概要
F/A-18とは、マグドネル・ダグラス社(現ボーイング)が開発・製造している戦闘攻撃機である。米軍での正式名称はF/Aから「/」を抜いた「FA-18」(「/」などの記号が使えないため)。
愛称はホーネット(スズメバチ)。後述するF/A-18E/Fスーパーホーネットが開発されたあと、区別するため「レガシー・ホーネット」とも呼ばれることもある。レガシーとは「古い」「旧来の」という意味がある。
元々米空軍の軽戦闘機(LWF)計画用にノースロップ社が開発したYF-17を、艦載機の開発経験が深いマクドネル・ダグラス社が引き継いで艦上戦闘機F-18に作り上げた。YF-17は昼間戦闘機であったが、ヒューズ・エアクラフト社のAN/APG-65レーダーの搭載によって全天候作戦能力だけでなく対地/対艦攻撃能力も得たため、攻撃機としても使えることからF/A-18と呼ばれるようになり、海軍のF-4S、A-7E、RF-8G、海兵隊のF-4S、A-4M、AV-8A、RF-4Bを置き換える多目的戦闘機として多数生産された。[1]
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成り立ち
F/A-18の原型はノースロップ社が1960年代から輸出用戦闘機として開発していたP530コブラである。
アメリカから同盟国に大量に供給され、いくつかの国ではライセンス生産もされて大きな成功を収めたF-5シリーズを置き換えるものとして、ノースロップ社は自社負担でP530の開発を行っていた。ノースロップは米空軍がこれを採用するとは思っておらず、むしろヨーロッパや日本との協同開発を念頭においてキャンペーンを行っていたが、米空軍が軽量戦闘機の有用性に注目し、技術的可能性を追求するLWF(Light Weight Fighter)計画を開始したため、P530を下敷きとしてLWFの仕様に適合するように設計変更を加えたP600を提案、これが後にYF-17となった。[2]
米空軍が高価な戦闘機であるF-15に対し数をカバーするための安価な戦闘機を求めた計画であるLWF(後にAir Combat Fighter(ACF)計画となる)ではジェネラル・ダイナミクスのYF-16とYF-17が争ったが、最終的にYF-16がF-16として採用された。
一方、艦載戦闘機としてF-14を採用した米海軍は、F-4とA-7の代替として戦闘・対地(対艦)を安価に行える戦闘機を調達する計画であるVFAX(U.S. Navy's Naval Fighter-Attack, Experimental:海軍次期戦闘攻撃機)を進めていたが、議会より予算削減などを理由に海軍も空軍の計画に相乗りするよう勧告されたため、海軍はVFAXを中止しNACF(Navy-Air Combat Fighter)計画を立ち上げ、(Y)F-16とYF-17の比較となった。
ノースロップには艦載機を製造した経験が無かったため、F-4ファントムで艦載機の経験があるマクドネル・ダグラス社をパートナーとし、YF-17に構造強化などを施し提出した。F-16も海軍型として再設計されたバージョンが提出されたが、最終的に米海軍がYF-17(強化後)をF/A-18として採用した。
F/A-18が採用された理由は多数考えられる。海上でのエンジントラブルを想定し伝統的に単発エンジン機を嫌ったこと、構造的にF-16海軍形は空母への着艦が難しい(テールを摺ってしまう)、空母やその随伴艦の電子機器による干渉と、被弾に対してFBWシステムが弱い等といった技術的な点から、空軍主導で開発されたF-16ベースの機体を採用したくなかった、F-16海軍型は書類提出時に図面と開発協力会社の幹部を乗せた航空機が事故を起こした、など言いがかりに近い理由まで上げられている。
F/A(Fighter/Attacker)と付いているのは、F-4とA-7を置き換え、対空/対地爆撃を一手に担いF-14トムキャットを補佐する戦闘攻撃機として製造されたからである。ちなみに戦闘機/攻撃機の名称が機名に付くのはF/A-18シリーズとJAS39グリペンのみである。
実戦
初飛行は1978年。予算面などからA-7やF-14の取得を断念した海兵隊に見返りとして、F/A-18を海軍よりも先に受領するという政治的取引の結果、海兵隊が1983年に運用を開始した。後に1986年度会計調達分からC/D型に変更された。
実戦初参加は1986年のリビア空爆時。空母コーラル・シーから発進して、リビア軍の地対空ミサイル陣地攻撃を行った。なお、この作戦においてAGM-88HARM対レーダーミサイルも初めて実戦に投入されている。
