大典太光世(おおでんたみつよ)とは、ブラウザゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』に登場する刀剣男士である。
概要は好きじゃないが、蔵に戻るわけにもいかないしな
……天下五剣が一振り。大典太光世だ。
名前ばかり立派だが、そのせいでずっと蔵に封印されていたんだ。
どうせ誰も俺の武器としての役割には期待していないんだろ?
わかってるよ。みんなそうだったからな。(刀帳)
天下五剣のひとつで、三池典太光世作の太刀。
同時代の刀剣とは作風が隔絶しており、
その異質さからか枕元に置けば病も治るとされた霊刀。
小鳥などの動物が恐れて近寄れないほどの強い霊力を持つ。
普段は厳重に蔵に仕舞われていた正真正銘の蔵入り息子。
刀種は太刀。刀派は三池。
天下五剣としては、三日月宗近(刀剣乱舞)、数珠丸恒次(刀剣乱舞)に続いて三振目の実装となった。
審神者たちからの主な愛称は「みつよさん」「おでん」などなど。
2016年8月5日に「刀剣乱舞-ONLINE- Pocket 150万ダウンロード突破記念 RTキャンペーン」において、開始後40分で10万リツイートされた事で名前と立ち絵、および実装が発表された。はやんい。
その後、8月16日~23日14時の期間限定で、ソハヤノツルキ(刀剣乱舞)と共に鍛刀による入手が可能な刀剣男士として先行実装。1週間という制限時間に加え、レアリティの高さゆえに入手は難しく、実装されたその日から、貯めに貯めた資源や松竹梅・富士の御札をここぞとばかりに投入しても入手できない審神者が続出した。
入手できた結果も様々でALL950、ALL324、「411/611/611/411」など、鍛刀レシピも多岐に渡っている。
中でもALL324のレシピが比較的出やすい、という報告があった(「みつよ」の語呂合わせか?)。
もちろんこれが高確率の鍛刀成功を保証するわけではなく、少なからぬ審神者が討ち死にした。ちなみにこの鍛刀レシピでソハヤノツルキ(刀剣乱舞)も入手可能だった。
鍛刀時間は4時間。たとえ三日月宗近や小狐丸が出ても「お前じゃない!」と叫んではいけない。初入手の感動を忘れてはいけない。
その後、2016年12月20日から開始した期間限定イベント「連隊戦」で、『難易度・超難』をクリアする事で稀にドロップした。なお同イベントでは御歳魂を50000個集めることでソハヤノツルキ(刀剣乱舞)が、100000個で大包平(刀剣乱舞)が確定入手できた。
その後も2017年5月の「連隊戦・初夏の陣」や、2017年8月と2018年1月にも鍛刀キャンペーンが行われるなど、入手機会はたびたび設けられている。
2018年7月3日、入手方法が変更。7-3「延享の記憶:江戸城下」通常マスでドロップするようになった。
長身痩躯の容姿と、憂いを帯びたネガティブな表情と言動、首から胸元にかけての亀甲縛り封印の跡を思わせる紐飾りが特徴。戦装束および内番衣装のデザインは、同派のソハヤノツルキ(刀剣乱舞)と共通している。
「どうせ俺の使い道は、誰かが病に倒れた時だけ……そうじゃないのか」「怪異も病も俺を恐れるが、誰も俺と触れ合えない。どうせ俺はそんな刀だよ」などといった台詞に表されるように、事あるごとに「俺なんかどうせ」と卑屈な台詞を発する。
同じこじらせ系として、大倶利伽羅(刀剣乱舞)や山姥切国広(刀剣乱舞)とはどこか似ているように見える性格である。リディ・マーセナス?誰ですかそれは。
後述の伝承を踏まえ、他の刀剣とは違い並外れた強い霊力を持っていたとされる。
鳥や動物たちには恐れられ、鋭い切れ味を持ちながらも武器としての価値を見出されず、蔵へ封印され、戦や人の手から遠ざけられていた事実に苦悩する節が見える、シザーハンズな刀剣男士。だが逸話的にはむしろ癒し系である。
中でも「動物が近寄らない」という性質は馬当番や畑仕事でも反映され、特に畑仕事では自分が害鳥避けの役も果たしている事に少しだけ満足している様子。
また馬当番でも「馬が俺を恐れてろくな事にならないだろう」と馬の心配をするが、ゲーム中でも馬には普通に乗せる事ができるのでご安心ください。
審神者のことは「あんた」と呼ぶが、否定的には思っていない様子。
ソハヤ以外にも、同家に伝来した縁から前田藤四郎(刀剣乱舞)と一緒に出陣すると回想が発生。明るい前田の言葉にふと笑いを零すなど、気安い関係が伺えた。
また2020年には秋田藤四郎(刀剣乱舞)、鬼丸国綱(刀剣乱舞)との回想が追加。いずれも微笑ましい内容となっており、寡黙な大典太の新たな一面が見て取れる。
性能としては、打撃と必殺値が太刀ではトップクラス。特になれば打撃は最大で76まで伸びるので、通常の敵はおろか100~200の膨大なHPを持つ検非違使さえも鍛錬次第では一刀で切り捨てられる。
生存値も大太刀並に高いが、反面機動が低いので、万能型の三日月宗近、防御(統率)特化型の数珠丸恒次と比較すると、大典太光世は大太刀のような重量級・攻撃特化型と言える。もし彼を入手できた暁には外の世界へ連れ出して、時を超えてなお衰えない切れ味を存分に発揮させてあげよう。
キャラクターデザインを手掛けた三輪士郎氏によって、刀剣乱舞二周年を迎える節目に蔵に入っている大典太光世のイラストがtwitterへ投稿されている。典典虫とか言うな。
三輪氏はTwitter上で「真剣必殺は、戦闘での負傷破損というより頭にきて霊力の筋肉で自ら吹き飛ばした感じ」「(三池の家紋の「光」について)大典太は強く差すが黒い光」としてデザインしていると発言している。
その後も非公式のイラストが折に触れて投稿されている。ありがとうございます。
俺が長い歴史の中でなんで封印されていたか、わからんようだな!
