毛利藤四郎(刀剣乱舞)とは、ブラウザゲーム「刀剣乱舞-online-」のキャラクターである。
イラストレーター:猫缶まっしぐら(ニトロプラス) / CV:高城元気
僕は毛利藤四郎。藤四郎兄弟のひとりです
僕は毛利藤四郎。藤四郎兄弟のひとりです。この名は元の主、毛利輝元様にちなんで名付けられました。
毛利と書いてむかしはもりと読みました(刀帳)
粟田口吉光作の短刀。藤四郎兄弟のひとり。
毛利家にあったことが名の由来。
小柄なことを利用した変則的な戦い方を得意とする。
話を聞くことと、(自身の身長はさておき)小さい子が好き。
2017年7月25日に実装。刀帳番号は142番と、他の兄弟からは大きく離れている。
ライムグリーンのふわふわな髪とアメジスト色の瞳の少年。右サイドにくるんとカールしたアホ毛が特徴。
紋は毛利氏の家紋「一文字に三つ星」で、イラストの一部が公開されるや、速攻で特定される事となった。
入手方法については変遷があった為、後述する。
主たる審神者に対しては「主さま」と呼び、丁寧語で接するなど礼儀正しく甲斐甲斐しい様子。
愛らしい少年の姿に違わず「子供殺法」で戦うらしく、攻撃の際には「子供殺法、股下潜り!」と、体格を活かしたトリッキーな動きで相手を翻弄する。敵短刀の股下とは一体
演練でも「訓練だからって負けませんよ!」と張り切る一方、ボスマス手前では「怖くなんて……ないですから!」と、自分を奮い立たせるけなげさを見せる。
その一方で公式の紹介通り「小さい子」が好き。
どれくらい好きかというと、自分よりも背が小さい子には「ふぎゃー!」と奇声を発して全力でぷにぷにと愛でようとする。後発の刀剣は揃いも揃って曲者揃いだな。
特に同じ刀派の「小さい子」は「うちの子」と呼んでおり、可愛くて仕方がないもよう。一方で自分よりも大きい相手に対しては普通に接している事や、審神者に対する態度からして、決して周囲が見えないアホの子という訳ではない。
小さい子認定を受けているのは以下の面子で、設定資料集により身長が判明している者のみ数値を併記する。
- 平野藤四郎(刀剣乱舞):132cm
- 愛染国俊(刀剣乱舞):131cm
- 謙信景光(刀剣乱舞):131cm
- 前田藤四郎(刀剣乱舞):130cm
- 包丁藤四郎(刀剣乱舞):128cm
- 秋田藤四郎(刀剣乱舞):125cm
- 今剣(刀剣乱舞):123cm
- 蛍丸(刀剣乱舞):120cm
- 小夜左文字(刀剣乱舞):118cm
- 北谷菜切(刀剣乱舞)
135cmと設定されている五虎退(刀剣乱舞)が小さい子認定を受けていない為、毛利の身長は133~135cmかと推測されていたが、刀剣乱舞絢爛図録によって132cmと判明した。
同じ身長の平野まではふぎゃーするため、「自分の身長はさておき」という設定の通り自分は小さい子萌えの対象外の模様。しかし自分が小さい自覚はあるようで、乱舞レベルの馬装備ボイスでは踏み台を求めてくる。おまかわ。
結成時には小さい子の「お守り」「引率」をほのめかし、万屋に連れて行くと「小さい子のおやつでも買うんですか?」と、小さい子に対してお兄さんぶる様子。かわいい。
更に極修行の見送りでは「成長のための旅ですか。小さいままの方がいいと思うんですけど」と、とことんブレを見せない。
3-1「関ヶ原」にソハヤノツルキ(刀剣乱舞)と一緒に出陣すると、回想『関ヶ原の両大将』が発生。
当時すでに毛利家を離れていた毛利藤四郎だが、少し歴史が違っていたら東西総大将の刀として相対していた可能性に言及。
かつての主に従い、向こうにつきたかったのかと問うソハヤに対し「どうでしょう。輝元様は結局出陣しませんでしたから。僕がいても変わらないですよ」と、何処か達観したような物言いをするなど、存外落ち着いた様子を見せている。
2017年12月19日に実装された日向正宗(刀剣乱舞)とも回想『西軍の刀たち』が発生。
西軍の中心人物だった石田三成に縁あった日向、西軍の総大将だった毛利輝元に縁あった毛利が関ヶ原に立ち、その頃には既にそれぞれの主の手を離れていた事について語り合う。こちらでも何処か寂しげな様子を見せる毛利だったが、前向きな日向の言葉もあり、印象深い回想となった。
