秋葉原通り魔事件とは、2008年6月8日に秋葉原路上で発生した通り魔事件である。
犯人には2011年3月24日に死刑判決が出され、2015年2月3日に確定。2022年7月26日に死刑が執行された。
概要
2008年6月8日午後0時30頃、千代田区外神田のJR秋葉原駅近くで事件発生。2tトラックが歩行者天国となっていた横断歩道に突っ込み、通行人を5人撥ねた。さらにその後、車から降りた容疑者が持っていたダガーナイフで次々と通行人を殺傷。この事件により7人が死亡、10人が重軽傷を負う大惨事となった。
犯人は駆けつけた警察官に殺人未遂容疑で現行犯逮捕された。加藤智大(ともひろ)容疑者(当時25歳)、静岡県裾野市の自動車工場職員であった。事件の直前に携帯サイトの掲示板などに書き込みがされており、事件に至った心境などがつづられている。事件直前に退職に関するトラブルもあったようだ(加藤の勘違い?)。
犯人は動機について、自著で掲示板で煽られたから荒らしを見返すために実行したと説明している。
この戦後最大級の通り魔事件は、発生から逮捕による収束まで数分程度の短いものであったが、日本全国に大きな衝撃をもたらした。通行人による最新のカメラ付き携帯での写真や映像は、過去に類を見ない悲惨な映像を大量に残した。なお、奇しくも事件の起きた6月8日は、2001年の池田小学校児童殺傷事件と同じ日である。
事件の詳細
2008年6月8日午後0時30頃、日曜日昼下がりの秋葉原は中央通で歩行者天国となっており、たくさんの人々が訪れていた。当時の秋葉原は歩行者天国での路上パフォーマーによるマナー問題に頭を痛めており、大規模な掃討活動が行われていた頃である。このため町は少し落ち着きを取り戻していたが、とはいえ今や東京一の観光地でもある秋葉原、多くの人々が世界一のオタク街を楽しんでいた。
その頃、神田明神通りと中央通りが交わる交差点に一台の2tトラックが向かっていた。運転手の名は加藤智大(当時25歳)。トラックは前日にレンタルし、手元には6本のナイフを用意していたという。
信号は赤であったが、加藤の運転するトラックは歩行者天国の人ごみの中にそのまま突入。立て続けに5人を撥ね飛ばし、うち3人が死亡した。トラックは対向車線のタクシーに衝突し停車したが、このとき多くの人々はそれが交通事故であると考えていた。ある人は救命活動を開始し、またある人は救急への連絡を行っていたようだ。善意で救命活動を行う彼らの背後、トラックから降り立った加藤の手には、一本のダガーナイフが握られていた。
加藤は奇声を上げながら人々を次々に刺して逃走。貫通力の高いダガーナイフは背中や腰からも致命傷を与え、4人が死亡、8人が重軽傷を負った。そのうち一人は警察官であったが、彼もトラックに撥ねられた人の救助にあたっていたようである。
加藤は電気街の裏道に逃走したが、万世橋署の警官と接触。拳銃による警告に従ってナイフを捨て、殺人未遂容疑の現行犯で逮捕された。事件の始まりから逮捕まで数分程度、まさに一瞬の悪夢であった。
事件直後の様子
日曜日の昼下がり、東京ど真ん中での凶行であったため、各種報道機関は迅速に事件の様子をお茶の間に伝えた。しかし、この事件においてもっとも力を発揮したのは携帯電話のカメラ機能であろう。トラックに撥ねられて苦しむ人々や現場から走って逃げ惑う人々だけでなく、ナイフを持って歩き回る加藤本人や、逮捕の瞬間までもが鮮明に記録された。そして、このような惨事を前に暢気にカメラ撮影をしていた人々が非難されるのもいつものことである。
なお、たまたま居合わせた日テレ関連会社のカメラマンが、逮捕の瞬間の映像を撮ることに成功している。また、新聞各紙は翌9日が休刊日であったため、涙目で翌日の夕刊に記事を載せた。もちろん、WEB記事や号外はこの限りではない。