平安時代後期、筑後三池の刀工・三池典太光世(みいけでんたみつよ)によって作られた一振とされる。『大典太』の名でも呼ばれる。
尚、ゲーム中の読みは「おおでんた」と表記されているが、「おおてんた」と読むのも間違いではない。
刃長66.1㎝、反り2.7㎝、元幅3.5㎝、先幅2.4㎝。
平安時代に作られた刀剣は細身で優美なものが多い中、身幅が広く刀身長が短いという独特の豪壮な作りをしている。
元は足利将軍家の宝刀。
鬼丸国綱、二つ銘則宗、骨喰藤四郎、大般若長光などと共に、足利家の重宝として初代尊氏の代より伝承されていたが、将軍家の没落により豊臣秀吉の手に渡った。
その後前田利家に渡る事になるが、以下のような謂れが伝わっている。
前田利家の息女・豪姫(当時子のなかった秀吉の養女でもあった)は幼少の頃から病弱だったが、ある時重い病にかかり臥せってしまった。
これを不憫に思った利家は秀吉に頼み込んで大典太を借り受け、豪姫の枕元に守り刀として置いた。すると病は数日で快復し、利家は大典太を秀吉に返却する。ところが大典太を返した途端に豪姫の病は再発してしまい、借用と返却を繰り返す事になる。
織田家以来の戦友の娘であり、また自分の養女である豪姫の為、三度目にして秀吉は利家に大典太を譲る事を決めた。それ以降、姫の病は癒えたという。
こうして利家は秀吉より拝領した大典太の他、「小鍛冶宗近刀」「静の薙刀」の為に特別な蔵を建造してそこに保管し、以後前田家に代々伝えられたという。
この大典太が保管されている蔵には「鳥や動物が近寄らない」「蔵の屋根に鳥が止まれなかった」「屋根に止まった鳥が急死して地面に落下するので蔵の周りは鳥の死骸がよく転がっていた」などという話が伝わり、誰言うでもなく「鳥止らずの蔵」(とりとまらずのくら)と呼ばれたという。
一説には、蔵の中にはしめ縄が用いられて封印されていた。歴代の前田家当主のみが大典太を見て触れることを許され、当主自ら年に一度刀の手入れを行っていたと伝えられている。
やがて時代が下り、江戸時代になって大典太の試し切りが為されたことがある。
寛政4年(1792年)江戸千住の小塚原(当時は処刑場だった)で行われた試し切りにおいて、幕府の御様御用(おためしごよう)を務める首斬役・山田浅右衛門により、試斬が行われた。
三つ胴(死体を3つ重ねて斬る)を試したところ、積み重ねた死体のうち二体を切断し、三体目の背骨で止まった。大典太が打たれて後数百年が経過してなお、その切れ味が衰えていない事を示す逸話である。
昭和32年(1957年)に国宝に指定。現在は前田家伝来の文化財を保存・管理している前田育徳会(石川県立美術館)によって、前田藤四郎と共に所蔵されている。
2019年9月、福岡市博物化の特別展「侍~もののふの美の系譜~」に出展。刀工の縁での「里帰り」とも言える。また同展ではゲームとのコラボが実現し、立ち絵パネルおよび描きおろしイラストの展示、グッズ販売が行われた。
...動画を狙っていたニコ厨が、俺を見るなり逃げていったよ。ふふっ...
絵画の題材、か...どうせ俺の出番はそれくらいか
俺はニコ百のことに疎いんでな...関連項目を頼めるか
- 刀剣乱舞
- 天下五剣
- 三日月宗近(刀剣乱舞)
- 数珠丸恒次(刀剣乱舞)
- 鬼丸国綱(刀剣乱舞)
- 童子切安綱(未実装)
- ソハヤノツルキ(刀剣乱舞)
- 前田藤四郎(刀剣乱舞)
- 浪川大輔
- 前田利家
- 医者要らず
- 身体は健康、心は病気
- シザーハンズ
- おでん
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