また上記の「小さい子」限定で、すべての内番に特殊台詞が発生。粟田口の長兄、一期一振(刀剣乱舞)相手にも塩対応特殊台詞が発生するなど、変化がかなり多い。
ステータスとしては隠蔽と偵察が短刀トップ、生存がトップタイ。
打撃・機動・必殺がワーストとなっているが、刀装で補いつつレベリングを重ねれば、夜戦においては無類の強さを見せる事となる。
入手方法
入手方法は毎度おなじみ大阪城こと「地下に眠る千両箱」……だったのだが、入手方法が「50階ボスマスでの稀ドロップ」のみだった。博多藤四郎(刀剣乱舞)に始まった大阪城実装の刀剣は包丁藤四郎(刀剣乱舞)までは「初回は確定入手」が続いていた為、図らずも審神者は意表を突かれる形に。
更に入手確率が極端に低く、初回で入手できた審神者はかなり少なかった。その為「非実在刀剣男士」「知らない子」とまで呼ばれる不遇をかこつ事になる。
その後10月3日より始まった同イベントでも、入手方法は同じく稀ドロップだったが、入手に成功した審神者もそれなりに存在しており、決して入手不可能という訳ではない……かも知れない。
確定入手はよ今後に備えよう。
......とか言ってたら、11月29日から開催された同イベントでは、久しぶりに99階までの通常版が登場。従来通り50階ボスマスでの稀ドロップに加え、階層を10階下がるごとにボスマスでのドロップ率が上昇するという仕様になった。ただし入手できるのは一振限定。
最下層の道中ではカンストした面子でも厳しい戦いを強いられるものの、道中や周回で入手したという報告が続出。過去2回のイベントに比べると明らかにドロップ率は向上しており、入手に成功した審神者からは喜びの声が上がった。
また課金アイテム(報酬で1つ確定入手)「転送手形」を使用すれば道中をすっ飛ばしてボスマスに到達できる為、ドロップ狙いで周回する場合は利用する選択肢もあった。
2018年7月3日、刀剣男士の入手方法に大きな変更が入り、鍛刀による入手が可能となった。
思わぬ所で難民を脱出し、或いは二振目以後を入手できた審神者からは喜びの報告が相次いだ。とは言え短刀の中でも入手率はかなり低く、相変わらず入手困難である事は間違いない。
だが言い換えれば初鍛刀が毛利になる新人審神者がいる可能性もあり、往時の苦労を思い起こしてしんみりする審神者もいた。ほんとどれだけ潜ったことやら……
僕の史実が見えるかな?
鎌倉時代中期の刀工・粟田口吉光作の短刀。
短刀作りの名手として知られており、兄弟が多いのはこの為。
刃長は8寸8分5厘(26.5cm)。
号の由来は戦国時代の大名、毛利輝元が所持していたことから。刀帳で言及されているように、古くは「もり」と呼びならわされている。
毛利輝元は毛利氏第15代。祖父に毛利元就、父に毛利隆元と、三代にわたり中国地方を支配してきた大大名である。
永禄6年(1563年)9月、父・隆元が急死。弱冠11歳にして輝元が家督を継ぎ、叔父・小早川隆景の補佐を受ける事となる。この際毛利家の重宝として吉光の短刀(脇差)が贈られたが、これが毛利藤四郎かどうかは定かではない。
豊臣秀吉の中国攻めの後に和議を結んで政権下に下るが、中国地方一帯を収めるその発言力は大きく、徳川家康・前田利家らと共に五大老の一人に数えられた。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは西軍の総大将として擁立された。本戦には出陣せずに不戦を貫いた結果、大幅な減封となったものの家名の存続は叶い、幕末まで同家は長州藩を治め、関ヶ原から数えて260余年後に討幕運動・明治維新の中心となる。
具体的な時期は不明ながら、毛利藤四郎は毛利家から徳川家康に献上され、関ヶ原の戦いにおいて池田輝政(大包平の所有者)に下賜された。
江戸年間を通じて池田家に伝来し、明治24年(1891年)11月、名物「浮田志津」と共に池田章政侯爵より明治天皇に献上、御物となった。戦後に国有となり、現在は東京国立博物館に所蔵されている。
あっ、関連動画の時間ですね
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