このニュースはニコニコ動画にも瞬く間に伝播し、当時のランキング上位動画には事件のことを話題とするコメントが多数並んだ。また、事件のニュース動画やハンディカメラの映像などが次々にうpされ、ランキング上位を駆け上った。
事件の起きた交差点には献花台が設置され、数日間で大量の人が訪れた。献花台には大量の花束と様々な飲料やタバコなど、あるいはおでん缶といった供物が捧げられた。
事件の与えた影響
この事件は国民に大きな衝撃をあたえ、様々な影響をもたらした。
まず秋葉原では、それまで日曜に行われていた中央通りの歩行者天国が一時休止となった。2011年1月に再開されたが、いわゆる「路上パフォーマンス」や「コスプレ」の禁止など、事件前には見られなかった厳重な警備態勢が敷かれている。また、発売を控えていた「メタルギアソリッド4」の発売イベントが中止になるなど、催し物の自粛などが行われた。事件後、秋葉原を巡回する警察官の数は倍増し、中央通にはいつもパトカーの姿が見られる。
全国的には、福田康夫首相の再発防止の指示にはじまり、まもなくダガーナイフの販売に対して規制が設けられることとなった。この規制はナイフの形状に対して行われたため、漁に使うカキ剥きナイフが該当するなど別方面にも影響を及ぼしている。
犯人(1982年9月28日 - 2022年7月26日)が自動車工場に勤める派遣社員であったことも話題となった。当時は派遣に対する風向きが悪くなっていた頃で、派遣会社や受入会社にも批判の声が寄せられた。この事件のしばらく後、リーマン・ショックによる大不況に突入することになるが、派遣斬りなる企業風土批判が相次ぎこの事件を関連付ける言説も広まった。
しかし、労働問題と犯行を結びつける言説に対して犯人は手記で「自身の性格とバックレ癖で辞め続けた。全て自分で決めた結果。それを『不安定』と悩む意味がわからない(要約)」と否定している。特に犯行原因を社会に求める視点に対しては「なぜそうやって社会のせいにするのか、全く理解できません。あくまでも、私の状況です。社会の環境ではありません。勝手に置き換えないでください」(原文ママ)とバッサリ切った。
事件後に、似たような犯罪予告が大量に発生した。このような模倣犯はたいてい口だけのものであったが、2010年にマツダ本社工場にて当時42歳の男が社員11人を車で轢き、1名を死亡させる事件が起きてしまった。彼は「秋葉原のような事件を起こそうと思った」と供述しており、事件の影響の大きさを感じさせる。
マスコミが報じた(これ重要)犯行動機や犯人像に自己投影したり、英雄的に崇拝するシンパのような者が2ちゃんねるインターネット上に少なからず発生した。だが、犯人はこれらの共感者に対して「本気で自分を『負け組』だと考える人は全く理解できません」「自分の努力不足を棚に上げて『勝ち組』を逆恨みするその腐った根性は不快です」(原文ママ)と拒絶している。お前ら殺人犯に言われてんぞ
事件の裁判は2010年1月より第1審が始まった。3ヶ月の精神鑑定の結果、責任能力は認められており、弁護側も起訴事実は認めている。
2011年1月25日に行われた第28回公判の論告求刑で、検察側は被告に対して死刑を求刑。
3月24日に被告に対し、求刑通り死刑判決が出された。
2014年、犯人の弟が自殺。犯人と同じ歪んだ家庭に生まれ、犯人と共に虐待同然の環境で育ち、加害者家族として自ら死を選ぶ一生だった。
2015年2月3日、最高裁第1小法廷は被告の上告を棄却した。これにより事件発生から7年を経て、死刑判決が確定。判決確定から7年5ヶ月後、事件発生からおよそ14年後の2022年7月26日に死刑が執行された。
関連項目
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