、マックスは違う。私は彼が成功することを信じている」というコメントを残した。その言葉に応えたのか、後半戦は人が変わったかの様にテクニカルなドライビングを見せるようになる。レッドブルの地元オーストリアGPで優勝、そしてアメリカGPではメルセデスのルイス・ハミルトンとの熱いバトルを制し2位、メキシコGPでは優勝という結果を残した。最終的にランキングは4位となり、チームメイトのリチャルドよりも上位でシーズンを終えた。
リチャルドはこの年限りでレッドブルからルノーへ移籍したため、来季のチームメイトはトロ・ロッソから昇格するピエール・ガスリーを迎え、名実ともにレッドブルのエースドライバーとなった。
2019年シーズンより、これまでレッドブルに搭載されていたパワーユニットがルノーからホンダに代わることとなった。2019年シーズンはこれまで以上にメルセデスが強力になり、フェラーリが俺達になり、またレッドブルの車体の空力性能が予想よりも下振れた結果となってしまった。
それでもフェルスタッペンは車体の性能を限界まで発揮させ、開幕戦のオーストラリアGPでは3位表彰台を獲得し、ホンダに11年ぶりの表彰台をもたらした。
その後もスペインGPで3位、モナコGPでは4位(5秒ペナルティ加算の結果でチェッカーを受けた入線順位は2位)と、メルセデスには及ばないものの、フェラーリとは互角以上の戦績を上げてみせた。
そしてオーストリアGPではレッドブルのマシーンアップデートが行われ車体の戦闘力が増加した。序盤で出遅れたものの、メルセデスのエンジンが猛暑に弱いという欠点が明るみになった事や、タイヤマネジメントを成功させた上に持ち前のアグレッシブさでレース終盤にオーバーテイクを連発し、ホンダに13年ぶりの優勝をもたらした。
イギリスGPではベッテルのミサイルもあり5位に終わったが、ドイツGPでは雨による大荒れのレースとなり、ハミルトンはスピンにより下位に沈み、ボッタス、ルクレールはクラッシュを喫する中、フェルスタッペンは驚異的なドライビングスキルで2度目の優勝を飾った。その後は車体アップデートを行い戦闘力を増したメルセデス、フェラーリに及ばないレースが続いていたが、ブラジルGPではホンダPUが高地による空気の薄さに強かった事もありメルセデスのハミルトンを力でねじ伏せ、シーズン3度目の優勝を果たした。このシーズンはドライバーズランキング3位で終え、自身最も上位のシーズンを送った。
フェルスタッペン自身「僕らは正しい道を進んでいる。エンジンのパワーの比較でいうと、僕らはメルセデスにかなり近いところにいる。来年に向けてとても心強い」と語っている。またホンダPUの信頼性についても「ホンダの高い信頼性はタイトルを争う上で大きな武器になる」と評価した。
人物
- F1においてオランダ国籍を選択しているフェルスタッペンだが、母親はベルギー人だと主張している。なおベルギーGPにおいてはベルギーのファンのみならず、隣国のオランダからもファンが大挙して応援に来る。
- それだけにとどまらず、レッドブルの地元オーストリアGPではオランダのカラーであるオレンジの服を着たフェルスタッペン応援団が観客席の一角を支配する。2018年、2019年の優勝時はオレンジの発煙筒で会場が橙色に染まった。
- 父であるヨス・フェルスタッペンはマックスを幼いころからサポートしており、今でもレッドブルのチームに帯同している。
なおヨス本人は数度の暴行問題で素行が問題視されている為、ヨスの父フランス(マックスの祖父)はレッドブルに息子と孫を切り離すように求めているという。ちなみにヨスとマックスの仲は良好なようで、いつかは父と一緒にル・マン24時間レースに出たいとも発言している。 - 蟹が大嫌い。レッドブルの企画でチリクラブを食べるというイベントが行われたが、リチャルドが嬉々として食べている横でマックスは蟹にさえ触れようとせず「蟹を食べると気分が悪くなる」と発言した。
- ルノー製パワーユニットからホンダ製に載せ替えることが決まったとき、ホンダモータースポーツの工場であるHRD Sakuraを見学し、「ホンダと一緒に仕事をするのが待ちきれない」「ホンダには成功のためのすべてが揃っている」と発言している。そして2019年6月30日にホンダ第4期初の優勝をもたらした。
- いい意味で素直、悪い意味で何でも口に出す性格である。ホンダに対してはパワー向上を強く求める一方で、シーズン通して結果を出したホンダに賛辞を送っている。一方で、2019年シーズンは急激に戦闘力を増したフェラーリに対しエンジン不正の疑惑が向けられていたが、アメリカGPでパフォーマンスに精彩を欠いたフェラーリに対しフェルスタッペンは「不正をやめればこうなるのは当たり前のことだ。彼らはうまいところに目を付けていた。だから今後はそうしたことにしっかり監視の目を向けていくべきなんだ」と発言し、フェラーリ側を激怒させている。
17歳デビューの衝撃
フェルスタッペンが17歳でF1デビューをしたという事実は、世界中で議論を生んだ。
まずフェルスタッペンは自動車免許を所得しておらず、所得できる年齢でもない。さらには飲酒可能な年齢でもないためシャンパンファイトにも参加できない。またフォーミュラカーの経験も1年弱しかなく、才能はあっても経験が不足しているという意見も出された。
彼のような例が常態化することを恐れたのか、FIAは2016年度よりスーパーライセンス発給の条件を「18歳以上である事」「自動車運転免許を所得している事」「最低2年のフォーミュラを経験している事」とした。更にはライセンスポイント制度を設けた。この条項にある18歳以上という制限がある以上は、今後フェルスタッペンの記録を抜くことは不可能となった。
2017年にはドライバーズライセンス制度を設け、FIAが世界中のレースに設定したポイントを合計40ポイント獲得することが条件に追加された。詳しくはwikipediaを参照されたし。
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関連項目
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