湾岸戦争時には飛行場爆撃を行った際、迎撃に来たMiG-21を2機撃墜し、そのあと爆弾を目標に投下するという離れ業を達成している。しかしながら、同戦争時にイラク空軍のMiG-25によって1機が撃墜され、これが湾岸戦争における多国籍軍の唯一の空対空戦闘における被撃墜となってしまう(パイロットは行方不明。2009年に、パイロットはベイルアウトしたものの間もなく死亡し、付近の住民によって遺体が埋葬されたことが明らかとなり、戦死したことが公式に確認された)。
特徴
高度にコンピューター化されたシステムが挙げられる。空母からカタパルトで射出される際、パイロットはなにも操作しなくていいと言う程高度なシステムで、微風ならば着艦も自動で行える。
コクピットには3つのディスプレイを備え、グラスコクピットを本格的に採用した最初の戦闘機となっている。ディスプレイはA/B型ではモノクロ、C/Dのナイトアタック型ではカラーである。
エンジンはGE社製のF-404-400(C/D後期生産型はF404-402)低バイパスターボファンエンジンを2基装備する。このエンジンは同時期の他のエンジンと比較して信頼性や燃費に優れ、レスポンスもきわめてよい。エンジンの立ち上げまで約30秒、アイドリング状態からフルスロットルまで約4秒ほどて到達可能。このためスクランブルや格闘戦時に大きなアドバンテージを有する。
3重のデジタル式FBWを採用しているが、それでも万一の故障に備え機械式のバックアップ操縦装置まで有する。後のF/A-18E/Fでは信頼性が向上したことと、重量軽減を理由に機械式のバックアップは省略された。操縦桿は従来通りパイロットの正面に位置する。
火器管制システムはAN/APG-65レーダーを装備する(改良型はAN/APG-73)。対空攻撃機能と対地攻撃機能を高いレベルで統合し、対空・対地戦闘両方に高い能力を発揮することが初めて可能になった。
機体としては、大きな直線翼とストレーキによる中低速域での機動性と上昇力(≒離着陸性能)がある。逆に音速前後からの性能は落ちており、加速性が悪く最高速もマッハ2を出せない。これらの特徴は、空母に離着陸する必要があり、また海上での燃料消費を嫌う(最高速にそれほどこだわらない)海軍の艦載機として評価され、同時に空軍戦闘機として不採用だった理由ともなっている。
機体重量はF-14に比べて軽量だったこともあり、サイズ的にF-14を搭載できない旧式化したミッドウェー級などにも問題なく搭載することができ、作戦の柔軟性が向上した。
武装
固定装備式のM61A1 20ミリバルカン砲を1門装備する(弾数540発)。コクピットのすぐ近くに搭載されているため、夜間飛行時に気を付けないと、発射時の閃光で一時的に視界を奪われてしまう恐れがある。
万能機の名の通り、アメリカ海軍の制式武装なら基本的に装備可能。ただし、AIM-54フェニックスなど専用の火器管制装置が必要なものは当然不可能である。核兵器も搭載可能ではあるが、1991年に海軍は空母等の水上戦力に戦術核兵器を搭載しない方針を打ち出しており、現在では搭載する可能性は低いといえる。
空対空装備なら赤外線誘導式短距離AAMのAIM-9、レーダー誘導式中距離AAMのAIM-7がメインである。1992年のトライアル以降はAIM-7の後継であるAIM-120 AMRAAMも運用可能になった。
空対地装備は各種通常爆弾、レーザー誘導爆弾、JDAM、AGM-65マベリック、AGM-84ハープーンなどを携行可能。
バリエーション
- F/A-18A/B
1980年より海兵隊に先行して投入されたタイプで、1983年には海軍にも投入されF-4とA-7を置き換えた。アメリカの他にカナダ(CF-18A/B:CF-188A/B)、スペイン(EF-18A/B:C.15/CF.15 )、オーストラリア(AF-18A/B)でも採用されている。 - F/A-18C/D
1986年の会計で計上されたものから納入された改良型。エンジンを推力強化型に換装し、電子戦システムアンテナの他、途中から夜間攻撃能力が付与される。また、一部のD型には偵察能力もある。 - F/A-18E/F(スーパーホーネット)
1995年に初飛行した発展型。機体形状は似ているがほとんど別物化している。 - F/A-18L
ノースロップ社から提案された輸出用の陸上型。簡素化された電子機器を装備し、不要な艦上運用装備を取り外された結果、F-16をも超えるスペックを有したものの諸事情から製作されず。
関連商品
関連項目
脚注
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