さあ ゲームの始まりです
愚鈍な警察諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは殺しが愉快でたまらない
人の死が見たくて見たくてしょうがない
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きを
神戸連続児童殺傷事件とは、1997年(平成9年)2月から5月にかけて兵庫県神戸市須磨区で発生した連続殺傷事件である。「酒鬼薔薇事件」や「酒鬼薔薇聖斗事件」とも呼ばれる。
概要
1997年の2月から5月にかけ、兵庫県神戸市須磨区で児童5人が襲われ、うち2人が殺害される事件が発生した。
犯行が極めて残忍かつ動機が不明確で社会不安が高まり、報道合戦が過熱する中、逮捕されたのは当時14歳の中学生だった。
各社が作家やジャーナリストを呼び寄せて予想していた犯人像とは大きくかけ離れた少年逮捕のインパクトは大きく、犯罪者となった未成年の呼び名である「少年A」は本件で半ば固有名詞化した。
その猟奇性や日本初の未成年による劇場型犯罪だったことで大きな注目を集め、逮捕後も続報の熱が冷めなかった。
この事件をきっかけに少年法が改正され、刑事罰の対象が16歳から14歳に引き下げられるなど、日本犯罪史に残る少年犯罪として記憶されている。
犯人の主な足跡
1992年、家族で最も仲が良かった祖母が死去。祖母の部屋で精通。ナメクジの解剖や野良猫の殺害を始める。
1993年、猫殺しが常習化。『酒鬼薔薇聖斗』というタイトルの漫画を作成。工作の時間にカッターナイフの付け刃を大量に突き刺した不気味なオブジェを作成。このころから漠然と「人間を壊したい」と思うようになる。
1994年、中学生となる。部活は卓球部に所属。同級生の女生徒のカバンを燃やし、男子トイレに隠す。地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災が起こり、少年Aの体内に巨大な虚無がインストールされる。
1997年2月10日、12歳の女生徒2人をつけまわし後頭部をハンマーで殴る。1名が全治一週間の怪我を負う。
1997年3月16日、小学4年生の当時10歳だった山下彩花さんの頭をハンマーで殴打。彩花さんは7日後に死亡。同日、当時9歳の小学3年生の女生徒の腹部を小刀で刺し全治2週間の怪我を負わせる。
1997年5月24日、仲良し学級に通う、以前から顔見知りの土師淳くんを水道局の排水池が設置された通称「タンク山」に呼び出し殺害。遺体を建物の中に隠す。
1997年5月25日、淳くんの頭部を糸ノコギリで切断したあと射精し、小刀で顔を切り刻み、遺体から流れ出していた血を飲む。これ以降、2年ほど性欲が減退。
1997年5月27日、淳くんの頭部の口に自筆の声明文を咥えさせ通っていた中学校の校門の前に遺棄。
2004年4月、更生保護施設に入居し、友人と呼べる人たちと出会う。
2007年、建設会社に就職。
2008年、建設会社を退職。
2015年6月10日、手記『絶歌 神戸連続児童殺傷事件』を太田出版から刊行。
2015年中旬に『存在の耐えられない透明さ』という名前のホームページを開設。
2015年10月12日、「元少年Aとよりディープに、魂の触角と触角が絡み合うようなやり取りができるよう、新たに別な場所を設ける」とホームページ上で告知し、有料のメールマガジン『元少年Aの“Q&少年A”』(月額800円、隔週月曜日)の配信を開始。同月15日までに配信元のFC2によって凍結された。
2016年、自己顕示欲の高さや反省の観られなさに疑問を持った週刊文春に直撃され、「命がけで来てんだろ? お前、顔覚えたぞ!」などと恫喝。
関連動画
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- 事件がわかる:神戸連続児童殺傷事件 | 毎日新聞
- 神戸児童連続殺傷事件 当時14歳少年の全事件記録 家裁が廃棄
- 《神戸連続児童殺傷事件から25年》“少年A”への疑念を決定づけた「ある警官の職務質問」とAが語った内容とは…?
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